羅 刹 国


 血塗れた雨、土砂降りの空の色。夕闇の色、黒く黒く流れた血。
 手にした両手の刃は唯ひたすらに命を求め渇望し、それ故肉を切り裂き血を啜り、
 ほおずきみたいな赤き滴りが模様付ける。カタカタカタ、震える鋼が身もそぞろに鳴き喚く。獲物を、もっと血を!
 獰猛なそれは己の化身、俺の欲望、俺の意志。
 獣は立ち現れる。悪魔は人の心にすむ。悪霊は脆弱な魂より忍び寄る。ならば人こそ、よほど魔物よりも魔物らしい。
 故に俺は……おそらくは、魔物の側だろう。
 人としても、化け物としても、俺は身も心も魔物。
 笑いたくば笑えばいい。
 人を守るためこの手にかけた命は数知れず、人を殺める事で生まれた悲しみも数知れず。
 心命ずるままに俺は命を奪う。今も、今も、今もあの過去の過ちから何一つ学ぶことなく、この狂った謝肉祭は踊る。
 俺は死の運び手、死と踊り、命を貪る妖かし人。
 あの日、あの場所でであった俺と同じ姿のアイツ。
 鏡合わせのような姿見の魔王と、幾合となく打ち合わせ、飛び散る火花の合間に告げられた言葉。
 あのときの言葉がきっと正しかったのだろう。

  ――人の業とは計り知れぬ
  ――人は百鬼夜行の社、閉じられた蓋の彼方に眠るのが何だ?
  ――己の身に繋がれれ
  ――己の身に囚われて
  ――人も魔も分け隔てなく、滅ぼすお前は何だ?
  ――『俺』は俺の影、もう一つのお前だ。
  ――『俺』が影ならば、お前は何者だ?

 今なら答えを言える。
 あの時逃げ出した俺自身をあざ笑った、俺の影と同じ言葉を告げよう。
 鋼、刃、剣、槍、戦斧、牙、殺意。
 硬く、鋭く、妖しく、暗く光を放つ白い刃。
 それが俺だ。この手握り締めたる鋼、そのものだ。
 魔物の身に向けられれば魔を絶ち、
 人の身に向けられれば人を絶ち、
 己の身に向けられれば――己を砕く、俺は戦刀。
 決して折れる事無く、折られる事無く振るわれる、ひび割れること無い剣。
 人でなくなった俺でさえ、守らねばならないものがある。
 人でなくなった俺でさえ、剣振るう理由がここにはある。
 ならば俺は刃であろう。心無くとも振るわれる鋼となろう。
 繰り手は自身だ、振るわれるも自身だ。
 脆弱な心など、黙して棄ててしまえばいい。
 刃に腕を引き血を吸わせる。これは俺の怒りだ。これは俺の心だ。これは俺の命だ。
 俺の命も捧げよう。俺の命も食らえばいい。嘆け、魔剣よ。喜べ、魔剣よ。夜の嵐の如き魔王よ!
 俺はあの時出会った影となろう。魔都に傅かれた古びた塔の守り手のような、『俺』のような、心を棄てた魔王に。
 ――グルリ、腹の中で嗤う声。
 何だお前、お前は『俺』か。『俺』は此処にいたのか。
 ――グルリ、再び嗤う声。
 グルリ、グルリ、グルリ――



 人の背けた歴史に、我ら影に潜むものあり。
 記憶の奥底にある、刻まれた罪の腕。
 虚しき心の傍らに、硬く閉ざした人の情。
 眼には見えぬ恐れに、我ら修羅の名前あり。
「唯強く在り、故に強く在り、心を殺した」

 己遠忘れ修羅と成り、
 心持つことすべて忘れ去り、
 此れ即ち時遅く、
 我が忌み名は暗殺者。
「生まれた時から孤独、死ぬときまで孤独。それが拙者」

 仕込まれた人殺しの技。
 手練手管の数々、教えられた毒の味。
 人を愛すことを知らず、人を人と思うことを知らず、
 自らと同じ定めの狼にすら牙引かぬ、
「拙者、生まれながらの暗殺者、育つ姿は悪魔のそれ」

 人の姿見、ヒトガタの虚ろ道化。
 呑み下した悪意の数々、呑み干した毒の数々。
 魔物よりも屠り屠った人の屍。
 髑髏の上に立つ修羅の王。
「守るでも憎むでもなく、ただ自在に絶つこの手」

 流れる時間だけが、匂わせた過去を遠く運ぶ。
 夜の花と咲いた己は落ちて朽ち果てる。
 忘れられた心が、歪な芽を出し始める。
 今だけを重ねて、刹那に咲いた桜。
「だがそれは拙者ではない、拙者心在るべからず」

