凛と響く音。
 硝子が砕け散るのにも似た、繊細な、しかし強烈な破砕音。
 魔力の氷に取り込まれた侵入者が、カトリーヌ=ケイロンの放った雷帝の槌に打ち砕かれて、青白い光――カプラサービスによる強制帰還施術に――に呼び込まれるように姿を消す。
 総数十一名。
 二人で相手をするには些か多い人数の侵入者も、彼で最後だった。

「・・・・・・おしまい」

 両手に、両腕に、そして杖に取り巻く青白い魔法陣。小柄な身体のどこにと思うほど膨大な彼女の魔力を瞬間的に増幅させる理力の光が、戦闘後とは思えないのんびりした口調でカトリーヌが呟いた途端、すっと掻き消える。

「カトリーヌ、大丈夫?」

 カツコツと聞こえてくる早足なブーツの音。
 ゆっくり振り返ったカトリーヌの視線の先、長い髪を少し乱したセシルが弓を手に通路の暗がりから現れた。
 気遣うような彼女の視線に、カトリーヌは表情こそそのままに、片手を上げる。

「・・・・・・ぶい」
「今のはチョット多かったわね。怪我なくてよかった――その頭どうしたの?」

 いつもの勝利のブイサインにほっと安堵したのも一瞬、怪我の有無を確認するべく視線をカトリーヌの全身に滑らせたセシルの目が、彼女の頭で止まる。
 聞かれたカトリーヌは自身に何が起きたかまったく気付いていなかった。
 とろーっとスローに首を傾げてから、杖を握っていない方の手で頭を触り始める。
 前髪。
 右側。
 後ろ。

「・・・・・・あ」

 左側に触れて、ようやく異常が見つかった。
 カトリーヌ=ケイロンの目印ともいえる、可愛く丸められた両サイドのおだんご。その左側だけが、崩れてほつれていた。

「あーあ、ぐしゃぐしゃ・・・・・・」

 そう言っている自分の髪も、余程激しく動き回ったのかぼさぼさになっているセシルが眉尻を落とす。
 エレメスみたい。
 と思ったカトリーヌだが、口をつぐんでおく。絶対怒るに違いない。保身。

「いつも思ってるけど、このおだんごってどうやってるの?」

 なおせないものか、とカトリーヌの頭をいじっていたセシルが訊ねる。
 カトリーヌは答えなかった。
 たっぷり三秒かけてゆっくりと右に首を傾げて、たっぷり三秒かけて元に戻して。

「・・・・・・?」
「・・・・・・まさか自分でわかんないってことはないわよね」

 わからない。
 という風な表情でじーっと見上げてくるカトリーヌに、セシルは諦めたようだった。
 あれこれとセシルが触ったせいで余計崩れたおだんごを、カトリーヌはいっそのこと、と両方ともするりと解いてしまう。
 手櫛で下ろした髪をときながら、外したピンを見下ろす。
 淡いクリーム色の、やわらかい髪。
 下ろしてみると実は肩を越えるほど長いことは、以外にもここの『家族』たちの中ではセシルとマーガレッタ、そしてあとひとりしか知らない事実。

「・・・・・・」

 ぽふ。ぽふ。
 頭の横を手のひらで何度か触って、いつもある手ごたえがないことを確かめてみると、何だか頼りなくてさみしくなった。

「・・・・・・なおして、くる」
「あ、うん。おっけー。あたしは今の侵入者のことセイレンに報告しとくわね」

 そう言って手を振るセシルに、こくん、と頷いてから歩き出す。
 カトリーヌはぽてぽてと薄暗い通路を歩きながら、ひとつ言い間違えてしまったことに気付いた。今更言い直しに引き返しても、セシルはもうさっきの場所から移動しているだろうと思って、頭の中でひとりごちておく。

 訂正。
 なおして『もらって』、くる。










「・・・・・・」

 片や、無表情。

「・・・・・・」

 片や、仏頂面。
 兄弟とはよく似たものだと言われるが、この姉弟についてはそれぞれ無表情と仏頂面という差はあるものの、いつも同じような顔をしていて機微が読み取りにくいことが似通った点にあたる。
 髪を下ろした激レアショットの、カトリーヌ=ケイロン。
 相変わらずカルシウム不足顔の、ラウレル=ヴィンダー。
 ドアを開いてからそのまま、部屋と通路の境界線を挟んでじっと見詰め合うこと暫し。

「・・・・・・」
「・・・・・・で。どうしたんだ。頭」

 じーっと見上げてくるだけで用件を言わない姉に痺れを切らしたラウレルが、珍しく下ろしている頭について訊ねる。
 この髪を解いた色気漂う上目遣い、見たことがない他の男たちにはかなりの攻撃力を誇るのは間違いないが、いつも見ているラウレルにはまったく効果がない。

「さっき、戦闘で・・・・・・ほどけちゃった」
「なるほど。それで直せと」

 こくん。
 小さな子供かと思うような動作で頷く姉。
 ラウレルはやっと手に入った欲しかった本を全力で読み耽っていたところを邪魔されてかなりキていたものの、訪問者がカトリーヌだったせいで当たることも出来ず、追い払うことも出来ず、大きく長くため息をついた。
 諦めてドアの前から身を引いて、カトリーヌを部屋に招き入れる。

