「…おなか…すいた…」
 寝る前に軽く夜食を食べようと、寝静まった研究所内を一人、歩いていた。誰も居ないだろうと思っていた食堂に向かったら、
そこは無人ではなくて。
ハワード=アルトアイゼンが独り、自前の酒を飲んでいる姿があった。その人のカートには自慢の美酒が揃っているのを知っていた彼女―
カトリーヌ=ケイロンが、折角だからと勧められた一杯を断るはずも無く。グラスを手に席に着く。
 無言で、仕草だけで注がれる果実酒。つまみは乾燥された木の実だけ。
 これでは、腹は満足しないだろうけれども。
 お夜食……でも、お酒もいい…
 白い芳しい青りんごの香りと、口当たりの良さ。そして味わいはグラスの中で一刻ごとに変わっていく。
向かい合って席についているものの、お互い何も言わない。
 時折、ことり、とグラスの底がテーブルに触れる音がするだけの静かな時間が、そこにはあった。
「ああ…そういえばカトリ。最近戦い方、雑になってないか…?」
 凪を映したような黒い双眸が、僅かに険しさを孕んだ。
「……そんなことない…」
「…なら、良いんだけどな」
 思い出したようにハワードから言われた「戦い」―侵入者と対峙するそれは、彼らの日課でも任務でもましてや趣味でもない。
あえて言うとすれば、「彼らが生きる」ために避けられない業―。進んで争いに身を投じたいと思うものは誰もいないというのに。
戦わざるを得ない毎日は否応にも彼らを鍛え上げることとなり。
 元々、彼ら6人はそれぞれがその道にその人ありと謳われる存在だったが、近頃は極めんとする程に成長していた。
そんな環境下、他者の戦い方云々を批判することは滅多に無い。お互いのプライドと誇りを尊重し、認め合う間柄だったから。
「問題…なんて……全く、ない」
 カトリーヌはここのところ怪我が多かった。
 彼女が頑なに独りで戦っているのを、隠密行動を得意とするエレメス=ガイルは数度、目撃していたらしい。
「伝声管を使う余裕が無い訳でもござろうに…。一体、何ゆえか…」
 先日、そう洩らしたのを聞いたハワードを含め、彼ら皆が心配していたのだが。
「心配…、ない」
「―そうか」
 これ以上の心配は無用とばかり、確りとした声で返されれば他に返しようはなく、また魔法使いは無言で会話を拒んでいた。
どう、切り出したものか。途切れてしまった会話の糸口が見つからない。
 これじゃマガレ達と変わらない、だめじゃないか。ハワードは、思い返しながら言葉を探す。
「ハワードからも言って下さいな」
「私達じゃだめだったよ…あんなカトリ、カトリじゃない…」
 悄然とした女性二人から廻ってきたお鉢に疑問を抱きながら、この機会を持ったのだが。
マーガレッタやセシルが困り果てていたのはカトリーヌのこの取り付く島の無さだったのだ。
 胸中だけでそっとため息をつく。グラスを傾けながらふと、気付いた。
 そういえば、カトリ、変わったな。
 ハワードが気付いたのは彼女のまとう空気の質だった。
 静寂を愛するこの魔法使いは、セシルとマーガレッタのお喋りやそこに混じるエレメスとのスキンシップ―にしては痛そうなことも多い
のでハワードは加わったことは無い―の輪に、積極的には関わらない。
では興味が無いのかといえば、否、だ。少し遠くからではあるが、実に楽しそうに見ている。
そして時折表情が変わる―初めて対面した頃から大分増えたそれは顔の筋肉の動きじゃなくて、主に黒曜石の瞳に現れていたけれど。
