「ソニックブローでござる」

 迷彩によって相手に気付かれる事無く接近し、彼はそう叫んだ。
両手に携えた研ぎ澄まされた鋭い穂先。一点の曇りも無い刃が、侵入者の首筋を、
喉元を、胸を、視界が真っ赤になるほどに血飛沫を糸引きながら切り刻む。
 物言わぬ骸となった"それ"を口元だけで嗤って見下ろし、彼は再び周囲の景色と同化した。

 彼は常に孤独だった。
物心ついた時には既に両親はおらず、暑苦しいゴミゴミとした街中の孤児院にいた。
孤児院と名はついていたものの、国から補助金を得る為だけにみなしごを集めただけという
酷い施設で、正しくそこは収容所と呼ぶに相応しい環境だった。
 金が目的の職員達には、当然ながら親無し子達を慈しみ、育てるなどという理想は
端から持ち合わせておらず、専ら自分達の欲望や暴力の捌け口として彼らを扱った。
 形だけの厳しい戒律が定められ、それを少しでも破る子供には容赦なく罵声と暴力が浴びせられた。
 閉鎖した社会で厳しい罰の存在する戒律に縛られると、人は人を二種類に分けて認識するようになる。
即ち"敵"か"味方"か。
そしてその区分けは集団の中でコロニーのように多数発生し、別のコロニーを敵として見るようになる。
唯一共通の敵であるはずの職員への密告、賄賂が横行し、スラムと富裕層の構図が
そのまま縮小されたかの様な社会が形成されていた。
 彼もまた、例外無く一つのコロニー―――彼らは自分達を兄弟と呼んでいた―――に所属していた。


「おい、貴様今何と言った?」

 端整な顔つきに鋭い視線を乗せ、少年は一人の兄弟を睨んだ。

「そう睨まないでくれよ、エレメス。彼女を差し出せば俺たちは俺達は解放されるんだぜ?
 あのロリコン職員に妹を差し出すのは気が引けるが、他の兄弟皆がここから脱出できるんだ。」

 発端は別のコロニーからの情報だった。
ある一人の職員に少女の幼い体を差し出せば、その見返りとして出入口の鍵を
密かに貸し出してもらえると言うのである。
 そういえばふた月程前に、4人の孤児達が脱走を図るという事件があった。
逃げ出したうちの二人はまだ連れ戻されておらず、戻ってきたはずの二人も姿を見ていない。

「確実に逃げられるという保証は無いし、連れ戻された奴等がどうなったか聞いてないわけないだろう?
 それに!あの変態野郎に妹を―――」

「落ち着けよエレメス、何も取って食われるわけじゃないんだ。
 彼女さえ我慢してくれれば俺達全員が自由を手にできるんだぞ?
 俺は、いや、俺達はもうここの暮らしはウンザリなんだよ!
 職員の顔色を伺い!暴力に曝され!チクりに怯え…もう、ウンザリなんだよ……」

 段々口調と目の色に力を失い、同じ言葉を繰り返す。
年上の兄弟である彼の気持ちが痛いほど理解できてしまうエレメスには、
それ以上何も言うことが出来なかった。


 それからきっちり7時間後、彼は妹を、10に満たない、血の繋がらない妹を連れて廊下を歩いていた。
足の向く先は、職員の当直室。交代制で勤務する職員の、夜間の詰所となる。
手を引かれて歩く少女は、信頼を寄せる兄の行動に疑うことも無く付いてくる。
振り返ってしまうとその無垢な瞳に決意が揺らぎそうで、黙々と、怒った様に歩を進めた。

「おぉ、良く来たな。さぁ入れ」

 平素の鬼のような形相からはかけ離れた柔和な笑顔で、幼女嗜好の男は彼らを部屋へと招き入れた。
そのまま後ろのデスクから、ごつい鉄製の鍵を持ってくると、エレメスに手渡した。

「言っておくが、俺は何も知らんからな。巡回に出た際、子供が部屋に忍び込んで
 入口の鍵を盗んでいったとしても、定刻の業務をしていた俺にはあずかり知らぬ事だからな」

