夜明けは静かに訪れた。
 高い、とても高い、祈りよ天に届けとばかりに高い天井が、ずっしりと濃い影を落とす
荘厳たる大聖堂の最奥。
 父たる主神の姿、そして舞う戦乙女の姿。
 色取り取りのガラスで信仰の対象が描かれたステンドグラスが、王都を夜の帳から目覚
めさせていく朝焼けの光を受けて、ゆっくりと鮮やかに輝き始める。
 高い天井の上部に並ぶ、採光用の小窓にさえ施された繊細なガラスの絵画。
 それらが日の昇るにつれて東側より次々と光を、色を、影の立ちこめた聖堂内に美しく
落とし始め、あたかも雲の切れ間から差し込む光をつれて天使が舞い来る絵画のように、
徐々に徐々に明るさを増していく。
 やがて、正面の巨大なステンドグラスが一面に光を帯びた。
 眩しく。美しく。力強く。
 輝きに満ちるガラスの絵画。
 差し込む色鮮やかな光を背に聳える巨大な十字架を前に、まるでその光から加護を受け
取るように、手を組み膝をつき、静かに祈る女性がいた。
 様々な色の光に煌く光艶を返す、長い金糸の髪。
 司祭神官の纏う、鮮烈な深紅に染め抜かれた法衣。
 俯き祈る横顔は、天使の彫像のように美しく、そして力強い。

「ハイプリースト・ソリン」

 ギギィ・・・・・・

 と。
 彼女にとってはとうに聞き慣れた、重厚な音を立てて。
 注ぐ光はステンドグラスと採光窓のみだった薄暗い大聖堂が、両開きの大きな扉によっ
て光に切り拓かれる。

「ハイプリースト・マーガレッタ=ソリン」

 再度の、呼び声。
 応じる代わりに、マーガレッタは静かに顔を上げた。
 見上げるステンドグラス。
 聳える十字架の向こう側、高き貴き尊き、彼女の信ずる父たる主神の姿絵を、真っ直ぐ
に翡翠の瞳で見上げる。

「出立のお時間です。王城よりお迎えの使者がいらして居ります」

 音もなく立ち上がる。
 深いスリットの刻まれた法衣を、決して翻すことなく、振り返る。

「ええ、ありがとう」

 その声は、凛と穏やかに。

「行って参ります」

 輝きに満ちたガラスの絵画。
 光を背に佇む巨大な十字架。
 出立の洗礼のように降り注ぐ数多色鮮やかな光を浴びて、マーガレッタ=ソリンの微笑
みはまるで天使のごとく。










 ここルーンミッドガッツ王国と北方に位置するシュバルツバルド公国が永きに渡る友好
国同士であることは、両国ともに知らぬ者はない。
 王都プロンテラにある、大聖堂。
 国教の布教に深く携わり、王城とも貴族院とも関わりの強いこの聖堂にある日舞い込ん
だのは、ひとつの指令だった。
 隣国シュバルツバルド公国との外交――異文化交流の一環として行われるイベントに出
席する司祭をひとり聖堂から出して欲しい、と。
 つまり、正規の使者として聖堂から代表者を選抜するように、と。
 そんな令が国から降りたことを人伝てに耳に入れたときから、表向き笑顔を浮かべつつ
も内心で「めんどくさいわねー」と他人事のようにぼやいていたマーガレッタだが。

 ――何の因果か。
 指名されたのは、マーガレッタだった。

 それも、同じ代表者として選抜された王城直属師団の団長様直々のご指名らしい。
 聞かされたときのマーガレッタの本音を借りると――

「ご自分が選ばれたからといって適当に他人を巻き込まないでいただけませんこと?」

 既に指名が王城に通ってしまっていて、取り返しもつかない。
 マーガレッタの意思とは全く無関係に決定されていた災難としか言いようがない。
 レディムプティオの聖女――確かにマーガレッタ=ソリンといえば王侯貴族関係者の中
で名を知らぬ者も珍しい名で、その生粋の美貌も相俟って大変な噂にまでなっている有名
人ではある。
 変な気を起こしたお偉方が何かと名指しで招待してくることにはもう慣れている――と
いうより慣れなければやっていられなかった――のだが。
 こんな面倒な使者にまで指名してくるとは、一体何様なのかと。
 だから、マーガレッタは決意していた。
 迷惑な指名をくれた団長様とやらに、とっておきの笑顔でとっておきのイヤミをたっぷ
り囁いてやろう、と。










