「……という具合に2階の巡回ローテーション変更したいと思うのですが、兄さんはいかがお考えでしょうか」
 一生懸命な妹の瞳が、セイレンを見上げていた。
 どうでしょうか、と重ねて問われて、セイレンはまた困惑する。
 2階の事情に関してならば、彼女の方が余程に通じている。自分の見解など参考にもならないはずだ。
 それに――これは心中密かに誇らしく思っている事なのだが――彼女は曲者揃いの2階のメンバーにもリーダー格として一目置かれている。その彼女の考えなのだから、告げれは2階の一同も等しく受け入れるはずであって、自分がそれをどう思ったかなど殆ど関わりがないと断言していい。
 これがかつて騎士団で目にしたような虎の威を借ろうとする輩ならば、彼の言による権威付けを行おうとしているのだと判断もする。だがその類の無駄な箔付けは、そもそもセニアの好むところではないとセイレンはまた知っている。
 だというのにどうしてか、決定の前にセニアはいつもセイレンの意見を求めに来るのだ。
 一度食事の折に、3階のメンバーに何故だろうと疑問を漏らした事がある。
 するとセシルとハワードは露骨に呆れた顔をし、エレメスは思わずといったふうに失笑を漏らし、カトリーヌにはそっぽを向かれた。
「口実ですわ」
 謎かけめいてぽつりと応えてくれたのはマーガレッタだったが、「後は自分でお考えなさいな」と微笑んで、それでこの話題は打ち切りになってしまった。
 しかし一体なんの口実だというのか。
 自分に会うついででセニアにメリットがあるもののあれこれを考えてみたが、どうにもぴたりと来るものがない。
 少し他者の心には疎いかもしれないとは、常々思うところでもある。自身の短所は努めて補うべきであり、これは己を鍛える試練のひとつとなりうるであろう。ならばこのセイレン=ウィンザー、一歩たりとも退く意志はない。
 マーガレッタの不可解な言葉を解くべく、そう雄大な決意を固めはしたものの、未だに難航しているというのが正直なところだ。
 仕方ないので、以後セイレンは少しばかり心を払って、セニアの行動を見るようにした。
 しかし3階を訪れたセニアは例の如く自分に意見を求め、それを終えて他愛無い会話を交わすやその後は大抵すぐに彼女は2階に戻ってしまう。
 なんの為の口実であるのかは、セイレンには未だ皆目見当がつかない。
 だがそうしてセニアの挙動を見守るうちに、ふと気付いた。
 丁度今のように、彼女を見下ろすアングル。この俯瞰は、どうやら自分だけのものらしい。
 セニアより身長の高い者、そしてセイレンよりも上背のある者だってここには居る。例えばハワードがそうだ。セニアよりも随分と、そしてセイレンよりも頭一つ大きい。
 だが彼と言葉を交わす折には、セニアは今よりも一二歩離れた位置にいる。そこまで近接しない。
 自然相手の顔を見るのに必要な角度は浅くなり、少し顎を持ち上げる程度で済んでしまう。自分のように、見下ろし見上げる関係にはならない。女性陣と会話する様も幾度か見たが、やはり位置関係はハワードと変わらず、つまりこの近さまでセニアが距離を狭める相手は自分以外にないのだと気付いた。
 おそらくボディゾーンや親しさに関わる問題で、その分心を許して、信頼してもらっている、という事になるのだろうか。
 それは少しばかりのくすぐったさを伴う、面映ゆいような発見だった。
 そして、セイレンの思考は更に過去へと遡る。
 浮かぶはまだ剣士になったばかりのセニア。技術的なものに詰まると、わざわざ騎士団のセイレンのところまで教えを乞いに来たものだった。
 バッシュやマグナムブレイク。それらはより上の技を修める為に基本とも言えるもので、当然セイレンも習熟している。だから自分の体験経験を交えて、コツと思うものを教授したりもした。
 そのうち、そうして兄の時間をお詫びに、と昼食を差し入れたり、軽食を持参したりするようになった。そんなに気にしなくてもいいだろうと思いつつも、やはりありがたく受け取ったものだ。
 これが原因であの騎士はシスコンだの幼女趣味だのと噂が立てられたりして、セイレンは随分閉口したものだった。挙句には度々訪れるセニアを見初めて付け文しようとする輩まで出て、無論これは成敗しておいた。
 そうしながらも、この男は今も昔も、その行為に秘められて在る好意を気付くほど察しがよくない。
 それにしても、こんなに懸命に見上げて、首が疲れはしないのだろうか。現在のセニアが紡ぐ言葉を音の羅列のように聞きながら、そんな事を思っている。
 
 ――そういえば、一度。

 この姿勢のセニアが、ふらりとよろけて転びかけた事があった。思わず手を伸ばして抱き止めたら、ひどく焦ったように彼女は暴れて。転ばないようにと尚腕に力を入れたら、ぴたりと硬直してしまって。
 真っ赤な顔で、何かを待ち望むような表情で、潤んだ瞳が自分を見上げて。
 あの時、自分は――。

「――さん。兄さん! ちゃんと聞いてくださってますか?」
 セイレンは当のセニアの声で我に返る。腰に手を当てて、彼女は気のない兄に少しばかりご立腹の様子だった。拗ねたような目がじっと見上げている。まだ稚い時分から見慣れている角度。
 幼い頃の彼女を重ねていたと言ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。
「すまない、ちょっと思い出しをしていたんだ」
 そう詫びてから、手を伸ばした。
「今も昔も、セニアにはよく叱られるな。頭が上がらない」
 そうして、そっと撫でた。
 かすかに体を震わせる。やがて、諦めたようにセニアは下を向く。その瞳が自分から逸れるのを、セイレンは少し残念に思う。
「叱ってません兄さんを叱るなんてできるわけないじゃないですかそもそもそんなふうに思われてたなんで心外です」
 口の中でごにょごにょと言い訳をする彼女を見ながら、セイレンはまた優しく笑った。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送