けたたましい呼び出しのベルに、俺はまだ休息中の身体を叩き起こされた。

「…はい、設備担当リムーバーM、通称『エリム』です」

 受話器の向こうから聞こえてきたのは淑やかな女性の声、
地下研究所三階のマーガレッタ=ソリン嬢からだった。

「ええ、はい、暖房が効かない…そうですか、すぐに様子を見に伺います」

 眠気の残る頭を振って、俺は作業着に着替える。
作業着とはいえいつもの消防服と大差は無い。多少汚れても洗浄しやすい素材なだけだ。
若干耐久力に欠けるが更に燃え難く、通気性が良い。
いっそ俺はこいつを普段着にしたいところだが、一般的に侵入者の排除も行わなければならないので
作業の時だけ着替えることになる。
何度洗濯しても微かにに機械油の臭いが残るそいつに袖を通し、いつもの安全靴を履く。
 それにしてもこんな時間に呼び出しとは運が悪い。
設備は通常3交代制勤務で、日中は二人、夜間は一人をローテーションで回しているのだが、
基本的に夜間は何も無い事が多いので仮眠時間に指定されている。
何も無いのが普通なわけで、こうやって"何か"があると運が悪い、とこうなるわけだ。

 地下三階の更に下階、ボイラー室に向かう。
この部屋は俺達、設備担当のリムーバー以外は全く立ち入る事がない。
侵入しても特に何かがあるわけでも無いし、無闇に蒸し暑く、給排気ファンの音とボイラーや
冷凍機の音がいつでも、それこそプロンテラの大通り以上の騒音を奏でているからだ。
 案の定、ボイラー室は安全弁が噴いたのか、蒸気で真っ白だった。
ボイラーから発生した蒸気は、一旦ヘッダー部分に集められ、各所に分配される。
一定以上蒸気圧が上昇すると、ボイラー缶体やヘッダ、各所継ぎ手が爆発してしまうので、
そうなる前に噴出する弁を設けてある。
抑圧された蒸気がふきだすわけであるから、当然空調が効いていても辺り一面水蒸気の霧に覆われる。
ここの安全弁は壊れているのか、蒸気圧がほぼゼロにならないと閉じない為、ボイラーを一旦止めないといけない。
蒸気圧がある程度下がると、当然暖房の効きが悪くなるので、マーガレッタさんが気付いたというわけだ。

(それにしても、こんな時間に微細な異常に気付くなんて…一体何をしていたのやら)

 霞む視界の中を泳ぐようにして缶体まで辿り着き、停止スイッチを押す。
時間は多少かかるがじきに収まるだろう。仄暗い蛍光灯の灯りの下、俺はしゃがみこんで待つことにした。
 と、突然俺の視界が真っ白から真っ黒に変化した。
別に目を閉じたわけじゃない。照明が全て落ちたのだ。
なんてこった、安全弁の次は停電かよ。
 どっちにしてもバーナー点火には電源が要る。電源を復旧させない以上はボイラーも復旧できない。
全く、設備屋も楽じゃないぜ。そう一人ごちながら手探りで階段を探す。
途中何度か鉛の配管に頭をぶつけたものの、なんとかボイラー室から這い出ると、今度は電気室へと歩を進めた。
と、言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ手探りだ。
避難誘導灯はいくつか点灯しているものの心細く、非常用電源――発電機のことだ――の死んだこの施設じゃ
非常灯も点いちゃいない。で、誘導灯ってのは出口に向かって点いてるもんで、機械室付近では殆ど点灯していない。
 停電の原因が送電側なのかこちらの構内なのか分からないが、滅多に無いとはいえ
変圧器や各所の遮断機が壊れていては堪らない。現地確認は最重要課題だ。

 辛うじて地上階にある電気室に辿り着いて、開かれた主電源盤を見て俺は愕然とした。
 メインの、引込み線が……切断されている。
 切れているとか千切れているとかじゃない、それはまさに"切断"されていた。
 6600ボルトを引き込んでいるぶっとい電線が、ものの見事に両断されている。
鋭利なその切り口は、間違いなく大型の刃物…そう、両手剣や斧のようなもので切断されたかのようだ。
無論、通常の刃物でそんなものを切りつけたりしたら、刃物を伝って斬った人間が感電してしまう。
6.6キロボルトってのは甘くない。全身ゴムタイツでも活線作業なんざしたくないレベルだぞ。
 とはいえ、これじゃ復旧は絶望的だ。一体誰がどうしてこんなことを…
 数秒思慮にくれた俺の腐った脳を打ち払うが如く、またまた突然――事件ってのはいつも突然だ――に
室内の蛍光灯が瞬き、周辺を眩しく照らし出す。一体なんだってんだ!
 所内の電源は基本的にここしかない。他の電源といえば、数年前に停止した…発電機…
発電機の運転を表示するランプが点灯している。間違いない、誰かが停止した機能を復旧させている!
目的は何だ?