そんな彼女が笑うと物静かで凪のような雰囲気が、風の無い、冬の朝の陽だまりのような小さな暖かを持つそれとなる。
 思わずそれを見続けたいと感じたのは、どうやらハワードだけではなかったようだった。
 目撃して以来、弓手の少女も、高位の女性司祭も、暗殺者とは思えない青年も、事ある毎にカトリーヌに絡んでいる。
 そして生真面目な騎士は、彼らが気付いたよりも早くに、彼女のそれを知っているらしかった。
出身が騎士団の団長、誰に対しても等しく面倒見が良い。のだが、彼女には特に世話を焼いている―その理由込みで、
本人は周囲にばれていないと思っているようだが実はだだ漏れだったりする。
 だが、今のカトリーヌはどうだろう。
 静けさを含んだそれは普段と同じ。しかし決定的に温度が違った。
 硬質で、透明で、空気さえも凍えさせたかのよう。まるで自身の操る、氷と凍てつく吹雪の魔法の如き冷たさを帯びた相手を前に、
ハワードの持ち前の陽気さも影を潜めてしまった。ただ時間だけが経過していくだけ。
 結局二人で1瓶丸々空けてから、それぞれ自室へ戻っていった。




『ゲフェンに住まう冷血の魔導師』
 そう呼ばれた頃の自分に戻っている、という自覚はあった。
 …遠い…
 侵入者達との熾烈を極める戦闘に対して、仲間たちとの会話、そして心から寄せられる心配―そしてあれほど好きな食欲までが、遠い。
 自分の意識の総てが完全に侵入者への敵意にしか向いていないから。自己分析は出来ている。自分自身をコントロール出来てるつもりで
出来ていない。ゲフェンにいたあの頃から進歩のない自分に、苦笑するしかない。
 けれど、ちょっとは変わったかもしれない。マーガレッタやセシルの気遣いを無碍にしたことを、申し訳ないと思っているから。
出来ることならすぐに謝りたい。ごめんなさいを言って、ぎゅっと抱きつけば言葉にしきれない謝罪だって伝わるだろう。
 普段勝気で、エレメス相手にぽんぽん言葉を放っては小気味良くやっつけるセシルの、あのしゅんと肩を落とした姿は。
 何時も慈愛を感じさせる笑み―多少思惑があっての笑みの場合も有るけれど―絶やさないマーガレッタの表情が凍りついたその顔は。
 させたくなんて、無かった、でも。その前に。
 どうしても取り戻さないといけない。
 宝物―小さな腕輪を。




 それはセイレンが持っていた、この研究所にあったものではない完全な彼の私物だった。
 素材はプラチナ。径の小さいリングの形状は完全な環で、造りは石も飾りも付いていない至極シンプルなもの。
磨き上げた部分と燻してある部分が交差して印象的で、初めて見た時から、カトリーヌは気に入ってしまった。
 滅多に私物を見せない騎士が偶々落としたのを目撃したのが最初で―その時の焦りようといったらなかった―なんとなく見せびらかしたくない
のだろうと察してはいたのだが。ダダを捏ねたりせがんだりして見せて貰っていた幾度目かの時、ようやくこの疑問を持つに至ったのだ。
「…どうして…これ、持っているの…?」
 騎士団員に必要なものでは、ない。ましてセイレンが身につけることは絶対に有り得ない―どうみても女性の装飾具。
 曰くが、…ありそう…
 あの焦りようからして、堅物の彼は素直に教えてくれるだろうか。質問の仕方を変えようかどうしようか、カトリーヌが思案して居たら。
