引きつった笑顔のホワイトスミスの男と、その逆に眩しい自然な笑顔の商人の少女が向き合っている。
 片方は自分。もう片方は、忘れるはずもない。
 友の剣を鍛えるために槌を振り、時には武器を握って闘った逞しい腕。
 動きやすさを重視したラフな格好。

「あのな、アルマ。そろそろ俺の財布がだな……」
「どうせお兄ちゃんはメマーにしか使わないでしょ」

 ギターのように感情が表に出やすい声。
 困りながらもその瞳は優しさに溢れている。
 大好きだった声、仕草、汗の匂い。
 彼のために立てた誓いも、信念も、努力も。

 全部、無くなってしまった。

――――――――――◆――――――――――

 振り下ろされた斧は、目標から僅かに外れて――否、外されて――やかましい金属音を奏でながら床に突き刺さった。

「っつぅ……なんなのよ。いきなり斧振り回してくるばk……可愛い女の子!?」

 斧の一撃を受け流したのは、腰まで蒼い髪を伸ばした、外見年齢十歳程度の少女。
 反撃しようとして踏みとどまったのか、妖しく輝く刀が上段に構えられたままの状態で静止している。
 人形のような、と形容するに相応しい大きな可愛らしい目が、驚愕に見開かれている。
 惰性で斧を振り続けてきた金髪の少女は、そんな特徴的な相手の姿など気にも留めなかった。
 床に突き刺さった大斧を引き抜こうと、なんとか踏ん張っている。
 早くこの斧を引き抜いて、友を穢す不届き者をこの手で抹殺しなければ。
 そう思うだけで、柄を握る手に力が篭る。早く、殺してしまおう。
 そう思っても、なかなか抜けない。思い切り振り下ろしたのが原因だろうか。
 彼女が――大斧を振り回してこの広い研究所内を徘徊していた彼女が――いくら力を入れても、斧は床に突き刺さったままビクリともしなかった。

「大丈夫? えらく真っ赤になってるけど」
「ッ!!」

 殺そうとしている相手にさえ心配されるほどだったらしい。
 いつの間にか後ろから覗き込んできていた剣士の少女に気付いたのは、本人に声をかけられてからだった。
 危険な状況だと判断し、斧をひとまず放棄して距離を取る。
 ノイズだらけの思考を何とか抑えて、目の前の剣士を排除する方法を考え始めたそのとき

「危ない!!」
「え……?」

 敵だと認識していた剣士の叫び声が響き、金髪の少女は黒い影に覆われた。
 振り返った時にはもう遅い。既に、鋭い切っ先が彼女の目の前に突きつけられている。
 髪の毛の先端から足のつま先まで完璧に再現された、友を侮辱する人形が、虚ろすぎる瞳でそこにいた。

 時間にして一秒にも満たないであろう瞬間が、彼女には酷く長い時間であるように感じられた。
 ズブり、と嫌な音を立てて、肉を裂きながら刃が侵食してくる。
 グラり、と世界が歪み、虚ろな人形の姿が滲んだ。
 世界がフェードアウトする。毎日訪れる、『強制的な眠り』の感覚。

 これが死なのだろうと、朦朧とする意識で理解したとき、彼女――アルマイヤ=デュンゼの体は弾け飛んだ。

――――――――――◆――――――――――

 赤い表紙の、分厚い本だった。

「ぎゃー!! こらてめ! 離せええええ!!」

 それは、人一人が生活できるほどの家具が揃った部屋にあった。
 何故か打ち捨てられたはずなのに整えられたベッドと、清潔感ばっちりの壁でカチカチと静かに時を刻み続ける丸い時計。
 それは、本棚の隅に置かれた、一際異質な空気を放つ、赤い表紙の、分厚い本……だった(・・・)
 鋭い牙を剥いて、外界からやってきた侵入者の左腕にかじりついているのは、赤い表紙の、分厚い本……だった何か(・・・・・)
 ライドワードと呼ばれる魔物は、本に悪しき何かがとり憑いたものだと言われているが、その表紙は闇色に染め上げられてしまう。
 ならばこの獰猛きわまりない本はいったい何者なのか。それを思考する前に、ラールの脳は『痛い』という情報で埋め尽くされてしまった。
 動脈まではたどり着いていないのか、出血はそれほど多くないが、それでも痛いものは痛い。

 冴える金色の髪と、猛禽類のような同色の瞳。
 かつて対峙してきた相手で、彼の全身からにじみ出る猟奇的なオーラに圧倒されなかった者は両手の指で数えることが出来るくらいだった。
 黒の法衣を身に纏った黄金の屠り手。そんなありがたくない通り名までついた彼の腕に、噛み付き、絶叫させているのは赤い本。