 香る血潮が自らのある意味。
 心の花を摘み取り人を殺めるのが殺しの使命。
 落ちて朽ち果てるのが使命。
 人に見止められる事なき、夜に散る花。
「桜の木の下、拙者は死者を糧とする」

 この先に向かえば戻れぬ。
 果ては無残の死に化粧。
 己のために己が下す、最初で最後の殺し依頼。
 守りゆくために、乱れ散れ心桜。
「心を持てば弱くなる。人を殺し続けたものが情を戻すなど笑えぬ冗談。
 だが今だけはこの心に感謝する。やるべき物を見定めたこの心を。
 力なくば奪われる。ならば再び手にしよう、
 月よ、見ているがいい。
 此れが最後の晴れ舞台。一世一代の宿敵討ちなり」

 契約の血、悪魔は従う。
 握り締めた禁忌、八雲轟かす魔物の毒薬。
 鬼来たり。
 鬼居たり。
 鬼成れり。
 拙者、生きながらにして修羅たるもの。
 それは、今この第二の生の狭間でさえ変わらぬ。
 ならば今宵限りをもって――拙者、羅刹の王となろう。



「――お前、何故ここへ……?」
 両の手の切り傷から滴らせる血。濡れそぼった鋼の光。魔剣の担い手。
「……おそらくは、お主と同じ理由でござるな」
 飲み干した薬。体震え心閉じる黒装束。幾度となく人を棄てた修羅。
 地下奥深く、水没した四階への水面。
 両足を水に浸した両者は向き合い昏く嗤う。
 この地に現れる外敵は日々力を増す。
 恐れを知らない人は彼らを仇なす。
 力及ばぬ日も遠くなく、また近くもない。
 守れない力に意味はなく、殺せぬ力に価値はなく、
 絶望を抱える両者は立ち並ぶ。
「――俺は、影に怯えていた」
「怯えていた? セイレン殿が?」
 意外な言葉に、まだ人としての心の欠片が残る修羅がいぶかしむ。

「昔の話だ。あの高名な魔の塔に登った俺は、そこで俺の『影』に出会った。
 そこで俺は、人の『欲』を知った。人に眠る本当の『魔物』を知った。
 だが俺はそこから目を背き、怯え、ひたむきに否定し続けた。
 ……そんな折、父が新たな子を設けた。
 亡くした友の忘れ形見だというその義弟。その才能に、俺は二度目の恐れを知った。
 力こそあの時の俺には及ばなかっただろう。だがアイツは……
 あの男は、ウィンザーの名を引き継ぐに値するあの男は、いつか俺を易々と超えれるだけの才能があった!」
 奥歯が砕け散りそうなほどに噛み締められた顎、食い破られた唇から流れる血。
 この自尊心が高い男が、誇り高き騎士を言わしめて天才と呼ばれる男。
 騎士は、わなわなと震える手で顔を覆う。
 自らの恥部を、ひた隠すかのように。
 だがその口は言葉を紡ぐ。
「怯えた俺は魔物となった。人の皮をもつ魔物となった。
 義弟と呼んだ男を打ちのめし、力の限り切り捨てた。
 ……だがふと我に返った。俺は魔物にすらなれない臆病な男だ。
 自らの手で犯した罪の意識から、その日のうちに出奔した。
 そして、長い長い旅路の果てに、俺は今ここにある」
 遠い風の噂、死んだと思った弟が家督を引き継いだ事を、この男は知らない。
 ただ罪を背負い、悪魔に怯え、自分に怯え、人に怯えるのがこの弱き男の姿だ。
「だが、そんな愚かな男にできることがあるのならば……。
 地に落ち地べたを這いずる堕落した騎士であろうとも、なさねば成らぬ事あるなら、
 手にした力は弱くとも、ついに守るものができたのならば……
 もういい加減、怯えているわけにもいかない。
 自分と向き合わなければいけない。
 人も悪魔も分け隔てなく、傷つけ殺めた自らの姿を――
 ――見定めるときが、来たのだろう」
 そっと、独白を終えた彼はその手を下ろし目を閉じる。
 血にまみれたその顔は、むしろ誇り溢れていた。
「弱くなど、決してない。ともがらよ、拙者は御身を弱いとは思わない」
「……ありがとよ」
 心からの笑顔で、彼はいう。
 それに対し、暗殺者は疲れ切った老人の顔を見せる。
 しわがれた声を出す。不思議と、それが彼本来の声に聞こえた。

