食堂へと入ると、小気味よい、しかし何処か調子の外れた鼻歌が聞こえてきた。
 ドアを開けたまま首をかしげたセシルは、その声に釣られ厨房のほうを覗いてみる。自分は水を
飲みに来ただけで、まだ夕飯の時間には少し早いが誰か来ているのだろうか。
 しかし、どうにもこの妙に調子外れた声に聞き覚えがあるのは何故だろう。

「やっぱりあんたね」
「おや?」

 案の定、というべきか何と言うべきか。
 厨房のスキンの前では、いつもの戦闘装束の上に花柄エプロンをつけたエレメス=ガイルが上機
嫌にじゃがいもの皮をむいていた。水作業の邪魔になるのか、首に巻きつけているスカーフは外さ
れ、変わりに長い後ろ髪を束ねるバンダナへと用途を変えている。
 優男風な井出達と柔和な笑顔があいまってか、花柄エプロンが妙に似合いすぎていた。男の癖に。

「セシル殿、夕食の時間はまだでござるが……」

 右手の包丁はいまだじゃがいもに食い込んだままで振り向いたエレメスは、厨房の淵に立って何
故かこちらを呆れ顔で見ているセシルを見やりながら、

「さては、お腹が減って我慢ができなくなったのでござるな?」
「何がさては、よ、何が! そんなわけないでしょうが!」

 得心の言った笑顔で、「ダメでござるよ?」みたいなニュアンスを含めて阿呆なことを言い放っ
たエレメスに、セシルは罵声を放って水瓶のほうへ歩いていく。いつもみたいにエレメスの頭を小
突かなかったのは、流石に包丁などを持っている相手にはいくら突っ込みといえど行えなかったの
か。

 食器棚から自分のコップを取り出し、柄杓で水を掬う。室内保存なのであまり冷たくはないが、
それでも乾いた喉を潤すには十分だった。

「今日、あんたの当番だっけ?」
「そうでござるよ」

 流し台はエレメスが使っているため、飲み終わった自分のコップを何処におこうか迷ったセシル
は、結局テーブルへと持っていくことにした。確かに夕飯にはまだ早いが、かといって、今からこ
こにいても別に退屈するような長時間でもない。
 何気なしにエレメスへと訊ねた言葉は、単調な響きで帰ってきた。

「今日、何作るの?」
「んー……特には決めてないでござるなぁ。とりあえずじゃがいもが大量にあったから調理してし
まおうとは思っているでござる」
「大量にって、どれぐらいよ」
「ざっと二山」
「……山の大きさは?」
「……セシル殿の弓ぐらい?」

 セシルは、足元においていた弓を見る。
 そして、それをじゃがいもの山に置き換えてみた。

「……何、それ」

 眩暈がした。

「何でこんなにあるのでござろうなぁ……大人しく大量に蒸してみようかとも考えたでござるが」
「確かに、主食にしないとどーにもなりそうにないわね、それ……」

 主食にしたところで、その二山を全部食べきるのにいったい何食費やさなければいけないのか
わからないが。

「カトリーヌ殿に期待するしかないでござるなぁ」
「カトリーヌだからって、じゃがいもばっかりは……いや、大丈夫そうね」

 脳内に、さほど顔色を変えずにもふもふと熱々のじゃがいもにかぶりついてる仲間を思い浮かべ
たセシルはげっそりとため息をついた。とてもじゃないが、自分は食べれてせいぜい三つぐらいだ。
じゃがいもだけだと、絶対に途中で味と食感に飽きる。
 エレメスはこちらを見ないまま、むいたじゃがいもとむいていないじゃがいもとを、次々と分け
ていく。

「付けあわせとして茹で野菜でも、と思ったのでござるが……」
「えー、あたし茹で野菜嫌い」
「セシル殿、好き嫌いはいかんでござるよ。そんなだから――――」
「……胸のこといったら、あんたの頭にコップ投げつけるわよ?」
「いつまでたっ―――さすがに今は包丁を持っているので危ないでござるな」