 結構出入りするようになった今でも、未だに迷いそうになる王城。
 特にマーガレッタに縁のない騎士団の執務室などが居並ぶ西棟の道は、立ち入ったこと
さえ殆どなく、もうここからひとりで戻れと言われてもただでさえほんのり方向音痴属性
のついたマーガレッタは絶対に出口までたどり着けない。
 大聖堂まで迎えにやってきた使者――まだ二十歳ほどの若い騎士の青年を見失わないよ
うに、しかし周りをものめずらしげに見回して歩きながら、マーガレッタはうっとりと頬
に片手を添えた。

「本当に騎士様ばかりですのね」
「ええ、もう随分と政区より離れましたので。むさ苦しいところで申し訳ない」
「いいえ、そんなことはございませんわ」

 ええ、それはもう。
 にっこりと極上の笑顔を向けられて、頬を染めた初心な案内人が慌てて正面に向き直る
のも尻目に、マーガレッタが目で追っているのは廊下を歩く通行人。
 当然、騎士団が与えられている区画であるため、すれ違う人々はほぼ全て騎士。
 勿論マーガレッタがひとりも見逃すことなくその視線を配っているのは、フトモモも露
わな若い女性の騎士たちばかりである。

「女性も大勢居られますのね」
「この国は男女差でどうこう、といったことがありませんからね。陛下は寛大です。力量
さえ足れば必ず認めてくださる」
「素晴らしいことですわ」

 こうしてみずみずしいフトモモをたくさん見られるのですから。
 と、口に出して接いだら、この青年は一体どんな顔をするのやら。
 どうしてかマーガレッタの知る数少ない騎士の面々は、男女関わらずやたらと純朴で初
心なタイプばかりで、大変からかい甲斐がある――などとは間違っても聖職者の思考では
なく、マーガレッタこそ純心で初心でいるべきではあるのだが、そこは『聖女マーガレッ
タ=ソリン』ではなく『お転婆ソリン』のとった過去の杵柄。
 すっかり聖女として名を上げてしまった今では、絶対に表に出してはならない素顔。
 レディムプティオの一件により、ハイプリーストへと昇格されて暫し。それらしくと繕
った聖者の微笑と物腰は、もう誰にも見破られることはなくなっていた。
 それは、マーガレッタが素顔で相対せる人間が、居なくなっている――という哀しい現
実をも意味する。
 しかしそれを、つらいとは言えない。
 言う相手が、素顔で居られる相手が、もう居ないのだから。
 ひとり微笑みに全てを隠して、力強く立っていなければならない。

「お待たせしました。到着です」

 大勢の女性騎士――のフトモモ――を鑑賞し、ご満悦の笑顔でほくほくと歩いていた
マーガレッタは、案内の騎士が示した扉を見遣って浅く頷いた。
 なるほど。
 近衛ともなると、部屋も豪奢なものですわね。
 ずっしりと構える大きな両開きの扉を開いて、青年が中へと導く。

「ハイプリースト・ソリン。こちらへ」
「ええ、ありがとう」

 通された部屋は、所謂団長室らしい。
 近衛の団長ともなると、与えられる執務室も相当なもの――入った途端、目に覚えた眩
さの原因は、正面の壁一面を埋めるガラス張りの巨大な窓だった。
 朝焼けの光に満ち、快晴の色を映して薄青く煌く窓を背に、重厚な黒檀の執務机。
 金糸で複雑な装飾を施された暗赤色の分厚いカーテン、同じ色の絨毯、サイドボードに
並ぶ上質の調度品は貴族院を思わせるものの、城と同じ素材の白い石造りで出来た壁や床、
柱は加工もなくそのまま曝け出されて、部屋の主たる人物の騎士らしく飾り気ない実直な
人柄が強く感じられた。

「どうぞ、おかけになってお待ちください」

 言って示された、応接セット。
 勧められた革張りの上等なソファに静々と腰掛けたマーガレッタは、思っていたよりも
さっぱりした内装をきょろりと見回して浅く息をついた。

「団長、大聖堂よりマーガレッタ=ソリン殿をお連れ致しました」
「ああ、ご苦労。済まないな、本来であれば私が向かうべきだったのだが・・・・・・」

 ここまで案内してくれた青年が、隣室へつながる扉を叩いて報告しているのをざる耳に
聞き流しながら、じっくりと不躾とさえ取れそうな勢いで部屋を観察する。
 今までにお呼びをかけてきたお偉い様方というと、これはどこから沸いたお金で飾られ
ましたの? と訊ねてみたい程に虚栄という名の装飾で満たされた趣味の悪い部屋の主が
多かったのだが、これは今までにない地味さ。
 貴族院や政法院のお偉い方々と騎士様を比べるあたりで間違いかしら、と首を傾げる。

