うるさい目覚し時計をとめた手で目をこすりながら、起き上がる。
 ベッドに上半身を起こして見回すと、黄色っぽいクリーム色と白っぽい木製の家具で揃
えられている見慣れた自室。

「・・・・・・」

 とろんとした目で、ぽやーっと正面を見つめる。
 セシルがあまりの起きなさに暴れてもまだ寝ているカヴァクなんかと比べたら寝起きが
悪いと言えるほうではないけれど、武の道を志すとはいえまだ少女であるセニアは、そん
なに体力があるわけではない。
 流石に疲れきってぐったり就寝した翌朝は、頭がぼんやりしてしまうもので。

「・・・・・・おはおう、ございまふ・・・・・・」

 ふと視線を落とした、自分の傍ら。
 隣で布団をかぶって寝ている見慣れた頭に、呂律の回らない口で朝の挨拶をして、ペコ
リとお辞儀。
 当たり前に挨拶は返ってこないけれど、微笑んでみおろすだけで胸があたたかい。
 一緒に眠るようになってから、毎朝こうして幸せを感じられて嬉しい。

 ベッドから降りて、揃えて置いてあったブーツに足を突っ込んで立ち上がる。
 洗面所にいこうと廊下に出た途端、遠くからラウレルの怒号が聞こえてきた。ついでに
色々破砕しているような物音まで飛んでくる。今日も今日とて、カヴァクと寝起きが悪い
人トップを争う彼の姉を叩き起こしにかかっているのだろう。
 余談だが最近セシルが寝起きの悪さに愛想をつかして弟妹を起こすのを面倒がるので、
このあとカヴァク相手に怒鳴るラウレルの声も聞こえてくるのが簡単に予想できる。

 いつもどおりの朝だ。










 別に盗み聞きしようと思ったわけではないのだ。
 本当にたまたま、そこを通りかかっただけのことで。

「・・・・・・むー?」

 ドアを開いて出て行った、寝間着姿――どう見てもだぶだぶのシャツ一枚――のセニア
を姿を隠したまま見送ったトリスは、ハイディングを解除して首を傾げた。
 咄嗟に隠れてしまったものの、別に悪いことをしているわけでもなし。
 ただ、

「セニアの部屋、誰かいるの・・・・・・?」

 そんな予感がして。
 興味を惹かれてしまっただけのこと。
 無人なのに寝ぼけ声で朝の挨拶をしたり、ひとりでくすっと笑ったり、まさかセニアが
そんなマイドリームワールド展開型の危ない娘とは思えない。
 ということは、こんな朝っぱら。
 セニアの部屋に、彼女以外の誰かがいることになる。

「・・・・・・」

 セニアの部屋のドアの前、首にかけたタオルを握ってネームプレートを見上げていたト
リスは、にやりと企み顔で笑った。
 これはいいネタを手に入れる大チャンスかもしれない。
 それも相当面白そうな事件。
 この閉鎖された研究所の中、娯楽らしい娯楽もない生活で楽しみをこういった噂話や色
恋沙汰をからかうことに見出しているトリスが、首を突っ込まないわけがない。

「ちょーっとだけ、いいよねー」

 まさか声に出して言うヘマはしない。
 口の中でそう呟いたトリスは、てへっ、とひとりでイタズラっぽく笑うと、そっとドア
に手をかけた。
 静かに引くと、鍵もかかっていないそれは簡単にトリスの視線を室内に招いた。
 きょろきょろっと見回してみる。
 落ち着いたクリーム色、アイボリー、樹の茶色。最年少なのにどの少女よりも大人びた
色合いの調度品で揃えられた、何度も見ているセニアの部屋。
 幸いなことに、起きて動いている人影は見えない。
 それを確認して、もう少しドアを開いて奥を見遣る。