 後ろから冗談ではない殺気を感じ、エレメスはため息をついて洗おうとしていたレタスを野菜籠
の中になおした。食材籠の中を見るも、どうやらセシルが満足いきそうな料理が作れるような食材
が見当たらない。
 作ってしまえば後は食べさせるだけだが、作る段階で嫌だと言われてしまっては作る側としては
どうしようもない。

「うーん……じゃあ、あと何を作るでござるかなぁ」
「まだ決まってなかったの?」
「決めようと思っていたらさっきセシル殿が」
「だってあんなおいしくないもの食べたいだなんて思わないわよ。アレならまだサラダのほうがお
いしいわ」
「……ポテトサラダにでもするでござるかなぁ」

 卵は何処にあったかな、と食材籠の中を探すエレメスをぼんやりと眺めながら、セシルは考える
ように両手で握ったコップへと視線を移した。右腕に巻かれたままの、赤錆びた色をしたスカーフ
が目に映る。
 スカーフの端を握り締めて、セシルは席を立った。

「よし、じゃあ、あたしが手伝ってあげるわよ」
「い゛!?」

 自分から申し出た恥ずかしさからか、僅かに頬を染めて自分の隣に立ったセシルを見つめ、思わ
ずエレメスは頬を引きつらせた。ここで包丁を取り落とさなかった彼をほめてあげるべきか、それ
とも、無作為に困りきった声をあげた彼を責めるべきか。
 ただどちらにせよ、彼の頭の中でまさかセシルが自分から言い出すとは欠片も思ってなかったわ
けで。

「ポテトサラダぐらいならあたしも作れるし。ただじゃがいも蒸かして潰して味付けるだけでしょ?」
「いや、その作り方は大雑把すぎるでござるが……というか、ですな、セシル殿」
「ん?」

 これが完全なる善意からの言葉であるから、手に負えない。
 以前セシルの手料理を食べて、三時間ほど三途の川でクロールを延々と泳がされていたことを思
い出してエレメスは身震いがした。

「拙者、金槌故もう水泳はこりごりでござるが」
「……は? あんた何言ってんの?」
「って、違う、そうではござらん。ええと」

 あたふたと、食材の中を覗き込む。このままポテトサラダを今晩の夕飯に設定してしまえば、お
そらく最終防衛地点であるこの流し台を占拠されてしまうだろう。皆の命の尊さを思い、エレメス
は心の中で黙祷をあげた。

 すまぬ、皆。もう無理かもわからんね。

「お」

 いざとなったら自分はクローキングで逃げればいいかと、半ばやけくそ気味に食材をあさってい
たエレメスに、それは鮮烈なイメージを齎せた。それは奇跡のようなイメージで、思わずいもしな
い神様に向かってこうべを垂れたくすらさせるイメージ。
 まるでいつもセシルに殴られて吹き飛ぶ血のような赤みをまざまざと見せ付けたのは、

「そうでござる、ポテトサラダはやめて、今日はコレを使うでござるよ」
「それって……トマト?」

 そう、トマトである。
 何処からどう見ても、何の変わり映えのないトマト。

「ポテトサラダにふかし芋だと、どうしても淡い味付け同士で飽きてしまうでござるからな」
「トマト使って何作るのよ?」
「そうでござるな……食べやすいようにスープでも作るでござるか。具材はこのじゃがいもを揚げ
たやつで作れば、味もしみてちょうどいいと思うでござる」
「へぇ……食べたことないけど、何かおいしそうね」
「そうでござろう? 味付けなどは拙者が知ってるでござるから、セシル殿の手伝いはいいでござ
るよ」

 にこ、とエレメスは破顔してセシルへと振り向いた。その笑顔の裏までセシルは探る洞察力など
は持っていないが、見るものが見れば何かをやり遂げたすがすがしい笑顔と見えるだろう。
 エレメス的にも、今の弁解は会心の出来だったと自分を誇る。現に、セシルは笑顔を向けられた
ことで頬に朱をさしていたが、別段、怒っているようには見えなかった。

「……う、それならそれでいいんだけど」
「おや?」

 おとなしく引き下がってくれたのは嬉しいが、ぷい、と視線をそらされてしまうのはどうしたこ
とか。

「……ふむ?」
「な、何よ!?」
「いや、あー……そう、でござるな」

 自分が数日前に巻いてあげたスカーフの端切れを握り締めながらこちらに向かって唸るセシルを
見て、エレメスは口の端に笑いを零した。同時に、他のメンバーたちにわずかばかり、謝罪する。