「では、そのように」
「頼む。ああ、それと――お客人にお茶をお出しするよう言っておいてくれ」
「はい。では失礼致します」

 どうやら、話は終わったらしい。
 こちらに一礼して執務室を出て行く青年を見送ったマーガレッタは、静かに閉じられた
扉を見つめて退屈そうに自分の横髪を撫でた。
 その背後で、扉が開き、閉じる音。
 近づいてくる足音に、マーガレッタは髪に触れた手を下ろした。

「お待たせして申し訳ない」
「いいえ。お気になさらず」

 余所行きの笑顔をしっとりと浮かべ、団長様とやらに視線を向ける。
 七面倒くさい催しごとに巻き込みやがってコノヤロウ、と裏に秘めて、表向きだけは誰
もを一発で魅了する美しい笑顔。
 ――しかし。

「・・・・・・あら。」

 相手の顔を見て、笑顔が固まる。

「お久しぶりですわね。・・・・・・まさか、貴方でいらしたとは思いませんでしたわ」
「ああ。一年ぶり、と言うに近しいな。形式張った退屈な挨拶はやめよう」

 本当に、まさか。
 こんなところでまた会うことがあろうとは。

「また君に会えて嬉しい。プリースト・ソリン」

 そう言って微笑んだのは、彼女の知る数少ない騎士のひとり。
 彼は過去、マーガレッタと共に戦場へ出たことのある人物――闇に朽ちた古の城で、レ
ディムプティオの奇跡を受けた者。
 セイレン=ウィンザーだった。

「ああ、失礼。今はハイプリースト・ソリンだったな」

 そう言って苦笑する様子さえ、いつか見たものと変わらない。
 大きな執務室のガラス窓、晴れた空の色を注ぐ朝焼けの光を浴びて薄青く光る銀髪も。
 朝一番に世界を照らす、眩い陽の光とも似た黄金色の瞳も。
 ただ、衣装だけが違った。纏うそれは、最上級の騎士の証であるロードナイトの鎧。

「大して変わりませんわ。売れたのは名だけ、わたくしは何も変わっておりませんもの」
「名ばかりなのは私も同じだ。何しろあの時、勝手に死亡扱いされていて帰還してみたら
特進がついていたのだからな。まったく、酷いものだと思わないか?」
「あら、幸運ではございませんこと?」

 はぁ、とため息をつく様子に、くすくすと笑い返す。

「しかし、マーガレッタ」

 少し愚痴っぽくなってしまったな、と片手で口元を覆ったセイレンが、誤魔化すように
執務机の上に置いていた数枚の書類を取り上げながら名を呼ぶ。

「その言葉遣いは何の心変わりだ? あれ程遠慮のなかった君が」

 問われて、どきっとする。
 同時に、ひやりともする。
 幸いこちらに背を向けているセイレンは――元々鈍いたちであるため、こちらを見てい
たとしても気付きはしなかっただろうが――そんなマーガレッタの動揺など、全く察して
いない。
 マーガレッタは一拍置いてから、ゆっくりと返した。

「あら・・・・・・これではお気に召しませんこと?」
「ああ、いや・・・・・・悪気があって指摘したわけではないんだ。済まない」
「いいえ。謝られることではありませんわ」
「ただ少々な・・・・・・やはり、違和感が」

 しまった、と思った。
 レディムプティオの聖女、その仮面の裏側。
 この男は過去、任務による一時だけとはいえ共に過ごした、素顔の自分をよく知ってい
る人物――つまりマーガレッタの弱点だ。
 困る。非常に困る。
 どう接すればいいのかと内心で焦る。
 出来れば彼相手も、この仮面を通して接していきたい。
 そんなマーガレッタの焦燥を、読み取ったのかタダの偶然か。

「君が許してくれるのなら、以前のように接して欲しい」

 心の中を見透かされたように、思っていた話題を振られるものの。
 マーガレッタの望む考えとは正反対に思いっきり外れているあたり、流石セイレン=ウ
ィンザー。読みは常に当たらずとも遠からず、鋭いのかズレているのかわからない――こ
んな小憎たらしいボケ具合すら、一年前と変わっていない。
 以前、彼と接していたときもずっとこんな調子だった。
 予想外の鋭さで思わせぶりなことを言うかと思ったら、実は全然違うことを考えていた
りする手に余る天然っぷり。
 マーガレッタのような打算的なタイプが一番調子を狂わされる相手。
 彼との会話を頭をつかってすることは不可能だと学習していたマーガレッタは、観念し
てセイレンの言葉を聞き入れることにした。
 この男の発言は、深読みする程馬鹿を見る。

