事の発端は些細だった。元々は武器についての、他愛もない話だったのだ。
 稀少品や特異な性質を持つもの。扱った事のあるもの、いつかは振るってみたいと思うもの。それと組み合わせる魔符や様々な属性、戦技。
 噂にしか聞こえないような神剣妖刀稀少魔符の類とて、思い描くだけなれば容易かった。だから最初は皆、語り手の提示する様々な状況を脳裏に浮かべては、夢想して楽しんでいた。
 しかし。どういう効能のあるものをどういう対象にどう用いるか。
 それは戦いに赴く者にとって、いわば永遠のテーマである。それを用いるならばもっと相応しい方法がある。そんな案よりもこちらの方がより特性を生かせる。そうした言い合いが出て始めれば、論議が白熱するまでそう時間はかからなかった。
 やがて話題はどの武具が最も汎用性に優れるか、最も破壊力に秀でるか、最も耐久性を備えるかといった、品の優劣に取って代わる。
 そも戦士たちにとって、武具とは単なる物体ではありえない。刃とはその切れ味切っ先に命を賭す、物言わぬながらも戦友めいた存在なのである。
 故に論の中心である男どもは、各々が得意とする得物こそが一等であると主張して頑と譲らなかった。
 無論、武器の優劣など決定できるものではない。あらゆる状況においての最適解がないからこそ、用途に応じて幾つもの、そして様々の凶器が発達してきたのだ。それは図らずも淘汰と収斂によって証明されている。
 しかし。
「御託はどうあれ、相手を殺傷して戦闘不能に追い込むのが武器だろうが。当たれば砕く。受ければへし折る。斧なら問答無用で一発だぜ。重いと忌避されがちだがな、そいつァ逆だ。重心の動かし方さえ知ってれば、非力なヤツにも十二分な威力が出せる代物なんだぜ?」
「だがどんな威力を備えようと、当たらなければ意味がないんだ。取り回しを考えれば、同じ両手で持つにしても剣が優れるのは自明だと思う。両手で握る事で、片手で扱った場合よりも、速く強くを実現できるんだ。高速の連撃を、渾身の一刀を自在にできるという点。これだけ見ても両手剣こそが汎用自在の武器と言えるのじゃないか?」
「いやセイレン。その結論は性急が過ぎるでござるよ。速力、特に内懐での取り回しに関してならば短剣に匹敵するものはござらん。そもそも如何なる回避技術をも無効化し、如何なる装甲をも貫通する致命致死の一撃。それを狙って放てる事を考慮するならば、まずカタールに比肩し得る物はござらんよ」
「まったく、さっきから聞いてれば馬鹿じゃないのあんたたち。どれもこれも、近付かなきゃ意味のないものばっかじゃない。戦闘ってのは距離を制するものがまず勝つのよ。そんな事も判んないの? 判らないっていうなら、アンクルスネアにかかった獲物の気持ち、思い知らせてあげてもいいけど?」
 それぞれが一角の、一流の更に上をいく存在である。自身の戦法戦術には並々ならぬ自負があった。
 それが禍したと言ってもいい。全てが状況次第である事は百も承知のその上で、彼らは自説を撤回できぬほどに熱くなってしまっていた。負けん気の強いセシルまでもが混ざって更に論は白熱し、
「……」
「――はいはい、そこまでになさいな」
 流石に雲行きがよくないと動きかけたカトリーヌの機先を制すように、マーガレッタが手を叩いた。
 一瞬鋭い視線が彼女に集中し、しかしそれを受けたハイプリーストがにっこりと穏やかに微笑むと、皆ばつが悪げに下を向いた。彼らも子供ではないから、自身が過熱していたのは理解できる。
「……すまない。度が過ぎたようだ」
