心臓がばくばくする。
冷や汗が出る。自分のとても大事な親友が目の前で襲われている。
(……させない!)
先ほど壁に叩きつけられた自身を奮い立たせると、もう一度突進する。
兄から譲り受けた短剣を閃かせ、2度、3度と切りつける。

その軌跡は空を切り、または剣で弾き返される。
相手の鋭い斬撃をかろうじて避けるものの、髪が数本はらりと舞い落ち、服も数箇所切り裂かれ
わずかに血が滲んでいる。
相手の斬撃は掠めただけでも重症になると承知している。剣が起こす風圧だけでもこれなのだ。
彼の実力は彼女―――トリスよりも全ての面で上なのだ。今無事で居られるのが奇跡に近い。
数度目の交差で、彼女は限界を感じる。
(これ以上は……捌ききれない!)
左腕を浅く裂かれ―――後で気がついたことだが、骨まで達していた―――体当たりをまともに
受け、ダメージが足に来ている。

(それでも!ここで負けたらアルマが!)
言うことを聞かない左腕を無理やり短剣に添え、両腕の力で彼の横薙ぎの剣を全力で食い止める。
だが、万全の状態であっても弾けなかっただろう。
その一撃はトリスの脇腹を深く切り裂いていた。
それでもよろめく足で何とか逆の方向に体重を移動させ、真っ二つだけは避ける。
しかし、既に立ち上がる力はなく、床を朱で染める。

(あたし……もう死んじゃうのかな?)
止めを刺すべくこちらに振り向く上位騎士セイレン=ウィンザー。
朦朧とした意識の中で横たわりながらも、幸運を司る短剣を構えるトリス。
「うわぁぁぁぁあ!」
渾身の気合を入れ、背後から鈍器で不意打ちし、セイレンを数メートル吹っ飛ばすイレンドが
現れた。
既に1つ目の詠唱を終えていたのだろう、転移の柱をトリスの目の前に、そしてわずかに詠唱を
唱えつつ、トリスを光の中に押入れ、アルマイアのそばにも光を具現させる。
(イレンド!ここは危険よ!)
声を出そうとしたが出たのは大量の血。
意識が失われる過程で見たものは周囲の風景が揺らめく中で、もう一つの光の中にアルマイアと
一緒に入っていくイレンドの姿だった。
(よかった……ありがとう、イレンド)

ガバッと身を起こし、トリスは目を覚ました。
裸の胸に掛け布団を抱きしめ、がくがくと震える。
全身の冷や汗が止まらない。いまだ衰えることのない死の恐怖。
自分でも顔色が悪いのを感じる。
もうすぐアルマイアが起こしに来る時間だ。彼女に気づかれるわけにはいかない。
急いでバスルームに入り、軽くぬるま湯で体を洗い流す。そして滅多にしない化粧を薄く塗り、
顔色の悪いのを誤魔化し、またベッドに潜り込みアルマイアの来訪を待つ。

その日はカトリーヌが一緒に起こしに入ってきたのだった。
カトリーヌと楽しく談笑したものの、この魔法使いの目が数度揺れるのを察知してしまった。
(気づかれたかな……?)
勘のいい女性なだけに誤魔化すのは至難の業だった。この場で指摘されてはアルマイアに
心配を掛けてしまう。
「……トリスはとても綺麗」
普段なら真っ赤になるような台詞を呟くカトリーヌだが、今回は別の意味が含まれているようで
背中に冷や汗が伝うのをいやおうなく感じてしまう。

朝食を終えると、各自巡回にまわるが、今日は珍しく来訪する侵入者は少なく、トリスの所まで
来るものはいなかった。
(今度あんなことがまたあったら……あたしはアルマを守れるだろうか?)
いやだ、彼女を失いたくない。そんな感情が爆発しそうになる。
「だったら!強くなりなさいトリス!誰よりも!」
自分を奮い立たせる。

トリスは近接戦闘において2階では随一の使い手である。
一撃の威力ではセニアに劣るものの、セニアでは練習相手には足りない。時々ハッとするような
一撃を放ってくるものの、それ以外では遅く感じるのだ。
時々、セニアが怒っているのを見たことがあり、そのときは3階住人に匹敵するのではないか?
と思うのだが、セニア自身それをコントロールすることはできないらしく、練習には向かない。
アルマイアは論外である。修行に付き合ってもらったら、今のこの焦りがばれてしまう。

「お兄ちゃんに頼むか」
結局そこしか頼るところがなく、貧困な発想の自分が悲しくなる。
しかし昼間頼むのは目立ちすぎるので、今は自己練習をすると決めた。

「ふぅ……」
目を閉じ、暗闇の中にセイレンを思い浮かべる。想像力の問題だが、一度爆裂状態のセイレンを
身をもって体感しているので、実力を見誤っていたとしてもかけ離れて認識はしていない自信が
あるのだ。
セイレンのシャドウを強く意識し、攻め、守り、観察し、繰り返し戦った。
強く意識してしまえば、目を開けてもそこに居るかのように仮想敵を設定し、トレーニングが
できる。