「わかりました。貴方相手に気取っても仕方ないしね」

 大袈裟に肩をすくめてかぶりを振ると、少し仏頂面でセイレンが振り返った。

「それもそれで何だか傷つく言い方なんだが」
「貴方がそうして欲しいって言ったのよ? 私は別に普段の口調でかまわないけれど」
「悪かった。私の前ではそのままでいてくれ」

 頭痛そうに眉を曲げるその表情を見て、自然と笑顔が浮かぶ。
 懐かしい。
 本当に懐かしい。
 こうして飾りを取り払って普通の女の子のようにしゃべることも、からかわれた彼の拗
ねた表情を見ることも、そして笑いあうことも。
 マーガレッタは『お転婆ソリン』が目覚め始めるのを感じながら、お行儀悪く両膝に両
肘をついて、その手に顎をのせた。
 上目遣いでイタズラっぽく微笑みかける。

「それじゃ貴方も、わたし、って言うのやめて。何か変な感じがするわ」
「・・・・・・わかった」
「よろしい」

 少し偉そうに言ってみると、何だか可笑しくなった。
 ついつい吹き出すと、セイレンもつられて笑った。

「まぁ話す時間は幾らでもある。まずは仕事の話をしよう」

 そう言って差し出された数枚の書類を受け取って、ええ、と頷く。
 この期間中は、使者として勝手に指名した団長様にたっぷりとねちねちイヤミを言って
ニコニコ笑っていようと思っていたマーガレッタだが、相手がセイレンだとわかった以上
旅行気分で楽しもうと気持ちを切り替えた。

「主に面倒くさそうなのは、シュバルツバルドの新大統領就任式典への参加と、そのあと
に催される外交パーティってところね」
「ああ。それ以外は割と自由時間ばかりだ。旅行気分でもかまわない」

 それなら、と思案する。
 シュバルツバルド西部に位置するリヒタルゼンという都市――貧民街などというふざけ
たものがあるらしい街。聞いたところによると、貧民街の住人は軒並み健康状態が悪く、
まともな生活すら出来ない状態にあるという。大聖堂にボランティアの応援要請が来てい
たことだし、足を運んでみようかとマーガレッタは思った。

「この外交パーティ、異文化交流って具体的に何をするの?」
「知らん」
「あら即答?」

 キッパリと答えられて、浅く息をつく。
 あからさまに落胆した様子のマーガレッタに、本当に何も知らないセイレンは執務机に
腰を預けて口元を曲げた。

「俺が聞いた話では、あちらの国の大企業の幹部が、この国を代表するギルドから選抜さ
れた最も優秀な人物方から、色々と話を聞きたいだとか」
「ふーん・・・・・・話、ね」
「外交会もほぼそのためだけに開催されたようなものらしい」

 お偉いさんの考えることは本当によくわからないわね、と。
 ぼやいてみると、珍しくセイレンもため息をついて同意を示した。
 どうやら彼もその『ギルドから選抜された最も優秀な人物』らしい。
 なるほど、今この国で最も有名な騎士といえば、レディムプティオの奇跡を受けた神託
の騎士様しかいない。

「ということは、私たちだけでなくて他のギルドからも?」
「ああ。君の奇跡を受けた仲間たちが、な」

 そう言って苦笑したセイレンに、絶句したマーガレッタは口元に手を当てた。
 マーガレッタの奇跡。
 自らのいのちと引き換えに、仲間すべてを救う神蹟術法における奥義のひとつ。
 即ち、レディムプティオ。
 つまり各ギルドから招集された人物とは、一年前のグラストヘイムで任務を共にした
マーガレッタの仲間たちということになる。

「・・・・・・私のせい?」
「うん?」

 お茶を運んできたメイドからトレイを受け取ってきたセイレンに、小さく訊ねる。

「私のせいで、みんな?」
「君のせい、という言い方は間違いだな」
「でも、私の起こした術で有名になってしまったんでしょう?」
「マーガレッタ」

 受け取ったティーカップを両手で持って呟くと、少しばかり怒った声が名を呼んだ。
 有名になったことで素顔を出せなくなり、仮面をかぶって隠れてしまったのは自分だけ
ではなかったのか、と。
 セイレンも、他の仲間たちも、奇跡の名に翻弄されているのか、と。
 顔を上げられず、揺れる飴色の紅茶を見つめていると、