 すまぬ、できるだけ変なことはさせないよう見張るつもりではござるが。

「それでは、芋を蒸してはござらんか? ふかし芋用と食材用と、二つ蒸さなければいけないので
ござるよ」
「ぇ、ぁ……う、うん!」

 不貞腐れて俯いてた顔から、一転して満面の笑顔。これは反則でござるよ、と思いながらも、エレ
メスは内心不安でしょうがない。
 セシルの料理下手は、彼女の元来の味音痴のせいだというのはわかっている。たかが芋を蒸すだけ
だ、別に不安も何もないだろう、と自分に向かって必死に言い聞かせるも、どうにも不安はぬぐえない。
また三時間クロールしなければいけないかと思うと、胃がきりきりと痛くなる。

 けれど。自分の目の前で不貞腐れられていれば、流石にこういうしかござるまい。
 自分のトマトスープが出来るのが先か、セシルに変な手を加えられるのが先か。調理場に男女並ん
で一緒に料理するという色っぽいことのはずなのに、エレメスには冒険者と対峙したときのような緊
張感で溢れ、そんな余裕がまったく持てない。
 それでも、そんな状況を楽しんでいる自分がいる。

「セシル殿、とりあえずこれをつけるといいでござるよ」
「エプロン? 別にただ蒸かすだけなのに……ってあたしまで花柄!?」
「仕方ないでござる。これしかないのでござるから」
「……え、ってことは、いつもハワードもこれつけてるの?」
「例外なくこれでござるな。セイレン殿もつけていたでござろう?」

 セイレンとカトリーヌと料理することが多いセシルは、確かにセイレンの花柄エプロンは見慣れて
いる。むしろ、何か良いお父さんというイメージがしてほほえましかったりしたのだが。

 これを、あのガタイのいいハワードが。
 「やらないか?」とエレメスに迫っているハワードが。

 花柄エプロン。
 ついでに脳裏に浮かぶナイススマイル。

「あはははははっ!」

 呆然としていたセシルの笑いのたけが、一気に爆発した。

「え、ちょ、あのハワードがこれつけてるの? あはははは、嘘、やだ、信じらんない、あはははは
はっ!」
「……その反応から見るに、セシル殿。さては盛り付けのときエプロン外していたでござるな?」
「ぅ、だってしょうがないじゃない。いつもあの二人の分でエプロンなくなってるんだもん」
「じゃあ、せめて今ぐらいはつけるでござるよ。水が撥ねては冷たいでござろう」

 エレメスに言われて、しぶしぶとエプロンをつける。
 そろいもそろって、花柄エプロン二人組みの構図が出来上がった。エレメスが青色エプロン、セシ
ルが赤色エプロン。傍目には、何処からどう見てもカップルにしか見えない。
 その自覚が少しはあるのか、つけながら顔を赤くするセシル。そして、まったく笑顔を崩さないエ
レメス。対照的な二人が、それぞれの立ち位置を如実に表していたのは幸か不幸か。

「と、とりあえずっ! お鍋とかはあたしがするから、あんたは早くじゃがいもむいてよね!」
「はいはい、わかったでござるよ。ええと、残りのじゃがいもは……」

 食材籠が置かれているラックの上にじゃがいもを保管しているのか、背伸びをしてラックの上の籠
を開ける。ハワードやセイレンなら比較的楽に届くであろうが、彼らより五センチほど低いエレメス
は少しかかとが浮いていた。
 ひょこひょこと、バンダナで押さえられた後ろ髪が揺れる。

「……ってい」
「いたっ……っと、っと、と?」

 思わず、セシルはその髪の毛を掴んでしまった。
 いきなりバランスが崩され、エレメスはそれでも必死に踏ん張ろうと数歩たたらを踏んで耐える。
けれどそれが災いして、支えるものをつかもうとした両手がラックを掴み、その上にあった籠の蓋が
開いて、

