「アナタのはぁとにそうる☆りんく♪」

「な、なんだ!?なんだか視界が蒼く…う…ウヴォァァァァァァ!」



―――コフー…コフー…


 何時もの様に巡回を終え、セイレンは自室へと足を向けていた。

(いかん、急がねばTVタナトスの深夜番組、『のびがめっしゅ・ないと』が始まってしまう)

 やや小走りになりつつも、騎士然と威風を崩さぬように堂々と、しかし脳内は深夜の
アダルト番組一色に染めながら、帰り路を急いでいた。

(ん?あれは…ハワードか?あんなところで何をしているんだ)

 普段ならばこの辺りで見かけることの無い、何だかうなだれた様な格好をしている
同僚の姿を見つけて声を掛けた。

「ハワード、どうしたんだ…ってうわっ!」

「ェルメェェェェェェェス!!!!!1!」

 目を爛々と輝かせたホワイトスミスは、おぞましい咆哮を上げると
その体格に見合わぬ敏捷さで、あっという間に彼の視界から消えてしまった。

「何なんだ…またエレメスにでも振られたのか…?
 おっと、そんなことよりノビたんノビたん」

 さして気にも留めずに、歩を再開したのだった。



「ぬるいですわ。淹れ直して下さるかしら」
「あ、イレンド私もー。砂糖多目で」
「ゴメン、アタシも無くなっちゃった。出来ればコーヒーがいいかな、ブラックで」

 ピンク色に色調が統一された小奇麗な狭い部屋で、女三人は一斉にイレンドへとカップを向けた。
視線の先には部屋と同じくこぢんまりとしたブラウン管。
そこに映し出される少女の水着姿へと向けられていた。

「姉さん、アルマ、トリス…みんな自分の部屋で見てよー…」

「ここの方が落ち着くんですもの」
「ここだとタダでお茶が飲めるしねー」
「皆で観た方が楽しいじゃない」

 予想通りの返答に、哀れなアコライトは肩を落としてキッチンへと向かうのであった。
 流しに飲み物の残りを捨て、薬缶に水を入れて火にかける。
寝室の方からは相変わらず、うわーちっちゃーい、だの、紺色の水着って卑猥よねぇ、等という
あまり耳を傾けたくない嬌声が聞こえてくる。
 今日何十回目かの溜息をついて、棚から茶葉を取り出そうとした時だった。
 ガシャーンという、どう聞いてもこの場に似つかわしくない
後片付けが間違いなく必要になるであろう嫌な音が――彼にとっては彼女達の嬌声も同程度だろうが
――つまりは部屋の窓ガラスが割れる音が聞こえたのである。

「ハワード?」
「兄貴?どうしたの?」
「ハワードさん…どうしたんですかいきなり窓から」

 イレンドが渋々部屋へと戻ると、口の端から何やら煙の様な蒸気を
ふしゅーふしゅーと吐き出しているハワードが、割れたガラスを踏みしめて
(あああぁハワードさん土足でしかも破片がベッドにまで飛び散ってるしカーテン破れてるしあれ高かったのに)
踏みしめて、両手をだらりと絨毯に触れるほどに前傾姿勢で佇んでいた。
 ゆらり、と何かを探すかのように首を廻らせ、その深淵に輝く双眸で、ぎらりとイレンドを睨みつける。

「は…ハワードさん?どうかしたんですか…?」

 自分でも意識せずに後ずさりながら、姉の友人に声を掛ける。

「ェェェエェルメェェェェェェスゥゥゥゥ!」

 突如、割れてしまった窓ガラスの破片をも吹き飛ばさんばかりにハワードが咆哮した。

「エレメスならカトリーヌの部屋ですわ。ここにはいませんことよ?」

 なんでもない事の様にマーガレッタが応える。

「ウォォォォァァァァァァァァ!!!!」

 再び巨躯の男は叫ぶと、入ってきた窓から闇の中へと消えていった。
呆気にとられたように顔を見合わせるアルマイアとヒュッケバイン。そして

「あー、私ちょっと兄貴を追いかけてくるねー、なんか他にも迷惑かけそうだし」
「アタシもちょっと帰るわ…なんかおにい…兄貴がまた襲われそうだし」

 そそくさと部屋を後にする二人。
取り残された姉弟は、一方は何事も無かったかのようにテレビを見、一方は呆然と立ち竦んで。
と、姉が面倒臭そうに口を開いた。

「…お紅茶はまだですの?」

「いやだッ!もうこんな生活はいやだぁぁぁぁぁぁぁ!」

 今夜も世を儚む少年の、届かぬ叫びが夜の闇を灼くのであった。



 熱い湯気の立ち込める浴室。
深夜になると大浴場は人気が無くなる為、セシル=ディモンは最近夜に風呂を使うことにしていた。
長い、ちょっとだけ自慢のストレートヘアーを念入りに、傷めないように洗い、
熱めのシャワーでそのしなやかな身体についた泡を洗い流す。
 なだらかな双丘の間を、下腹を、川を作るようにお湯が筋を作って流れる。
人と比べられる心配が無い為か、いつになく上機嫌で鼻歌などを口ずさみながらシャワーを止めた。
引き締まったお尻を揺らし、豹が歩くような、しなやかで野生的な動きで浴槽の方へと歩く。
いつものように左足から右足、お尻、腰、胸とゆっくりとお湯に浸かってゆき、