予想を裏切って、柔らかい、だが寂寥感のある笑みと共に騎士は話してくれた。
「昔、世話をしてくれている妹みたいな女の子が居たんだ。騎士になりたいと言って修行の一環で俺の許に居たんだが…」
 遠い昔に想いを馳せたのか、銀青色の瞳はカトリーヌを写しているのに彼女を見ていなかった。
「ある任務でモロクへ行った時に、助けられてな…。日ごろ、何もしてやれてないからその分の感謝も込めて土産を買おうとした。
ただ、何を贈ったらいいのか…困ってな」
 カトリーヌがつけてみれば、華奢な彼女の二の腕まで包み込む大きさの腕輪なのに。それを、セイレンは手の平に乗せて眺めている。
「地元の―友から特産の品を勧めてもらって店に向かったが、更にそこの店員からのお勧めとやらを見せられて…頭を抱えたんだ、俺は」
 笑みは苦いものに変わる。
 水晶鏡は確かに綺麗だった。
『贈り物なら、こちらもどうでしょう』
 隣に置いてあったアクセサリーを取り出しながら店員は勧める。
「…どうして…?」
「ああ、ペンダントとこの腕輪と2つ、出されたんだよ」
 ご一緒に如何ですか、なんて。
 青く長い髪が印象的な少女が、女の子らしいもの、可愛いものが大好きで、けれども修行のためにと抑制していることくらいは判っていた。
 気が利かないことは自覚しているが、この場で断る程には鈍くはない。
『どちらも女性には充分、喜んで頂けるものですよ。ただペンダントの方は可愛らしい形ですからどちらかというと若い―幼い方向けですね。
そしてこちらのリングは』
 声の調子まで思い出せる、あの語り。
 妹に贈るのだと先に断ってあったのに、意味ありげに―でも上品に―笑った店員はやはり意味ありげに言葉を切ってくる。
『どちらかと言えば、妙齢の女性に良くお似合いですよ』
 だから、そうではないと口を開きかけ―諦めた。この手の話の言い訳や弁解は、大の苦手なんだ。
 セニアに選ばせれば良い、そう自分へ言い訳し、両方とも買ってしまった。いいや、正直に言えば騎士に有るまじき態度だがその
視線から逃げたかったんだ。
 水晶の一面を磨き上げた鏡と桃色の金―ピンクゴールドで出来た小さなクローバーがデザインされたペンダントは、
果たして見事にセニアの心を捉えたらしい。
『兄さんが…私に…?―――どうしよう、嬉しいです……あっ、ええと、あの、ありがとうございます!』
 子犬のようなはしゃぎ様。嬉しさを全身から発するセニアの喜ぶ姿は見たことが無い程だった。早速身につけ、その自分の姿を鏡に映し出す。
 彼女は、鏡を見ながらそんな自分を制しようと―剣士として相応しくないと考えたんだろう―努力していたようだったが。
セイレンの見る限り効果は見受けられなかった。
 そして、その努力の至らなさを、不謹慎にも喜んだ自分。
「…セイレン…?」
「俺には選びきれなくてな…。結局、両方とも買って、彼女に選んでもらったんだ」
 恐らくあの局面にもう一度出くわしたら、今でも逃げるだろう自分が想像できてちょっと凹んでしまった。
だが、慣れないものは慣れないんだ。
 実は内心の動揺を見事に隠し通して買い物を終えたこの騎士を、かの店員が驚いたと仲間内へ語ったことは本人は永遠に知りえない。
「その残りが、これなんだ」
「…そう、だったの…」
 黒曜石の煌きがまっすぐにセイレンに向けられる。瞳の主は、今、自分がどんな風に微笑んでいることが解っているのだろうか?
