凛、と空気が張り詰める。身は力を使わず、外界に心を流さぬよう、肩幅に足を開き、両手をだらりと下げ、弓は左手に、右手には一本の矢。

 己の身は風が吹けば流れ、突けば窪み、押せば倒れる程に弛緩。だが心は左手の弓よりも張り詰め、体の内側のみならず、瞳の先、触れる空気、流れる風、かすかに舞う塵芥、その全て、いやそれ以上を読み取る。

 今なら、その身はおろか、影すら消し去る仲間のアサシンクロスすら、その弓で捕らえられるかもしれない。

 ちりちりちり…

 耳の奥で、塵同士がぶつかりあう音が響く。あるいは、僅かな呼気によって上下する服の衣擦れも、流れる汗が襟に吸い込まれる音すらも捉えられる。無論、己の鼓動など、聞こえるを通り越して感覚を狂わせる不協和音とすら感じる。


 いつか、弟に聞かれた事がある。

 なぜ、弓を選んだんだ?

 答えなかった。お互い不本意な人生とは言え、他の道をあえて取らず弓に生きる者。そのような問いの答えはとっくに出ているとして。

 弓は戦場において、もっとも早く、もっとも強い武器である。全ての戦史において弓は必ず登場する唯一の武器。だが英雄たる武器ではない。

 弓の強さ、それは投射と言う圧倒的な射程により、相手の接近を許す事無く攻撃する事ができる事に、その全ての原点がある。強靭かつしなやかな曲線から放たれる矢は、近づけば騎士の板金鎧を盾ごと貫通させる鋭さに、人間の筋力を超え空を舞う鳥すら射落とす程の速さを兼ね備える。

 伝説には、星を射抜いた名手すらいると言うけれど。

 だが弓は英雄たる武器ではない。一方的に攻撃する点が騎士道に反するとして、プロンテラの騎士達には忌み嫌われているのである。どの戦場でも戦陣を真っ先に攻めるのは弓であり、騎士達は弓を掻い潜り、打ち払い、敵陣へ飛び込む事こそが勇気の証であると、騎士の誉であるとする。

 莫迦らしい。

 弓が騎士道に反する? 卑怯な武器? その身に包む板金鎧に物を言わせて突撃する貴様らは、己の肉体に自信がない表れではないのか? 負ける事に理由をつけるために、負けても言い訳が効くように、お互いの武器が届く場所で殺しあいたいのだろう? 己に絶対の自信があるのなら、あらゆる相手にその身一つで勝ってみるがいい。

 弓は戦いから生まれた道具ではない。元より、狩猟用の道具である。騎士道等と言う貴族の戯れから生まれた剣とは、そもそも生きる領分が違う。求めるのは敵ではなく獲物、求められるのは勝利ではなく殺害。弓とは相手を殺す事が全て。

 弓を選んだ理由? 莫迦らしい。武器を選べと言われて、最も相手を殺しやすそうな武器を選んだだけの結果である。相手の武器が届く前に攻撃でき、魔力に頼る必要がなく、もっとも効率よく、簡単に相手を殺せる武器。


 獲物と私を繋ぐ全ての物が、私の感覚に捕らえられた。空気の流れ、匂い、音の振動、明かりによる揺らぎ、その全てを捕らえ、私の中で満ち溢れた心が吼える。


 撃て


 幾度となく繰り返した動作。この動作に至るまで、あらゆる物を組み込み、あらゆる無駄をそぎ落とした。既に体は成長期を終えている。ここからは体に合わせて弓を変える必要はなく、あらゆる弓に合わせて、体の全てが矢を獲物へと導くように変化する。弓の癖、性根がどのようなものであろうと関係ない。あらゆる弓は、我が手により必殺へと変わる――!

 右足が下がり、腰が僅かに落ちる。重心が安定し、今この瞬間不動の存在へと変わる。それは一瞬。だがその一瞬は仲間の誰が触れようとも動かぬ永遠。

 両手が上がる。左手は目線の先に、右手を添えて跳ね上がり、目線と獲物の隙間に割り込む刹那、右手が霞み弦を捕らえる。まだその勢いは止まらない。矢尻に捕らえた弦がミシミシと悲鳴を上げるより早く、一直線に引き絞られ。刹那が引き伸ばされ、一呼吸すら越える時間の密度の中、左手が弓を鳴らし、右手が鳴弦に答えて矢を鳴らす!

 一射!!

 弦がうなり、風が貫かれ、風切り羽根が螺旋の風を響かせる。小さな竜巻が張り詰めた空気をかき乱し、目指すは獲物の中央、小指の爪程もない小さな目標。

 当たる音すら響かせない。まだ空気を切り裂く音すら認めぬ刹那、矢を放ち反動で返る弦を掴む。引き伸ばされた時間が歩くより遅い速度で進む矢を捕らえる。音すら認めぬ空間の中、左手は再び跳ね上がり、今度は無手の右手が弦を引く。

 否、右手は無手ではない。獲物を捕らえる目線が、限界まで張り詰めた心が、先の矢の残滓を現実に変える。今度の獲物も同じ相手、同じ場所。引き伸びた時間が戻るまであと1秒。だがその一秒はさらに引き伸ばされ、無の矢が現実の矢に変わり、後の矢が先の矢を捕らえるまで引き伸ばされ、再度左手が弦を鳴らす!

 二射!!

 放たれた瞬間、引き延ばされた時間すらも弓に乗ったのか、弾かれたように引き戻される。獲物がどうなったのかは見る必要がない。弓と言うのは射る前に、既に決まっているのだ。

 既に弓は次の目標を捕らえている。獲物は多いのだ、最も優れた殺人道具が弦を鳴らす事に飽きるまで、私は最も優れた殺人者となり続ける。



 一射目が目標に刺さる。見知らぬ騎士が剣を振り上げ、私の仲間に切りかかる瞬間、その堅固な鎧に出来た隙間――振り上げた右腕の脇の下――に矢が半ばまでめり込む。その衝撃で相手が吹き飛ぶより早く、二射目が到達する。場所は同じ、だが今度は脇の下に突き刺さらない。後の矢が捉えたのは先の矢の矢尻。その中央に突き刺さった後の矢は、先の矢をまっすぐに貫通し、

 振り上げた右腕はおろか、その上半身を吹き飛ばした。



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