しかし。
1時間ほど通しでトレーニングしていたトリスは、汗だくになりへたりこんだ。
「何度やっても勝てない……」
当然である。忠実に想像したシャドウならば、仮にトリスが上位職になっていたとしても勝てる
見込みは極めて低いのだから。
さらにその上の段階に上ってこそ対等になれるのだ。
それでも。トリスは諦めない。生来の負けん気がそのままではじっとしていられない。
アルマイアを守りたい。今度はイレンドも助けたい。セイレンを倒すには至らなくても、なんとか
あしらえる程度の強さは絶対に要る、そう考えるのだった。
「……あしらう?」
今まで正面から行くことしか考えていなかったことに気づく。
そう、目的はアルマイアを守ることであって、標的の実力を上回ることではない。
上回らなくても勝つことができる。現に自分より技量の劣るイレンドはセイレンに一撃叩き込んで
自分たちを撤退させることができたではないか。

(やってみる価値はありそうね)
そう、剣で敵わなければ弓を使ってもいい、石を投げても砂を掛けてもいいのだ。
何も守るための戦いになりふり構っていられない。
(まず、正面で戦うという考えを捨てる)
自分に言い聞かせて、兄を思い浮かべ、じっと気配を消す。そして身を伏せ意識を地に潜りこませ
るイメージを描く。ここまでは普段もできることだ。
(不意打ちをするからにはそれだけじゃ駄目だ)
運良く自分の近くを気づかずに通るとは限らない。自分から近づかなくては。

「難しい〜!」
気配を隠したまま動くということがこれほど難しいとは知らなかったのだ。
兄はこれが普通にできるというのだから尋常じゃない。
「面白いことを試しているでござるな」
「お、お兄ちゃん!?見てたの?」
「今通りかかっただけでござるがな。随分熱心だったので一息つくまで声はかけずにいたで
ござるよ」
「もう」
耳まで真っ赤になってしまう妹の顔を見て、可愛いでござるな、と胸中で呟いたエレメスだが
同時に別のことまで気がついた。
「トリス……化粧、とても綺麗に見えるでござるよ」
「なななななな!?お、お兄ちゃん!?」
「普段から可愛いと思っていたでござるが、更に上に行くとは……まさに花開く、でござるな」
エレメスの名誉のために説明するが、彼は口説いているわけでも世辞で言っているわけでもない。
ある意味恐ろしい才能であった。目当てのマーガレッタには通用していないが。

「似ているようで拙者のしていることとは少し違うことをしているでござるな?」
「え?そうなの?」
うむ、とエレメスは頷き、
「拙者のは地形を利用した隠密術の1つで、その気配を地形に残したまま動けるようにしたもの
でござるゆえ」
「地面とは関係ないのね……」
しばし落胆するトリスに向かってエレメスが言葉をかける。
「いや、トリスの発想は面白いでござるよ?拙者のは大地に干渉しないためにそのまま地槍を
使うことができぬゆえ、別の―――そう、トリスのアプローチからなら使うことができるかも
しれないでござるな」
「え?」

エレメスの助力もあり、ゆっくりとではあるが、気配を消したまま動けるようになってきた。
「ふぅ。これ疲れるわね……」
「そうでござるなぁ。神経はやはり使ってしまうでござるよ」
「でもありがとうね、お兄ちゃん!」
満面の笑顔にしばし兄ながら見とれてしまうのだった。
『ヒュッケバイン=トリスは【ハートを盗む】を習得した』
どこからともなくそんな声が2人に届いたとか届かなかったとか。

「気配を消し、近づいたところで効果的な何かがあればいいわよね?」
「そうでござるな。拙者には攻撃手段があるのでござるが、それはどうでござる?」
ん〜、と唸りながら少し考えて下した答えはこうである。
「ううん、2階だとお兄ちゃんがいるから同じ攻撃よりも、別のアプローチのほうが効果的
じゃないかなぁ、って思ったの」
「一理あるでござるな。しかし具体的にはどうするでござる?」
「ばっと現れて驚かすのってどうかしら?集中力を乱すだけでも有利に戦えないかな?」
「うーむ……驚かすのって意外に難しくないでござらんか?」

確かに難しそうだと少し考え込み、
「そうね……あ、ハワードさん」
「なななななな!?……あれ?いないでござる?」
「嘘。冗談よ。ごめんねお兄ちゃん」
「酷いでござる!酷いでござる!ぐれてやるでござる!」
「もう、お兄ちゃんたら……でもこんな感じでいいんじゃない?」
「あ」
芝居かかった感じでぽん、と拳を掌に当てるエレメス。

「……それはいいのでござるが……トリス、性格悪くなってないでござるか?」
「やぁねぇ……こんなお兄ちゃん想いの妹いないよぉ?」
そういってひし、とエレメスの胸に額を当てるトリス。
「どどどどどうしたでござるか!?」
「ううん、ありがとう、お兄ちゃん」

しばし雑談したあと、エレメスはその場を離れ神妙な顔で歩き出す。
「なんだか悪い女になりそうでござるな……心配でござる」

兄の懸念は近い将来現実のものになるのだが、それはまた別の話。
3階の某ホワイトスミスに師事し、後ろから突く攻撃を閃くのもまた別の話。


トリス転職への志の巻です。
アルマ分少な目です。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送