「・・・・・・ぉ。」

 これも幸いなこと、なのかどうか。
 セニアにとっては間違いなく不幸なのだけれど。

「なになに、だれだれ・・・・・・!?」

 つい小声が口をついて出た。
 ドアを開いてその正面奥。
 セニアのベッドに不自然なふくらみを見つけたトリスは、大発見にじわじわにやける口
元を無意識に片手で覆った。
 間違いなく誰かがそこで寝ている。
 こちら側がベッドの足元なせいで誰だか全くわからないのが惜しい。
 ただそれでも、部屋の主セニアが出て行った後の室内、こんな朝っぱらから誰かが寝て
いるというのはそれだけでニュース足り得る。

「!」

 そこで足音に気付いたトリスは、慌てて――しかし静かに――ドアを閉めた。
 先程やり過ごしたのと同じように、少し離れた位置で姿を隠す。
 案の定、向こうの角を曲がってコチラへ歩いてきたのはセニアだった。顔を洗って眠気
がとんだようで、出て行ったときのようにもてもてした歩き方はしていない。
 トリスが隠れていることに全く気付かないまま、ドアを開けて部屋に戻っていったセニ
アの背中を見送って。

「・・・・・・これは・・・・・・」

 ハイディングしたまま、トリスはにんまりと笑う。

「相手を突き止める必要がありそうねっ!」










「えぇ〜・・・・・・?」

 ぽかーん。
 と音がしそうな程の抜けた顔で、開口一番。

「まさかセニアがぁ? ほんとにぃ?」

 ピンクのくまさんを抱えてそれだけ言ったアルマイアに、トリスはにこにこと上機嫌に
笑いながら口元で両手を合わせた。
 心持ち上目遣いに見上げて、片目でイタズラぽくウィンクする。

「ね、ね、気になるでしょ? 一緒に探ってみようよっ」
「うーん・・・・・・まぁスッゴイ気になるわね」
「でしょっ!」

 色のいい返答を聞いて、今朝の目撃からやたらとテンションの高いトリスはベッドの上
に座ったまま軽く身体を弾ませた。
 一緒に寝ていたのがアルマイアでは、彼女たちがよくやるただのお泊りごっこであって
何の事件にもならない。あれがアルマイアではなかったか確認するために、朝食後アルマ
イアの部屋に訊ねに来てのこの会話だ。
 可愛らしい薄桃色のインテリアでふんわり飾られた、少女らしい部屋。
 さっぱり気質のトリスのものとは大違いの内装の中、ベッドの上にのっているぬいぐる
みのひとつを抱き上げて、同じくベッドの上にのっているアルマイアに視線を向ける。

「今朝ラウレルは相変わらずカトリーヌさんを起こしてたから、除外なのよね」

 怒声が通路に響き渡っていたから、これは間違いない。

「時間的にカヴァクも起きてるわけないわよね」
「だよね。だとするとーあとはー」
「イレンド?」

 視線を中空にやって思案するトリスに、小首を傾げながらアルマイア。
 トリスはそこで満点の笑顔を浮かべた。

「もしくは、ね!」
「・・・・・・あー・・・・・・」

 ひとりでくすくすと笑うトリスに、つられてアルマイアも口元を緩める。
 なるほど。
 セニアの部屋がこのフロアにあるからといって、二階の住人にこだわることはないのだ。

「兄さんは有り得ないと思うわよ?」
「ハワードさんは真っ先に除外よ。お兄ちゃんだって違うに決まってる!」
「はいはい。トリスはお兄ちゃん大好きだもんね〜」
「からかう相手がちがーうー!」

 声に出して笑うアルマイアに、セニアをからかうはずが自分がいじられたトリスは顔を
真っ赤にして唇を尖らせた。

「とにかくっ。イレンドかセイレンさんに当たるよ!」
「イレンドはないと思うけどねー」
「じゃあセイレンさんからいってみようか」
「・・・・・・直接聞くの?」
「わかりやすそうじゃない。嘘つけないタイプだと思うし」

