2.Who is this ? 「姉貴ー、入るよー」 軽いノックの音の後、赤い髪のマジシャンの少年――ラウレルは扉を開けた。 ノックをしても返事を待たないあたり、この少年の気の短さが垣間見える。 「……なあ『魔法学における物理法則』って本を持ってない?」 一瞬の間。 ハワードとカトリーヌは、突然の来客者に固まった。 「……ラウレル。ノック直後に入るくらいなら……返事を待つ余裕を…持とうね」 「いや、ずっと探しててないから姉貴なら持ってるかなって……って……ハワードさんがいたのか」 ティーカップを持ったまま停止していたハワードに、ラウレルは視線を巡らせてバツが悪そうに小声になる。 弟のその行動になれているのか、カトリーヌは慣れた手つきで床の蔵書の山をかき分け、目的の本を引っ張り出すとラウレルに渡した。 「ありがとっ! 助かる。邪魔して悪かった」 そのまま急いで踵を返すラウレル。その姿に、カトリーヌとハワードはホッとした。 突然入ってこられた時は焦ったが、このままならあのノービスの少女に気が付かないまま自室に帰ってくれるだろう……。 「……ちょ、姉貴っ? それ、誰っ?!」 二人の気持ちとは裏腹に、ドアから出ようとしたラウレルは、ふと視線を奥の寝台に移し……『何か』が姉のベッドを占領していることに気が付いてしまったのだ。 開け放たれたドアからは風が吹き込み、本のページがぱらぱらとめくれる。 カトリーヌとハワードは深い溜息をついた。 「―――じゃあ、何者かわからないわけか」 三人目の客――ラウレルのために、カトリーヌはとっておきのなめらかプリンを出し、お茶を入れてやった。 無論、このプリンは口止め料を兼ねていることは言うまでも無い。 プリンが大好物のラウレルは喜んでそれを食べながら、カトリーヌとハワードから事情を聞いた。 「目を覚まさないからな。ほうって置く訳にもいかんし」 「うーん……強引に目を覚ませることはできないのか、姉貴?」 ハワードの言葉に、右手のスプーンをくるくるとまるでペンのように器用に回しながら、ラウレルは寝台の方に目をやった。 「できなくは無い……けれど、騒ぎ出すと厄介……」 「じゃあ、大人しく待つしかないのか」 ラウレルの言葉に、カトリーヌはコクンとうなづく。 「この事は、誰にも言わないように……下手に話して、セイレンやマーガレッタにばれると大変だから……」 「わかってるって。でも、セシルさんとエレメスさんにはどうするんだよ?」 食欲魔人の姉が自分にプリンを差し出すなんて、『余程』のことが無いとありえない。 つまりこの事は『余程』のことなのである。 「ん……そのことだけど……」 「そのことで、俺達は話してた所だったんだよ」 「セシルさんは、あんな性格だし……あんまり気にしないかも知れないけど、エレメスさんには黙っといた方が良いんじゃ?」 ラウレルは、つい先日。自分たちのテリトリーとも言える地下2Fで侵入者を処理するアサシンクロスを見ていた。 その侵入者はまだ幼さの残る少女のアサシンだったが、彼は一切の慈悲も与えなかった。 恐らく、生体兵器を狙って進入した一人だろうが、無言で冷徹に殺すその様は背筋が寒くなった。 きっと、別の侵入者がここに居るとすれば、例えノービスであろうと殺してしまうのではないか? そうラウレルは考えたのだ。 「エレメスには……黙っておいた後のが……怖いと思うし……それに」 「そう? でも、黙っておかないとその子も処理することになるんじゃ」 「まあ素直に話しても、一筋縄じゃいかなさそうだが」 ラウレルの意見にハワードも同意する。 しかし、カトリーヌは二人の顔を交互に見た後に軽く溜息をつく。 「二人とも……修行が足りない……」 ぼそりと呟いてカトリーヌはサイトを唱えた。 紅い光の炎が周囲を照らし出し、ラウレルのすぐ横の虚空からアサシンクロスの青年――エレメスが姿を現した。 「エレメスさん?!」 「うわっ、ちょ、あちぃっ!!」 ぎょっとして手に持ったプリンの皿を危うく落としそうになって、思わず立ち上がったラウレルは、立ち上がった拍子にテーブルに引っかかったせいで、行儀悪く肘を付いていたハワードが手に持ったティーカップを取り落としジーンズだけではなく床にまでお茶による被害を及ぼしてしまった。 そんな散々な状況にもかかわらず、カトリーヌは顔色も変えない。 「……さっきラウレルが出ようとした時に……来たでしょ……?」 扉から吹き込んだ風……と思ったのは、エレメスだったのである。 