『我々はお前達の匿っている研究所長に用がある』

 …ご親切なことで、所内の非常放送設備を使って男の声が流れ出した。

『お前達の生命線である電気、空調、ガス、給水は全てこちらが制圧した。
 それからお前達の仲間であるマーガレッタ=ソリン及びイレンド=エベシの身柄を確保している。
 下手な動きをすれば彼女達の安全は保証しない。要求は10分後に追って連絡する。』

 一方的にスピーカーから音声を垂れ流して、ブツリという切断音と共に再び静寂が周囲を支配する。
非常放送設備を乗っ取られたということは、少なくとも俺達の詰め所も占拠されたということだ。
発電機を修理して動かし、制圧したということは、発電機室にも複数名配置されているに違いない。
 冗談じゃない。俺達の仕事場であり、砦であるここを好き勝手に荒らされて黙って見ていられるか。
それにこの研究所には俺達の他にも信じられない程の強者がいる。その人達が、自分達の仲間を人質にとられて
黙って要求に従うはずがない。侵入者、もといテロリスト共は無事な姿では帰ることはできないだろう。
 俺は電気室から飛び出すと、煌々と照らされた廊下を走り出した。
目指すはボイラー室。非常用電源が生きているなら一旦止まったボイラーや冷凍機を動かすこともできるだろう。
詰め所が占拠されている以上、動かせば向こうに表示が出るだろうが、少なくともこちらに人数を割けば
それだけ本陣が手薄になる。何よりも、発電機室にいる二人はいいだろうが、この真冬の寒さだ。
ずっと暖房を止めておくと所内にいる他の人たちの行動にも支障が出る。
 階段を駆け下り、2階の中央部に向かって角を曲がって疾走する、と、奥の曲がり角に人影が差す。侵入者どもか!?
腰溜めにナタを構え、走った勢いそのままで一気にスライディングをかける!

「ちょ、うぉわっぁ!」

 足をからめとり、馬乗りになってから、その顔を見て俺はほっと胸をなでおろした。

「これは…トリスさん。侵入者かと思いましたよ、申し訳ありません」
「それはこっちのセリフよ、リムーバー…えぇっと」
「設備管理リムーバーM、ERM、通称『エリム』です」

 俺は素早く彼女の上からどくと、畏まって慇懃に無礼を詫びた。

「設備…無事だったのね、他の人は?」
「夜勤は私一人でした。ボイラーの故障を見に行っている隙に奴等に制圧されたみたいです、申し訳ありません」

 まだ確認はしていないが、奴等の第一目的が俺達の詰め所――中央監視の制圧にあるとすれば、
ヘッダの圧力異常は奴等の仕業と取るのが当然だろう。
 まず比較的与し易いイレンドさんを確保、次いで姉のマーガレッタさんを脅し、別働隊がヘッダのバルブを閉める。
圧力上昇を引き起こしたヘッダの安全弁が噴き、適度に圧が下がったところでマーガレッタさんを使って
俺のところへ連絡を入れさせる。俺がボイラー室にいる間に本隊が発電機室へ、別働隊は電気室へ。
何らかの方法で引込み線を切断し、闇に乗じて詰め所を制圧、これで完了。
つまり、少なく見積もっても奴等は4人以上、恐らく6人程度は居るだろう。

「トリスさん、他の方々は?」

 曇ったトリスさんの表情を見て、余り状況が芳しくない事を悟った。

「今日はハワードさん、セイレンさん、セニアと、セシルさんがタナトスタワーに出かけてるんです。
 だから私…兄貴のとこに行こうかと…」

 いつもの元気な様子からは想像できないほど語尾をすぼめ、うつむいてぼそぼそと口を動かしている。
今まで何度も侵入者と戦ってはきたものの、この様に設備を乗っ取られて人質まで取られたのは初めてだからだろう。
加えて頼りになる人達がこぞっていないとなれば、不安になるのも無理はない。
だが、少なくともエレメスさんが残っている事はプラス材料だ。

「わかりました、私も同行します。但し、先に暖房機能を回復させてからです。
 凍えた手では盗みもままならないでしょう?」

 多少の冗句を交えて彼女を励まし、精一杯の――外からでは分からないだろうが――微笑を浮かべる。

「それに単独行動は危険です。奴等の手際から見て、恐らく次の手は戦力になりそうな者達の分断です。
 少なくとも道中に出会った仲間とは一緒に行動しましょう。
 エレメスさんなら大丈夫です。彼の特殊能力はあなたも知っているでしょう?」

