放棄された研究所――いや、正しくは手に負えず封鎖された、だが――レゲンシュルムの
通路を、踵を鳴らして足早に歩く少年がひとり。
目の醒めるような真っ赤な髪に、理知的な光と不思議な陰影が重なる薄暮色の目。
魔術を志す者たちが纏うものと同じローブを引っ掛け、迷いなく広い研究所を進んでいく
のは、ラウレル=ヴィンダーだった。
難解そうな魔術書を数冊片手で抱え、もう一方の手で一冊を肩叩きのようにトントン動か
しながら最後の角を曲がる。

「……」

所謂、図書室の扉を開けて、無表情のままゆっくりまばたきする。
図書室というよりも、研究所として正常に機能していた頃の総合資料室。
意外なことに読書が趣味という勤勉なラウレル以外、あまり好んで足を運ばないようなそ
の部屋に、珍しく先客がいたのだ。
その本棚に向かって精一杯背伸びをして手を伸ばす後姿に、失笑する。
成程、確かに真面目な彼女ならここに来ることもあるのだろう。
コチラに気付かない程、一生懸命なその背中。
揺れる藍色の髪の毛は間違いなく、イグニゼム=セニアのものだった。
手近な机に持ってきた本を置いたラウレルは、少女の取ろうとしていた本を後ろから手を
伸ばして抜き取った。

「あっ」

案の上セニアは焦った――というよりも狼狽えた――声を上げた。
視線で本を追って頭上を見上げたセニアを見下ろすと、こんな些細なことで泣きそうに困
惑した淡い金色の瞳と目が合う。
何の本かと思ったラウレルが表紙を見てみると、それは料理の本だった。この研究所のあ
るシュバルツバルドではなく、隣国のルーンミッドガッツの料理本――そういえば食事当
番がセニアとイレンドだったな、とラウレルは思考の端で思い出した。
取ってやった本を、自分より頭2個分身長の低いセニアの頭にのせてやる。

「ホラ」

ぽすっ。

「……あっ、ああありあとうごあいま――」
「慌てるな。ゆっくり言え。舌噛むな」

あわあわと頭の上の大きな本に手を伸ばしてお礼を言おうとし、あまりに慌てすぎて舌を
噛むセニアの額を小突く。
――と、

「……?」

頭の上にのせた本を押さえるセニアの片手。
その手首で、何かがチカッと鈍色に反射したのが見えた。
それの正体が何なのか思い当たるものがあって、眉を寄せたラウレルはセニアの左手を
少々強引に引っ張った。

「あっ」

もう一方の手が舌を噛んだ口を押さえていたため、頭にのっていた本が頭から落ちた。
それがラウレルの空いた手で受け止められたのを見て、セニアが安堵に息をつく。
そんなセニアの様子など見向きもせず、強引に挙げさせた左手を見つめて、ラウレルは不
機嫌を隠そうともせず盛大にため息をついた。
鈍色の正体――たびたび襲いくる侵入者たちの嫌な言い方を借りれば、囚人の腕輪。
自分たちのサンプルナンバーとコードネームが刻まれた、忌々しい鎖。

「お前、まだこんなのつけっぱなしだったのか」
「えっ……と……」

睨む、というよりも、呆れて目を細めたような。
ラウレルの眇めた目に見下ろされたセニアは、彼が何のことを指してそう言ったのか気付
いて慌てて左手を引っ込めた。
両手を後ろに回してラウレルから見えないように隠し、ふるふる首を振る。

「こ、これは違うんですっ!」
「何が違うんだよ。どう見ても昔つけられてた鑑札じゃねーか」

言いながら、少々腑に落ちない。
あの鑑札は抜け落ちたりしないよう、鎖の長さがぴったり合うよう手首に合わせられて作
られていたため、外しようがなかった記憶がある――研究所が封鎖された後、わざわざエ
レメスに錐で外してもらったくらいには頑丈だったはず。
が、今しがた見たセニアの左手に巻かれていたそれは、違ったのだ。
一重にぴったりとはめられているのではなく、二重にぐるっと巻きつけてはめられている。
幼いセニアの小さな手には余る長さの鎖。

「ちょっとそれ、見せろ」
「だだだめですこれは!」

興味を持ってセニアに手を伸ばすと、素直で嘘をつかないセニアにしては珍しく、拒絶を
示して腕輪を隠したまま後退った。
それが気に入らなかったラウレルの眉間が、ますます縦皺を深くする。