 責任逃れの為の釘を刺し、男はエレメスの背後に視線を移す。
エレメスが手を離し、妹を―――職員に―――引き渡す―――



 彼女がこの孤児院の前に捨てられていたのは、5年前の冬だった。
両親の最後の情か、手袋、防寒着にマフラーといった、この界隈では割と恵まれた出で立ちで、
巨大な門の前で何をするでもなく立ち竦んでいた。
 最初に彼女を発見したのは、その日の庭掃除当番であった他ならぬエレメスだった。
格好から初めは捨て子だと気付かなかったが、庭の清掃が終わってもそのままだったので、
門の内側から声を掛けた。
―――どうしてそんなところに立っているの?君のお母さんは?
―――おかあさんが、ここにいなさいって。おともだちがいっぱいできるからって
 職員に連絡すると、面倒くさそうに鍵を開けて彼女を中に入れ、エレメスに押し付けると
自分はさっさと引き上げていった。
―――おにいちゃんは?おともだち?
―――…あぁ、そうだよ。他の友達も、兄弟も沢山いるよ。君の名前は?



 職員が背中を向けて、早く行けと後ろ手を振った瞬間。
脇にあった鉄製のモップを素早く掴み、男の後頭部を目掛けて、全力で振り下ろした。
ごきん、という鈍い音がしたかと思うと、おぉ、とかあぁ、とか何とかうなり声が男の口から漏れ、
口から泡を噴いて巨体はうつぶせに倒れこんだ。
 自分でも驚くほどの冷静さと敏捷さで、すぐに妹の手を掴み、当直室から飛び出した。
そのままの勢いで妹を引きずるようにして廊下を疾走し、兄弟達の待つ正門へと向かった。
既に門の前で待っていた兄弟達は、妹の姿を見ると一瞬目を瞠ったが、すぐに状況を察したのか
何も言わなかった。
 重い扉を数人がかりで引き開け、思い思いに散り散りになって走り出す。
誰も、どこへという目的を持ってはいなかった。
ただ、ここから逃げたい。その一心で、解き放たれた篭の鳥の様に飛び出した。
 近くにいたのではすぐに連れ戻されてしまう。どこか、この街では無いところに逃げなければ。
妹の手を引き、エレメスは街の南を目指した。
 
 小高い丘を越えると、眼下には長い金属製のフェンスが張り巡らされていた。
子供特有の身軽さをもってよじ登り、反対側に出る。
今までの手入れされていない草地とは打って変わり、人工的な芝生が植えられたエリアに侵入した。
 月明かりに照らされた敷地内には、沢山の倉庫らしき建造物が立ち並んでいる。
その中から、シャッターが半開きになっている所を見つけて潜り込んだ。
 恐らくは、運搬待ちの荷物だろうか。木箱が沢山並んでいる。
その中から、人が入れそうな隙間の空いている箱を選び出し、もぐりこんだ。
 行き先を確認するべきだったかもしれない。エレメスが入り込んだ箱はモロク行き、
少女の入り込んだ箱は―――箱には次のような伝票が付けられていた

『リヒタルゼン レッケンベル本社地下研究所行き   品名:実験サンプル』(天地無用)




 冷静に考えると、子供の身一つでまともに生きて行けるわけがない。
モロクのとある酒場に運び込まれた箱から抜け出した彼の行く先は、
スリ、窃盗を経て裏家業に身をやつす、孤児の行き着く典型的な道順だった。
 7年の歳月を費やし、裏で生き抜く術を身に付けた彼は、いっぱしの暗殺者となっていた。

「…ギルドの鳩か。仕事の依頼か?」

 子供の頃の眼光をそのままに、音も無く現われた覆面の女に問う。
女は何も言わずに一つの封筒をテーブルに置くと、酒場から出て行った。

(レッケンベル地下研究所の調査…か。リヒタルゼンだな、二度と戻るまいとは思っていたが)

 封筒を灰皿に乗せ、マッチで火をつけて燃え尽きるのを確認してから
勘定を済ませて酒場の扉を出た。
 砂漠の星空は、いつでも憎らしいほどに満天だった。
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