「ううっ、痛いでござる……」

 他のメンバーが寝静まった深夜、エレメスは独り寂しく廊下を歩いていた。
 しきりに顎をさすっているのは、まあ、いつものお約束というか、マーガレッタの部屋に忍び込んでアレとかコレなことをしようとしてLDLAHLの三連コンボを食らったせいである。

「むう、相変わらず姫はガードが堅いでござるなぁ……」

 以前2Fのメンバーに『本気でマーガレッタさんを落とせると思ってるんですか?』と尋ねられたことがある。そのときは『勿論でござるよ。拙者にかからば姫も振り向いてくれるでござるw』と答えた。
 そう答えたら気の毒そうな表情をされてしまったものだ。彼としては非常に不本意である。彼自身は本気で彼女がいつかは必ず自分のことを見てくれると信じているのだから。
 むむむ、と唸って付け加えたら生意気盛りの妹は『いつかって百年後のことでしょ? それにまっ、信じることは自由だしね〜〜』とグサッとキツイ一言を残してくれた。

 その話には更にオチがあって、『イレンド殿、おぬしも協力してくれでござるよぅ』と愛しの姫の弟に泣きついて助力を頼んでいたら、たまたま買出しに出ていたハワードがその場を目撃してアッーなことになったのだった。





 兎も角、今日は日が悪かったようだ。こういう日は酒でも飲んで不貞寝するに限る……。そう考えて台所に向かうと、なぜか明かりがこうこうと灯っている。

(はて……消し忘れたのでござろうか?)

 姫の部屋に向かう前に一通り戸締り見回りはしていたはず……と思い出していたら、妙な焦げ臭い匂いが鼻をつく。
 消灯の確認だけでなく火の始末もしてなかっただろうか、と疑問を重ねて台所をのぞく。下手をしたら火事になりかねない。
 台所には人影があった。コンロの前に佇むファーつきのマントの後姿。

 とりあえず一安心。つけっぱなしのままでなく、ちゃんと火を見ていたものがいたことに。  付け加えれば火を見ていたのがカトリーヌであることに苦笑いのような気持ちがあふれてくる。大方小腹が空いて夜食でも探しに来たのだろう、と。
 しかしまてよ、と思い直す。ならばなぜ焦げた匂いがするのだろう。

 カトリーヌはじっとその場に立ったまま動かない。このままだと一時間たっても動きそうにないので、エレメスはさも今偶然に出会ったかのように装って声をかける。

「おや、カトリーヌ殿でござるか。どうしたのでござる、こんな夜更けに」
「……エレ……メス」
「ちょ、どうしたんでござるか、カトリーヌ殿」

 ギギギギと油の切れたブリキ細工のように振り向いたカトリーヌは(´・ω・`)な顔をしていた。
 それだけでなくエレメスを見つけるなり、目の端にじんわりと涙を浮かべて抱きついてきた。

「ちょww」
「エレ……メス……うっく……」

 なんだかものすごくものすごい状況だ。
 カトリーヌが自分の胸の中でひっくひっくと嗚咽を漏らしている。服に感じる湿り気は間違うことなく涙。
 3Fのメンバーの中でも一際小柄なカトリーヌだとちょうどエレメスの胸の位置に頭が当たる。おだんごに纏められた髪から漂ういい香りもそうだが、何より同メンバーの中でも一番豊満な胸がもうちょっとで男の大事なものがある場所に接触しそうになるのだ。

 いかんでござるいかんでござる拙者は姫一筋姫一筋……耐えろ、耐えるのでござる拙者ァァァッ!!

 悲しみに暮れる女性に胸を貸すという美味しすぎるシチュエーションにエレメスの理性は崩壊寸前。背中に回されそうになる己の腕を必死で空中にとどめて振るわせる。
 ……まあ、理性が飛んだら飛んだで問題はない――かもしれない――が、こんな場面を特に残りの女性陣に見られたら何をされるかわかったもんじゃ……――否。何をされるかは分かりきってる。

 ああ、服越しに伝わってくるこの暖かな体温。頭を動かすたびに感じる艶やかな髪の感触。女性特有の柔らかな肉体。もし風呂上りのほのかな香りが焦げ臭い匂いに変わって加わっていたら……はて?
 果たしてコンロで火がかかった鍋は嫌な臭いを発してしゅうしゅう音を立てていた。

「これは……焦げてるでござるなぁ……」
「ひっく…………ん……」

 蓋を取ってみるとその中には水分を失って干からびるか、火が通り過ぎて黒焦げになった果物らしきものの残骸があるだけだった。
 焦げた異臭の中に混じったのは柑橘の匂い。そういえばアルマ殿がいいオレンジを仕入れてきたでござったなぁ、と。

「何か作ろうとしてたのでござったか?」
「……オレンジ……マーマレード」

 おお、とエレメスは手を打つ。ひとしきり泣いて落ち着いたのかカトリーヌもエレメスの胸の中から離れて――それでも服の端を握ったままだったが――頷いた。
 この前作ったほの苦くほの甘いマーマレードは全員に大好評だった。特にカトリーヌは相当お気に召したようで一人で二瓶も占有して食べていたくらいだ。

