朝日が、凍える王都をゆっくりと照らし始める頃。
 普段ならばまだ夢の世界を漂っている時間なのだが、今日はそれではいけない。
 目を覚ましたセシルは、眠気を感じることも無く立ち上がる。

 何だか妙に良い夢を見ていたような気がして清々しい。
 『早起きは三文の徳でござる』などと言って毎日無駄に早起きする暗殺者の気持ちが少しだけわかった気がした。
 包装した箱が無事であることを確認して、それを持って外へ出る。

(さ、寒っ……)

 弟のギャグよりも冷たい朝の風が、繊細な肌に突き刺さる。
 上着でも着てくるんだったと後悔しながら、しかしセシルは目的の人物を発見して硬直した。

(何、あれ……)

 スーッと、頭のてっぺんから氷水を流し込まれたような感覚が全身を支配する。
 早朝の清々しさを、不快な冷たさが穢していく。

 この時間、セイレンは一人で剣の稽古に勤しんでいるはずだった。
 それがどうしたことか。目の前で暖かそうなマフラーをして談笑するのはセイレンとセニアだった。

(あれ、あれ……?)

 真ッピンクの毛糸が、二人の間を強固につないでいる。セシルが編んだものよりも、数段出来の良いものだった。
 困ったように笑いながら、しかしセイレンは妹に甘い。
 セニアの眩しい笑顔が、何故だかセシルには酷く不愉快で、羨ましかった。
 会話の内容は聞こえない。聞いてしまいたくない。
 居心地の悪い空気から逃げるようにして、セシルは部屋に駆け戻った。

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 ベッドに身を投げて、枕に顔を埋めた。
 それでも二人の笑い声が聞こえてくる気がして、カーテンも閉めた。
 暗く寒い部屋は、心なしか酷く孤独感に溢れていた。
 包装紙を乱暴に破って、箱を放り投げる。

「ばーか……」

 一瞬でズタズタに引き裂かれた心から目をそむけるように、つぶやく。

「ばーかばーかばーか……」

 勝手に舞い上がって何を喜んでいたのか。
 自分がはなはだしく滑稽に思えて、悔しい。
 熱い雫が枕に染みを作った。

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「何よ」

 夕刻。空腹も気にならないほど泣きつかれて眠ってしまっていたセシルを起こしたのは、カトリーヌだった。
 ルナティック模様の座布団にちょこんと座って、物言いたげにセシルを見ている。

「……渡さないの?」

 小さな円卓の上に置かれた箱は、綺麗に包装しなおされていた。
 カトリーヌの諭すような目線が痛くて、目を伏せる。

「渡せるわけないじゃない」
「どうして?」
「関係ないでしょ」

 しつこいカトリーヌを睨みつけようとして、セシルはハッとした。
 カトリーヌの目つきが、いつもと違うのだ。
 かつて一度見たことがあるような気はしたが、思い出す前にカトリーヌが動いた。
 突然思考が遮られる。

「はむっ」
「んっ!?」

 二度目。完全なデ・ジャヴ。
 瞳を閉じてウットリする大食い魔術師は、別に今日の夕飯に思いを馳せているわけではない。

「んっ、んん!?」

 前回よりも、長い。舌がまるで生き物のように絡みついてきて、唾液を流し込まれる。
 解放される頃には、すっかり息苦しくなっていた。

「んはっ……はぁ、はぁ……な、何すんっ」
「チャーハン」
「へ?」

 泣きそうな声で抗議しようとするのを、カトリーヌはいとも簡単に遮る。

「チャーハン、冷めちゃった」

 要するにまたお仕置きなのだ。プレゼントボックスの横に置かれた皿には、冷えて硬くなったチャーハンが盛り付けられていた。

「ちゃんと、食べるわよ」

 これ以上先に進まれては適わない。本当にイケナイ領域まで踏み込んでしまいそうだ。
 そんな趣味などないセシルは、もそもそとベッドから這い出してチャーハンを食し始める。
 若干塩味が強め。カトリーヌがこのチャーハンを持ってきた理由の半分を悟った。
 同時に、抑えていた涙がまた出てくる。