「いい加減にしないか」

 多少乱暴に、トレイが後頭部に降ってきた。
 イキナリ何をするのか、と恨めしげな視線で上目遣いに睨み上げる。

「・・・・・・女性になんてことするの?」
「済まない。しかし、放っておくと沈み込んだだろう」
「ええ。おかげさまで色々吹き飛んだわ。ありがとう」
「どういたしまして」

 頭にのせられたままのトレイを片手で押し退けて、憮然と紅茶をすする。
 まったく、敵以外で女性に手を上げるなど絶対にしないのが騎士たるものだと自分で言
っていたくせに、この不器用な男はかける言葉が見つからなくなると何故かぽんぽん叩い
てくる。
 別に痛いわけではないし、実際思考の泥沼にはまっているときそうされると、妙にあっ
さり現実に引き戻されて悩みがどうでもよくなってしまうもので。
 セイレンの妙な癖だが、マーガレッタはこの制止が嫌いではなかった。

「なぁ、マーガレッタ」
「はい?」

 紅茶をテーブルに戻す頃、黙っていたセイレンが口を開いた。
 見上げてみると、やはり黒檀の机に体重を預けて立っていた騎士は、少し悩むような仏
頂面でマーガレッタを見つめている。

「どうかしたの?」
「・・・・・・君が」

 そこで言葉に迷ったようだった。
 一度口を閉ざして、言い直す。

「君は、あのときのことを悔いているのかもしれないが」

 あのとき。
 いつ、と問うことは愚かしい。
 一年前のグラストヘイム――遠い昔に打ち捨てられた、朽ちた神々の城でのこと。

「君がどう思っているのかはわからない。だが、俺は君に感謝している。今までずっとそ
う思ってきた。今も思う。この先も変わらない」

 玉座の間で起きた惨劇。

「俺が君に命を救われた事実は変わらない」

 すべてを救ったひとつの祈り。

「そのことで君が気に病んでいるのなら、それは俺の責任だ」
「そんな。私が勝手にしたことで」
「いや。君がそうした理由は、俺が皆を守れなかったことにある」

 苦虫を噛み潰したような。
 そういう表現が合うのは、こういった表情なのか、と。
 苦渋に眉を顰めるセイレンを茫と見上げて、マーガレッタは口を閉ざした。

 彼のこんな顔を見るのは、二度目だった。
 一度目は、一年前。
 奇跡によって意識を取り戻した彼が、代わりに倒れた自分を抱き起こしたとき。
 視界が、思考が、闇に落ちる刹那に、一瞬だけ見えたその表情。

「君を守れなかった」

 暫しの沈黙を経て。

「君の身も、心も、守れなかったんだ」

 漸く口を開いたセイレンは、机から離れてマーガレッタに歩み寄った。
 その言葉を耳にしたマーガレッタは、心臓が跳ね上がる感覚を覚えて息を詰める。

 セイレンは、気付いていたのだろうか。
 奇跡を起こしたことを、後悔する想いを。
 奇跡の聖女と呼ばれて、自分が自分ではなくなっていることを。
 もしかすると、マーガレッタが知らなかっただけで、彼女が出席した式典などの護衛に
ついていた彼に、虚ろな偽りに心を隠した自分を目撃されていたのかもしれない。

 セイレンの歩調は、ゆっくりとしたものだった。
 それにあわせるように。
 彼が近づくごとに。
 一歩、一歩にあわせて、マーガレッタの鼓動が高くなる。
 ソファに浅く腰掛けたマーガレッタの手前、彼女の法衣よりも赤い絨毯に膝をついたセ
イレンは、翡翠の瞳を真っ直ぐに見上げた。
 目を逸らそうとしたマーガレッタだが、強い視線に縛られて硬直する。

「二度はない」

 口下手なくせに。
 不器用なくせに。

「君を守りたい」

 どうしてこういうときだけ、流暢にそんな言葉を言えるのか。

「マーガレッタ」

 ゆっくりと呼ばれて。
 胸の奥底で何かが騒ぐのを感じた。

「・・・・・・本当は、神と陛下以外にこんなこと、許されないんだが」

 何が原因か自分でもわからない緊張に固まっているマーガレッタに、ふっといつもの語
調に戻ったセイレンは、相変わらずの見慣れた苦笑を向けた。

「え?」
「内緒にしておいてくれ。誰にも」

 腰に帯びていた剣を、すらりと抜き放つ。
 白銀と、白金と、黄金と。
 調和をもって混ざり合う、美しい装飾が施された長剣。
 神事や祭事で用いられる儀礼剣のように宝石や祝詞で飾り立てられてはいないが、実戦
に用いるに相応しいそれを、十字のように掲げ目を伏せる。

