*飲酒は20歳を過ぎてから。お酒はなによりも適量です。
            ――某製造販売業者の酒類パッケージより




「せにあーーー、せにぅぁはいるかーーー」

部屋の中に転がり込んできた物体とその物体が発する音声に、セニアは自分の目と耳を疑った。
それはTシャツに短パンというあられもない姿の、もと彼女の兄だったものだった。
いや今現在も彼女の兄ではあるのだが、セニアの感情がそのことを認めようとしなかったのである。

「あ、兄上っ!?」
転んだ拍子に肩をかなり強く打ったようだが、痛がるそぶりはない。
セニアは驚きのあまり、叫ぶことしかできなかった。




話は少し前にさかのぼる。

ハワード、エレメス、カトリーヌの3人は、一升瓶を囲んで座っていた。
5本ある一升瓶は、うち空になったのが2本、半分ほど中身の残ったのが2本、9割がた減っているのが1本。
カトリーヌとハワードはすでに一升瓶を開けていた。エレメスも次の一杯で開けるだろう。
彼らは一様に大酒飲みである。特にカトリーヌはザルそのもので、
顔は紅潮しているもののいつもと様子は変わらない。
ハワードとエレメスはゲラゲラと大口を開けて笑っている。こちらは十分に酔っていた。

マーガレッタもかなりいけるクチなのだが、体調がすぐれないということで今日は部屋で寝ている。
セシルは飲めないではないが、この3人に付き合えば潰されるのは目に見えているのでやはり部屋にいる。

宴もたけなわということで、3人は食堂の電灯を消し、各自部屋に戻っていった。
そのさなか、酔ったエレメスがバランスを崩しハワアッー!ドにもたれかかるという事故があったが、
カトリーヌが今にもオーラを噴かんとする勢いでハワードをにらみつけたため、エレメスは事なきを得た。


セイレンは研究所が侵入者が残っていないことを確認するため、見回りに出ていた。
3人が酒を飲み、2人が自分の部屋にいることからもわかるが、わざわざこんなことをする必要はない。
彼はとかく几帳面で神経質で、自分の目で確かめておかないと寝付けないたちなのである。

彼が食堂に戻ってきたとき、すでに電灯は消えていた。
廊下に取り付けられた埃だらけの照明を頼りに、再度部屋の電灯をつける。
―― ・・・また、やったのか
机の上には一升瓶とコップが並んでいた。片付けようとした痕跡も見当たらない。
この役はいつもセイレンに回ってくる。マーガレッタがいようがセシルがいようが、事情は変わらない。
セイレンが見回りから戻ってくるちょうどその前に、彼らは解散となるのである。
「やれやれ、たまには自分たちで片付けて欲しいものだ」
独り言を呟きながら、彼は一升瓶をまとめて持ち上げた。

ちゃぽん。

「・・・ん?」
不審に思ったセイレンは、順ぐりに一升瓶を電灯にすかしてみた。
そして5本中の5本目。瓶の底に、酒が残っていた。
「・・・・・・」
彼はじっくりとそれを眺めた。と言うより凝視したと表現した方が正しい。
かなり長い沈黙の後、おもむろに彼は食器棚から、ハワードたちが使っていたものと同じグラスを取り出した。
一筆書きの要領で見回りができるわけではない。どうしたって同じところを何度も通ることになる。
この食堂の前も、何度も通っている。そしてその度に、楽しそうな声が聞こえてきた。それは今日に限らない。
誰が飲んでいたかもわからない瓶に残っていた酒を、グラスに注ぐ。
どう見てもただの水にしか見えない。しかし顔を近づけると、独特の臭いが鼻をついた。
―― 俺だって、たまには・・・
意を決して、彼は酒を喉に流しこんだ。

そのときは、どうかしていたのかもしれない。
彼は、自分が酒の席に加わらない理由を忘れていた。


セイレンは、致命的な下戸だった。




「おぉせにあーーにいちゃんがきたぞーー」
ろれつが回っていない。視線が定まっていない。口調がおかしい。顔が変だ。
「兄上っ! どうされたのですか!?」
兄がノックもなしに女性の部屋に突っ込んでくるような不逞の輩だとは思いたくなかった。
そんな人間はエレメスだけで十分だ、とセニアは回らない頭で強引に考えた。
「なんにもないよぉぉーー」
なんにもないわけがない。目の前の兄はつい3時間前に見た兄ではない。
何か別の生き物に違いない。ああそうか、エレメスが変装しているのだろう。そうに違いない。
「いい加減にしてください! マーガレッタさんに言いつけますよ!?」
「なにがぁぁーー? なんにもわるいことしてないぞにいちゃんはー」
こうしている間にも兄はにじりよってくる。
兄の格好もひどいが、自分はパジャマ姿だ。兄の前でこの格好をしたのは、
以前風邪を引いて寝込んだときぐらいだろう。あのときの兄は優しく看病してくれた。
「せにあはかわいいなー。にいちゃんはうれしいぞー」
しかしこの兄はどうだ。いや違う。この兄の姿を取ったエレメスはあまりにもひどい。
「それほどまでに兄上を冒涜するとは、たとえエレメスさんでも許しません!」


