「…もしもし、発電機室……そうか、奴はやられたか。
 銃器使いも少しは使えるかと思ったが…いや、いい。そのまま監視を続けろ。
 常にサイトを忘れるな。何かシステム上に異常があればすぐに内線で知らせろ」

 受話器を置いて仲間を振り返ったのは、冷たい切れ長の眼をした美女。
すらりとした長い足を惜しげもなく晒し、胸元には大人びたその容姿に似つかわしくない大きなリボン。
振り返った先には、所謂忍び装束と呼ばれる衣に身を包んだ黒髪の男と、
髪の毛を派手な色に染め、中央に纏め上げた独特の髪型をした破れジーンズの男。

「ボイラーは動いたままだそうだ。つまり、あのガンスリンガーは返り討ちに逢った」

 淡々とした調子で女は続ける。

「そこそこの使い手であるアイツがやられたという事は、恐らくエレメス=ガイルだ。
 扉の外にいるウィザードとプリーストに伝えろ。サイトとルアフを怠るな、と」

 寡黙な忍とならず者が顔を見合わせ、目で会話をした後、渋々といった風にならず者は外に出て行った。

「…どうする、中央監視室は一人になったぞ」
「どうせあちらは掌握のための手順に過ぎん。魂も憑依してあるし、
 ただのクリエイターとはいえ1次職程度に遅れは取るまい」
「だがエレメスは」
「その場合は諦めてもらう」
「…」

 至極あっさりと断言した憑依師から目を離し、忍の男は簀巻きにされて眠っている二人に目を落とした。
ハイプリースト・マーガレッタ=ソリンと、アコライト・イレンド=エベシ。
普段の自分ならばあまり正面きって戦いたくない二人だが、今はクリエイターの作った薬で昏睡している。
男は特に感慨も無く、近くの壁にもたれかかると目を閉じた。




「エレメスさんは居ないようですね。もう既に行動を起こしているのかもしれません」

 研究所地下3階にあるエレメスさんの部屋は、既にもぬけのカラだった。
余りにも殺風景で、ベッド以外にはテーブルの上に水差しがあるだけの、生活感の無い部屋。
俺とトリスさんは他の人たちと合流すべく行動を開始したのだが、静まり返った所内には
我々以外に全く人気が見当たらなかった。
 テロリスト側からの通達も現状途絶えたままで、電気室の惨状が無ければいつもの静かな夜と何一つ変わらない。
まるで、俺達が嫌な夢を見てただ走り回っているだけではないのか、という錯覚にさえ陥ってしまいそうになる。

「兄貴…まさかもう兄貴まで…」

 俺はゆっくりとかぶりを振るとその考えを否定した。

「それはありえません。彼は――彼と貴女は、危機察知能力と隠密行動において
 研究所内でも並ぶものの無い力を持っているはずです。
 だから、貴女は今ここに捕まらずにいるし、貴女を上回る能力を持つエレメスさんが
 そう容易く敵の手に落ちるということは考えられません。だから――」

 俺の次にすべきことは一つ。

「だから、我々は今我々に出来ることをしましょう」

 まずは俺達の詰め所を取り返す。



 中央監視室は1階の外部に面した扉から入ってすぐのところにある。
研究所内の空調、給排水、防災設備や電気の様子が逐一観察できるシステムになっており、
ここにいれば館内の設備だけ、様子が手に取るように分かる。
監視カメラも付いていることは付いているが、主に研究所の入口をただ録画しているだけに過ぎない。
複雑な廊下を音を立てないように慎重に進み、扉の横に立って耳を澄ます。

「ヒャハハハハハハ!俺様のポーションは世界一ぃぃぃぃぃっ!」

 中から何か発狂したような男の声が聞こえてくる。と同時に、
何やらパリンパリンとガラスの割れるような音が混じっている気がする。
中で何をやっていやがるんだ…?
鍵穴をそっと覗き込むと、栗色の髪の毛を短く纏めた男が、物凄い速度でハーブをすりつぶしている。
まるで何かが乗り移ったかの様に、その瞳は正気を宿してはいない。
口元からだらしなく涎を弾け飛ばし、踊るような、しかし恐ろしく速い手つきで乳棒を動かしている。
 俺とトリスさんは目で合図し、タイミングを計る。3…2…1…

「ヒャハハ…ヒョッ!?ひょぉっ!ぶべらっ!」

 扉を開け放ち、弾けるように飛び出したトリスさんが男の背後から強烈な一撃を見舞う。
俺も続いて男の足を拘束し、ズボンを一気に引き下ろすと男の頭にかぶせ、腕を後ろに回すと用意していた紐で
両手両足をひとくくりにして縛り上げた。
 ただの一撃で昏倒した男から装備、道具一式を取り上げて机の下に転がす。
コイツの道具入れの中を覗くと、見慣れた薬品類もいくつか見受けられる。

「カルボディルニルオルに…強酸の瓶、これは火炎瓶か。危ないものを所持していますね
 正気だったら少々面倒な事になっていましたよ」

 道具入れに硬く封をすると、腰周りに身に付けた。
すぐさま俺は監視画面を覗き込む。熱源…空調…衛生…電気…。停電により各所の給排気ファンは止まったままだ。
だが、発電機室のみ作動している。やはり本隊は発電機室か。
俺は非常放送設備に駆け寄ると、いくつかのスイッチを入れて非常放送ボタンを押した。
一部だけに聞こえる警報音が鳴る。1回、2回、3回。手元のマイクのスイッチを入れた。