 こういう折、真っ先に頭を下げれるのがセイレンという男だった。己に非があると悟れば、謝罪を惜しむ事はない。
「全くでござる。拙者たちともあろうものが、ついつい。しかし姫のお手並みは見事なものにござったな。今後も身命を賭してお仕えする所存にござるよ!」
「おいおいエレメス。お前さん、そろそろ諦めるって事を学んだ方がいいと思うぜ?」
「なんたる!? 聞き捨てならぬ台詞にござるなっ!?」
 そうして硬くなりかけた雰囲気をすかさず察して穏やかに変えるのが、エレメスとハワードだった。ふたりとも、感情や雰囲気を読むのに長けて、それを思い遣る事のできる大人だった。
「べ、別にあたしは悪い事なんてひとつもしてないけどっ。でもまあ行きがかり上謝ってあげなくもないわよ?」
 逆に一番割を食う、というか、素直になれないのがセシルだ。けれどそんな言いをして鼻息荒くそっぽを向きつつ、ちらちらと一堂の様子を窺っていたりするのが、また彼女が憎まれない理由でもある。
 事の成り行きに満足して、カトリーヌは少し微笑む。積極的に話に混ざる事こそしない彼女だが、皆が居て皆と居るこの空気を、とても好ましく感じていた。でなければ、いつもながらのこうした喧騒をバックに読書に勤しもうとは思わない。
「まあ、この話はここまでに……」
「続ければいいじゃありませんか」
 セイレンの言葉を遮って、マーガレッタはそう言ってのけた。
「……マーガレッタ?」
 再び魔法書に目を落としかけたカトリーヌは、彼女の言葉に思わず目を上げる。一堂も思わぬ台詞に、ぽかんと彼女を見つめていた。
 当のマーガレッタの口元には、至極楽しげな笑み。それを見つけて、カトリーヌは思い出す。優雅で、おしとやかで、上品で。そんなふうに見えて、そんなふうに装う女性だけれど。
 基本的に悪戯好きで、お祭り好きなのだ。彼女は。
「……おいおい姫さん、何言ってんだ。大体話を止めたのは姫さんだろ?」
「あら、私がどうにかしたかったのは悪い雰囲気ですわ。話そのものではありません。途中まで私も、とても楽しく拝聴させていただいていましたもの」
 そうしてふんわりとした仕草で、指一本を立てて見せた。
「如何に優れた武具であっても、使い手の技量次第では全く用を為しません。なら強いかどうかは武具ではなく、扱う者にこそに因るのではありませんか?」
 しん、と沈黙が落ちた。多分その場の全員が、その時にはカトリーヌと同じ事を思い出してた。
「あー……つまり、だ。姫さんはこの四人んでやりあえって嗾けてるわけだな?」
 歯に衣着せぬハワードに、マーガレッタは満面の笑みで頷いた。
「ええ。勿論命のやり取りをなさいとは申しません。ちゃんとルールを決めて試合の形式で。それなら文句もないでしょう? それにその4人で、なんて強制はしませんわ。勝ったとしても得られるものといえば個人的な満足感と名誉くらいですし。参加したくないのであれば、別に尻尾を巻いても――あら、失礼」
 ホワイトスミスは思わず苦笑した。この姫さん、プライドのくすぐり方を心得てやがる。
「しかし――いくら試合形式にしたところで、色々とは危険は伴うだろう」
「そうですね。私とカトリーヌが近くについて、いざという時はセイフティウォールを展開すれば、命に別状までは出ないと思いますわ。イレンドも呼べば治療に滞りもでませんわね。イレンドといえば、そうですわ。2階の子たちには見稽古になるかもしれません」
 四人はちらりとお互いを窺った。マーガレッタの提案は、実は魅力的なものだった。
 口では反対を唱えたセイレンですら思ってしまったのだ。知りたい、と。

