花火は、凡そ半時間ほどで終わりを告げた。
 最後に特大の華が夜空に弾け、僅かな余韻を残してまた夏夜は静寂を取り戻す。二人とも手にそれぞ
れの酒を持ったまま、その余韻を味わうように花火の代わりに存在感を取り戻した星月を眺めていた。
 その余韻を打ち消すように、その余韻に重ねるように、何処からか笛の音が聞こえてくる。

 冷酒を一口、飲み干した。
 エレメスの脳裏に、宿屋の入り口に張ってあった張り紙が思い出される。

「これは……ふむ、今日は祭り日でござったか」
「祭り?」
「縁日でござるよ。セシル殿は行ったことないでござるか?」
「い、行ったことぐらいあるわよ! 馬鹿にしないでほしいわ」

 空になった冷瓶を縁側に置きつつ、エレメスは方眉を上げた。

「ふむ。セシル殿の地方の縁日はどんな感じでござった?」
「え!? ええと、そうね、あたしの方は……」
「いやー、それにしても、縁日というのはアマツ以外にもあったのでござるか。初耳でござったよ」
「え?」

 果たして、その笑顔はいつもの笑顔かどうか。
 エレメスのへらへら笑顔に、酒のせいではない原因で頬を染めたセシルは、思わずエレメスの側頭部
にぐーで殴りつけた。

「いきなり何をするでござるか!?」
「ややっこしい言い方するあんたが悪いのよっ!」
「い、言いがかりでござるー!?」

 殴り倒されたエレメスが抗議の声をあげるが、それを上回る勢いでセシルから噛み付かれてしまう。
別にからかったつもりはなかったのだが、どうやらそう受け取られてしまったようである。生まれたと
きからのこの微妙な笑顔が原因なのだろうけれど。
 どうしたものかと途方にくれるエレメスは、

「そうだ、セシル殿」
「何よ?」

 グラスを両手で持ちながらちびちびと酒を呑んでいるセシルを振り返った。
 瓶ごとワインは持ってきたはいいが、実のところ少しずつしか呑めないためほとんどセシルは呑んで
いない。頬にうっすらと朱色が差してはいるものの、自分に対してちゃんと会話が出来る時点でそう酔
ってはいないだろう。
 だから、エレメスは客室から未だ聞こえてくる阿鼻叫喚の悲鳴を脳内から削除し、遠くから聞こえる
祭囃子に耳を傾けた。

「祭り、行って見ないでござるか?」
「えー、あんたと?」
「さり気なく傷つくでござるな、それ」

 誘ってみたはいいけれど、薄桃色の姫君の反応は芳しくなく。錆色の髪をぽりぽりと掻きながら、困
ったようにエレメスは夜空を見上げた。
 花火が終わってしまった以上、もう祭りはあまり長くはないだろう。そろそろ縁日へと足を運んでい
た客も引き始める頃合だ。どうせなら、縁日というのを見せてあげたかったものだけれど。
 それならばせめて、セシルが酔いつぶれるまで晩酌に付き合おうとエレメスが縁側へとあがろうとし
たら、

「ま、別にいいわよ」

 セシルは、グラスに入っていたワインを全部飲み干して、エレメスのほうを見ないまま頷いた。

「誰も行く相手がいないエレメスのために、あたしがついていってあげようじゃない」
「いや、別に拙者はどちらでもいいのでござ」
「何よ、あたしじゃ不服ってこと?」

 酒が回ってきたのか、ぎろり、と据わった目つきで睨まれる。マーガレッタと行きたいと思う心がな
いのかと言われれば嘘になるけれど、しかしそれでも、エレメスはいつもと変わらない笑みでセシルの
ほうを振り向く。

「いや、誘ったのはこちらでござるから。歩けるでござるか?」
「子供扱いしないでよ、これぐらいで酔わないわよ!」

 縁側においてあった下駄を履き、セシルへと右手を差し出す。だが、セシルはその手を払いのけて、
「下駄とってくる」といって客室へと消えていった。
 払われた手をにぎにぎと握りながら、エレメスは嘆息一つ。ちらり、と、セシルが消えていった客
室を覗くと、相変わらずな光景がそこで繰り広げられているのを確認し、捕まらないうちにそそくさ
と玄関へと回った。




「うわぁ……」
「おお、これはこれは」

 からんころんと下駄を鳴らしながら、宿を出て凡そ十分。そこにたどり着いた二人は、思わず感嘆
の声を漏らした。
 宿屋の張り紙に書かれていたのは、祭りの開催場所までの簡単な道のり程度だったので規模はわか
らなかったが、実際の規模はかなりのものであった。大通りに沿うようにずらーっと並べられた様々
な出店や、エレメスやセシルが着ているような色とりどりの浴衣を着ている男女、そして、大きく組
まれた櫓がぱちぱちと静かな音を立てて燃えていた。
 祭囃子はあちらこちらから一定の音色で流れ、柔らかい笛の音色がその静かな炎を空へと連れて行く。

