深夜、空調の音だけが反響する研究所で、煌々と電灯のともった2階の廊下を私は歩いていた。
実験体は一様に眠っている。が、研究所を管理するために作られた私は、眠るようにはできていない。

この時間帯に侵入してくる人間はほとんどいないので、夜の巡回は昼間のそれとは目的が異なる。
私が行っているのは所内の保守点検である。
一応、宿直のリムーバはおいてあり、急を要する時にはそのリムーバに連絡が行くようになっている。
はっきり言って、彼らの方が作業は早い。
が、昼間身を粉にして働いて ―文字通り、粉にされることもある― いるリムーバを、
こんな時間まで動かす気にはなれないのである。
もっとも気が進まないだけで、やろうと思えばいつでもできてしまう。
私はそのために作られた。リムーバはそのように改造された。

全ては、この研究所のために。



あの日 ―研究所から人間が排除された日― 以降も、私は私が作られた意図のままに動いている。
私はレッケンベル社から、レゲンシュルムの管理および監視の全権を委ねられた。
研究所の設備を維持し、外敵から実験体 ―極めて特殊な実験― を保護する。
それが私に与えられた役割だった。私がそれを無視したのは、結局、あの日だけだったことになる。

レゲンシュルムが特定の一分野にあまりにも特化されすぎてしまったために、
レッケンベル社は別の研究所を設立する必要があった。
ところが政府を掌握するほどの力 ―権力、財力、その他諸々― を持つレッケンベル社であっても、
ここで行われていたような研究に関われるほどの人間は限られている。
別に研究員に限った話ではない。事務員であっても、身元調査には時間がかかる。外部委託は問題外だ。
保守管理の自動化は十分研究員の目標となりえたが、事務方の要望でもあった。
金銭だけではどうにもならないこともある。人材などはそのひとつだ。
実験体の確保なら、拉致すればそれで済むのだが。


そこまで考えて、嘆息する。私もレッケンベル社の人間と変わらない。
子は親に似るという。ならば私が彼らに似たとしても不思議はない。
実験体 ―改造前の名前で呼ばれているA級実験体はごく一部で、ほとんどはリムーバと呼ばれている― と
私とでは、本質的な違いがある。既存の生物に手を加えるのではなく、零から生命体を作り上げる――
レゲンシュルム研究所の集大成が、私である。

レッケンベル社があれほどの資金を準備していたことからして、
社を挙げて私の開発に当たっていたのはわかる。期待も大きかったのだろう。
だからと言って、初めて実用化に成功した多機能型ホムンクルスに研究所の管理をさせるのはどうか、と思う。
何も一足飛びに複数の機能をまとめてしまう必要はなかったのだ。
結局動いたからいいようなものの、
人間の言語を解するホムンクルスというだけで十分だと思うのだが、
彼らは研究所のシステムの中央に私を組み入れた。
私の記憶 ―媒体には人間の脳の構造が応用されているようだが― には、
あの日までの記録が全て詰め込まれている。つまり私はデータバンクでもあった。
そんな生物に100体を超えるリムーバを操作させ、
改造ウィレスと連動した監視システムを制御させた。
さらに見た目もより完全なものを、などというわけのわからない理屈から、
一定の周期で男性と女性の姿に変わるようになっている。
それも実験体に聞くところ、かなりの美形であるらしい。
意思を破壊されたリムーバですら好みは別れるのだから、顔を決める際にはさぞかし揉めたことだろう。
私は彼らが言うところの萌えというものを理解できない。否定する気もないが。

ただ、何よりも理解できなかったのは、
彼らが私に独立した自我を与え、なおかつ生命体とはいえキルスイッチを準備しなかったことである。
そうでなければ、あの"反乱"は成功しなかった。
あの日、A級実験体12体は4階を破壊し、水没させた。
しかしそれだけではレゲンシュルムの機能は停止しない。
4階は研究フロアであって、研究所の主幹部分 ―水道のポンプ、発電機、管理室など― は2階にある。
つまり私の動きを止めて2階を抑えておけば、少なくとも研究所の廃棄は避けられたはずなのだ。
これではコストを削るどころではない。レッケンベル社は金銭的にも人的にも甚大な損害を受けた。

理解はできない。が、仕事はせねばなるまい。



左足を軸にその場で回転し、伸ばした左腕で自身の背後――虚空を薙ぎ払う。

そうではない。
左腕の肘から下は、刃渡り60センチ余りの剣となっていた。
懐から剣を取り出したのではない。腕そのものがすなわち剣。
ただ与えられた機能のひとつを使ったに過ぎない。
アクチュエーターの集合に過ぎないこの体は、瞬時に、かつ自在に形を変えられる。
薙ぎ払った虚空から、鮮血が噴き出した。左腕は、人間の首を刈り取っていた。