カトリーヌはすぐにそれに気が付いたが、他の二人は気が付かなかったのだ。 「なるほど、カトリーヌ殿はお見通しだったでござるか」 「うん。それで……話の続きの前に……とりあえず……ハワードは着替えてくると良いと思う」 火傷はしなかったもののひっくり返ったお茶のせいで、ハワードは下半身がすっかり濡れ鼠である。 「乾けば大丈夫だ。熱い物には慣れてるからな」 「そう……? じゃあ、ラウレルと一緒にあっちから……バケツと雑巾持ってきて」 カトリーヌは簡易キッチンを指差して二人に言うと、お茶で被害が広がるテーブルと床を掃除するように更に伝えた。 原因が自分たちにあるため、二人ともその言葉には反発できず、素直に掃除を始める。 辛うじて、床に広がった蔵書の類にお茶の被害が及んでいなかったのが、不幸中の幸いか。 「拙者の責任もあると思うゆえ……手伝った方が良いでござろうか」 手持ち無沙汰に立ったままエレメスは、床とテーブルを拭くラウレルとハワードに声をかける。 「エレメスは悪くないから……気にしない」 流石に蔵書に二次被害が及ぶと困ると思ったのか、カトリーヌは床に広がる本を拾い上げて机の上に移動させる。 「では、本の移動を手伝うでござるよ」 エレメスも床の本を器用に積み重ねて机の上に移動させる。 背が高い彼が本を積み重ねると、カトリーヌが積み上げるよりも高く積みあがるため、山というよりタワーと言う形容がふさわしい。 後で本が必要になった時に不用意に引き抜くと、きっと雪崩れてくる……そのタワーを見上げて、カトリーヌは思った。 「――だめだ! 置いてなんか行けるかっ」 ……もう……目も開けていられない。 すごく……すごく疲れて。 私の身体は、水に浸って。 浸っているから余計に体温が下がって行く。 それだけじゃない。 背中の傷から、水の中へと私の温かい血液が緩やかにだけれど流れ出て行っている。 つまり、死が目前ということだ。しかし、不思議と痛みや恐怖はない。 「……彼女は置いていくしか……だから、急いでワープポータルに乗って。警報がなる前に」 もう一人の誰かが、苦渋に満ちた声で……でも断ち切るようにキッパリと言い切る。 「こいつを見捨てて行くのか?」 「仕方ないのよ……私達は――――――なんだから」 そう、私達は…………だから仕方がない。 「助けに……必ず来る」 暖かな光に自分が包まれたのを感じて……私は意識を手放した。 「――あ。気が付いたみたいだ」 目が覚めて。最初に飛び込んできたものは、自分を覗き込む赤い髪の少年のマジシャン。 周囲の光に目が慣れてきたところで、起き上がって周囲を見回す。 壁一面に作りつけられた本棚。暗くはないが、明るくもない落ち着いた照明の部屋。 何故か積み上げられている天井近くまで届く机の上の書籍タワー。 その側のテーブルでカードをしていたらしい、大柄なホワイトスミスと背の高いアサシンクロスの青年もこちらを見ている。 そして…… 「目が覚めた……ね」 憂いを帯びた表情のハイウィザードの女性が、マジシャンの側から話しかけてきた。 「あの、ここは……?」 「ここは、研究所。そして私はカトリーヌ……こっちは弟のラウレル……そっちの大きいのはハワードで……背が高い黒っぽいのはエレメス」 「ちょww その紹介はどうかと思うでござるよ、カトリーヌ殿!w」 黒っぽい方と言う紹介にアサシンクロスの青年……エレメスがツッコミを入れるが、カトリーヌと名乗ったハイウィザードは無表情のままだ。 「あなたは、所内で倒れていたんだけれど……どうやって進入して、どうして倒れていたの……? ノービスでここに進入なんて……できないはずなのに」 「進入……? 倒れていた……? え? ええ?」 軽い混乱に襲われる。 「まさかわからない……? 階段近くで倒れていたの……」 覚えていない。 記憶が、何かの間違いのようにすっぽりと抜け落ちているのだ。 「……あなたの名前は……?」 職業を判別することも、文字もキチン読めるし話せるのに……。 名前すら全然覚えていない。 「わからない……わからないんです……」 「なんだって? 記憶がないのか?!」 カトリーヌの弟というマジシャンのラウレルが私の肩を揺する。 「名前も……どうしてここに居るかも……わからないんです……」 部屋に居た4人は顔を見合わせた。 |
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