あたしはいつも、あなたを見つめているのに。
どうしてあなたは、あたしを見てはくれないのだろう。
あたしはいつも、あなたを想っているのに。
どうしてあなたは、あたしを想ってはくれないのだろう。
自分勝手な望みだとは分かっている。
理不尽な願いだとは分かっている。
それでも考え込まずにいられないのは、あたしが恋する乙女というやつだからだろうか。
まったく、らしくない。
ため息一つで思考を打ち切る。
こんな事、どれだけ考えても仕方が無い。
いくらあたしでも、人の心を操る事など出来はしないのだから。
そう……
持ち前の観察力と洞察力を駆使し、客との心理戦を勝ち抜いてきた歴戦の商人…アルマイア=デュンゼといえども。


「アルマイア、なんか焦げくさいよ?」
不意に掛けられた声に、意識を現実に引き戻される。
ここは、生体研究所2階のキッチン。
その入り口からイレンドがこちらを覗き込み、怪訝そうな顔をしている。
あたしは今、朝食の準備をしている最中。
手にしたフライパンの中では、食欲をそそる音を立てながら卵が焼け…て……
「ああぁぁぁ〜!!」
「うわっ!」
思わず上げてしまった大声に、イレンドがびくりと身を震わせる。
フライパンの中にあったのは、すでに卵ではなかった。
そこでは、完全に炭化し真っ黒になった元卵とでも呼ぶべきものが、無残な姿を晒していたのだ。
どうやら思索にふけっている間に、焦がしてしまったらしい。
…いや、焦がすなんてレベルの焦げ方ではなかったが。
「ふ、不覚……」
がっくりと肩を落とす。
そんなあたしの元に、イレンドがゆっくりと歩み寄ってきた。
彼はフライパンの中を確認すると、うっと息を呑む。
「アルマイア…熱でもあるの?」
「…そんな事はないけど」
普段から、2階の面々の食事は全てあたしが作っている。
味にはそれなりの自信を持っているし、失敗もほとんどしない。
そんなあたしの料理の腕前を認めてくれているからこその、イレンドの疑問だろう。
「具合が悪いならヒールするから、遠慮なく言ってよ」
「大丈夫だって」
「…本当に?」
すっと伸ばされる、イレンドの細い腕。
突然の事で動けずにいると、彼はあたしの額に手のひらを当て、うーんと唸った。
「なっ…!」
どんどん顔が赤くなっていく。
心臓が激しい鼓動を繰り返す。
イレンドに気付かれるんじゃ、と心配になった頃、ようやく彼は手を離してくれた。
「やっぱり、ちょっと熱っぽくない?」
「いや、それはほら…そう、ずっとコンロの前にいたから!」
「そう?」
未だに納得していなさそうな顔をしていたが、どうにか引き下がってくれたようだ。
心配してくれるのは嬉しいのだが…こういうのはちょっと困る。
ポーカーフェイスは商人の必修スキルのはずだが、彼の前ではどうもうまくいかない。
このままではいつか、あたしの気持ちに気付かれてしまうのではないだろうか。
…いや、イレンドに限ってそれはないか。
安堵とも落胆ともつかないため息と共に、気持ちを切り替える。
「ほら、卵を焼きなおすから、テーブルを拭いてきてよ」
言うと同時に布巾を放り投げると、見事にイレンドの顔に命中した。
「な、なにするのさ!?」
「女の子の肌に気安く触れた罰よ」
そう言ってにやりと笑う。
我ながら素直じゃないなぁ、なんて心中の呟きは、もちろん表には出さないままに。