 無自覚の故の無防備さを持った静かで穏やかな笑みは、こちらの心をも暖める。その双眸に自分が映っていることの、喜び―囚われる。
 セニアのあの喜びようとは違うかもしれないけれど、この魔法使いも見せてくれるだろうか。
「カトリーヌ」
 内心の動揺を出さないように。…かつて、セニアに渡した時と同じように。
「貰ってくれないか」
「え…」
 カトリーヌに、と買ったものではないんだが…と、歯切れのいい物言いをする騎士が珍しく言い澱む。
「着けて貰えたら…。俺は嬉しいよ」
 照明を受けて淡く光りを反射する、彼女の前に差し出されたブレスレット。
「………ありがとう」
 冬の日中の陽だまりを思わせる笑顔。セイレンには今までで一番、感情が表れている気がした。
「―、カトリーヌ…?ッ、どうして泣くんだ?!」
「…あ…れ?」
 笑顔のままで、黒目がちの目からは止め処も無く透明な滴が溢れて、零れていく。
 またひとつ、この騎士の過去を知ることが出来た。それだけでカトリーヌは満足だったのに。
物自体が欲しいというよりは、この腕輪にまつわる事の顛末を知る方が、カトリーヌにとっては遥か重要で己の欲深さを感じていたから。
 大事に胸の内に仕舞っておこうと、ただそう思っていただけのところへ、絶対にないと思ってた、サプライズ・プレゼント。
 彼女の不意をあまりにも突いて。
 お腹の底から沸いた感情は御し切れなくて、言葉でも表現出来なくて、熱い塊となって彼女の中から飛び出してきた。
「嬉しい…から…」
 目を潤ませた女性はその腕輪を騎士の手ごと、細い指でしっかりと掴んで、自分の胸元に抱き込んだ。
 自然と彼女に引き寄せられる形になったセイレンは散々躊躇った末に、目の前で頭を垂れたカトリーヌの小さく震える細い肩を、
そっと抱いた。





 戦闘中で装飾具にまで気を回していなかったことは確かだけれど、だからと言って易々と落とすとは思えなかった。
 気付いたら、腕には何も付いていなかったのだ。自分の不注意が自分で許せない。自分へのイライラが転じて今は侵入者へ当り散らしてる、状態。
 いけない…判ってる……でも…
 貰った腕輪は、真っ赤な目のまま身につけて以来、外したことはなかった。
 魔法使いのローブは肩口から伸びていて、滅多にそこを外気に晒すことはないので、持ち主だった騎士以外が腕輪を知ることはなくて。
自分と彼とを繋いでるそれを他の誰もが知りえない、密やかな、満足。
 秘め事だと言ったら、普段の仏頂面はどこへやら。赤面、渋面、苦笑と面白いくらいころころと表情が変わって。
 大事な、ものだったのに。
 独り食堂の片隅で、お茶を淹れていたカトリーヌは或る信号を発している警報機に気付いて、おもむろに歩き出した。使った茶器は
放置したまま。普段の彼女なら、片付けないはずがない。
静かにゆっくりとした歩調には平素と変わる様子はなく。しかし、黒い瞳には炎が踊っていた。
 失くしちゃ、いけないものだったのに…!
 研究所の北側の隅となる廊下まで迷いも無く進み、何も無い目の前の空間を見据える。
「…炎よ…其の理を以って偽りを暴け」
 詠唱とともに、小さな、薄い色合いの炎が表れる。揺らめきながら残像を残して彼女の周囲を廻り―ある場所で爆ぜた。サイトの魔法だった。
「見つけた…」
「やっぱ、見つかったか」
 ハワードよりは上背は無いが、迫力はほぼ同じ。白いシャツが短くて鍛えあがった筋肉が服の代わりを果たしている装束の男性。
ホワイトスミスに就いていて、背負うカートは縞の屋根。鍛冶を営むものは皆そうなのか、この男も爽やかだった。
「よう。また来たぜ」
「……」
「元気そうだな」
 片手を挙げて、軽い挨拶。何の気も無い仕草で小瓶を開けて、床へ立てかけた武器へ闇色の液体を振り掛ける。
カトリーヌへ語りかけるそれは、何故か笑みの入り混じった口調。常であれば、相手を認識するや否や、戦いは幕を開けているというのに。
「どうしても、あんたに試したくてさ」
