床や壁、天井にまで張り巡らされた灰色の電気コード。
 入り組んだ迷路のような構造の建物の中を、彼らはひたすら走っていた。
 炎のような紋章の描かれた広間を抜けると、広大な敷地を持つこの研究所を掃除する赤い服を身に纏った者達が、一斉に襲い掛かってきた。
 顔面はガスマスクによって覆われており、手足も全身が赤と黒で隠されていた。
 背中には皆、同じ樽をしょっていて、そこから伸びるホースが黒い手に握られている。
 どうやら、ただの人間ではないらしい。

「おいおい、ここを二人で突破しろってか?」
「かっかっか! こりゃ面白いわい」

 プリーストの短く切りそろえた金髪と、その同色の瞳がワラワラと集まってくる赤服の集団を睨みつける。
 通常よりも柄の長い杖を握り、その先端についた紅い宝石に精神を集中させた。

「一気にぶっ飛ばすぞ。遅れんなよ爺さん」
「ワシとて、かつては豪脚の善と呼ばれたもの。お主こそぬかるでないぞ」

 彼の隣に立っていた老人――善――は古びた胴着を身に纏った武人だった。
 彼の顔には長い年月を経てきた証とも言える深い皺がいくつも彫られており、
 かつては美しかったであろう長い髪ももはや薄く真っ白になってしまっていたが、
 背筋はピンと伸び、構えも衰えを感じさせない体術家のそれであった。
 目が潰れてしまっているが、わずかに釣りあがった口元は燃え盛る闘志をその身に宿している。

 彼が放り投げた、表紙が緑色の分厚い本は空中で静止し、彼が紡ぐ古の言葉によって自動的にページがめくられた。

「乾いた風の書 第七章 疾駆の突風!!」

 何枚かのページが本から自動的に飛び出し、老人の周囲を舞う。
 彼が力強く地面を蹴り駆け出すのと同時に、そのページは風となって消えた。
 赤ずくめの集団に飛び込んでいく老人の周りを、風の刃が踊る。
 ちょうど、集団の真ん中にいた敵に勢いよく突っ込んで飛び蹴りをかまし、着地して即座に、背後から襲い来る二体目に回し蹴りを叩き込む。

 彼の足が当たった赤服は、例外なくその勢いに押されて吹っ飛ばされ、動かなくなり、ついには灰になって消えた。
 正に豪脚。その後ワラワラと集まってくる敵も、風を纏った旋風蹴りで文字通り一蹴してしまった。

「あ……あぁ?」

 只者ではないだろうと思っていたが、プリーストは目の潰れた老人がここまで戦えるものだとは思っていなかった。
 使用者の精神力をそのまま物理的な破壊力に変換してしまう特殊な杖――マイトスタッフを振り回しながら、
 彼は『善』と名乗る老人の圧倒的な強さに半ば見惚れていた。
 道を塞ぐ最後の一匹の胴に柄を長くした杖を叩き込んで破壊し、彼は善と共に研究所の奥に向かって走り出した。



――――――――――◆――――――――――




「参ったな、乱戦はあんまり得意じゃないんだ」

 そう言いながらバッサバッサと敵を切り倒していくギルドマスターに、栗毛頭の魔術師は
 「じゃあ、あなたの『得意』はどこからですか」と切実に問いたかった。
 遅い来る赤服の集団を相手に、舞うような動きでカタールを叩き込み、逆の手で反対側から迫ってくる連中にナイフを投げて絶命させる。
 おおよそ暗殺者とは思えぬ戦い方ではあったが、常に危険な仕事に首を突っ込んできただけのことはあると思った。

「ファイアーボルト !!」

 素早い詠唱で援護するものの、その火力を嘲笑うかのようなマスターの殲滅速度には、彼もついていくのが精一杯だった。

「終わったね」
「は、ははは。僕いらなかったんじゃ」

 彼は切実にそう思った。
 そもそも戦闘能力だけで言えば、自分はギルド内で最低ランク。
 わざわざこんな危険な仕事に借り出される理由がなかった。

「いいや、君の魔法が必要なんだ。流石に相手が優れた静粛性・低視認性・敏捷性・高機動性をかね揃えた戦闘妖精だと、
 物理的な攻撃がなかなか当たらなくてね」
「要するに僕は蚊取り線香として連れて来られたわけですね」
「あっはは、その通り」

 静粛性・低視認性・敏捷性・高機動性においてきわめて優れた相手とは、即ち"蚊"。
 いくら武器の扱いが上手くとも、完全に予測不能な軌道で逃げ回る、ごく小さな相手には意味を成さない。
 従って、瞬間的に広範囲にわたって攻撃を与えられる魔法が有効なのだ。

「そろそろ、ファイアーウォールの準備しておいてね」
「あ、はい」

 ゴムによって完璧に密閉された扉が、二人の目の前にあった。

――――――――――◆――――――――――

「おじいさん、無茶しないでよね」
「フォフォフォ、大丈夫じゃよ。人が作りしモノなど高が知れておるわい」

 見た目は十歳程度の少女に笑顔で答えたのは、厚手の褐色のローブに身を包んだ老人。
 少女の蒼い髪がたなびくたびに、彼女の持つ剣が、襲い来る人形達を切り刻んでいく。
 真っ当な少女ではありえない身体能力で東洋の剣を振り回すその姿は、美しくさえあった。
 その華麗な剣舞が終わる頃には、既に辺りには人形の残骸が散らばっているだけだった。

 背の低い彼女にも扱えるように短くした刀が、黒光りする鞘に収められる。
 老人は、幼くも凛々しい少女の顔つきが、かつての仲間のそれと重なるのを感じていた。

「どうしたの? ボーっとしちゃって。ボケた?」

 歯に布着せぬ物言いは差し置いて、外見的な特徴は非常に良く似ている。
 長く伸びた蒼い髪。強く凛々しい瞳。そして上段の構えから次々と連撃を繰り出す独特の剣術。
 どれをとっても、あの健気で兄想いだった少女のそれと同じ。

「フォフォフォ、そうじゃな。ボケてしまったかもしれん」

 背の高い老人は灰色の目を細めて、薄く白くなってしまった頭を抑えながら笑った。

「ボケたんならボケたでいいけど、早くしないと置いてくよー?」

 すまんすまんと謝りながら、少女の小さくも頼もしい背中を追いかける。
 年を取った老人は、久しぶりに強く祈った。
 願わくば、あのような悲劇が二度と起こらないように。


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       『友よ安らかに』

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 グシャリと、血肉をぶちまける音が響く。
 綺麗だった頬は赤く染め上げられ、髪は返り血と汗でべったりと肌にくっついていた。
 透き通っていた翡翠色の瞳は輝きを失い、惰性で生温い雫を流し続けるだけだった。
 本日八人目。かつての友と同じ姿をしたモノの頭をカチ割り、無に還す。

 疲労は感じない。痛みを感じるのは、何か大切なものを失った心の奥底だけ。
 またしても、角を曲がった先で足音がする。
 案の定、そこには蒼い髪の剣士がいた。
 かつては誇り高く、そして叶わぬ想いを抱き続けた、どうしようもなく強い娘。
 しかし今は、おぞましい機械と薬品に犯された屍も同然の存在。
 思い出が胸の奥から込み上げてくるたびに、涙はその量を増す。

 金髪の少女は再び、怒りを以って斧を振り上げた。
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