「ほら。そこ座れ」

 カトリーヌは言われたとおり、部屋にひとつしかない勉強机の椅子に腰を落とした。今の今までラウレルが座っていたため、まだ温もりが残っている。

「ったく、髪くくるくらい自分でやれよ」

 ぶつぶつ。
 部屋を歩き回りながら文句を言っている声が、後ろから聞こえてくる。
 いつもこうやって、面倒くさがったり、けちをつけたり、不真面目そうな発言が目立つ弟が、実は口で文句を言いながらも結局真面目にこなしてしまう不器用で面倒見のいい子だとカトリーヌは知っていた。
 ピンやゴム、コームなどが入った小箱を取ってきたラウレルが、それを机に無造作に置いてカトリーヌの後ろに立つ。

「姉ちゃん何でも出来るくせに、こういうのだけ出来ないんだからわかんねーな」
「・・・・・・えへ」
「誤魔化すな」
「・・・・・・しょんぼり」

 今度は、いちいち口で表現するな、と怒られた。
 ラウレルは気が短すぎると思う。



 才色兼備の大魔術師、カトリーヌ=ケイロン。
 聡明な頭脳、冷静な性格、強大な魔力、ともすれば冷酷な魔術師と称されかねない彼女を、その年の割に幼く可憐な容貌と、以外にも生活の面で無頓着なところが救っている。

 ・・・・・・という言い方をすると、多少長所のように聞こえるかもしれないが。

 完全無欠の人間はいないもので、多くの研究者探求者求道者がそうであるように、魔術の研究に没頭すると周囲が見えなくなるカトリーヌは、自身の容姿にまったく興味がない。寝るときが下着姿かと思えば、部屋が散らかっても気にしない。
 こうして髪を結うことさえ自分でままならない姉の世話を、少々潔癖のきらいがあるラウレルが逐一焼いているのが現実だ。



「・・・・・・さら、さら」
「ん?」
「・・・・・・櫛の音」

 耳元を掠めていく、櫛が髪を滑る音。
 目を閉じて、足をぷらぷらさせて、どこか心地いいその音の聞き入る。
 器用なラウレルの手が魔法のように髪を結い上げていくのを、こうしながらゆったりと待つのはカトリーヌの日課で、そして楽しみ。
 魔術師が「魔法のように」なんて笑い話だとは思う。
 けれど、魔法でも出来ない髪を結うということをラウレルの手は出来るのだから、それは魔法よりもずっとすごいとカトリーヌは思うのだ。

「姉ちゃん、いつも同じでいいのか?」

 ふとラウレルが問いを投げかけた。
 いつも同じおだんご頭。
 色々な髪型を楽しんでみたい、とカトリーヌが言えば、それを無条件で叶えるくらいの気持ちはあるラウレルだが、姉は一切そういったことを口にしたことがない。
 カトリーヌは完成した右側のおだんごをぽふぽふ触りながら、殊更ゆっくりとそれに答えた。

「・・・・・・いいの」
「なんで?」
「・・・・・・んー・・・・・・」

 髪をまとめて、ゴムでとめて。
 一房を軸にして、余った毛を巻きつけて。
 くるくると器用に髪を丸めていく、弟のだいぶ男らしくなった長い指が、カトリーヌの前に置かれた鏡に映りこんでいる。
 そのやや後方には、細いシニョンピンをくわえたラウレルの顔も。

「・・・・・・ラウレルだけだから」

 ぽつん、と答えてみると、よく聞こえなかったのか意味がわからなかったのか、鏡に映ったラウレルの眉が怪訝そうに動いた。
 だから、言い直してみる。

「おだんご。・・・・・・出来るの、ラウレルだけだから」

 ピンをくわえていては、返事も出来ない。
 少し髪をまとめる速度を速めたラウレルは、束ね終えたおだんごにピンを挿してから口を開いた。

「そうなのか?」

 完成したおだんごの形を整える指。
 鏡越しにじっと見つめながら、こくんと頷く。

「・・・・・・ラウレルしか出来ないから、私だけの、髪型」

 器用な者は他にもいる。
 女の子らしく髪を結うのは、マーガレッタやトリスも出来る。
 けれど、この難しいおだんごを作れるのは、ラウレルだけなのだ。

「・・・・・・だから、ダメ」
「うん?」

 珍しく、わがままを言いたくなった。
 どうしても、これだけは、譲りたくなくて。

「・・・・・・私にしか、しちゃダメ」

 出来上がり、と軽く頭を叩かれて、カトリーヌはおだんごを両手でそっと覆ってみた。ぽふぽふしてみると、丸っこい可愛い手ごたえ。
 やっぱり、これがないとさみしい。

「独り占め、なの」

 そう言って振り仰ぐ。
 大好きなおだんごに両手で触れて、上手く出来たかわからないけれど『うれしい』の微笑みを浮かべて、魔法みたいにこの髪を結ってくれる人を。
 見上げたラウレルの頬が、その髪の色のように赤く染まった。

「い、言われなくても姉ちゃんにしかこんなことしねーよッ!」

 がちゃがちゃと乱暴に櫛やピンを箱にしまって、誤魔化すように棚の方へ走っていく弟を、カトリーヌは上機嫌に微笑んで見送った。
 ぽふぽふ。飽きもせずおだんごを触る。
 もう一度鏡を見る。
 クリーム色のおだんご頭、いつもどおりのカトリーヌ=ケイロン。



 明日も、明後日も、ずっと毎日。
 耳元を掠めていく、櫛が髪を滑る音。
 目を閉じて、足をぷらぷらさせて、それに聞き入る。
 自分だけのおだんごを、まるで魔法のように結ってくれる、自分だけの魔法使いのもとで。









2006年10月7日



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