『こちらは中央監視室、設備担当リムーバーMです。放送をお聞きの方々は中央監視室にお集まり下さい。
 繰り返します。こちらは―――』

 怪訝そうな顔をしてトリスさんが聞いてくる。

「そんな事をしたら、敵に聞こえてしまわない?」
「これを見てください。表示ランプの付いている箇所にだけ、この放送が聞こえるようにしました。
 主に居室フロア、つまり皆さんの部屋にだけ流れていることになります」

 俺はLEDランプの点灯したスイッチを指差して説明した。
ともあれ、これで気付いた人…残っているカトリーヌさんやラウレルさん達もここに集まってくれるだろう。
戦力的にかなり安心できるようになるはずだ。
 俺は大きく息をつくと、背もたれのある椅子に深々と体重を預けた。
疲れた。余りにも色々な事がありすぎて、2時間しか眠っていない俺の腐った脳が
休息を求めて体の動きを緩慢にしていく。
 すぅっと意識が遠のきかけたとき、内線の呼び出しを伝えるプー、プー、という音が聞こえた。
目の前にある電話器の表示が受信を示して赤く点滅している。俺は、何も考えずに受話器を取って、しまったと思った。

「…中央監視」

 辛うじて名乗ることだけは制止して、低い声でそれだけを口にした。

『私だ。…どうした?何かあったのか?』

 凛とした女の声が受話器の向こうから聞こえてくる。大丈夫だ、まだ気付いていない。

「…いえ、なんでもありません」

 出来るだけトーンを抑えて別人だと気付かれないように、最低限の受け答えだけはしなければ…

『もう予定の時刻を大幅に過ぎているぞ。早く例の放送を流せ』
「…わかりました」

 電話は向こうから切れた。
背中を伝う汗が、先ほどまでの眠気を一気に吹き飛ばしてしまった。
例の放送というのは、恐らく所長の引渡し要求についての事だろう。
少しでも内容が違えばここの異変を嗅ぎつけられる。そうなれば捕らえられている二人の安全が保証されない。
 手間をかけてまで人質を二人以上取るのには理由があるのだ。
本気だと見せ付けるために、殺す事を前提にして一人ずつ危害を加えていく事ができる。
それはつまり、交渉において確実に優位に立てるという事に他ならない。
 どうすればいい?放送の内容を忘れたと聞き返すか?危険を冒してまでまた奴等と会話をするか?
不安そうな面持ちでトリスさんがこちらを覗き込んでいる。考えろ、最善の方法を!
 要求文とは、単純明快にして相手にわかるようにしなければならない。
だが条件は必ず必要だ。条件。その部分が見えないと話にならない。
複数の条件がある場合、暗記は勿論だが、自分達の命を賭けてまで生体研究所に乗り込むような奴等だ。
念には念を入れているはず…走り書きでも何でも良い、条文をメモした紙なんかがあったりしないか?
 相変わらず昏倒してだらしなく下半身を晒しているクリエイターの頭のポケット、
つまりまぁズボンのポケットなのだが、そこを探ってみる。無い。
せしめた道具入れの中には?…無い。くそっ!
 このまま何分も放送が流れなければ、明らかに不審に思われてしまう。
せめて何か、手がかりになるようなものでも…
 無駄を承知で奴の下着をずらしてみる。

「ちょ、ちょっとエリムさん!?何してるの!?」

 指の隙間からしっかりと見ながらトリスさんが顔を覆う。と、奴の股間に二つ折りにされた紙片がある。
迷わず摘み上げると、内容も確かめずに発電機室の表示をONにして非常放送のスイッチをぶっ叩いた。

 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん

 マイクのスイッチを押しながら広げた紙片の条文を読み上げる。
所長自ら発電機室の外に来る事。
こちらには陽光の箱があるため穏形しても無駄である。
こちらの要求が以下の時間までに成されない場合には―――

 全てを読み終わって俺はマイクのスイッチから手を離した。
まだ、中央監視室には誰も集まってきてはいない。俺が、やるしかない。

「トリスさん、何度もお願いして申し訳ありません。また私の言う通りに操作をお願いしてもらえないでしょうか」

 放送を流したのは発電機室だけだ。
奴等が全てそこに集まっているのならば、気付かれるまでにはまだ時間がある。
だが…条件には時間制限が設けられていた。
俺達の行動がばれるにせよ、時間がきてしまうにせよ、いずれにしてもマーガレッタさんかイレンドさんは
無事に戻ってくる事ができなくなってしまう。それは、駄目だ。
生体研究所に勤めるものの義務感だけじゃない。
俺はここにいる、人ではないのに、人以上に人間臭い人達が大好きだ。
その人達が一人でもいなくなったら…俺は嫌だ。
マーガレッタさんの優雅な物腰や言葉使いが、イレンドさんのはにかんだ誠実な笑顔が無くなるのは嫌だ。
そして、…やっぱりトリスさんは笑っているほうが、良い。絶対良い。

 俺は中央監視室の扉を開け、虫の鳴き声すら聞こえない新月の夜へ出て行く。
俺にはいくらでも代わりが居る。あの人達の掛け替えは、無い。













――また続くかも
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