 ――誰が、この場で一番強いのか。

 それはどの武器が一番優れているかの答えが出ないのと同じ理屈の、答えを持たない問いだった。
 しかし男は、或いは戦士という生き物は。いつまでもちっぽけでつまらないプライドを抱えて生きていく。そういう種類の生き物だった。
「いいんじゃないの? どうせあたしが優勝持ってくけど」
「あら、でしたらセシルちゃんも参加ですのね? 安心してくださいな。万一怪我をするような事があったら、私が完膚なきまでに完全に治療してさしあげますから」
「ちょ、ちょっと、その言い回しなんかおかしいから! っていうかその笑顔なんだかイヤだからっ!」
「セイレン」
 姦しいやり取りを他所に、アサシンクロスは小さくロードナイトの名を呼んだ。セイレンは向き直ってエレメスの視線を受けた。双方ともが乗り気になっているのは、誰の目にも明白だった。
 そして――。


                *             *            *



「皆さんこんばんは。実況のカヴァクです。さあとうとうやって参りました生体工学研究所最強決定戦。提供は揺り籠から墓場まで、貴方の一生を監視するレッケンベルケーブルTVです」
「地味に嫌なスポンサーだな」
「早速のツッコミありがとうございます。紹介遅れましたが、こちらブチキレコメンテーターのラウレルさん。本日の解説兼ツッコミ役です」
「誰がぶち切れだコラ」
「のっけから飛ばしてますねー。はい、ではまずルールの説明をいたしましょう。4人の参加者がそれぞれ三試合ずつを戦うリーグ戦方式。勝ち、引き分け、負けの順に3点、1点、0点の勝ち点を得て、全試合終了後に一番勝ち点が多かった選手が優勝という仕組みとあいなっております」
「勝ち点並んだらどうすんだよ」
「それが首位争いの場合は並んだ者同士の試合結果で上下を決定。一番以外はびりと一緒。あとは、まあ適当?」
「適当ってテメェな!?」
「いいのいいの、お祭りなんだから。その他細かいルールもあれこれありますが、まあ割愛!」
「ルールの説明になってねぇ!?」
「ちなみに優勝者及びその勝ち点の予想は一口1000zから、下記のURLで受け付けてまーす」
「賭けになってんのかよ!? ってか、下記ってどこだ」
「画面にはテロップで流れてるから」
「ああそうかよ」
「そんなところで、出場者紹介兼下馬評です」
「ちなみに人気順の紹介な」
「はい、トップはやはり手堅く我等がロードナイト、セイレン。ロリだペドだの噂もありますが、その実力に疑問の余地なし。まあロリでペドなんですけどね?」
「普通に隙がないよな。だが勝ち点9はないだろ。流石に全勝はきついと思うぜ。あとなカヴァク、口に気をつけないと後でセニアに叩っ斬られんぞ?」
「二番手は紅一点のうちの姉貴、スナイパーセシル。ナイチチナイチチ呪文か呪詛のように言われますが、揺れない分だけ動きは機敏。世間にゃそういう需要もあり……」
「ど、どっから飛んできたんだよこの矢!?」
「いやー、怖いですね、恐ろしいですね。射手の姿すら見えませんね。がくり」
「……カヴァク、お前絶対マゾだろ。こうなると判ってて言ったろ?」
「では気を取り直して。第三位はホワイトスミス、ハワード“UHO”アルトアイゼン。男連中は俺様の熱い肉体で精錬してやるぜ! 上ふたりとの差はやはり戦闘職と生産職の差でしょうか」
「まあ、本業は鍛冶屋だしな。男狩りはあくまで噂か趣味のはずだ。つか自重しろ」
「そして人気最下位はエレメス=ガイル。殺しのエキスパートたるアサシンクロスだというのに、所詮ござるとは世の評判。姫の拒絶と世間の風は厳しく冷たかったか!?」
「いやホンット、お前口が悪いっつーか、後先考えないよな?」
「まあね」
「褒めてねぇよ!」
「そしてその他スタッフの紹介。医療及び緊急試合停止権限を持つのはイレンド=エベシとマーガレッタ=ソリン。お好み焼き、ヤキソバ、たこ焼き、わたあめ、カキ氷、各種ドリンク等々の屋台はアルマイアの指示の下、リムーバさん方の協力によって運営されています」
「なんかいい匂いすると思ったら、屋台出てんのか」
「後で奢ってね?」
「ざけんな」
「ちぇ、けち。そしてジャッジ、全ての試合に勝敗決定を下すのは、大魔術師カトリーヌ=ケイロン。あの喰いっぷりにしてあのスタイル。食料と栄養は一体どこへ消えるのか。まさに魔術。まさに不思議。魔術といえば更にその乳! いい感じ! やわらかそう! くそ、揉みてぇ! あ、痛、ちょ、ちょっと、ラウレル、ラウレルさん!? ストップ、ソウルストライクストップー!?」



「全く、あの馬鹿何を調子に乗ってるんだか!」
 3階に設置されたスピーカーから聞こえてくる声に、どかっと壁を蹴り飛ばしてセシルは毒づいた。とことんまで身内の恥を晒し倒して、本気で矢を射込んでやればよかったと思う。
「セシル」
「ん? あ、カトリー……」
 呼ばれて振り向き、そこでセシルは絶句した。わたあめ、やきそば、りんごあめ、お好み焼きにカキ氷。カトリーヌはそれら山盛りを腕に抱えていた。カヴァクがアナウンスで言っていた、リムーバ屋台の品に違いない。違いないのだが、この量はなんなのだろう。
「……はい」
 唖然としたままのセシルにわたあめが差し出された。反射的にありがとと受け取ってから、
「幸せそうね、あんたは」
「ん、しあわせ」
 カトリーヌはこっくりと頷いて微笑んだ。それは本当に極上の笑顔で、「あ、これは男だったら一発で参る。そうに違いない」なんてふうにセシルは思う。
「審判だから。今のうちに食べておかないと」
「そっか、カトリーヌがジャッジするんだっけ」
 言われてみれば、カヴァクがそんな事も言っていた気がする。
 こう見えて、と述べれば失礼かもしれないが、おっとりとした言動のわりに、カトリーヌの動作は機敏で無駄がない。ただ当てる技量だけならばセイレンよりも上だし、若干ながらハワードよりも身ごなしは速いのだ。
 加えて頭の回転も早い。彼女が裁き役というのは、正しくうってつけの配置と言えるだろう。
 そういえば昔ハワードが言っていたっけ。「あいつは頭が良すぎるから、きっと言うべき事を全部一度頭で検討してから発言してるんだろう。それであんなにゆっくりになるに違いない」なんて。「あんたも脊髄反射で喋らないで、もっと脳を経由させなさいよっ」と蹴り飛ばした記憶がある。
 そんなしばしの回想から我に返って目をやれば、カトリーヌが抱えていた食料品はその量を半減させていた。細くて華奢なその体の、一体どこにそんな量が収まるのだろう。
「えと……もしかしてそれ、試合開始前に食べきるつもり?」
「ん」
 セシルの問いにカトリーヌはこくんと頷き、誇らしげにVサインを出して見せた。