「そう…」
 対するカトリーヌは絶対零度の無表情で、向かい合ったまま動かない。
「また来ちまったよ」
「………待ってた…」
 対峙する両者は、顔見知りか知人のように気安げに言葉を交わす。が、その様子とは裏腹に、互いを認識した時から
空気の密度は一秒ごとに跳ね上がっていた。
 声が途切れると、針が落ちても響き渡りそうな静寂が訪れる。
 二人を取り巻く空間に満ちた緊張は、いつ弾けても可笑しくないくらい膨れ上がり。
 男の笑みを形取っていた顔は、口元が其のままで、目だけが爛々と輝き出した―異様とも取れる形相。そして。
ドン…!という衝撃。瞬きの間、赤い柱が男を包み込む。
「…いくぜ」
 男は、呼気に気合いを篭め、吐くが早いか相対する魔法使いへ詰め寄った。ほぼ同時にカトリーヌは杖を構えぬまま詠唱を始めている。
ぱりんと、小さな音がして彼女の手の中の青い結晶が崩れた。
「…太古より継がれし契約の許、我を護りし光の佩、疾く成らざらん」
 彼の獲物―両の手で引いてきた大きなカートが繰り出す技―の間合いとなる直前、セイフティウォールが空間に現れ視界を遮った。
 男が踏み込んだ勢いのままカートを振るうも、彼と魔法使いとを隔てる壁に弾かれた。激しく激突する低い音が生じるが、それだけ。中の女性は無傷だ。
 前回、相当な一撃となったはずのこの技は見切られている。
「!―、くそッ」
 一気に険しくなる表情―ホワイトスミスは次の魔法の詠唱に入った魔法使いから鋭い身のこなしで距離を取る。
あれだけの勢いのあるカートに振り回されない鍛冶屋は、ハワードと対等の能力を有しているのだろう。体裁きは的確だ。
同時に不凍の加護のある服を纏う。目を閉じて集中しているカトリーヌからは見えていない。
「――氷の女王よ…その吐息を束ね氷柱と成せ、フロストダイバー」
 彼女の足元から乾いた鋭い音が走る。それは青年を捕らえ、足元から氷壁がそそり立ち彼を包み込んだ。が。そのまま氷は消える。
 氷柱が完成しない手応えに閉じられていた瞳を開ける。
 …凍って…ない…!
 不機嫌さを隠しもせず目を眇め。立て続けに風の魔法を紡ぎ出すが、男は予め備えていたらしい―あまり効果が出ていなかった。
「させるかよ!―もう、終いか?!」
 にやりと不敵に笑う。魔法使いはその挑発に全く応えない。魔力を更に上げるべく杖を構え、澱むことなく魔法を唱え続ける。
歌のように流れる詠唱に乗って動く手は、さながら舞いのようだった。的確にスペルを刻み、魔方陣を編み上げる。
「最果ての地の嵐…銀嶺より来たりて…其を貫け……コールドボルト」
「ちッ、!!」
 カトリーヌの声に反応して、頭に着けていた防具を猫の姿のものに代えて耐え抜き、彼はカートを背に負い鈍器を取り出して駆け出す。
「…混沌より生まれし禁断の黒炎よ…我が喚び声を聞け…ファイアボルト」
 息継ぐ間もなく展開される魔法、その威力はどれも重い。だが男はその効果の範囲から逃げずに、逆に迫って―振り翳された鈍器が肉薄し。
「喰らえッ!!」
 セイフティウォールの効果を消すべく殴りかかってきた。
 風を切る音、その速度、ぶつかる度に起こる衝撃。一撃毎に色褪せていく魔法障壁は、確実に消滅へ近づいていて。
目の前で起こるそれらに恐怖を感じないはずがない。が、内心のそれをおくびも出さずカトリーヌは淡々と詠唱を続けた。
「天駆ける暗き雷よ…古き盟約に拠り…我が命に従え、馳しれ我が意の基に―」
「うりゃぁぁッ!」
 気合の篭った一撃は、ついにカトリーヌを守っていた幕を消し去った。返す動きは彼女の身体の中心を捉え、男の全力で振り下ろされて―
「ユピテルサンダー…っ!!」
「…!!」
 重たい衝撃音、放電の爆ぜた音、そして壁にカートの当たる金属音。鈍い金属音の最後の揺らぎが消えた時には両者とも、呻きながら身を床に投げだしている。
殆ど同時に聞こえた音は、実際コンマ数秒の違いで生じていた。