ごん。

「な なにをする せにあー」

鈍い打撃音とふぬけた音声ともに、兄の形をとったそれは後方に倒れていった。
兄を目指し、日夜鍛えたセニアの右手が、拳となって襲いかかったのである。


「はぁ、はぁ・・・。えっ!?」
仰向けに倒れていた兄が、なんの前触れもなくゆらりと立ち上がった。
額には拳の跡がついている。自分はどうやらかなり力を込めて殴りつけていたらしい。
「う゛ぁー、いまのはいたかったぞー。そんなわるいことするこにはおしおきだー」
おぼつかない足取りからは全く想像できない速度で、兄が飛びかかってきた。
豪快にラリアットをもらい、なすすべもなくベッドに押し倒されるセニア。
憧れの兄の顔が、自分の顔と数センチと離れていない場所にある。それも全く予期していなかった形で。
「あ、あぁぁぁぁあにうえっ・・・!? 何をなさるのですか!」
下敷きになったセニアは慌てて突き放そうとしたが、
セイレンはもちろんのこと、もしエレメスが相手だったとしても腕力では敵わない。
「あにうえっ、やめてください!!」
セニアが叫ぶが、相手は無言のままもぞもぞとセニアの上で体を移動させている。
言うまでもなくかなりアレな図である。セニアは耳まで真っ赤になっていた。
「ふふふふふ、もうにげられないぞせにあー」
そして完成したマウントポジション。兄は自分の腹のあたりに座っている。
セニアは相手の顔を直視できなかった。顔を背けたまま、やたらめったらに腕を振り回す。
しかしそんな体勢で力が入るはずもなく、彼女の両手首はあっさりと掴まれてしまった。
さらに両手両足をばたつかせるが、埃が舞うばかりでどうにもならない。
なんとか薄目を開けて、彼女は兄の顔を覗いた。そしてすぐに、今度は全力で目をつぶる。
兄の目は据わっていた。恐怖を感じるには十二分。
彼女の目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「・・・セニア」
―― えっ?
初めは幻聴だと思った。それはいつもの、厳しいがしかし時折優しさを覗かせる、兄の声だった。
「あ・・・兄上?」
しかし顔は背けたまま、目は閉じたままである。
「セニア・・・」
兄の体重がかかっている位置が、徐々にではあるが移動している。
無論目は閉じているので、触覚だけからそう判断した。
「セニア」
「は、はい」
体勢はこれ以上なく無茶苦茶だが、声だけはいつもの兄に戻っている。
セニアもまた、返事だけは普段のきびきびとしたものになっていた。
再度まぶたの隙間から、兄の様子をうかがう。
「俺は・・・」
目が据わっているが、口元は引き締められている。ああ、これはいつもの兄だ。
自分の修行を見つめる、師としての兄だ――この体勢と服装を除けば。
「いけません、兄上・・・」
その言葉とは裏腹に、セニアは抵抗をやめた。それに合わせて、手首にかかっていた力が弱くなる。
「・・・その呼び方はよせ」
自分の上で、兄の体がまた少し動いた。体を固くするセニア。
「兄上・・・?」
「トリスやアルマイアのように・・・俺のことを、呼んでほしい」

心臓が、ひどく縮んだ。兄の口から、まさかそんな言葉が出るとは。
だが事実として、自分もまたトリスやアルマイアに憧れていた。自分はあんなふうに兄を呼べない。
なぜなら、自分には絶対に似合わないから。そして兄は受け入れてくれないだろうから。

「・・・お兄ちゃん」


兄は何も答えなかった。代わりに、腹が少しずつ軽くなっていく。
今度はしっかりと目を開けて、上を向いた。大きな兄の体が、ゆっくりと降りてくる。

たとえ兄だとしても、たとえ許されない関係だとしても。それなら、それでいい。
セニアは、まぶたを静かに閉じた。






ぼふ。

「え?」


兄の頭が顔の隣に降ってきた。混乱するセニア。
「えーと、兄上・・・?」
「zzz」
呼吸はきわめて規則正しい。自分の心臓は大変なことになっているというのに。
彼女は全力で否定しにかかろうとしたが、兄が眠っているという事実は認めざるを得なかった。
「・・・うっ」
たった今まで気づかなかったが、兄の息にはいつかかいだことのある異臭が混じっていた。

この臭いは、妙にツヤツヤしているハワードとマーガレッタと、
早朝にもかかわらず妙にげっそりとしているエレメスとセシルから漂ってくる臭いだ。
そういうときは、たいていカトリーヌからもこの臭いが漂ってくる。兄だけがそれとは無縁だった。

冷静になって考えてみる。この支離滅裂な展開はなんなのか。兄の豹変ぶりはなんなのか。
寝息を立てている兄をどかして、ベッドから這い出る。
セニアは大きく深呼吸をした。火照っていた体から、熱が引いていく。
小さく震える背中が、光を放つ。それは厳しい修練の末に、2階では彼女だけが会得した能力。
人はその姿を ―パジャマ姿ではあるが― をMVPBOSSと呼ぶ。

兄はベッドにうつ伏せになっている。顔は見えない。
セニアは目を閉じて、兄がこの部屋に転がり込んできてから起こった一切を思い出してみた。

2秒後下した判決は、極刑。
怒りを右の拳に込め、そして――



「マグナムブレイク!!」








・・・翌日。
セニアの部屋には、ハワードとエレメスの手によって新しいベッドが運び込まれた。
ボロボロになって廊下で倒れていたセイレンは、硬い床の上でまる一晩を過ごしたため風邪を引いた。
熱とともに激しい頭痛が彼を襲ったが、その頭痛が風邪のせいなのか、
はたまた二日酔いの産物なのかは今の彼にとってはどうでもいい話である。

なお、セニアは5日間にわたって、
オーラを噴きながらばっさばっさと侵入者を切り捨てていたということである。


その間約2名を除き、研究所には平穏が続いた。




結論。酒は飲んでも飲まれるな。



――――――――――――――――――――――猫線――――――――――――――――――――――


7階スレ979氏の電波を受信。凄まじい電波障害があった模様ですが・・・。
唐突すぎる展開は酒のせいということにして下さい lllorz
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送