 何せあのセニアの兄。
 色恋に疎いのは目に見えている。

「それはそうだけどね」
「ね。じゃ、いってみよ!」

 ふかふかのスプリングにまかせて、ぴょん、と飛び降りたトリスが、抱えていたうさち
ゃんをベッドに戻して走り出すのを見送って。

「・・・・・・わかりやすいのはいいんだけどー」

 自分もくまさんをベッドに置きながら、アルマイアは困り顔で首を傾げた。

「ハズレてたら、大変なことになるんじゃないかしら?」










 アルマイアの懸念が最悪の形で的中したのは、言うまでもない。










 最強同士の戦闘が、どれほど周囲に被害を齎すものか――その見本の如く。
 真っ暗で何も見えない通路の最奥で爆音が響いたと同時、壁際に沿って剣戟と破砕音を
伴った土埃が高速でこちらに接近してきたため、トリスとアルマイアは悲鳴をあげてその
場から退避した。
 途端、たった今まで二人がいた場所が見えない何かに圧され、蜘蛛の巣状にひび割れて
陥没する。

「っきゃああぁぁぁぁ!?」
「やっぱりこうなると思ったのよーっ!!」

 とばっちりを喰わない端のほうで抱き合って座り込んだ二人の視線の先。

「退け、エレメス!!」
「退くのは貴殿のほうでござる、セイレン殿!!」

 斬り結び、動きを止めた一瞬。
 至近距離で短く交わしたのは、セイレンとエレメス。

「どうするのよトリスー!」
「ご、ごめん、こんななるなんて思わなくて・・・・・・!!」
「ちょっとちょっと、何なのよウルサイわねー!」
「せ、セシルさぁん・・・・・・!」

 苛立った声と、荒い足音。
 顔をしかめて迷惑そうに現れたセシルが、抱き合ってへたり込んだ少女たちと目の前に
突然現れた怪獣大決戦の様相をキョロキョロと交互に見遣って頬を膨らませる。

「もー! また何やってんのよ、セイレン!! あんたたち原因知ってる?」

 制止に加わろうと弓を取ろうとしたセシルは、しかし三角巾とエプロン装備。
 いつも弓を背負っている場所をスカスカと手で探って、今料理中だったと思い出したら
しいセシルは、右手に持っていたお玉を見てしょんぼりした。

「実は、原因わたしたちなのよね・・・・・・」
「えぇ?」
「今朝、セニアが――」

 説明には1分もかからなかった。
 ある程度聞いたセシルが、頭痛そうにため息をつくまで僅か二十秒。
 その間に、おなかをすかせたカトリーヌが騒ぎを聞きつけて通路に出てきた。

 ――端的に言うと。
 トリスの質問を受けたセイレン=ウィンザーは、アルマイアの想像した最悪の事態を忠
実に再現してくれたのだ。
 要するに、今朝の出来事。
 セニアが誰かと寝ていたようだ――そう聞いた途端の、この始末。

「そこを通せ――確かめねばならぬ!!」

 咆哮一閃。
 自分を倒すのではなく、通路を塞ぎ妨害することが目的であるエレメスが迂闊に回避を
取れないとわかっていての、全く手加減のない――しかし、便所掃除用ラバーカップ装備
での――必殺の一手。
 サイドステップで回避することも可能ではあったものの、そうすればセイレンが一直線
に通路を駆け抜け階段へ向かってしまうため、エレメスは両腕のカタール――ではなく、
両手にはめた便所スリッパ――を交差させて真正面から斬撃を受け止めた。着弾の瞬間、
バックステップを取って衝撃を受け流しながら道を開けることなく距離を取る。
 即座に間合いを詰めてくるセイレンに向かって、ござる語も忘れて怒鳴る。

「セイレン、落ち着け!!」
「落ち着いていられるか! セニアにつく虫は排除せねばならぬ!!」
「最大の虫が自分だと気付かないのか!?」
「セニアッ・・・・・・セニアはどこだ、無事なのか!?」
「たとえ今無事であっても、そんな状態の貴殿を会わせたら無事では済まなくなる気がし
てならん!!」
「なッ――何を言うエレメス! 私がセニアに何をすると!?」
「あーもう、いいからとっとと倒れて自分の胸に聞きなさい迷惑なのよこのシスコンロリ
コンド変態ッ!!」

 ――ゴッ!!