そこでは回転を止めず、さらに半回転。
1本の槍 ―と言うには細すぎる、直径1センチ足らずの"線"― と化した右腕を、虚空に向けて突き出す。
槍の先端が人間の眉間を貫き、脳髄をかき回した。
この槍はもともと自分の右腕である――自分の思うままに動く。
頭蓋に穴を開けた時、槍の先端は錐となっていた。
脳髄を荒らした時、槍の先端はジューサーの刃となっていた。

三度、虚空から人間が現れた。殺気が後頭部に突き刺さる。
2人のように引きずり出したのではなく、3人目は自ら姿を現わした。
右肩に白刃が食い込み、そのまま袈裟懸けに斬り裂かれる。

――否

体の中央 ―人間ならば胸骨の下、横隔膜付近― を硬化させると同時に、
刃を導くために軟化させていた部分に周囲から圧力をかけて刃を"掴む"。
剣の動きが、止まった。首だけを回転させて後ろを振り向く。関節が存在しないからこそ可能な芸当。
頭蓋骨から引き抜いた"線"を球状にして、肩越しに後ろに回して人間の右胸部に向けて一本の棘を打ち出す。
棘は細く鋭く。胸骨を避けるように、肋骨を避けるように。
棘から伝わる感覚が、固体から液体に変わった。心臓を、捉えた。
体に刺した棘を通し、体の一部を流し込む。人間の背中に、巨大な穴が空いた。
穴からは、押しつぶされた心臓と、削り取られた肺と、砕かれた脊椎が落ちていった。
にもかかわらず、返り血は浴びていない。自分の方を向いている傷口は、わずかに直径1ミリ程度である。



自分の足下に転がった肉片を見下ろし、ため息をつく。
わざわざリムーバに手間をかけさせるような片付け方をする必要はなかったのだ。
2人目にそうしたように、脳だけを破壊していれば後始末は楽になのだが、
頸動脈や大動脈を破ったのは失敗だった。あたりは一面血の海である。
体を貫通していた両手剣を、腕を伸ばして ―刃は腕より長かった― 引き抜く。
剣が納められていた鞘は、見事に血に浸かっていた。納めようとするだけ無駄だ。
ひとまず当直のリムーバを呼ぼう。2階のA級実験体は、この手の死体を見慣れていない。
私は連絡を飛ばそうと、意識を集中させようとした。

――そして、そのエンブレムに目が止まった。
「そんな・・・馬鹿な」
死体の上着の内側にあったのは、見間違えるはずもない、レッケンベル社のエンブレムだった。
馬鹿な。彼らはこの場所を廃棄したのではなかったのか。
なぜ今になって彼らがここに来る。なぜ彼らがクローキングで探っている。
なぜ――私はその時になって、重要なことを忘れていたことに気付いた。
1階には無数のウィレスを放ってある。
高い索敵能力を買われて改造されたウィレスは私の感覚と同調しており、
侵入者を発見すれば瞬時に私の下に連絡が届く。
もし万が一その前に殺されたとしても、少なくとも殺されたという連絡は来るようになっている。
だが、そんなものは一切なかった。あの探索網をかわすのは、エレメス=ガイルでも不可能だ。
だとすれば、この3人はウィレスの機能を停止させつつ1階を通り抜けたことになる。

レッケンベルの息がかかった者なら、それも簡単だろう。
簡単ではあるが、しかしそれでは辻褄が合わない。
ウィレスの機能を停止させられるのなら、なぜこうも簡単に私に殺されたのか。
3人は私がウィレスに匹敵する索敵能力を持っていることを知らなかった。
クローキングで取り囲み、奇襲をかけるつもりだったらしい。
これでは犬死にである。なんの役にも立っていない。
レッケンベル社は、3人の人間を死なせるためにここに放り込んだことになる。なんのために?

――まさか。
最初から・・・何もかもが織り込み済みだったとしたら?
私がA級実験体と協力して研究員を排除することも、実験体が自ら侵入者を排除し始めることも、
私がこの3人を殺し、レッケンベル社のエンブレムに気付くことも。
そして私が、このように考えることも。

何もかもが、レッケンベル社の計画通りに進んでいるとしたら?
"反乱"が、実験体のテストの一環だったとしたら?
研究の成果を確かめるために、単に実験体の行動を観察するために放置しておいたのだとしたら?
転がった死体を見下ろす。この3人がこの場所に来たことには、なんらかの意味があるはずだ。
考えろ。彼らは動こうとしている。次の動きを読め。ことが起こってからでは遅い。

私は忘れていた。数多の侵入者を葬ってきた実験体の強さに、目を曇らされていた。
主導権は、彼らの側にあったのだ。私たちにではない。


動け。何もかもが、手遅れになる前に。






―― XXXX年XX月XX日、ジェミニ−S58の思考ログより抜粋。
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