 夜になって小腹が空いてキッチンに向かい、無造作に転がっていたオレンジを見つけた彼女に天啓が下りる。『エレメスが作ってたような美味しいマーマレードを作れ』と。
 料理本を参考にしながら皮をむいて細切りにし、内袋を刻んで砂糖と共に鍋に投入。しばらくコトコト煮込むと漂ってくるいい匂い。
 オレンジの甘酸っぱい香りが嗅覚を刺激して、それだけでカトリーヌは幸せな気分になった。口に入れると舌をつく酸味と甘み、ついでやってくるほろ苦さ。パンにつけて食べようかクラッカーに塗って食べようか、それとも紅茶に入れてロシアンティーにしようか。
 想像の翼は広がり、美しい幻想は紡がれる。そして――待っていたのは奈落。

 出来上がった後のことばかり考えていた彼女は、あろうことか鍋から目を離し、見事に黒こげにしてしまったのだ。





「成る程。だから泣いてしまったのでござるな」
「……うん……ごめんね。エレメス」
「いやいや、何のことはないでござるよ」

 役得でもござったしなぁ、とさっきまでの緊張感が嘘のようにだらしない表情になるエレメス。カトリーヌがまだしょぼくれたままだったから良かったものの、これが他のメンバーだったら考えるだに恐ろしい。
 しかし……まあ――。
 とエレメスは思う。このまま帰ってもいいのだが、それではあまりにも冷酷すぎる。せっかく道具一式が準備されているのだ。ここは一つ、腕を振るうとしよう。

「カトリーヌ殿。実は拙者明日のお菓子を作ろうと思ってここに来たのでござるよ」
「……本当?」
「本当でござるとも。それでせっかくだからカトリ殿にも手伝ってもらいたいのでござるが」
「……ダメ。私と一緒だと……失敗しちゃう」
「大丈夫でござる。失敗なんてしない誰にでも出来る簡単なお菓子だし、なにより拙者がいるでござるよ。一緒に作れば、きっと拙者一人で作るより美味しいものができるはずでござるよ」
「…………うん」

 オレンジの残りは十分にある。加えて砂糖に(ナイトキャップ代わりの)ブランデー。、ゼラチン粉も在庫があったはず。
 まずはオレンジの上から1/4くらいのところで切り、包丁を入れて中身をくりぬく。一つお手本を示すと慣れない手つきでカトリーヌも同じようにオレンジを解体していく。
 中が完全な空洞になったら果肉を絞り、何度か濾して不純物を取り除いたら分量を量って鍋に入れて火をかける。

「くりぬいたオレンジの皮を無駄にしたくないなら、水やジュースでかさを増やしておかないとカッコ悪くなってしまうのでござるよ。……適度に暖めたらブランデーをちょっと垂らして風味をつけて、ゼラチン粉を加えて滑らかになるまでかき混ぜて……」
「やっぱりエレメス……すごい」

 ダマを作らないようにかき混ぜるエレメスの手つきは、カトリーヌのそれとは雲泥の差があった。
 適度に混ざったら火から下ろし、くりぬいたオレンジのすりきり一杯に液を満たす。
「これで一晩冷蔵庫で冷やしたら完成でござる。明日が楽しみでござるな」
「……うん」

 パタン、と扉を閉めるとカトリーヌが真剣な顔でその向こうを見つめていた。






 ――――翌日。





「うっわー。このゼリーすっごいオシャレ〜〜」
「エレメスにしては随分と気のきいたものですわね」

 オレンジの皮をそのまま容器に使ったゼリーに一番敏感に反応したのはやはり女性陣。
 丸々一つをスプーンで食べてもよし、等分に切って食べてもよしのこのゼリーはまず目で楽しむことができる。

「ふ……む。これならセニアも喜ぶだろうな」
「はっはっは。こんなモン作れるなんてさすがエレメス。……ますます嫁にしたくなってきたぜ」

 いつもと変わらないのは男二人。だが、セイレンはともかくハワードに対してはエレメスに勝算があった。――それを作ったのは拙者だけではござらんよ、と。
 みんながわいわい盛り上がる中、不意に裾が引っ張られる。

「どうしたでござるか?」
「……エレメスのゼリー、すごく美味しい」
「拙者だけのゼリーでないことはカトリーヌ殿が一番良く知っておろう? 二人で作ったからこれだけいいものができたのでござるよ」
「……ん……」

 そこでカトリーヌは少し反応に迷ってから、

「……また……一緒につくろう……ね」

 と言ってゼリーの前に向かった。





「…………不意打ち、でござったなぁ」

 エレメスは思わず今の心境を口に出してしまった。
 ゼリーに真剣に向かい合ってるカトリーヌはいつもと変わらない。それだけに今のは効いた。

「……まいったでござるな。これではカトリーヌ殿に出す料理は手抜きできんなぁ」

 あの満面の笑顔を前にしては。




 ――END


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送