「拙者は棄て子だった。掃き溜めのようなあの砂漠の地では、それは珍しいことではなかった。
 過酷な大地、痩せた土地、照りつける太陽、日々の飲料にも困る水源。あそこは、そういう場所だった。
 あの人に――あの人に拾われなかったら、今の拙者はいないであろう。おそらく、野垂れ死んでいたに違いない。
 拙者は、その恩人とも呼べる人と暮らしていた。隠れ忍ぶ生活だった。
 苦労はあった。不満もあった。だけども不思議と居心地が良かった。
 きっと自分を……必要としてくれたからだと思う。たとえそれが――道具、としてでさえも」
 ぽつり、ぽつり彼は語る。
 だけどもそこには懐かしさ以上の……郷愁とも呼ぶべき何かがあり、彼の声を寒々しくさせている。
「人を殺す技を教えられたのがいつだったのかは覚えていない。
 毒に慣らすために無理やり呑まされ、初めて苦しんだ日がいつだったのかも覚えていない。
 あの頃の自分は、満足に人を殺すことが出来ない出来損ないだった。人でも魔物でもない下らない小僧だった。
 いつしか……一人前になると、そう思っていた。所詮は子どもだった。
 心を亡くしたのは何時だったのか。暗殺者として認められたのが何時だったのか。
 もう、朧にしか覚えてはいない。友と、ここにいる『家族』と、初めて出会った日でさえも。
 何時しかだろうか、拙者は弱くなってしまった。
 あの頃の師匠の言葉を、時折思い出すことがある。
 師匠……不甲斐無い、弟子で申し訳ありません。けれども拙者は、
 ――大切なものを見つけました。
 今はその、大切なものを守るために心を閉ざしとうございます。
 師匠、あの人は拙者のことを嘲笑いになられますか?
 拙者のことを弱くなったとお言いになられますか?
 拙者は、それでも構いません。
 拙者は、拙者は――
 守りたいもののために、今一度修羅の道に戻ろうと願います」

 びゅうり、風が吹く。

「師匠、あなたのことはお忘れいたしません。私を修羅の道へと叩き込んだのがあなたなのですから。
 ですから、私のことはどうかお忘れになって下さい。私の名を砂塵の彼方へお棄て下さい。
 あなたの誇りに応えられなかった私からの、せめてもの……最後の願いです」
 強い強い風が渦を巻くようにごうごうと。
 まるで、彼の一言一句に答えるように吹きすさぶ。
 だのに水面には唯一つたりとも揺らぎがなく。
 そこに佇む二人の影の、その背から伸びゆく『何か』だけを静かに映し出す。
「どうやら、こちらに無事にこられたのですね……」
「ああ、頃合だな――」
 時は満ちた。
 嘶く馬に跨る魔王があげる哄笑、はためく蝙蝠の羽が立てるような音色。
 かつて封印された塔の守り手がそこにいる。
 削がれた粗悪な力ではない。本来あるべきその力を存分に振るう、自分と同じ姿身をした男の姿。
 その男はようやく出会えた喜びか、あるいは向き合った騎士の勇気を褒め称えるように嗤う。
 かつて砂漠の大地に眠った暗殺者がそこにいる。
 嚥下された自分の肉片を探り現れた、腐り落ちた眼孔でじっと見つめ返す黒装束。
 全くの同じ衣装、手にする鋼も構える姿も一変の差異なく、そして容赦なく殺気放つ暗殺者が向かい合う。
「死ぬなよ、相棒――」
「そちらも、友よ――」
 勝ったほうが主人となる。敗れたものが相手の血肉・よりましとなる。それは、そういう戦いだ。
"さあ、俺を倒せるか? 見事倒してみろよ『俺』ェェ――ッ"
"…………来……イ……不肖ノ…………弟子ヨ……"
 交わす言葉は唯一言、それ以上は雑音か。見合う彼らは獲物を向け、

 そして二対の魔物が駆ける。


 その戦いの結末を、知るものはいない――


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・二人が堕ちた日。ギャグを望んでいた方には申し訳ありません。
・もう一人のウィンザーは騎士転職場にいるアイツ。作者限定脳内設定なのでFAだしちゃイヤン。
・ガイル先生は作者脳内の設定垂れ流し状態なので違和感ある人ゴメン。途中敬語つかってるしね。
・セイレンの心の影に居るのはもちろんゲフェンダンジョンの憎い人。ドッペル! ドッペル! げんぎゃふー!
・ガイルのお師匠様はすでに死んでミイラっていう設定。判りにくいけどごめんね。

by CrItlh
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