 3階はお祭り騒ぎだった。普段はここまでやって来ないリムーバたちが、アルマイアの指揮の下に大はりきりであちこちに屋台を出している。正直娯楽が少ないから、こういうイベントはいい退屈凌ぎになるのだろう。
 一舟買ったたこ焼きを抱えて、トリスは選手控え室と適当書きされた小部屋を覗き込んで回り、そこでやっと見慣れた背中を見つけ出した。小走りにあちこち探していたのを悟られぬよう、呼吸を整えてから声をかける。
「兄貴」
 声を同時に振り向いたそのひとは、どうやらトリスの接近を察していたようだった。驚く素振りもなく、どうした、と笑って見せた。
「あ、別にどうしたってわけじゃないんだけど、色々出てたからさ。ほら、兄貴の分」
 トリスの差し出した包みを、エレメスは手を振って断った。
「いや、気持ちだけ受け取っておこう。腹を満たせば動きが鈍る」
「鈍るって、まさかこれくらいで」
 こんな軽食くらいで何の冗談かと茶化しかけたトリスは、その横顔を見て口を噤んだ。ひどく集中していた。
「どうしても勝ちたい相手がいる」
 まるで独り言のようにエレメスは呟く。
 彼は知っている。ひとは、自分に言い訳を用意するものだ。
 自分はこうだから、ここでこうなっても仕方ない。そんな、諦める為の言い訳だ。
 生まれた土地が悪かった。金がなかった。親に恵まれなかった。そうした理由でひとは自分を憐れみ、そして納得させる。だから仕方ない、と。
 戦いにもまた同じ事が言えた。
 今日は調子が悪い。さっき足を捻った。相手の流れに乗せられた。細かく上げれば限がない。確かに実戦では様々ものが負けの理由になりうる。後からそれを辿るのはいい。辿って省みるのは構わない。
 だが、とエレメスは思う。だが戦いの最中に負けの理由が頭を過ったなら、その時心はもう折れているのだ。
 自分がそうした弱音を吐くとは思わなかった。しかしひとの心は測れず、そして脆い。見逃していた穴から容易く乱れ、容易く崩れる。エレメスはそれもまた知悉していた。彼とは、なんの言い訳も介在しないところで戦いたかった。
「どうしても、勝ちたい男がいるんだ」
 そして、含羞めいて笑った。
「――そっか」
 トリスはため息混じりに頷いた。包みを後ろ手に回す。景気づけに一緒に食べてやろうと思ったのだけれど。聡いクセに肝心に疎いこの馬鹿兄貴は、女の子との食事よりもこれからする喧嘩の事で頭が一杯らしいから。
「兄貴」
 呼びかける。きっとセニアも、自分と同じような目を見ているに違いない。これは後でふたりで食べよう。押し殺して、笑顔を作る。
「応援してる。頑張れ。ファイト!」
 


「賑やかだな」
 スピーカーからは、けたたましいカヴァクとラウレルの声。セニアは一瞬兄の集中の邪魔になるだろうと、諌めに行こうと思ったのだけれど、そうセイレンが呟いたので取り止める事にした。
 きっと、自分が神経質になり過ぎているのだ。証拠に、とセニアは兄を盗み見た。
 セイレンは軽く笑みすら浮かべて、五体は悠然とリラックスしているようだった。その泰然自若ぶりに、セニアは感嘆の息を漏らす。やっぱりだ。応援する側が、これから試合をするひとよりも緊張してどうする。
 3階の、この勝負に参加する面々は何れ劣らぬ猛者ばかりだけれど。それでも勝つのはこのひとだと、セニアは信仰に近い強さで信じていた。
 かつて、プロンテラの騎士団にて幾度も催された騎士たちの模擬戦。
 やはり腕に覚えのある強者たちと競い合うそれら幾多の試合、その悉くで彼は無敗だったのだ。
 人品卑しからず、王都随一と讃えられ、更にそれに溺れる事無く精進を怠らない。その兄はセニアの自慢だった。賞賛に手を上げて応える様を、我が事のように誇らしく見守っていた。その後彼を同僚の女性騎士や女性司祭たちがこぞって取り囲むのは、彼女の許容範囲外ではあったけれども。