「マーガレッタ=ソリン」
「は。はい」

 雰囲気に圧されたマーガレッタは、咄嗟にいい返事を返した。
 つい背筋までぴんと伸ばしてしまう。

「俺の命は、君のものだ」

 祈りが起こした奇跡。
 本当なら、生き延びることを許してくれた主神に感謝すべきなのだろうが。
 だがそれでも、この身を生かしてくれたのは、他の誰でもない――

「あの日君を守れなかった剣と、あの日君に救われた命を以って誓う」

 窓から差し込む光が、強くなった気がした。
 掲げられた剣、その刀身を滑る白い光が、言葉にあわせるかのように強くなる。

「二度はない。繰り返しはしない。君に傷を負わせることも、君より先に倒れることも、
再び君に奇跡を起こさせることも――君に悲しい演技をさせたりも、絶対にしない」

 悲しい演技。
 虚ろな仮面。
 聖女として振舞うための。

「せめて俺の前でだけは、君を君らしく居させたい」

 その柄に口惚け。
 そして、差し出す。

「マーガレッタ=ソリンを主君とし、その望みの為、この剣と命を捧ぐことを誓う」





 ――台無しもいいところだが。





「貴方・・・・・・国に、陛下に、神に仕える身で、何を言い出すの?」
「・・・・・・それを言われると流石に痛いんだが」

 暫し絶句した後、言わずにはいられなかったマーガレッタである。
 ここまでしておいてそう返されると余程がっくりきたようで、今更沸き起こってきた羞
恥に頬を紅くしたセイレンが不貞腐れた様子でうなだれる。

「まったく、とんだ騎士様がいたものね」
「うるさい。結構傷ついたぞ。真面目に言ったのに」
「はいはい」

 床に立てた剣の柄を両手で握り締め、頭を垂れてしまったセイレンの銀髪を見下ろして、
マーガレッタはついつい吹き出した。
 こういった手合いの事柄には不慣れな朴念仁は、完全に拗ねてしまったらしい。
 頭を軽く叩いてみても、顔を上げる気配もない。

 まさか、こうくるとは。
 本当に予想外のことばかりしてくれる。

「ちょっとこっち向きなさい」

 少し強い口調で言うと、漸く銀髪が揺れた。が、余程紅くなった顔を見られたくないの
か、それとも余程拗ねているのか、それだけで止まってしまう。
 マーガレッタはちょっと口を尖らせて思案すると、ソファから立ち上がった。
 絨毯に覆われた床に両膝をついて、柄を握り締めている青年の両手を自分のそれで包む。

「セイレン」

 声をかけても、反応はない。
 流石にこの純朴な男相手には酷すぎることをしてしまったか、と肩を落としたマーガレ
ッタは、片手は彼の手に重ねたまま、もう片方の手で銀髪を撫でた。
 寝起きには笑えるほど跳ねているような癖毛のセイレンは、いつもなら頭を触ろうとす
ると本気で嫌がるのに、今ばかりは何も言わない。
 それをいいことに、マーガレッタは無遠慮に前髪を掻き上げた。
 文句をいわれる前に、額に口惚ける。

「その誓い、お受け致します」

 そのまま額を青年の頭に押し当てて。
 直接頭の中に流し込むように、ゆっくり囁く。
 再び両手をセイレンの手に重ね、額は彼の頭に寄せたまま――暫くして、ようやく顔を
上げる気配がして、マーガレッタはくっつけていた額を離した。
 まだ少し紅い頬。
 まだ少し拗ねた目。
 どうにも小さなこどものようで、可笑しくなったマーガレッタはくすくすと笑った。

「期待していますわ。わたくしの騎士様」










/memo ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・レディムプティオ習得時の会話より、GH調査任務の過去ネタ含。
・お転婆ソリンがですわ口調になった理由の妄想。
・マーガレッタと共にGH調査任務についていた仲間=生3メンツという妄想。
・レディム事件から一年後、シュバルツバルドに行った理由の妄想。
・実はレッケンベルが仕組んだ招待で、移動中襲撃を受けて死んだことにされて捕獲され
現在にいたる、という妄想。


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