「ううぅぇぇぇぇぇーい」

そしてやたらと親父臭いうなり声が今までの優雅さを台無しにした。

 ぼんやりと、肩までどころか鼻の下までお湯に浸かりながら、セシルは物思いに耽った。

(…揉むと大きくなるって本当かなぁ…他は試したし…でも…)

 これをしてしまうと越えてはならない一線を越えてしまうような気がして。
 それでも彼女は、そっと両手を申し訳程度に膨らむ乳房にあてがった。
ほんの少し――温度が高めの湯船のせいもあったろうが――頬を紅く染めて、
ゆっくりと、下からすくい上げるようにしてむにゅむにゅと揉んでみる。

(あ…ちょっといいかも)

 ぐにぐにと、ほんの僅かでも少ない皮下脂肪を胸に寄せて上げる様に揉み上げる。


 ガシャーン


 浴場の、当然女風呂の扉を蹴破って、"それ"がタイル張りの床に降り立った。


「な、な、な…」

 見る間に耳まで紅潮する。

「エルメェ―――ウボァッ!」

「何しとるんじゃこのドアホーーーーー!変態!女の敵!ついでに男の天敵!」

 胸を片手で隠し、前飛び蹴りをかます理不尽さというか無意味さは置いておいて、
ともかくその侵入者は、乙女の怒りが具現化したとも言える一撃を顔面に喰らい、
まろぶようにして逃げ去って行った。
 ハァハァと肩で息をするセシルはぎらりと狙撃者の目になり、髪を乾かすのもそこそこに衣服を着用した。

(見られた…ッ!殺す!殺すしかッ!)





「うむ、カトリ殿、そこはオリーブオイルでは無くてポン酢を使うと良いのでござるよ」
「…でもこれパスタ…」
「そこはそれ、アマツ風紫蘇風味でござるからな。洋の東西を問わずに探究心というのは大切でござる」
「それじゃ…こっちのお魚も…」
「ただの塩で焼いた後に、というのがあちらの流儀でござるが…バター焼きにしても美味かったでござるよw」

 『産地直送!世界の味めぐり』と書かれた分厚いガイドブック。
それを見ながら二人はあれこれと料理の話をしているところだった。
暗殺者として世界を放浪していた事があるのか、エレメスは意外にも各地の料理について詳しい。
主に食べることが専門のカトリーヌも、彼の興味深い体験談を交えた料理の話に
涎こそ垂らしはしなかったものの、無表情の中にも瞳を輝かせながら聞き入っていた。

「面白いのがこのホードの網焼きでござる。一見グロい外見でござるが、意外に肉厚で美味、
 珍味の王様でござる。砂漠ではフリルドラの次に貴重な蛋白源として…」

 ゴクリと喉を鳴らして、じっとエレメスの話に聞き入るカトリ。
傍目から見ると恋する少女の様に見えなくも無い。
エレメスの話によって紡がれる、夢のような食材の世界旅行はしかし、無粋なノックと共に破られるのだった。

――コンコン

 少しだけ不機嫌な面持ちで玄関にカトリーヌが向かう。
扉を開けた外には

「「あの、すいませんカトリーヌさん。兄貴がお邪魔してませんか?」」

 同時に二人の少女がドアを開けた彼女を出迎えた。

「エレメスなら…いるけど…」

 アルマイアとヒュッケバインを中に招き入れると、エレメスはキョトンとした顔で二人を見渡した。

「おや、アルマ殿にトリス、どうしたでござるかこんな時間に?子供はもう寝る時間でござるよ」

「おにい…兄貴こそこんな時間にカトリさんの部屋で何してんのよ。マーガレッタさん一筋じゃ…って
 そうじゃなくて、ハワードさんがここに――来てないみたいね、無事そうだし」

 ハワードという単語が出た瞬間、エレメスの表情が何か怯えた物を含んだ気がしたが、
まだ実質的な被害は出ていないと踏んでトリスは安堵した。

「私の兄、何か様子が変だったんです。まるで何かに憑かれたみたいで…」

「…ハワードが変なのはいつもの事…」

 カトリーヌが口を挟んだが、アルマイアは気にせず続ける。

「いえ、いつも変なのは重々承知してるんですが、それにしてもなんかこう、
 いつもは爽やかなのに、今日はなんだか粘着っぽいような暗黒っぽいような…?!」

 そこまで言った時、アルマイアの瞳が窓の外に固定され、恐怖に身体が凝固する。
様子の変化に気付いた全員がそちらを振り返ると―――いた。

 窓の外に、猛獣とも猛禽とも違う、生ける者ではありえない、瞳孔が完全に拡張した瞳。
闇に溶けるその身体が、ゆっくりと窓からの明かりに照らされてその姿を現す。
引き締まった鋼の筋肉をはだけた胸元、両手をだらりと下げて、口からは何故か蒸気のように
絶え間なく煙が噴出している。
 闇色に光る双眸を、中にいるエレメスに釘付けしたままゆっくりとガラス窓に張り付く。
ぴったりと指紋まで写るほどに窓を手のひらで押し、その指先が軽く白く変色したかと思った瞬間。