 セイレン特製チャーハンは、余計にしょっぱく感じられた。

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「渡さないの?」
「……あいつ、もう持ってるんだもん」

 私が編んだのより飛び切り良いヤツを、と言いかけて、思いとどまる。

「セイレンは、持ってない」
「え?」
「セイレンは、マフラー持ってない」
「な、何よ。ドピンクの無駄に可愛らしいヤツしてたじゃない」
「それ、セニアちゃんの」
「……はい?」

 ポロリと、嫌な形にくみ上げられたジグソーパズルが一枚、外れて落ちる。

「だから、セシルは渡してこないと、ダメ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。だってあいつは」
「言い訳しない」

 ポン、と手に載せられたのは、綺麗に包装されたプレゼントボックス。
 ぐしゃぐしゃに破り捨てたはずなのに、包装紙は綺麗な形に元通りになっている。
 カトリーヌの真剣な眼差しを見て、セシルは思った。

 少なくとも、友の努力を無に還すわけにはいかない、と。

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 不思議なものだと思った。
 実際には単なる叱責を名目とした悪戯まがいの行為だったのに、結果としてカトリーヌに励まされていたのだ。
 朝のあれを見たときからのネガティヴな気分からは、幾分か解放されたような気がする。

 コンコンと、無駄に綺麗な字で書かれた掛札のかかっている扉をノックする。

「ん? なんだ貧乳か。朝も昼も出てこねーで何してやがった?」
「……っ!」

 普段ならば別になんだっていいでしょ! などと跳ね返すはずなのだが、いざ彼を前にするとそれが出来なくなっていた。
 勿論、今回の目的は言い合いではない。口論しにわざわざ出向いてやったわけではないのだ。

 バシ、と無言で持っていた箱を、セイレンの胸板に突きつける。目線を合わせるとどうにかしてしまいそうなので、顔は伏せたまま。
 どうして照れるんだ。照れる必要なんかないはずなのに。

「おい、これ……なんだ?」
「あ、あのときのお礼よ。ありがたく受け取りなさい」

 釈然としない様子のセイレンを直視できないまま、走り出す。
 馬鹿馬鹿馬鹿。もっと他に渡し方があるだろう、と思っても後の祭り。
 箱は既にセイレンの手の中。はるか後方で包装を解かれているはずなのだから。

 セシルの部屋まではまだ幾分か距離がある。
 早くそこに帰って落ち着きたいのに、何故かこの距離が酷く長く感じられた。
 どうして走っているのか。答えは簡単。セイレンの反応が怖いのだ。
 何を怖がる必要があるのだと自問しても、怖いものは怖い。

「セシル!」

 背後から鋭い声で呼ばれて、セシルは立ち止まった。
 何で止まるんだ走れと叫ぶ自分と、それを必死で抑えるもう一人の自分がいた。
 酸素が足りなくて、思考がうまく回らない。

「な、何よ。返品ならお断りよ! いらなきゃ自分で処分しなさいよ!」

 近づいてくる足音が怖くて、思わず拒むようなことを言ってしまう。
 それでも、足音は立ち止まらない。ツカツカと歩いてきて、すぐ真後ろにまで来た。
 不意に、手首に暖かいものが触れた。そう思った瞬間、それは触れるだけでなく強引に掴んでいた。

「なっ!?」
「ちょっと、来い」

 無理やり体の向きが反転させられ、しっかりと握られた手首を引っ張られる。
 いきなりズンズン進んでいくので、足がもつれて転びそうになる。それでも、セイレンは止まらない。
 表情は見えないが、歩き方は怒っているようにも見えた。混乱して思考がまとまらないが、穏やかでない状況であるということだけはわかった。

「は、離しなさいよ!」
「うるせぇ。つべこべ言わずについて来い」

 振りほどこうとしても、鍛えているだけあって彼の力は強い。
 手首が痛くなるほど強くつかまれたまま、気がつけば見慣れない部屋に来ていた。

 地味な色で統一された家具と、本棚に並ぶ沢山の書籍。
 反対側の壁には美しいフォルムの剣が飾られていることから、セイレンの部屋であることはわかる。

「お前さ」

 不機嫌とも取れる低い声に、セシルはビクリと肩を震わせた。

「な、何よ……」

 状況が状況であるだけに、セシルも段々恐ろしくなってきた。
 その反面、無意識の領域では少しだけ嬉しい気もしなくもないのだが。
 この男に限ってまさかこんないきなり……。いいや、男など皆獣なのだと腐れ聖職者はよく言っていた。
 あの大食い魔術師も、いきなり仕掛けてきたじゃないか。人は普段の行動だけで計れるものではないのだ。
 いいやでもそんなまさかちょっと待ってまだ心の準備が出来てないというかこんな男にされるなんてちょっぴり嬉しく……なんかない。断じてない。