 魔法使いの手から生まれた雷球が放たれたその時には、ホワイトスミスの鈍器が彼女を襲っていた。しかし、振り下ろしきる前に彼は
それから手を放していた―手放さざるを得なかったのだ。雷撃でもってカート毎吹っ飛ばされ、向かいの壁に撃ちつけられてしまったから。
 カトリーヌは蒼白な顔色のまま、痛みを堪え立ち上がった。覚束ない足元、今にも勝利できそうな。
が、壮絶なまでに寒気を感じさせる、幽鬼の如き姿。
「………腕輪…どこ…」
 深手を負いつつも魔力の濃密さから陽炎を作り出している魔法使いが、問う。
 壁に背を預けたまま動かない鍛冶屋の男へ、彼女の怒りと苦しみを伝えて余りある、逼迫した声音で切りつけるように問う。答えが返らないことは承知の上。
「…うで…わ?」
 受身すら取れなかった所為で呼吸が困難、声が掠れていた。だが頭は異常は無い。
 この後の動きを練る、勝利のためのイメージ、思考の奔流。
 思ったよりダメージが大きい。少しでも回復しないと、やられる。しかし向こうもかなりの傷を負っている、あとあの一撃を見舞えば…
 男は、素早く計算し。魔法の準備をしていないが、相手の動向からは注意をそらさず聞き返した―時間を稼がなくては。
 肩で息をしながら、そうとは悟られぬようマステラの実を口に含む―
「腕輪が…、なんだ…」
「…前…貴方に…会った時……。腕輪…なくなった…!」
 ―集中すれば腹の底から力が沸いてくる。
「はっ…?!何をいってんだ」
 カトリーヌにとっては、この質問の答えを得ることだけが目的で。だから、自身の傷を癒すよりも先に答えを得ようとし。
「私の……腕輪、返し―」
「―貰った!」
 ホワイトスミスにとっては、魔法使いを打ち倒すことこそが目的。言葉が終わらないうちに、男は動き出した。
 今こそ好機、静かに構えていたカートと共に距離を詰める。弾かれた発条のように無駄のない動きは、言及するだけで精一杯だった
カトリーヌの虚を、完全に突いた。
「カートターミネーション !!」
「っ!!!―――ぁぁあああ…っ!」
 当たった瞬間、呼吸が詰まった。痛みも何も感じない、兎に角息が出来ない。
 そして肺が酸素を取り込んだと思ったら身体の中心に響く、強烈な衝撃。全身がばらばらになりそうだった。
 動けない。
「…は、今回は勝ちかな…」
 硬直状態が解けないうちは魔法詠唱が出来ない。それを知っているホワイトスミスは、床に伏して動けないで居る魔法使いを間近で、見下ろしていた。
「……う、で……わ…」
 その状態で尚、カトリーヌの右手は、左の腕を押さようと動いていた。
 その様を見た彼は、憐れみを含んだ声で言った。
「…そいや、前、なんか落としてたかもな。カートで轢いちまったけど…」
「!!」
 横たわる女性の動けないはずの身体が、一瞬だけ震える。
「お、流石。やっぱ危険だな…」
 改めて鈍器を握る。今楽にさせてやるからな。
「―コレで終わりだ」
「させんよ」
 背後から静かに、声が掛けられた。恐怖をもたらすほどの殺気と身体に響く低い音。

 カトリーヌが食堂を出てから、数分と経たずにエレメスとセシルが連れ立って入ってきた。
「おかしいでござるな」
「なにがよ」
 咽喉が渇いたと出会い頭で言いつけてくれた、この弓手の少女は致命的に味音痴。
お茶を淹れるのはエレメスかカトリーヌの担当となっていたので、そろそろおやつの時間でもあるからと二人、食堂へ来たのだが。
 6つ、テーブルに並べられたカップ。暖められたようで、僅かながら湯気が立ち昇っている。
ティーポットには湯が満たされており、紅茶の良い薫りが辺りに漂っている。が。
「砂時計が落ちきっているのに、カトリーヌ殿が居らぬでござるよ」
「…そういわれれば…。カトリー?」
 顔を見合わせ、訝しんだセシルが声を上げる。
「ちょっとその辺見てくるわ」
「よろしくでござるよ」
 小さな背が機敏に動き、外へ出る。エレメスはその姿を何気なく目で追って―気付いた。赤い点滅…?
