マーガレッタは極度の欲求不満状態に陥っていた。
というのも、セシルが体調を崩しているために自身の最大の楽しみが奪われているのである。
時刻は深夜。いつもならセシルの部屋に上がりこみ、第2ラウンドに入る時間である。
ちなみに第1ラウンドは風呂だが、セシルが風呂に入ってこなかったためそちらも実行できていない。
数ヶ月前ならここでカトリーヌという選択肢もあった。実際、今日の風呂ではカトリーヌをいじり倒している。
セシルほど激しい反応があるわけではないが、
のぼせかけたカトリーヌの赤く染まった肌というのもまた乙なものだ。
しかし今、カトリーヌの部屋に飛びこむ度胸はない。
この数ヶ月のハワードに対するカトリーヌの態度、あるいは逆もそうだが、
今頃部屋で何をしているかわからない。ともすればナニをしているかもしれない。
攻める側に回ったカトリーヌというのもそれはそれで鼻血ものなのだが、
その図を想像するたびにハワードが意識に入ってくるので不愉快なことこの上ない。
・・・などと聖職者にあるまじき卑猥な空想を並べ立てながら、
マーガレッタはエレメスの部屋に向かって歩いている。
部屋のドアを開けて飛びかかってきたところにLAHLでも撃てば少しは気も晴れるだろうかと、
なんとも理不尽な理由からそういう結論に至ったのである。


「エレメス〜? ちょっといいかしら〜?」
できるだけ甘ったるい声で、エレメスの名前を呼ぶ。ノックは不要。声だけで十分。
代わりにドアから3メートルほど離れ、LAの詠唱に入る。
「・・・マーガレッタか?」
マーガレッタは舌を噛んだ。もちろんLAの詠唱は完了していない。
声はたしかにエレメスだが、しかしおかしい。異常だ。何かが間違っている。
今エレメスは自分のことをマーガレッタと呼んだ。
自分が想定していたのは、「夜這いでござるか姫wwwww拙者感激でござるwwwww」などと
叫びながらルパンダイブで突っ込んでくるエレメスであり、
そこにカウンターでLAHLを叩き込むつもりだった。
「えぇっと・・・お邪魔してもいい〜?」
ろれつが回っていない気もするが、気が動転したせいにしておこう。
「ああ、大丈夫だ。入ればいい」
なんということだ。エレメスが自分に許可を与える形で喋っている。
これはきつく灸をすえてやらねばなるまいと、
わずかに開けたドアの隙間に体を滑り込ませると同時にマーガレッタはLAを唱えた。