 頭の中をグルグルと滅茶苦茶な考えが駆け巡る。支離滅裂。脳内で天変地異が起きているようだった。

「マフラー編んだの、初めてだろ」
「……はう?」

 弟に、『勘違い乙』と言われた気がして、セシルは素っ頓狂な声を上げてしまった。
 円卓の上にセイレンがドンと置いたのは、毛糸と編み棒。

「いいか、お前のマフラーは編み目の間隔がまちまちだ。
 これでは到底美しいとは言えないし、贈り物として実に失礼だ!」
「わ、悪かったわね」

 とりあえず反論しておくが、それで何故、毛糸と編み棒を持ってくるのか。
 状況が把握しきれないセシルの返事は、いつもの覇気が宿らない。

「マフラーとは何たるかを、俺がみっちり教えてやる」

 何故か真剣そのものなセイレンの様子を見て、セシルは初めて事の顛末を悟った。
 今朝のドピンクマフラーは、このセイレンが編んだものだったのだ。
 勿論、愛して止まないセニアのために。このドシスコン兄貴め。
 セニアもセニアで、天下無双のブラコンっぷりを発揮して「兄上、これなら寒くありませんね」などと言って自分のマフラーをこの馬鹿の首に巻き始めたに違いない。

 なんだ、本当にただの勘違いだったのだ。結局は、耳掻きのときと同じ。
 つまらないことで思いつめていた自分が可笑しくて、セシルは大声で笑い始めた。

「な、なんだよ、気でも触れたか?」
「まあ、そんなに教えたいってんなら、教わってあげる」

 セシルは、久しぶりに心の底から笑った。

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 翌朝。
 いつものように剣の稽古に出てくるセイレンの首に、地味な色のマフラーが巻かれていた。

「ちょっとはマシになったでしょ」
「ああ、最初のあれは通気性抜群だったからな」

 同じ毛糸で編んだマフラーを巻いてコートを羽織ったセシルが、眩しい朝日を眺めて目を細めた。
 吐く息が白くなっても、二人の心は温かかった。

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 以下、おまけ

 素振りを終えてセシルの所へ戻ると、チョコチョコと駆けてくる小さい影が見えた。

「セニア、おはy」
「あ、兄上! き、き、昨日のこと……ですが!」

 セイレンの挨拶を遮って、セニアがまくし立てる。
 随分と切迫した様子だ。

「昨日?」
「セシルさんを、へ、へ、部屋につつつ連れ込んで、いったい何を……?」
「あ、あ、あ、あれは別にそういうんじゃ……っ」

 真っ赤になりながら猛抗議するセニアと、同じくリンゴのようになりながら否定するセシルの様子に、世紀のニブチン男は気付かない。

「ああ、昨日引っ張っていったあれか」
「あ、あに……うえ……。無理やり、など……」

 気付かずに、セイレンは火に油を注ぐような――否、むしろ火事場にガソリンを放り込むような――発言をしてしまった。
 ゴゴゴゴ、とセニアのバックに怒りの炎が揺れる。

「せ、セニアちゃん、それちが」
「セシルさん、泣き寝入りはいけません」
「いや、だからあれは……」
「いえ、もう良いんです。何も言わないでください」

 もはや定型文と化した会話が繰り広げられる中、やはり鈍い男は状況を把握できない。
 どうにも妹の様子がおかしい、というところまでしかわからなかった。

「さっきから無理やりとか泣き寝入りとか、さっぱり話の流れがつかめないんだが……」
「あ、兄上……。あくまで白を切るおつもりなのですね……!!」
「はぁ、そうね。元はといえば、誤解されるあんたが悪いのよね」

 矢じりと剣が、朝日を受けて輝く。ここに来て、セイレンは初めて自らの置かれた状況を半分ほど理解した。
 この展開は、要するにアレなのだ。いつもの……

「は? ちょっ水矢と水2HSってお前ら……っ!!」
「兄上、覚悟おおおおお!!」
「この馬鹿ああああああ!!」

 いつものように、セイレンは理不尽な痛みに悲鳴を上げるのだった。
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