 彼女は俯いたまま、こっくりと首肯して唇を噛みしめている。
イレンドさんだけでなく、手練のマーガレッタさんが捕らえられたことにも動揺しているのだろう。
だが、エレメスさんは戦闘職だ。そうカンタンに相手の手に落ちるはずがない。
俺は彼女を促して、再びボイラー室への階段を下りていった。
 ヘッダの出口バルブが閉じられている。間違いなく奴等の仕業だ。
ボイラーに点火し、蒸気圧が上がったところでボイラー、ヘッダの両方のバルブをゆっくりと開ける。
これで一応は所内の暖房は大丈夫だ。奴等も無駄な手を煩わせてまで再度ここの機能を停止しようとは思わないだろう。

「それではエレメスさんの所へ向かいましょうか」

 ボイラー室の熱気で多少落ち着いたのか、トリスさんは先程よりも元気そうに頷いた。これでいい。
ステンレス製の階段を上り、機械室の扉に手をかけようと…して、俺は違和感に気付いた。
目でトリスさんに戻るよう促し、奥の冷凍機の影に隠れる。俺は足元にあった古いモンキーレンチを拾い上げると、
力いっぱい機械室の扉へと向けて投げつけた。
扉に当って耳障りな音を立てたモンキーが地面に落ちる前に、鋼鉄の扉の真ん中に蜂の巣が出来た。
俺も生前使っていた事がある、ショットガンだ。
 俺は機械室に入る時も出る時も、必ず鍵をかけるクセがある。
頻繁に出入りするときは面倒だからやめろと仲間から良く言われるのだが、この歳になると一度身に付いた習性は
そうそう直るもんじゃない。扉を開けようとサムターンに手を伸ばしたときに、鍵が開いている事に気付いた。
つまりは、俺達がボイラーの方に行っている間に、誰かが鍵を開けてこちらの存在を確認したということだ。
鍵を持っている者は、夜勤で設備キーを持っている俺と…恐らく最初にここに入った奴等だけだ。
 中央を吹き飛ばされ、衝撃でノブが壊れたのか、扉がだらしなく開かれる。
貯湯槽の影から覗き見ると、予想通り、重々しい銃器を構えた黒服の男が見えた。

「トリスさん、少しお願いがあるのですが…」

 耳元で彼女に囁く。
 扉を防火戸としても全く役に立たない鉄屑と変化させた黒ずくめは、ゆっくりと金属製の階段を下りてくる。
カンカンと踵を鳴らし、油断無く周囲に気配を走らせているようだ。俺から見ても分かる。
こいつは相当の歴戦を潜り抜けてきた戦士だろう。だが…

(こういうのは戦場で浴びたことはあるか?)

 貯湯槽の下にあるドレンバルブを開き、予め繋いでいた放水銃を両足で踏ん張って構える。
直径1インチ程の口径に圧縮された、25トン分の水圧がドバッという音と共に奴の全身目掛けて勢いよく放射される!

「なっ!?熱湯っ…ウあっちゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!1!!!」

 両手に携えた銃器を手放さないのは流石といったところだ。
それでも激しく動揺し、地べたを転がりまわって悶絶している。そろそろいいだろう。
バルブを閉めて奴の目の前を走り去り、蒸気ヘッダで待つトリスさんの元へと駆け出す。
元より狭い部屋だ。数秒とかからずに到着して、トリスさんに頼んでいた"それ"を受け取ると後方に向けた。

「き…っさま…リムーバーのくせに…ナメた真似を…」

 怒りと熱湯で文字通り頭から湯気を立て、お湯も滴るいい黒服はぎらぎらとした視線をこちらへと向ける。
奴の視界に映るのは、消防服を着た消防士が放水銃を構えている様子。
だが、俺が手に持っているのはタダの耐熱ホースに高圧洗浄機の先端を取り付けたもの。
そしてその根元は、安全弁の吹き出し口に繋がっている。

「残念だが、貴様とはお別れなんだ」

 出口バルブを封鎖され、内圧1メガパスカルに達した蒸気が出口を求め、収束された矛先から指向性を持って噴出された。


「いきましょう。まずはエレメスさんと合流しないと」

 全身をゆでダコにされたガンスリンガーを見ないようにして、俺はトリスさんを促し階段を上った。

 見てろ…設備屋には設備屋の戦い方がある。俺達の城を荒らしてタダで済むと思うなよ。










――続くかも
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