 何でござろう。
 近寄ってみれば警報機だった。
 通常、侵入者を知らせる警報音を発するそれが、今は一切音を立てず点滅している。それもとても少ない光量で。―誰かが操作している。
 悟った瞬間、顔つきが変わった。暗殺者として名を馳せた、その顔に戻っている。
「…これは…、一体誰が…!」
 この手の機械を操れるのは、この研究所内には自分しか居ないと思っていた。ハワードも機械に触れることはあるが、修理等のハード面に於いてである。
セシルやマーガレッタは論外。彼女達は壊すことなら専門だが、動かすことなど出来はしない。―セイレンも苦手としているはずだった。
消去法で残るのは。
「―カトリーヌ殿以外、あるまい…」
 興味が無ければ決して動かないだろう彼女は、だが操作しうるだけの知識を得ていても不思議ではない。ただ実践しないというだけで。
逆に、必要性に狩られればやるだろう。現に、かなりの音量で鳴るようにセットしたはずの警報機は無音にされ、光の点滅のみで報せるように
変わっているではないか。
と、その時、鈍い揺れを感じた。
 テーブルの上の茶器が小刻みに揺れて音を立てている。これは―戦闘?
 何者かが進入している。
 警報機の操作と最近の魔法使いの変化を考えれば、迎え撃っているのは恐らく。腕の一振りでカタールを構え、
「カトリーヌ殿が交戦中でござる!急ぎ助太刀を!!」
 伝声管へ叫ぶや否や食堂を飛び出し。その声に反応したセシルと並んで走り出した。

 セイレンは衝撃音のするほうへ走っていた。日課の修練中、聞こえてきたその音は誰かが戦っている音だったから。
『カトリーヌ殿が交戦中でござる!急ぎ助太刀を!!』
「なに―?!」
 途中で耳にしたエレメスの声に嫌な予感がして、更に足を速めた。
 最近のカトリーヌは負傷が多い、その事実は接近を許しているからに他ならない。
 何度か注意を促したものの、頑なに聞き入れない彼女には、何かあるとは思ったけれど…。そんなことを思い返しながらその場所へ着いた、瞬間。
 カトリーヌの身体に打ち込まれた縞の屋根のカートとこれまでにない破壊音が、セイレンを迎えた。
「!!」
 衝撃で撃ち飛ばされ、悲鳴を上げた魔法使いは倒れ伏したまま動かない。それを見下すホワイトスミスは鈍器を構えて。
 それでも自身の左の二の腕に向けて、懸命に手を当てようとしている彼女を見た瞬間。疑問は氷解し、同時に怒りが全身を巡る。
 カトリーヌが接近戦を戦った理由は、それか…!