「・・・・・・すとーむ。がすと」

 ちょうどセイレンの背後だったのは幸い。
 弓を取りにいく手間を惜しんだセシルが全力で投擲したお玉を後頭部に受けたセイレン
が一瞬止まった隙に――あまりの予想外にエレメスまでアホ面で硬直したけれど――カト
リーヌが弱点たる吹雪を召喚する。
 あっさりと凍りついて動きを止めたセイレンに、ほっと一同が安堵したところで。

「えい」

 ゴン。

 と、どこからともなく現れたマーガレッタが、凍結したセイレンをすりこぎで叩き割っ
て、ストームガストを追加ヒットさせた。
 どさ、と案外軽い音を立てて足元に倒れたセイレンを、あらあら、とすりこぎを持って
いないほうの手を頬に添えて見下ろすマーガレッタは、セシルとお揃いの可愛い三角巾と
エプロン装備。

「わたくしとセシルちゃんの愛のお料理教室を邪魔するなんて、お茶目ですわね」

 にこにこと綺麗な笑顔で言っているものの。
 すりこぎを握り締めたその右手に相当力が込められているのは、分厚い氷を叩き割った
時点でバレている。

「さ、セシルちゃん。続きを楽しみましょう」
「あ、うん。エレメス、そいつ起こしてちゃんとトイレ掃除しとくのよ」
「了解でござる」

 マーガレッタに肩を抱かれて連れて行かれるセシルの声に、エレメスはセイレンを足元
に転がしたまま返事をした。
 便所掃除器具と調理器具で侵入者も真っ青の戦闘を展開していた兄たちを前に、放心状
態でへたり込んでいたトリスとアルマイア。
 その目の前で、エレメスは倒れたセイレンを起こしにかかる前に首を傾げた。

「しかし、一体何があったのでござるか」

 そういえば、エレメスはたまたま通りかかって巻き込まれただけで。
 事情を話していなかったと思い出したトリスは、セシルに話したのとほぼ同じ内容を兄
に伝えてみた。
 ざっと耳に入れたエレメスは、腕を組んで唸る。

「今のを見てわかるとおり、それはセイレン殿ではないでござる」
「だよね・・・・・・」

 もしセイレンだったら、どこの虫がセニアになどと暴れだしたりはしないはず。

「昨夜はセイレン殿の部屋で酒を飲んでいた故、間違いござらん」
「夜中抜け出した、とかは?」
「真っ先に潰れて爆睡して、今朝も最後まで寝ていたでござる」
「むう・・・・・・とすると、誰なんだろう・・・・・・」

 残るのはイレンドのみ。
 腕を組んで唸るトリスを横で見ていたアルマイアは、思案するときの仕種が兄妹揃って
全く同じだということに自分たちで気付いているのかしら、と少し笑った。

「あら、カトリーヌさんは?」

 そこでカトリーヌの姿が見えないことに気付いたアルマイアが声を上げる。
 先程ふらっと現れてストームガストを放ったまでは見ていたものの、そういえば事後ど
こにいったのか全く見ていなかったような。
 アルマイアの言葉を聞いて周囲を見回したエレメスは、通路の少し先、中央フロアの階
段を見上げた。

「あそこでござるな」
「階段?」

 トリスとアルマイアが揃って見上げた先。
 長い長い螺旋階段の上、高等な結界施術によるレベルゲートがある最上方。
 カトリーヌが誰かを招き入れたのを見て、二人は同時に声を上げた。

「あ」
「あ」

 カトリーヌが差し出した手を取って。
 ふわり、と光の輪を抜けて三階へ降りてきたのは、小さな少女だった。
 背に流した長い藍色の髪の毛に、草色のロングスカート――階段に降り立ったセニアは、
下方を見下ろすなり両手を口元にやって目を見開いた。
 転んでしまうのではないかと思う程、慌てて階段を駆け下りてくる。