「だめじゃんラウレルー」

あわや強硬手段に出ようかとラウレルのこめかみが引きつったが、それとほぼ同時に現れ
た気配に怒りゲージがすとんと下がった。

「女の子いじめるのカッコワルーイ」
「きゃっ!?」

一体いつの間に入ってきて、どこから見ていたのやら。
突然セニアの後ろに現れたトリスが、背中から小さい少女をがばっと抱きしめた。
庇うようにセニアを抱えてその頭に顎をのせたトリスが、おさななじみの悪事を発見した
こどものような笑顔でラウレルを見遣る。

「別にいじめてねーよ」
「はいはい。恐い顔しないの」
「恐くしようと思ってしてねえ。顔は生まれつきだ」

どうも、女の子には強く当たれない。
トリスの出現で調子を狂わされたラウレルは、不貞腐れた顔で口を尖らせた。

「見せて欲しいならもっと穏やかにやりなさいよね〜」

抱き込まれたセニアが、はっと目を見開く。

「例えばこんな風にっ」
「あ……!」

気付いたセニアが手を伸ばすより先に、トリスは身を翻してラウレルの隣に移った。
その手には、鈍色に光を反射する鉄鎖。
慌てて背中に回していた手を顔の前に持ってきて、そこにあったはずの腕輪が無いことを
確かめたセニアは、途端に激しく狼狽えはじめた――が、取り戻そうと飛び掛っては来ず
に、目元から頬を真っ赤に染めてその場に立ち尽くす。
さすが盗賊タイプだけある。
その狡猾さと素早さに、ラウレルは呆れ顔で隣の少女を見下ろした。

「お前の方がえげつねえよ……」
「まぁまぁ。しかしあっさり外れたわね」

錐まで持ち出して鎖を壊すほど、それが頑丈なことはトリスも知っている。
掠め取った腕輪を目の高さに持ち上げたトリスは、その腕輪にアクセサリーのように留め
具がついているのを見つけてまばたきした。

「あれ、なんで留め具ついてるの?」
「……何?」

聞いたラウレルも眉を顰めて覗き込む。

「あ、あああああのえっと! そ、それはそのちちちがうんですっ!!」

じっくり見られて困ることでもあるのか。
羞恥なのからかどうか、もはや目元に涙さえ浮かべて頬を染めるセニアは、その手の趣味
の人が見たらすぐさらっていってしまう程無防備な表情で、ぺたんと床に座り込んだ。
ちいさな両手で顔を覆って俯く仕種さえ愛らしく、指の間から覗く肌は真っ赤。
その様子を見て、これは余程何かあると踏んだラウレルは、トリスと一度視線を合わせて
から、頷きあうように腕輪を観察した。
セニアよりいくつか年上の彼らの手首にも余る鎖を手繰って、プレート部分を見る。

「……あ」
「……あ」

二人同時に目を見開く。

「――――!!!!」

それを耳にするが早いか。
声にならない悲鳴をあげたセニアが完全にうずくまり、床に伏せてしまう。

セニアが何故これをつけたまま居たのか。
何故これを隠そうとしたのか。
何故鎖が長く余っているのか。
それら全てを理解したラウレルとトリスは、各々の反応で丸まったセニアを見遣った。

「……」

何だか妙にそれが気に入らなかったラウレルは、何かに当たりそうなくらい不機嫌そうな
表情で舌打ちして目を逸らし。

「へぇ〜……」

何だか妙にそれが面白いネタだと受け取ったトリスは、誰かに言いふらしそうなくらい全
開の笑顔でセニアの背中と腕輪を交互に見つめた。

わかってしまえばどうということはない。
これはセニアにとってお守りのようなものなのだろう。
見つめるトリスの視線の先。
鈍色の長い鎖の輪の向こう側で、紅く上気させた目元に涙を浮かべたセニアが顔をあげた。
ちゃら、と音を立てた腕輪のプレートには、名前が刻まれている。

多くの侵入者曰く、囚人の腕輪。
研究体のサンプルナンバーとコードネームが記される鑑札。

そこに刻印されたものは、セニアの名前ではなかった。





――006:Seyren=Windsor





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剣兄妹ショート。
評判よりけりで、続くかも知れません。
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