「隣でセイレンが寝ている。もう少し静かに入れ」
「ホーr・・・!!」
HLのリを言いかけたところで、マーガレッタはまたもや舌を噛んだ。
こんな馬鹿なことがあっていいのか。いや答えはノーだ。断じてノーだ。
「エレメス、ちょっとそこに座りなさい」
「俺はもう座っている。マーガレッタも飲むか?」
高圧的に出てみたが、あっさりと返された。
ちゃぶ台に置かれた、ウイスキーの瓶と氷の浮いたグラスに目をやるマーガレッタ。
そうか酒か、酒の力を借りているのか。
しかしこのままウイスキーをちゃぶ台もろともHLでぶっ飛ばしてしてしまうのはあまりにも惜しい。
聖属性攻撃で殴り倒すのは飲んでからでも遅くはないだろう。別に明日の朝でも構わない。
酒好きかつ平気で暴力を振るう聖職者というのも困ったものである。
「・・・私も、いただきますわ」
エレメスと向かい合うようにして、マーガレッタは正座した。
確かな足取りで、棚にあったグラスを取り出すエレメス。
別に前後不覚になっているわけではないらしい。
「ロックでいいか?」
うなずくマーガレッタ。さてこれからどうしたものか。そう考えている間にもウイスキーが注がれる。
とりあえずこれを片付けよう。まずはそれからだ。
「・・・おいしいですわ、このお酒」
「みんなに飲ませるには惜しくてな、ずっと部屋に置いてたんだ」
そう、たしかに酒はおいしい。エレメスが惜しいと言ったのもうなずける。
だがこの違和感はどうだ。一人称は俺。二人称はマーガレッタ。
語尾のござるとwは見事に落ち、整った顔立ちにグラスがよく合う。
ふと自分が雰囲気に飲まれそうになっていることに気づき、酒を口に含んで気合いを入れ直す。
「ごめんなさいね、大事なお酒ですのに」
腕を組んで両肘をちゃぶ台につき、体を前に倒す。
ただでさえ自己主張の激しいマーガレッタの胸がさらに寄せて上げられる。目線はあくまで上向き。
「誘ったのは俺の方だ、謝ることはない」
エルメスの口元がわずかにゆるむ。まずい、逆にカウンターをもらってしまった。
しかし守りに入るのはプライドが許さない。攻めの姿勢を貫くことにする。
「マーガレッタ?」
ボトルを掴もうとしたエレメスの手に、自分の手を重ねる。
「私が、注ぎますわ」
「・・・ありがとう」
礼の言葉に心がぐらつくが、まだ自分のターンは終わっていない。膝を崩し、エレメスに近づく。
服のスリットからふくらはぎからももまでが露わになるが、これも計算ずくだ。
「どうぞ」
これではホステスもいいところである。聖職者の肩書きが泣いている。
膝を崩したままにしておいたので、今度はエレメスの視点の方が高い位置にある。
エレメスが自分の顔を見ようとすれば必ず胸が視界に入る。
そしてそのすぐ下にはむっちりとしたももが控えている。これでもかこれでもか。
「ありがとう」
エレメスはそれだけ言うと、グラスを口に持っていった。
その横顔がまた絵になる。斜め下から見ているせいか余計に絵になる。
だいたい、黙っていればエレメスは魅力のある男性なのである。
口を開くとネタにしかならないのが不思議なぐらいだ。
などとつい考えてしまうことからもわかるが、
マーガレッタの懸命の努力は今のところ全く実を結ばず、流れは完全にエレメス側にある。
まさかハワードに掘られすぎたためについにホモに堕してしまったのだろうか。
なお、堕して、という言い方が適当かどうかという話については今は触れないことにする。
「あら・・・少し酔ったのかしら・・・」
などと心にもないことを言い、エレメスに体を預ける。
しかしエレメスの方が酒には強い。時間が経てば経つほど不利になる。
自分が酒を控えてエレメスにどんどん注いでやればよさそうなものだが、
これほどの酒を飲ませるだけというのもそれはそれで我慢がならないのである。
「・・・明日に残すなよ」
こくり、とマーガレッタがうなずく。口は閉じたままであえて声は出さない。
他ならぬカトリーヌの真似である。二番煎じではあるが火力としては小さくない、はずだ。
自分の現状を確認するため、グラスに手を持っていきながら視線を滑らせ
壁に立てかけられていた姿見を見てみる。
さっきからどうも体が火照っていると思っていたら、顔も赤くなっていた。
まさかこの程度で酔いが回るとは。しかしここまできて引き下がるのは実に悔しい。
相手はエレメスなのだ。姫wwwwwなどと言いながら駆け寄ってくるエレメスなのだ。
マーガレッタが意地になる原因はそこにある。
「・・・エレメス」
さらに体を傾け、顔を近づけていく。間隔はせいぜい拳三つ分といったところだろうか。
ともすれば息が直接かかりかねない距離である。だが、エレメスは表情を崩さなかった。
いつものへらへらした笑顔とは全く異なる、射抜くような冷たい瞳と、引き締められた口元。
こんなエレメスを見たのは別に初めてというわけではない。
しかし見たのはいずれの場合も戦場だった。それも生き残れるかどうかの瀬戸際に入ったときだけである。
あるいは、酒でも飲まないとやりきれないようなことがあったのだろうか。



―― え?
「・・・んっ!」
マーガレッタの意識がエレメスの表情に集中したその時、
エレメスの右手がマーガレッタの後頭部に伸び、一気に引き寄せた。
「むっ・・・んんっ!」
息ができない。唇をふさがれた。体を離そうと腕に力を入れるが、全く動かない。腕力では、相手の方が上だ。
「んくっ・・・ うん・・・」
意識が白飛びして、何も考えられない。マーガレッタの体から、力が抜けていく。

「エレメス、あなた・・・」
「あれだけ誘っておいて、その反応もないだろう」
エレメスが気障に笑った。セイレンにもハワードにもできない、エレメスだけが作ることのできる表情。
「誰の差し金かは知らないが、・・・いや、セシルやカトリーヌがお前を焚き付けることはないか・・・」
その言葉は耳には入らなかった。ただ放心状態で、へたりこんでいた。
キスの経験はあった。ただ奪う側に立つことはあっても奪われる側に立つことはなかった。
しかも奪われた相手が、目の前の、この男だとは。