「あれ、卵が5つしかない」
テーブルを拭いて待っていてくれたイレンドが、あたしの持っているお盆の上を見て言った。
何も言わずに済ませようと思ったのに…妙なところで鋭いんだからなぁ……
「あー……実は卵がなくなっちゃってさ」
瞳をあさっての方向に泳がせつつ、答える。
「珍しいね、アルマイアが材料を切らすなんて」
テーブルについている他の4人を代表するかのように、トリスが声を上げた。
卵は生鮮食品なので、買い溜めが出来ない。
それなのに先程の失敗で一気に消費してしまったのだから、この結果は必然だった。
もちろんこれは自業自得であり、その責はあたしが被るつもりでいた。
だが、この目の前の朴念仁は……
「じゃあ、僕は卵はいらないよ」
そう言ってひとつだけ卵が盛られていない皿を取り、さっさと自分の席についてしまった。
「イレンド、それはあたしが……」
「いや、今日はなんだか卵を食べたくない気分なんだ」
あわてて引き止めるが、彼はもちろん聞いてくれない。
というか、なんなんだ、そのみえみえの言い訳は。
そんな事をされたら、期待してしまうではないか。
もしかしたら、あたしの願いは叶うのかもしれない、と
もしかしたら、イレンドもあたしの事を、と
だがもちろん、そんな事はありえない。
なぜならば、イレンドの意中の人は他にいるからだ。
「優しいんだね、イレンドは」
彼の向かい側から、セニアが声を掛ける。
たったそれだけで、イレンドの顔は見る間に真っ赤に染まっていった。
そう、イレンドはセニアの事が好きなのだ。
もちろん本人から聞いたわけではない。
だが、隠し事の出来ないイレンドの事だ。
セニアに対する態度を見ていれば、すぐに分かる。
おそらくこの事を知らないのは、セニアだけだろう。
それほどまでに、イレンドの態度は分かりやすいのだ。
「そ、そんな事ないよ」
今も、あわてて否定するイレンドの声には力がない。
相手がセニアでなければ、こんなイレンドは見られないだろう。
見ていて微笑ましくなる。
しかし同時に、くやしくもある。
あたしではセニアには勝てないのだろうか。
イレンドの瞳は、あたしを見てはくれないのだろうか。
放っておけばどんどん沈んでいく気持ちを、あたしは冗談で無理やり奮い立たせる事にした。
「イレンドったら…そんなにあたしの事が好きなの?」
「え!?」
「それならそうと、早く言ってくれれば良いのに」
「いや、そんな事は……」
「あたしはイレンドなら、全然かまわないわよ?」
「違うってば……!」
周りから囃し立てるみんな。
顔を赤くして、ひとりあわてているイレンド。
あたしの言葉が本心だった事。
それを知る者は、誰もいない。

「アルマイア…いる?」
イレンドが訪ねてきたのは、キッチンで朝食の後片付けをしている時だった。
卵を焼いていた時と同じように、入り口から顔だけを覗かせている。
「どうしたの…片づけを手伝ってくれるの?」
「そうじゃなくて…いや、それはかまわないんだけど……」
なんだかはっきりしないイレンド。
妙にもじもじしていて、顔も少し赤くなっている。
なんだろうと思い一旦手を止めて歩み寄ると、イレンドは意を決したかのように言葉を吐き出した。
「僕、アルマイアが好きとか、そういうんじゃないから!」
「…は?」
何を言っているんだ、こいつは。
いきなりそんな事を言われても、わけが分からない。
ただひとつ汲み取れたのは、あたしの想いはやはり届かないのだという事。
それを理解した瞬間、あたしの心がずきりと痛んだ。
「さっき言ってた事…勘違いしてるなら悪いと思って……」
「ああ、あの冗談ね……」
ようやく少しは話が見えてきた。
あんなあからさまな冗談を、いちいち確認しに来なくても良いだろうに。
まあ、こんな生真面目なところも彼の魅力ではあるのだが。
溢れようとする涙を、必死に押しとどめる。
心が痛みに耐えかねて、ぎしぎしと悲鳴を上げている。
まったくこいつは、どこまで鈍感なのだろうか。
思わずため息が漏れてしまう。
向けられる想いにまったく気付かないイレンドに。
そして、そんな彼を想い続けている自分自身に。
「あたし、そんなに魅力がないかな?」
本心を冗談に変えて、あたしは彼をからかう。
今にも泣き出してしまいそうな素顔に、にやりと笑顔の仮面を貼り付けて。
そうしなければ、あたしの心は壊れてしまうから。
そうでもしなければ、心中を口にする事など出来はしないのだから。
「いや、そういう意味じゃなくて…!」
「イレンドはあたしなんて眼中にないのね……よよよ」
「もう…アルマイア!」
わざとらしく泣き崩れてやると、さすがにイレンドが怒り出した。
目尻には少し涙も浮かんでいる。
ちょっとやりすぎたかと苦笑し、一応謝っておく事にした。
「ごめんごめん、あんまりイレンドがかわいいもんだからさ」
「それ、絶対に褒めてないよね……」
諦めの表情でうなだれるイレンド。
彼もすでに慣れてしまっているのかもしれない。
なんといっても、彼の姉はあのマーガレッタさんなんだし。
「じゃあ、僕は見回りに行ってくるから」
「うん、気を付けてね」
微妙に肩を落としてキッチンを出て行くイレンド。
彼が完全に見えなくなった頃、あたしはようやく緊張を解く事が出来た。
「まったく…泣きたいのはこっちだよ」
知らず心中が漏れ出してくる。
彼と話した後は、いつもこう。
自分の気持ちを抑制できなくなってしまうのだ。
「馬鹿、ヘタレ、鈍感、むっつり、女男、甲斐性なし……っ!」
どんなに罵詈雑言を並べようと、心の揺らぎは収まってはくれない。
どんなに悪態をつこうとも、彼を嫌いになどなれはしない。
恋する乙女とは、辛いものなのだ。
「こんなに…好きなのにな……」
あたしの呟きは闇に吸い込まれ、彼の耳には届かない。
ぽとり、と一粒。
涙がこぼれ、床を濡らした。



