―――――

「ねーぇ、何読んでるのー?」
「……日記」

夜更け、冒険者も寝入り研究所の入り口自体が閉められたこの時間。
生体研究所のガレキの奥の奥で言葉が交わされる。
研究書の裏の真っ白なところに何かを毎日書いていると思ったら。

「うふふ、カトリーヌは真面目だもの」

そう言って、10杯目の杯を空けるマーガレッタ。
エレメスと飲み勝負を始めたものの、彼女のペースについていけず。
結果、哀れな暗殺者は床に転がっている。
何時もなら襲い掛かるはずのハワードは、今日は壊れた武器の修理に部屋に篭っているし、諭すはずのセイレンは妹や弟たちに差し入れに行っている。

「セシル……」
「何よ?」

そぉっと、上目遣いにこちらを見上げてくる。
これで耳と尻尾があれば子犬だななどと考えているとくぅー、と可愛らしい音がした。

「……おなかすいた」
「もー……マーガレッタぁ、何かあったかな」

はいはい、と困ったような、そんな笑顔を浮かべてクッキーを差し出してくる。
嬉しそうにぱくつく彼女の隣に座って、暖かいお茶を飲む。

「……平和なものよねぇ、まだ」
「うん」

予想していたほどの脅威は訪れていない。
時が来れば、可愛い弟や妹たちにも自分たちと同じ『薬』を与えなければならない――そう、覚悟していたものだが。
戦力不足も特に無く、余程の熟練か卑怯者でない限りは負けることがなかった。

「セシルも……」
「ありがと」

さくり、と乾いた音がする。
静かな夜だ。
階上では毎夜のように枕投げをしているようで、騒がしい。
人形のようだった彼らが元気に暮らせていることが分かる。
ようやっとワインを飲み飽きたマーガレッタが、席を立つ。

「さて、そろそろ寝ましょうか?明日も早いんですものね」
「うん……」

ワインの甘い匂いが鼻先に香る。
床に転がったエレメスをさりげなく蹴飛ばして起こし、優雅な足運びで部屋へ帰っていってしまう。
朝に弱い彼女は夜は早めに寝ておかないと、昼過ぎまで具合が悪いと昔聞いたことがある。
薬漬けだった時代は体が勝手に動いてくれるので楽だったかもしれないと笑っていたが。

「さ、あたしも寝よ。カトリーヌもいこ」
「うん……」

頷いた彼女は床で唸っているエレメスの腕を引いて起こし、椅子に座らせておいた。
細い腕で男性一人を起き上がらせることが出来るとは、と少しばかり驚きながらもドアを開く。

「放って置いても大丈夫だと思うわよ」
「……うん、けど床は冷たいから」

タイルが丸見えの床は、木製の床よりも冷たいには違いない。

「……先、行ってて」
「いいけどぉ。早く寝るのよー?」

渋々といった様子で自室へと帰っていくセシルを見送って、室内へとまた戻る。

――


見える景色は、予想の範囲内。
酔いつぶれて唸っていたはずのエレメスが何の苦痛も感じていない顔で水を飲んでいた。
本当は酒にしこたま強い男で、飲み比べに負けるようなことはない。
それを知っているのは、数度こういう場面に出くわしたことのあるカトリーヌだけのようで。
別に誰かに教えたところで面白くもないので黙っている。
双方、顔を合わせないまま、カトリはお菓子を袋に詰めて。
エレメスは酔い覚ましの水を飲んでいた。

「……あんまり、飲むとお腹痛くなる、よ」
「気遣い無用でござる。――カトリーヌ殿こそ。
 あまり夜更けに菓子を食うと横に育つでござるよ」
「……魔法で、カロリー消費」
「ははは」


他愛ない会話だ。
関係は、仲間。
恋人ではないのだから、抱き合うこともない。
親友でもないのだから、肩を組むこともない。
ただ、そこにあるだけの関係が心地よい。

「じゃあ、おやすみ……」

隠しておいた菓子を腕に抱いて、ドアを開けようとした。
マントの端を捕まれる感覚に振り向くと彼が居た。

「……なに?」
「今日のことは、内密に。姫たちとはバカ騒ぎしていたいからな」

何時ものふざけた口調を改めた、普通の言葉。
笑うでもない、とても真剣な顔。
そっと手に握らされたのは、甘いチョコ。
口止め料といったところなのか。
短い平和を惜しんでいるのは、彼も同じだった。
――否。皆、惜しんでいるに違いない。
もし明日、平和が終わってしまっても悔いの無い様に騒いでいるのだ。
冒険者たちは日々強くなり、数を増していくのだから――有り得ないことではない。

「うん」
「カトリーヌ殿はいい人だ。さ、先に部屋へ」

そっとマントを掴む手を離された。
自分はまだここにいるから、と言うことかグラスを持ったまま彼は笑っていた。

「……おやすみなさい」
「お休み、でござる。また明日」


――


今度は振り返らずに、部屋に戻る。
手に握ったままのチョコを口に放り込むととても甘い。
「……また明日……」
誰に言うでもなく呟いて、そのまま横になった。
明日も、仲間とともに過ごせますように。
願わくば、可愛い弟や妹が無事でありますように。
あと、明日の晩御飯は久しぶりにカレーがいい。
ハワードに朝、頼んでおこう。
そんな取り留めのない考えをするうち夢に沈んだ。

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