「とおおおおおおおおおおお!?」

 スコールのように、エレメスに向かって降り注ぐじゃがいもの雨。
 どさどさどさどさっ、という凄い音に、自分のしでかしたこととはいえ肩をすくめていたセシルで
あったが、じゃがいもに埋もれて腰をついたエレメスを見て、

「やーい、バカー」

 おかしそうに、笑った。
 じゃがいもの山に埋もれて声が出なかったエレメスは、咄嗟に何か言おうとして、それでも言うべ
き言葉を失ってセシルに向かってやれやれと苦笑した。

 何だかんだ言うけれど。
 自分と彼女は、結局こうした時間を嫌がってはいないのだと、僅かな満足感と寂寞の想いを、胸に
とどめたまま。





 夕飯の出来は、自分が手伝ったと言うのもあってか会心の出来だった。何故か自分が厨房に立って
いる姿を確認した途端に他メンバーは一瞬固まっていたけれど、アレはいったいなんだったのだろう
と思わなくもない。
 それでも食べるとき、喜んでくれていたからいいのだけれど。セシルはそんな風に顔をにやけさせ
て自室へと引き返していた。
 ちなみに、その喜びは安堵という感情でイコールされているのだが、そのことは誰もセシルには教
えてはいない。知らぬが仏と言う言葉もある。

 自室へと入り、後ろ手で鍵をかける。普段ならこのまま部屋着に着替えてベッドへとなだれ込むの
だが、今日はそうは言ってられない。昨日までの続きをしなければいけないし。
 セシルはとりあえず着替えだけを済ませ、自室に備え付けられている机へと向かった。

 薄桃色のセーターの袖元にあるのは、数枚の古い紙切れであった。紙の端々ではなく、紙面ほとん
どが黄褐色の色に変色しているため年単位、というものでもないだろう。何年前の物か、別に考古学
を志しているわけでもないセシルには傍目では判別つかなかった。おそらく、自分の年齢よりも前の
ものだろう、というのはわかる。
 肘を立てながら椅子に座り、机の上にその紙をばら撒いた。合計、四枚。

「はー……もう、文字がかすれすぎてるのよね、これ」

 眉根を寄せてその紙を見つめる。
 紙が変色しているだけならばまだよかったのだが、それに印字されている文字さえもが既に消えか
かっていた。あのスナイパーがわざわざ罠破壊という前準備を行い、その後囮まで使って潜伏して入
手しようとしたものだから重要なものだとは思うも、これを一人で解析するのには想像以上に骨が折
れた。というよりも、彼女が知っている文字とも多少形式が違う気がする。
 カトリーヌあたりに解析を頼もうかとも思ったけれど、セシルにはそれができなかった。あのスナ
イパーへの敗北感は未だにセシルの中に色濃く残っているし、そして何より、

「……なんだって、百年以上前の日付が記されているのかしらねー、これ」

 ひらひらと一枚を顔の前で浮かせながら、セシルは物憂げにため息をついた。
 変色した紙。かすれた印字。そして、その紙の右端上に記された百年以上前の日付。何から何まで
怪しすぎる。
 未だ侵入者に警戒して巡回を続けているカトリーヌに、これ以上何か物事を頼むのは気が引けた。

 昨日までの二日で、とりあえず一枚は何とか解析はできた。別にそこまで内容も長くはないのだが、
かすれた文字とにらめっこと言うのは結構目に堪える。どんな小さなミスさえも見逃さないセシルの
目だからこそ、すべての文字の相違点を見抜きだして羅列し、精密にここまで解析できたともいえる
けれど。

 紙に書かれていたのは、何かの日記のようだった。かすれているその文字は、筆者の性格を現した
かのようにきっちりとした文字で書かれている。

『**月*日
 工程想定も架橋に入った。メインクラスのレビューもほぼ完璧となり、穴すら見当たらない。
 サブクラスの実装も可能となった。あとは研究員が総出でプログラミングすれば完成するだろう。
 問題はインターフェースだ。インターフェースのレビューも出来ている。
 問題は、これに適正とされるものを見つけ出すこととなるが……。
 明日は早番だ。早く眠ろう。』