「………っていう夢を見てね」
阿修羅覇凰拳で侵入者を片付けたイレンドに向けて、青ポーションと共に言葉を投げる。
幼くて、意地っ張りで、自分の気持ちに素直になれなかった頃。
あたしとイレンドが、まだ結ばれていなかった頃。
それは、はるか遠い昔の出来事だった。
「懐かしい話よね…何年前の事だろ?」
「まだ一次職だった頃だからね」
感慨深げに思い出に浸るイレンド。
その顔はあの頃と同じくらい優しく、そしてあの頃とは比べ物にならないほど逞しかった。
彼の横顔を見て、頬が緩む。
知らず笑みがあふれ出す。
いつからこんなに素直になってしまったのだろう。
いつのまに、こんなに本心を表に出すようになったのだろう。
良い事か悪い事かは分からないけど、でも。
イレンドになら、あたしの全てを見せてもいいと思えた。
「イレンド、アルマイア、ごはんだよ〜!」
呼ぶ声に振り返ると、パラディン用の鎧の上からエプロンを付けたセニアが、手を振っているのが見えた。
最近は全ての食事を、セニアが作っている。
彼女に料理を教えてくれと頼まれたので、習うより慣れろという事で、任せてみたのだ。
…別に、教えるのが面倒とか、被害は皆に平等にとか、そういう事ではない……断じて。
「わかった、すぐ行くよ!」
応えるイレンドに、ふと不安になる。
彼はセニアの事が好きだったのではなかったか。
もしかしたら、嫌々ながらにあたしと一緒にいるのではないか。
「ねえ、イレンド」
気が付いたら、声を掛けていた。
まったく、本当に素直になったものだ。
あの頃の…夢に見た頃のあたしでは考えられない。
「イレンドはあたしで…セニアじゃなくて良かったの?」
「え!?」
あたしの問いに、イレンドは心底驚いたというような声を上げた。
混乱した様子で口ごもり、なんでそれをでもそんなの大昔の話で今はそんなんじゃなくて…とぶつぶつ呟いている。
…もしかして、まさか、ひょっとして、気付かれてないとでも思っていたのだろうか。
やがてどうにか落ち着いたらしいイレンドは、顔を上げてあたしの瞳をじっと見つめてきた。
あ、かっこいい…なんて考えているあたしだが、もちろん心臓はこれ以上ないほど高鳴っている。
「ぼ、僕は、アルマイア『で』いいんじゃなくて……」
イレンドの手があたしの肩に置かれる。
「アルマイア『が』良かったんだ…アルマイアじゃないとダメなんだよ」
イレンドの顔があたしに近づいてくる。
あたしは彼の意図を理解すると、そっと瞳を閉じた。
彼の顔を見ていたかった気もするけど、それがマナーというものだろう。
そして、待つ事数秒。
あたしの唇に、やわらかいものが触れた。
まぶたを上げると、すぐ眼前にはイレンドの顔。
その顔はゆでだこのように真っ赤になっていた。
でも、それを笑う事なんて出来はしない。
なぜなら、あたしの顔もきっと、同じように赤く染まっているだろうから。
何も言わずに、彼の腕に抱きつく。
絡めた手に、力を込める。
彼の気持ちが、あたしに伝わるように。
あたしの気持ちが、彼に伝わるように。
離れないように。
なくさないように。
ぎゅっと……
「ごはん、食べに行こうか」
「そうだね」
歩き出そうとした視線の先で、セニアがあたしたちを呼んだ時のまま、呆然と立ち尽くしていた。
当事者でもないくせに、その顔はあたしたちに負けず劣らず赤くなっている。
まったく、初々しい事だ。
あんな調子で、セイレンさんをものになど出来るのだろうか。
ふっと微笑み、あたしは。
嬉しさと、激励と、ほんの少しの優越感を込めて。
彼女に向けて勢い良く、Vサインをしてみせた。


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あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。
いつも腹黒なアルマイアも、心の内は……という電波でした。
アルマイアを主役に据えるのは初なのでかなり苦労しましたが、その分良い作品になってるといいなぁ

2006/10/07 この物語をアルマイア=デュンゼに捧ぐ
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