 ――だから、大丈夫。私が心配する事など何もない。

 そう信じ、また願いながら、同時にセニアは少しばかり残念に思う。兄はただ一人の足で立っている。自分を必要としていない。自分は彼に必要とされていない。いつだって、役に立ちたいと願っているのに。
 沈みかけた気持ちをゆっくりとした瞬きで追い遣り、セニアはスカートの裾を払って立ち上がる。
「では兄さん、私はこれで」
「行くのか?」
 意外そうにセイレンが尋ねた。どうせ試合を見に来るのだろうから、一緒に出ればよいと思っていたのだ。
「いえ、私にも仕事があるんです」
 不思議そうな兄に、神妙というよりもいくらか沈鬱にセニアは応じる。そして何故か頬を染めた。
「セニア?」
「これも……これも高みを目指す為ですから」
 頭を振ってそう強く言い切られてしまえば、セイレンも、そうか、と生返事をするしかない。折角の祝日めいた仕儀なのだから、休んでしまえばいいとは言えなかった。イグニゼム=セニアという少女は、これと固く決め込んだらどこまでも貫く性質だった。その頑固さを、愛しむべきその律儀さを、彼はよく知っていたので。
「では、失礼します。御武運を」
 ぺこりと頭を下げて、長い髪を流星の尾のように曳いて駆けて行った。セイレンは微笑ましくその様を見送り、そして目を閉じる。
 眼裏に友の、ひとりの男の姿を描いた。エレメス。エレメス=ガイル。

 ――あの時の、決着を。

 穏やかながらも厳しい、それは武人の顔だった。




「お、美味い」
 出来立てのやきそばをがつがつと掻き込んで、ハワードは声を上げる。率直な感嘆に、担当のリムーバは鉄板の前で照れたように頭を掻いた。リムーバの模擬店を見た時には、正直「衛生上問題あるんじゃねェか?」などと思ったものだったが、塩梅は上々以上のものらしかった。
「もひとつ頼む」
「合点承知」
 腹が減っちゃア戦は出来ねェからな、と一人ごちて、そこでハワードは妹の姿を見つけた。数名のリムーバにあれこれと小忙しく指示を出して回っている。
「おーい、アルマイア」
 呼びかけると彼女はそこで初めてこちらに気付いたようだった。最後まで指図を終えてから、とてとてと走り寄ってくる。
「どしたん?」
「随分とまた盛り上げたもんだな」
 このお祭り騒ぎは、マーガレッタからお祭りの総指揮を持ちかけられたこの妹の仕業だとハワードは聞いていた。
「ここは娯楽、少ないやん。出来る時に出来るお祭りしとかな。それに機を逃さんのが商人やって、うちに教えたのはあにさんやで?」
 そうだったかな、とハワードは鼻の頭を掻く。
「だがまあ、相変わらず商人の鑑だ」
「なんか褒られた気がせぇへん」
「褒めてるよ」
 言って、わしわしと少し乱雑に頭を撫でる。アルマイアは心地よさげに目を細めた。
「んー、うち、まだまだあちこち動いて回らなならんから」
「おう、忙しいトコ悪かったな」
 ハワードの言にアルマイアは首を振って、
「あにさんの試合は、ふたつめからやろ。それまでには終わらせて、応援したるな」
「期待して待ってるよ」
『第一試合を間もなく開始いたします。参加選手の皆さんは、所定の場所に戻ってください』
 そこへ計ったように、カヴァクのアナウンスが飛び込んできた。
「おっと、オレも行かねェとな」
「あにさん」
 踵を返しかけたハワードの服の裾を、アルマイアがぎゅっと掴んで引き止める。振り向いたその鼻先に、びしっと指を突きつけた。
「優勝したら、特別にごちそうや」
「そんじゃ、気合入れねェとな」
 ふたりはにっと笑み交わした。ぱんと互いの掌を打ち鳴らす。
 再びカヴァクの声が響く。
『繰り返します。第一試合、間もなく開始になります――』
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