 ……

『**月○日
 メインクラスとサブクラスのプログラミングが八割完成した。
 あとはインターフェースのプログラミングと適正モルモットの発掘を同時進行すれば、デバックな
どの時間とちょうどかみ合うはずだ。
 これでやっと肩の荷が下りる。もう何日家に帰ってないだろうか。
 妻の手料理が早く食べたい。』

 ……

『○○月*日
 インターフェースプログラムも完成した。必要なメソッドはすべて詰め込み終わったはずだ。
 適正モルモットも具体数目をつけたようだ。
 けれど、自分たちでは適正モルモットの捕縛まではできない。
 何処のギルドにそれを委託するかが問題だ。
 デバックも終わらせなければいけない。けれど、あと数月の辛抱だ。
 娘の誕生日は、もう過ぎたらしい。』

「これをあと三枚、かぁ……あたし一人じゃきついわよ、ほんと。もうやめよっかな」

 解析した一枚目の写しを見ながら、セシルはため息をついた。何処からどう見ても何処かの研究員
の私生活である。メインクラスだのサブクラスだの、そこにある表記だからそのまま書き写している
だけで、実際の意味なんてセシルにはさっぱり理解できない。

 けれど、この言葉の端はしに微妙な齟齬を感じる。日付は飛び飛びになっているものの、それでも
二月もの記録を一枚にまとめ上げているこの研究記録。一人でやるのに骨は折れるが、けれど、何故
かこれを手放すことができなかった。
 とはいえ、完全な好奇心だけでやってるので、他の人に頼みたくないのも事実で。
 よし、と伸びを一つ。セシルは残り三枚の古文書に取り掛かった。




『△△月×日
 適正モルモット六体にインターフェースを組み込み終えた。
 今のところ、依然としてどれも拒絶反応は見当たらない。バイオ研究科のほうは大喜びのようだ。
 我々システム制御科のほうは、むしろこれからが大忙しだ。
 新たに浮かび上がるバグに対して二十四時間体制で見守らなければいけない。
 プログラム科のほうも常勤が増えて大変だろう。
 最近、妻の声が思い出せない。』

 ……

『□月**日
 実働実験も七割方成功と言える。
 今までバグらしきバグはさほど浮かんでいないため、うちの科ではこのままいくのではないかとい
う楽観が少しずつ浮かび始めていた。自分もそうなればいいと思う。
 ただ、どうにも自分には矛盾を感じてならない。
 もしこのシステムが実用化されて運営されるならば、誰がその観測を続けるのか。次の世代、次の
次の世代へと引き継がれていくのか。
 次の世代……娘は、元気だろうか。もう**年逢えていない。』

 ……

『**月**日
 もう雪が降る季節となってしまったか。
 研究は初動実験全てにおいて成功を収めた。次はチルドレンタイプの検体を集めるらしい。
 メインクラス、サブクラスはそのまま流用できるものの、検体の不可領域に達するまでのインター
フェースの制御値などを変更しなければいけないだろう。
 プログラム科の連中がまるでお通夜のように沈みかえっていた。自分の科も同様だったが。
 それより、この研究に対する献金は何処から出ているのだろう?
 チーフにそれを聞いても何も口を開かない。』

 二枚目の解析を終えた。
 一枚目と似たような言葉が多いため、あらかたスムーズに進んだ。
 もう夜も更けた時間になっていたが、セシルはそれに気づかない。まるで取り憑かれたように解析
を続ける。




『□月○日
 第二期ともいえるチルドレンタイプの検体実験も無事成功を収めた。
 モルモットの被害は三桁に達してしまうところだったが、メインクラスとなったプロパティは生き
残っているので問題ない。インターフェースなどは所詮、外殻に過ぎないのだから。
 むしろ、モルモットが三桁に満たなかったのが僥倖といわざるを得ない。
 それに、たとえいくら被害でようとも、別にそれはそれでまったく問題などないのだから。
 モルモットなど、腐るほどいる。』