「・・・・・・あー」

 察したアルマイアは、エレメスの足元に視線を向けた。
 そこには伏せて倒れたセイレンが、転がされたまま。
 案の定、一直線にこちらに走ってきたセニアは、

「兄上っ!!」

 三人には目もくれず、スカートが汚れるのも気にせず、滑り込むように座り込んで兄の
頭を抱き起こした。
 体重だけでどれ程かわからないけれど、鎧の重量も相俟ってセニアには動かせず。
 エレメスに手を借りて仰向けたセニアは、兄の頭をそろえた膝にのせて、潤んだ瞳で見
下ろした。

「どうなさったのですか、兄上・・・・・・!」
「あー・・・・・・大したことじゃないのよ、あはは」
「何だか髪の毛が凍ってぱりぱりしていますが」
「・・・・・・きのせい・・・・・・」

 うるうるの目で見上げられたカトリーヌが、無表情のままふるふる犬のように首を振る。
 そして、その視線をトリスとアルマイアに向けて。

「・・・・・・本人に、聞いた方が早い・・・・・・」

 ごもっとも。
 変に面白がらずに最初からそうすれば三階の兄姉たちに迷惑かけずに済んだだろうし、
セイレンだって酷い目に遭うこともなかったのだから。
 遠まわし窘められて、トリスとアルマイアは並んでうなだれた。
 今は気を失っているセイレンの代わりに、まずセニアに謝る。

「ごめん、セニア」
「ごめんね・・・・・・」
「え?」

 部屋に運ぶでござる、とセイレンを担ぐエレメスを手伝っていたセニアは、突然の謝罪
に大きな目を瞬かせた。

「実はね・・・――」










 わかってしまえば何と言うことはない。
 確たる証拠もとれていない噂話なんていうものは、大概そんなもの。

「・・・・・・ということです」

 椅子にちょこんと座って、両手を膝にのせて。
 真っ赤な顔で斜め下に視線を逸らしたセニアは、目を覚ました兄に泣きそうな顔で問い
詰められて、ことの真相を恥ずかしげに説明した。
 恥ずかしすぎて涙目寸前のセニアを前にして。
 ベッドに上体を起こしたセイレンは、あまりの事実に両手で顔を覆って嘆息した。

「要するに、トリスの勘違いか・・・・・・」
「です」

 羞恥の限界だとばかりに、少し憮然とした口調。

 ――結論から言うと。
 トリスが目撃した布団の中身は、ぬいぐるみだった。それも一メートル少々はありそう
な、大きなピンクのうさぎさん。
 武の道を志すせいだか何だかわからないけれど、男女差で見縊られることを嫌って女の
子っぽいものを避けようとするセニアが、意地を張って表向き苦手がりつつも可愛いもの
が大好きなことはセイレンもよく知っている。
 そのぬいぐるみも、きっと少女たちに見つからないように隠していたのだろう。
 きっとこの恥ずかしがりようも、可愛いもの好きが暴露されたことと、男性と同じ部屋
で寝ていたと勘違いされたことと、ダブルでショックを受けたせい。

 何だか複雑な気持ちになったセイレンが顔を覆った指の間からセニアを見遣ると、目が
合った妹はふいっとそっぽを向いた。
 顔が見えない代わりに、紅く染まった可愛い頬が丸見えになる。

「私は、そんな、殿方とその・・・・・・一緒になど、眠れませんっ!」
「まぁ・・・・・・それはおいておくとして」

 完全な誤解だった以上、これ以上言及しても仕方ない。

「セニア。そのぬいぐるみというのは」
「・・・・・・」

 セイレンには、問題のぬいぐるみに心当たりがあった。

「この前のアレか?」
「・・・・・・・・・・・・。」

 今までですら顔を背けてしまっていたのに、問い掛けるなりセニアはくるん、と完全に
こちらに背中を向けてしまう。
 これはもう、図星の合図とみて間違いなし。
 やっぱり、と呟いて大きくため息をついた兄に、背を向けたままセニアはぎゅっとス
カートを握り締めた。