ぴしり


ぴしり


 音を立てて放射状にヒビが広がってゆく。
まるでスローモーションのワンシーンが訪れたかのように、彼らは動くことも出来ず
彼らと"それ"を阻む障壁が崩壊する音を聞いた。

じゃり、じゃり、と粉々に砕け散った破片を踏みしめ、それはエレメスにゆっくりと近づき、
そして手を伸ばし彼の肩に触れようとした。

「…ハワード、めっ」

 カトリーヌの指先から迸った冷気が巨体のホワイトスミスを氷漬けにする。
カリツォ…フロストダイバーの凍結効果により動きを止られ、それはそのまま動かなくなる。
 我に返ったエレメスは、はっとしてカトリーヌの後ろに隠れてガタガタブルブルと震えだす。

「ハワードコワイハワードコワイ…いやだよ…そんなところに入んないよ…」

 あまり見たくない自分達の兄の醜態を目の当たりにして、二人の少女は大きく溜息をついた。

「アニキ…哀れな、言葉まで無くしたか」
「ちょっ、兄貴!カトリさんが迷惑してるでしょ!離れなさい!」

 可愛そうな物を見る目つきで氷像を眺めるアルマと、確実に自我崩壊を起こしかけている暗殺者の
裾を引っ張って、美貌の魔術師から引き剥がそうとするトリス。

「…でも…ハワード本当に…変…どうして…?」

 小首を傾げながら思案する彼女の思考に、声が割って入った。

「「お答えしよう!お嬢さん!」」

「…ラウレル…何してるの。」

「あー、まぁそのなんだ。カヴァクの奴がどうしてもって言うからな…」
「人のせいにすんな。魂喰らって変な反応したハワードさんが面白そうだ見に行こうって言ったのお前だろ。」

「「「「あ。」」」」

 全員がその理由を聞き、思い当たって納得した。
ソウルリンカーの魂スキルというものは、かつて存在していたその職最強と呼ばれた者の魂を
強制的に対象へと宿らせる技術である。
そして、ブラックスミスの過去最強と呼ばれる者は…他ならぬこの人、ハワード=アルトアイゼンなのである。

「兄貴は自分と同じ精神が身体に宿って、一時的に自我崩壊して本能で動いてたわけね」

 得心がいったという風に腕組みをしてうんうんと頷くアルマ。

「ほ、本能で追いかけられても困るでござる」

 妹によってカトリーヌから引き剥がされたエレメスが立ち直って呟く。

「とりあえず、ここは俺に任せてくれ」

 ラウレルはそう言うと、懐から何やら魔導書のような分厚い本を引っ張り出して開くと左手で抱え、
右手を氷漬けのハワードに手をかざした。
 ぶつぶつと何事か呟くと、ラウレルの右手から蒼い閃光が柔らかく広がってハワードを包む。
光が徐々に霧が晴れるようにして薄れ、消えると、そこには何故か両手の指を腹筋の辺りで組んで
さながら棺桶に入った死体のような格好で、仰向けに穏やかな顔つきのハワードが寝そべっていた。

「うっわ…なんかキモ…」

 他の誰も思っても口にしなかったのに妹に言われる始末。

「…ん?あれ?なんだ皆して?ここは、カトリの部屋か?
 確か俺は侵入者と戦ってて…ってあれ、記憶が無いな…」

 遠巻きに恐々と見守る周囲の心配?をよそに、ハワードはいたって元気そうに言った。

「ってあれ、もうこんな時間か。おいアルマ、さっさと帰って寝ないと駄目だろう。
 皆もそろそろ引き上げないと明日が辛いぞ!」

 騒ぎの張本人に言われたくは無いのだが、各々余りにも疲れていたので、結果その言葉通りにすることとなる。
憮然とした面持ちの友人達を尻目に、爽やかに、白い歯を見せて意気揚々と引き上げるハワード。

「いやぁ、それにしてもなんだか気分がいいな!寝るのが惜しいくらいだ!」

 カトリの部屋の入口を開け、ハワードが一歩表に出る。

「おや?セシルじゃないか。お前も遅くまで起きてないで早く寝ろよ!」

 ハワードは気が付かなかったようだ。
セシルが、かつて無い程に怒気を漲らせている事に。
明確なる殺意を自分に対して向けている事に。



その夜、滅多に聞くことの出来ないハワード=アルトアイゼンの絶叫が闇に木霊した。







――おしまい
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