「ま、遊びも程々に――」
エレメスがそこまで言って言葉を切った。マーガレッタの頬を大粒の涙が転がり落ちていく。
顔はもちろん耳まで真っ赤にして。こちらは正真正銘、今まで誰にも見せたことのない表情である。
「姫っ!? 拙者は・・・いやっ、そのっ・・・」
酔いが一瞬にして覚め、体から血の気が引いていく。ボトルを一気に開けたのはやはり間違いだった。
素早く脚を組み替えてあぐらから正座になおり、エレメスは額を床にこすりつけた。
一人称は拙者に、二人称は姫に。いずれも、いつものエレメスに戻っている。
「申し訳ないっ!! 調子に乗りすぎたでござる!! 拙者どのような叱責も受けるゆえ――」
「・・・エレメス」
「ははっ!!」
次に飛んでくるのはLAHLの連打か聖属性攻撃のラッシュか。
いずれにせよ三途の川は覚悟せねばなるまい。ただ川のどのあたりに投げ込まれるかの違いである。
「・・・顔を、上げなさい」
言われた以上、そうするしかない。歯を食いしばりながらエレメスは顔を上げた。

マーガレッタの涙は顎にまで伝っていた。
しかしその口がLAを詠唱することはなく、その拳から聖属性攻撃が放たれることもなかった。
エレメスは体を硬くしていた。マーガレッタの手のひらが、ゆっくりと降りてくる。
ああ、零距離HLだったか。それは頭になかった。
マーガレッタの右手が頬に触れ、首に向かって降りていく。
さて、よしんば今夜を生き長らえたとしても、明日からどうやって生きていこう。

「・・・あなたは、どうだったのですか?」
「はっ!?」
二人の声のトーンは全く違っている。慌てるばかりのエレメスと、泣きながらも静かに話すマーガレッタ。
「あなたも、遊んでいたのですか?」
「姫、あのような狼藉をはたらいたこと、どのように詫びればよいか・・・!」
「エレメス、答えて下さい」
マーガレッタの声が震えている。当然だ、泣いているのだから。
「・・・いつも姫にからかわれているゆえ、たまには・・・などと考えたのでござる・・・。
 それがあのような行動に・・・」
手を振り切り、頭を叩きつける。生き残れたら、しばらく酒は控えよう。生き残れたら。
「そう・・・ですか・・・」
エレメスははいつくばって、沙汰を待っていた。


「・・・ごめんなさい」
信じがたい言葉に、エレメスは思わず体を起こした。
マーガレッタは笑っていた。暖かい、母性の結晶のような笑顔。
何度も見てきた表情である。頬に光るものがあることを除けば。
「姫・・・?」
「私の負けですわ」
そう言って、マーガレッタは立ち上がった。正座をしたまま、見上げるエレメス。
「本気にした方が負け、という遊びだったのではなくて?」
耳を疑った。本気にした方が? 私の負け? ・・・そんな馬鹿な。
「姫、それはどういう・・・」
「ふふ、それを聞くのは野暮というものですわ。お休みなさい、エレメス」
「お休みでござる、姫・・・」
マーガレッタは踵を返して歩き始めた。その背中を、呆然と見つめるエレメス。

「そういえば、罰ゲームを忘れていましたわ」
扉のドアノブに手をかけて、立ち止まり、振り返る。
「いや、拙者そのようなものは・・・」
「なにがいいかしら・・・」
困惑するエレメスをよそに、マーガレッタはいかにも楽しそうにあれやこれやと思案している。
「そもそも、罰ゲームは勝った方が決めるものでは・・・」
「そうですわ!」
エレメスの意見はあっさりと無視され、マーガレッタはぽんと手を叩いた。
「明日一日、私のことを姫と呼んではいけません。もし呼んだら、一回ごとに聖属性攻撃三回。
 それでいいかしら?」
「わ、わかったでござる」
「ああ、言い忘れていましたわ。ござる、とも言ってはいけません。こちらは一回ごとにLAHL三回」
「ひどいレートでござるな・・・」
ござる、という単語に反応し、マーガレッタが右手をエレメスに向けた。
「ま、待つでごz――ぁぁぁぁぁ待つんだ、ひm――マママーガレッタ」
「エレメス、立ちなさい」
「は、はひっ」
正座したままで飛び上がり、そのまま直立するエレメス。
つかつかと歩み寄るマーガレッタだが、顔は笑っていた。
「・・・わかりました?」
「よぉーく、わかりました」
「なら、いいですわ」
マーガレッタは再び部屋の出口に向かって歩き始めた――そうなると、エレメスは考えていた。

だが、こういうときの予想というものは往々にして裏切られるもの。
エレメスの腰と頭に細い腕が回り、唇に柔らかいものが押しつけられた。
奪うような強引なものではなく、与えるような優しいもの。
「・・・マーガレッタ?」
「・・・・・・今度は名前で呼びましたね、合格」
もう一度力を入れてエレメスを抱き寄せてから、マーガレッタは背中を向けた。


「お休みなさい、エレメス」
「・・・お休み、マーガレッタ」
涙の跡のついた笑顔に気障な笑顔を向けながら、エレメスはマーガレッタを見送った。
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