「兄上、笑いますか・・・・・・?」
「うん?」
「剣を志しながら、そんな女々しいこと・・・・・・」

 可愛いものを好んで。
 ぬいぐるみを抱えて眠って。

「私は、幼い頃選んだのに」

 今はもう遠い遠い、旧い記憶。
 今の自分ではない、オリジナルの自分が持つ想い出。
 今兄と呼ぶ彼とは、血縁ですらなく全くの他人だった頃の。

「両親に、人形と剣を差し出されて。剣を手に取ったのに」

 こどもの、女の決意なんて、その程度なのかと。
 今はもう関係のない両親に落胆されるのは構わない。
 ――けれど師には、兄には、彼には、そう思われたくない。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 何と言葉を繋げばいいのかわからなくなって。
 黙り込んだものの、セイレンまで無言になってしまって。
 内心でどうしようとうろたえながらも、自分から背を向けた手前気まずくて振り向けな
いセニアの頭に、

 こつん。

 軽く拳が落ちてきた。

「いたっ」
「あ、すまん。痛かったか」

 首をすくめて頭をおさえると、加減したつもりだったんだが、と焦った声が返った。
 今度は拳ではなくて、手のひらが頭に降りてくる。
 やさしく髪を滑る手の一定のリズム。心地よくてこのまま撫でていて貰いたい、と思っ
たものの、繰り返し謝る兄の声に申し訳なくなって、ようやくセニアは振り返った。

「嘘です。・・・・・・痛くない」

 口を尖らせて、拗ねたような上目遣いを向ける。
 まだ少し頬が赤らんでいる。
 まだ少し目が濡れている。

「セニア」

 見惚れそうになった自分にはっと気付いたセイレンは、誤魔化すように呼びかけた。

「もし私が・・・・・・」

 少し思案して、言い直す。

「もし俺が君の思っているようなことを考えていたとしたら、あのぬいぐるみを欲しがっ
た時点で何か言っていると思わないか?」
「・・・・・・思います」

 大きなうさぎ。
 少し前のこと、一緒に買出しに出る機会があったとき――セニアがショーウィンドウの
前で足を止めて、小さな子供がするようにじっと見つめていたうさぎ。
 買い与えたのはセイレン自身だ。
 それを忘れるセニアではない。

「君が何を好んでも、俺は軽蔑も拒絶もしない。絶対に」
「でも」
「正直、嬉しかった」

 食い下がろうとしたセニアをさえぎって、静かに微笑む。

「君は我が侭を言わないからな。いつもいい子で、素直で大人しくて。それが嫌だなどと
は全く思ってないが、ただ――ハワードやエレメスを見ていると、時々羨ましく思うとき
があるから」

 奔放で甘えっ子で、兄にちょっかいや我が侭をふっかけるトリス。
 色々兄を困らせるのは、自分にかまって欲しい証拠のアルマイア。
 セニア自身も、そんな彼女たちのストレートさが羨ましいときが時々あるから、セイレ
ンの言いたいことはわかる。

「だから、あのぬいぐるみを見ていた君がこっちを見上げたとき、正直嬉しかった」

 セニア本人に、そうしていた自覚はないと思うけれど。
 まるで無防備な表情で、すがるように見上げてきた甘える瞳は、長い間望んでいたもの
だったから。

「無理をする必要はない。好きなものに正直でいていい」
「別に無理をしているわけでは・・・・・・」
「ほら見ろ。またそうやってむきになる」

 言い返そうとするなり笑われたセニアは、いい反論も思いつかなくて、指摘されて恥ず
かしくて、また顔を紅く染めて口を尖らせた。
 恥ずかしいだけではなくて。
 絶対に拒絶しないと言われた時点で、もう心臓は大暴れしはじめていたわけで。
 色恋沙汰には極めて晩生なくせに、どうしてこう臆面もなくさらっとスゴイことを言え
るのかと、兄の天然たらしっぷりを恨む。

「・・・・・・お兄さま」

 誰も聞いていないときだけの呼称。
 少し甘えモードになると変わるそれを聞いて、わかってもらえたのかとほっと微笑んだ
セイレンだが。

「それでは、お兄さま・・・・・・」
「うん?」

 微笑が硬直するまで僅か二秒。

「その、今夜」

 大人しく撫でられていたセニアが、待ち望んだ甘えた表情で顔を上げた。
 目元も頬もきっと耳さえも、その白い肌が際立つ程の桜色に染めて、こぼれそうな程に
潤んだ大きな瞳が上目遣いに見上げてくる。