 段々と血が引いて顔面蒼白になりつつも、腕をブンブンと振っている。
 だが、しっかりと食い込んだ牙は、腕が暴れれば暴れるほど深く差し込まれていく。
 退魔の力を宿した法衣さえ貫通して、腕の肉を食いちぎろうと。

「ふむ。おぬしもなかなかタフじゃな」
「突っ立ってねーで助けろジジイ!」
「やれやれ、目上の者に対する礼儀を教わらなかったようじゃな」
「だー!! 助けてくださいお願いしますコンチクショー !!」

 真っ青になって叫んでいるラールとは対照的に、体術家の老人はまだまだ余裕の笑みを浮かべている。
 いい加減、この野蛮な聖職者の叫び声を聞き続けるのも疲れた。一つ、恩を着せておくのも一興か。
 先ほど、死人達をなぎ払う際に使用した本を取り出し、再び古の言葉を紡ぎ始めた。
 厳かに、低い声で。独特の律動を刻みながら。

――悠久を駈ける風よ、刹那の時に集え

 盲目であるにもかかわらず、書に記された文字を読んでいるかのように。
 いつの間にか宙に浮いた書を見つめ、見えざる力で頁を捲っていく。
 捲られた頁は書の本体から離れ、その力を引き出さんとする者の周りを回り始めた。
 電撃のような火花を放ち、本体から離れた書の欠片は老人の頑丈な足へと収束していく。
 バチバチと穏やかでない音が響き、年老いた体術家の足が蒼白い電撃を纏った。

「乾いた風の書 第二章 紫電一閃!!」
「イっ!?」

 最後に、収束した書の力を解放するキーとなる言葉を高らかに叫んだのと同時に、ラールの腕に激痛が走った。
 ボロボロの腕に治癒魔術をかけつつ、情けなく地に落ちた赤い本を眺めた。
 腕が上空へ引っ張られる感覚があったことから、老人は噛み付いてきた本を蹴り上げたのだろう。
 蹴りの軌道は愚か、それに移るモーションすらも全く見えないほどの速さ。
 きっとこの老人は空気摩擦なんてものを簡単に無視できてしまえるに違いない。
 マスターを始め、ギルドの仲間達は皆このような奇人変人の類であったから、ラールはさほど驚かなかった。
 そんな些細なことよりも、腕の痛みが気になる。傷は塞いだが、そこから先の感覚がまだ完全に戻らない。
 何度か握ったり開いたりしているうちに、血行が正常に戻ってくる感覚があった。

「ったく、なんなんだよ。そのデンジャラスブックは。
 面倒なんだぞ、法衣縫い直すの」
「まあ、野良犬に噛まれたとでも思って諦めるが良かろう」
「そりゃ違ぇだろ……って、おい爺さん、後ろ」
「む?」

 とうの昔に光を失った老人は、振り向く必要などない。
 だが、次の瞬間、彼は驚き振り返らざるをえなかった。
 盲目であるが故に、敵の位置を気配だけで探れる彼が、全く気がつかないうちに、それはいたのだ。

 ラールが指差した先のベッドに、金髪の少女が眠っていた。

――――――――――◆――――――――――

       『友よ安らかに』

――――――――――◆――――――――――

 表紙にNと書かれた赤い本 五十二頁 『魔導回路Y-Rの致命的なバグ』

 既に人間への応用も完了した魔導回路Y-Rだが、ある致命的なバグを抱えていることが判明した。
 分解と構築の間に何らかの処理が入っているかどうかは定かではないが、分解だけ行われて構築が行われない事例がいくつも報告されているのだ。

 研究所が廃棄された今になってようやく原因が判明した。
 だが、もう心無き者達にこの邪悪な回路を使わせぬために、私は不完全なままの形で魔導回路Y-Rの情報を破棄することにした。

 というのも、バグの原因がもはや『神の領域』に踏み込んだものだからである。
 これを完成してしまえば、彼らはこの世界で『神として』振舞うことが出来てしまう。
 連中の目指すところは『神への挑戦』。当然、この回路を使わない手はないだろう。


 しかし、バグを発見する際の理論自体が神がかっていて私自身も興奮を隠せない。
 今更誰に許しを乞うわけではないが、人の手に余るこの理論を残さずにはいられないことを許してほしい。

 これ以降は黒く焦げてしまって読めない。





――――――――――◆――――――――――

 以下、作者のつぶやき

 毎度毎度独りよがりな文章で申し訳ない。のんびりと書いてる作者です。
 感想が欲しくないと言えば嘘になるのだけど、スレの雰囲気に合わないと思い、報告は控えてきました。
 今後も報告はしない方針で行きます。
 全部終わって、面白いと感じる人がいたなら自然と話題に上ってくれるでしょうし、そうでなければまた次の作品に力を入れるまでです。

 そんなわけで、まだまだ全然終わりも話の方向性も見えない作品ですが、何とか完結できるように頑張るのでよろしくお願いします。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送