 ……

『日付の概念など、もはや不要になってきた。
 こうして日記をとることすら、この研究所内部では異端であろう。
 第一期インターフェースと第二期インターフェースの戦闘実験を試みた。
 おかしい。
 確か第一期のインターフェースには強化スキルを発動できるように組み込んだはずだが、通常のスキ
ルしか発動していない。
 それでも、その肉体操作から生まれでたスキルは、既存のものとは比べほどにならないほどの攻撃力
を生み出している。実験は成功とするべきだろうか。
 この実験の際に、チーフが亡くなった。
 肉体操作していて寿命もかなりごまかしていたようだが、なかなか満足のいく人生だったろう。
 私が、次のチーフに選ばれた。もうこの研究所に来て、1**年となる。』

 ……

『おかしい。
 最後に日記を記したのがいつだったのか思い出せない。
 些細なことか。ここでは年月と言う概念など数値でしかありえない。
 第一期インターフェースと第二期インターフェースの実験も無事終了した。
 全てのバグも修復し、メインクラスも既に培養庫へと移し終わった。
 四階部のプロテクトも既に実装済である。
 これで自分たちの任も解かれるだろう。後は上への報告だけだ。
 ああ、これで家に帰れる。何年ぶりだろう、何百年ぶりだろう。
 妻と娘は元気だろうか。』

「……何、これ?」

 三枚目の解析を終えて本文を読んでみたセシルは、思わずそれを取り落としそうになった。
 夜は当に更け、しんとした空気が部屋の中を支配する。その中で吐く自分の息でさえ大きな音に聞こ
えるほど、セシルはその書類に恐怖を抱いていた。
 だって、これは。もし自分の解析ミスでないのならば。

「……人が数百年生きてる……って、こ……と?」

 月単位の移り変わりが異様に速いとは、二枚目で気づいていた。
 けれど、これは早いなんてものじゃない。人間の寿命がまるで無視されている。
 そして、その過程で壊れていく良識。最初は人格的なものがうかがえた文章も、後半になるにつれて、
マッドサイエンティストのそれとなりつつあった。まるで、自分以外全てを研究材料と見ているような。

 それに、このモルモットというのは、もしや―――。



 最後の四枚目の解析を、始めた。
 それは、狂っていた。



『実験は成功した。
 成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。
成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成
功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功
した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した。成功し
た。成功した。成功した。成功した。成功した。成功した成功した成功した成功した成功した成功した』

「―――――――――――っ!?」

 幾重にもわたる同じ単語の羅列。同じような字体で、同じような大きさで、同じような精密さで。
 それは幾重にも渡って書かれていた。
 セシルは喉元にこみ上げた悲鳴を飲み込む。まるで、何かを呪うかのように細かく書かれた四文字。

 狂っている。文面の上で、筆者の狂気が隠しもせずに踊っていた。

 成功した。
 成功したのなら、何故――――こんな、呪詛のような言葉を書き連ねたのだろう。
 震える指先で、続きの文字をなぞった。

『インターフェースを
                               放棄

 仮想肉体  に

           駄目だ      あいつは
 殺せ

             あれは            だめだ          
 悪魔が               くる       黒い
     金色の             月のような

          悪魔が                                』


 もはや、日記とすら言えなかった。
 今までのような薄気味悪い精密さすらない、書きなぐりの単語の羅列。それも行ごとではなく、まる
で空間的に書かれたような乱雑さ。
 セシルはこの紙を今すぐ処分したかった。捨てたかった。何もなかったことにして、すぐさまベッド
の中に入り、明日のことを考えて眠りにつきたかった。

 もう夜も遅い。そうするべきだ。別にあのスナイパーに対して不可解なまま終わったっていいじゃな
いか。
 あのスナイパーが何を探りたくてこんな文書を盗み出したのかは知らないけれど。

 これ以上、深入りしてはいけないと、脳が発している。

「あ……ああ……」

 それでも。その文字が目に入ってしまったから。
 声が言葉が震えた。思考が言葉にならない。もう、そのまま目を閉じて何も考えたくなかった。
 指先でなぞる。期日が確かならもう数百年昔のその紙は、触れるたびにぼろぼろと表面が剥がれてい
くけれど。

 その名前だけは、翻訳しなくてもはっきりと目に映った。 

『悪魔が           くる
        悪魔が        エレメス=ガイル         が        』


 それは――――彼女が生涯の中で最も心を許した男の、名前だった。
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