「―コレで終わりだ」
 頭に血が上った騎士の耳に、飛び込んだその言葉。ほぼ反射的に、内なる力を爆発させ、抜き身の大剣は上段に。
「させんよ」
 セイレンの言葉に男が振り返る。同時に彼は、渾身の力で磨き上げた技を解き放つ―
 反射的に振り返った男は、
「ボウリングバッシュ!!」
 ―――赤く爆ぜた光を纏った鬼を見た。




 セイレンがクロスワードパズルを解くというので、カトリーヌも読書の態勢に入った。
 久しぶりに読もうと思った魔術書を棚から取り出したら、砕けて割れてしまった腕輪の欠片が転がり出てきて彼女の思考を停止させ。
その状態のまま、騎士の広く逞しい背にもたれ本を紐解く。目だけは字面を追っていたが、頭の中は真っ白だった。
 決して忘れないようにと、鍵を掛けた記憶の宝石箱から脳裏に鮮やかに刻まれた白金の環と、苦くて甘い想い出をそっと取り出して
反芻する、ただそれだけで。
 動けないで居る自分を抱きかかえ、『そんなものより、自分を大事にしてくれ』と必死に言い募った騎士に途切れとぎれの言葉を紡いだ。
 貴方よりも大事なものはないのだと。腕輪も、腕輪に詰まった想い出も、全部大事だったから、取り返したかったのだと。
 暫くしてスタンが解け、間近にある彼の頬へ手を伸ばした。すると、咄嗟に言葉を失った騎士の途方に暮れた顔が、鮮やかに変わった。
『ならば、俺がカトリーヌを大事にしよう』
 カトリーヌが彼女自身よりも、自分を大事にすると言うなら、反対に自分が彼女を大事にすると、高らかに告げ―
 涙と眩暈が襲ってくる。―決して手に入らないと思っていた存在が、代わりに。
 今此処に、在る。
「カトリーヌ」
「なに…?」
「氷の魔獣の子の落し物、神に仕えし幼子らの奇跡、は何を指す?」
 彼の、ほんの僅かに悔しそうな、苦みばしった声。
 記憶の奔流に揉まれて色褪せないように、素早く想い出を宝石箱へ仕舞い込み、しっかり施錠して考える。束の間。
 抱え込むようにして広げていた分厚いくせに軽い本を膝に置き、滴の付いた長い睫毛を彼に見えないようその背に頬を当て囁く。
「ブレッシング」
「…ありがとう」
 二人の微かな息遣いと紙を走るペンの音が奏でる調べを聴くものは、お互いだけ。



 そうしてまた、呼び止められる。
「カトリーヌ」
「……ん?」
「トリスのカードの接頭語は?」
「―――」





to be continued...





/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
最初で最後のあとがきらしき、モノ。
7階520です。ここまで読んで下さって、ほんとに、ほんとに!有り難うございました!!
気付けば20KB越えてるのか…orz
地の文の文体が完成してなくて、さぞや読み難かっただろうと思います…。精進重ねます…。
7階では感想をたくさん頂いて心の底から嬉しかったです。独りじゃないって解った時はもう…。・゚・(ノд`)・゚・。
恥<<<<[越えられない壁]<<嬉しさ でしたよ><
このスレに出合って、数年ぶりにSSを書きたくなって、頑張っちゃいました。
カトリ×セイレンじゃぁないつもりだったのですが…うぅん、セイレン頑張ってくれ(苦笑
それにしても何でこんなにへたれなんだろう?セイレンさん。カッコいい人が好きなのに。

今更流れをぶったぎれるものではないので…。そっと置いておきます。
7階612氏に気付いてもらえるかな。貰えないかな。どうかな。気付いて欲しいな。UPしたって書けない私を許して…;;
そして7階155氏へ尊敬と思慕を込めて、いんすぱいあさせて頂きました!ごめんなさい!!だってセイレンかっこいいよ!!!

最後になりましたが。
この拙作を7階612氏へ捧げます。
頂いたSSを思う存分、味わわせて頂きました。貴方のお陰で、本当に、いっぱいこの二人のことを考えました。
自分のSSと612氏のとを繋げたくてまた考えて、悦に浸って…(ぇ<アブネー
すごい幸せでした!有り難うございましたですヽ(*'ー')ノ+o゚。
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