「お兄さまと一緒に寝ても、いいでしょうか・・・・・・?」










 別に盗み聞きしようと思ったわけではないのだ。
 本当にたまたま、そこを通りかかっただけのことで。

「・・・・・・む?」

 ドアを開いて出て行った、寝間着姿――どう見てもだぶだぶのシャツ一枚――のセニア
を姿を隠したまま見送ったエレメスは、クローキングしたまま首を傾げた。
 咄嗟に隠れてしまったものの、別に悪いことをしているわけでもなし。
 ただ、

「何故セニア殿が三階に・・・・・・?」

 そんな違和感が込み上げて。
 興味を惹かれてしまっただけのこと。
 こんな早朝からあんな姿で三階にいたり、しかも出てきた部屋がセイレンのものだった
り、まさかセニアが夢遊病でここまで来たとは思えない。
 ということは、昨夜からずっと――
 セイレンの部屋に、セニアがいた? ということになる。

「・・・・・・」

 セイレンの部屋のドアの前、早朝の見回りで使った研究所内の鍵束を握ってネームプ
レートを見上げていたエレメスは、にやりと企み顔で笑った。





 ――まったく、兄妹というのはよく似るもので。





 ドガン!!

 とものすごい音を立てて、セイレンの部屋の扉が吹き飛ぶ。
 その爆風に巻き込まれて転がるように飛び出してきたのは、エレメス=ガイル。

「ちょwwwセイレン殿静かに、皆が起きてしまうでござるよwwwwwww」

 笑っているのか泣いているのか。
 もう自分でもわけがわからない様子でダッシュするエレメスを追って、炎に近い赤みを
帯びた炎熱をその剣と全身に纏わせたセイレンが、寝起きそのままの格好かつ裸足で飛び
出してくる。

「ふざけろ!! 貴様人が寝ている部屋に勝手に入り込んで何をしている!?」
「いやちょっと興味が・・・・・・ああぁ爆裂は勘弁でござる!!」

 朝っぱらから騒いだところで、起きてくるような人間はハワードとセシルくらいしかい
ない。案の定騒ぎを聞きつけたハワードが、エレメスの進行方向にあるドアから腹を掻き
ながら現れた。

「何だ何だ、朝っぱらから元気だなァ・・・・・・」
「うるさい、そこへ直れ! 俺の部屋の何に興味があるというんだ! まさか貴様までハ
ワードのような趣味に・・・・・・!?」
「何!? エレメス、ついに目覚めたのか・・・・・・よしこい!!」

 両腕を広げたハワードが進行方向に立ちふさがり。
 後ろをちらっと振り返ると、爆裂どころかオーラまで噴き出しはじめたセイレンが迫り。

「ちょwwwww何でござるかこの絶望的な挟み撃ちhアッー!?」

 がばっ!! とゴツい両腕に抱き込まれたエレメスは、悲鳴を上げる暇もなくドアの向
こうに連れ去られた。










 そんな三階の騒動など露知らず。
 誰にも見つからないようにこっそり部屋に戻ったセニアは、こっそり拝借した兄のシャ
ツ――あまりにサイズが違いすぎてワンピース状態――を脱いで、変わり映えのしないい
つもの剣法着に着替えた。
 気が付くと兄は、すぐ髪を撫でてくるから。
 髪の毛の手入れにはすごく時間をかけて、丁寧に綺麗にとかしていく。

「・・・・・・今度は、髪に飾るものを買ってもらおうかな」

 そんな呟きが自然とこぼれるのも、好きなものに正直でいていいと言って貰えたから。
 ブラシをさげて、鏡の中の自分を真っ直ぐに見詰める。

「おはようございます」

 朝の習慣。
 いつからこうするようになったのか、もう覚えていないのだけれど。
 鏡の中の自分が元気な顔で可愛く笑えていたら、合格。
 ひどい顔では、お兄さまの前になんて絶対に立てないから。




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