「ちょっと見くびっていたでござるなぁ、まさかこれほどとは」
「ねぇねぇ、アレ何、アレ何?」

 やっぱり初めてでござったか。口の端にその感想を滲ませ、エレメスは自分の袖をくいくいと引っ張
って興奮するセシルに笑みをこぼした。この様子だとおそらく暇をすることはないだろう。
 どうやら、セシルにとって見れば出店という存在自体が珍しいらしい。二人は道なりに歩みを進めた
が、ほとんどの店でセシルは足を止める。エレメスはそれに嫌がることなく、自分の知る知識でそれぞ
れの出店を教えていた。

 金魚すくいに足を止めて。
 林檎飴の屋台に足を止めて。
 お好み焼き屋に足を止めて。

「……ん?」

 エレメスは、自分の袖が引っ張られている事に気づいた。

 メインイベントともいえる花火が終えて、徐々に客足は遠ざかっているものの、大盛況を収めている
この会場にはまだ残っている人も多い。小柄なセシルは元より、平均ぐらいの身長しかないエレメスで
さえ、人の波の中に埋もれかけてしまう。
 帰る人の流れの中で進む彼らは少しでも気を抜くとおそらく離れ離れになってしまうだろう。無意識
の内にか、セシルはエレメスの左裾を握っていた。辺りをきょろきょろと見渡しながら自分の後ろを歩
くセシルに、つれてきてよかったと小さく笑みをこぼした。

 ふと、エレメスの足が一つの店の前で止まる。

「ちょっと待っててくだされ」
「あ、うん。わかった……きゃ!?」

 セシルがそこを見ると、いくつもの顔がこちらを向いていた。無機質ないくつもの瞳に、思わず小さ
な声をあげて一歩引いてしまう。すると、一歩引いたことにより、それが何だったかよくわかった。セ
シルは上まで続いてるそれを見上げる。
 それは、格子型に組まれた幾つもの竹筒にずらりと並べられたお面だった。
 周りを見てみると、親につれられた子供がそれぞれお面を指差しながら親にねだっている。買い与え
られたお面を正面からかぶったり、頭の横に乗せたりして。そして、親の手に引かれてお店の前からま
た一組、また一組と消えていく。

 祭囃子が聞こえる中の、家族の憧憬。その光景に、セシルはほんの少しの間見惚れてしまった。
 そして、右肩が、まるでノックをするかのように軽く叩かれる。

「……ん?」

 ぼんやりとしたまま振り返った先に、

「バァ」

 少しこちらに向かって出っ張っている鼻先に、血で逆八の字を描いたかのような感情のない瞳。

「……っきゃああああああああああああああああああ!?」
「ぶぐっ!?」

 そんな不気味な狐顔と、目が合った。
 反射的に音速を突き破る勢いで、拳をその狐面の鼻っ面に打ち込む。往来のど真ん中というのに、狐
面はもんどり打ってその場にひっくり返った。その倒れっぷりとセシルの悲鳴で、道行く人々が何だ何
だと立ち止まる。
 だが、大半の人々が「何だ痴話喧嘩か」と、すぐに興味なさそうに通り過ぎていった。

「いたたたたた……まさかそんなに驚かなくても」
「あ、あ、あんたねー!? 時と場所考えなさい!?」

 べきっという音と共に鼻先は凹み、朱色の墨で描かれた髭の模様が声と伴って情けなさを増大させて
いる。さっきは不気味に見えた逆八の朱で描かれた狐の目が、何だか泣きそうな感じに歪んで見えた。
 これでは正面でかぶれないでござるな、と、狐面を外したエレメスはそれを左側頭部へと引っ掛ける。
 ちなみに、まったく反省の様子はない。

「っていうか、何なのよそれ。あんたに微妙に似ててむかつくんだけど」
「何か微妙にひっかかるでござるが……」

 意外とお面は硬かったのか、赤くなった右手にふーふーと息を吹きかけながらセシルは半眼でエレメス
の仮面を睨みつけた。

「名前は知らないのでござるが、何でもこの奥にあるアマツ神社に祭られている神様みたいなものらしい
でござる」
「ふーん……こんな奇妙なものを祭るなんて、この神社もあまり長くないかもね」
「セシル殿、さっきから散々な物言いでござるな」

 どちらともなく、面屋台から歩き始めた。祭囃子はまだ静かに夏空へと溶けていくが、人の流れは明ら
かに帰る方向へと傾き始めていた。奥へと進んでいるのは自分たち二人だけという錯覚さえも覚える、人
の波。
 どちらともなく、二人ははぐれないように手を繋いだ。

「……あれ?」
「ん?」

 引いていた手が止まったのに気づき、エレメスが後ろを振り返る。人の雑踏の中で、セシルは呆然とし
ながら自分の後ろ頭を触っていた。
 そこでエレメスも気づく。アップにしていたはずのセシルの髪が、肩を撫でて背中へと降りていた。

「髪留め……なくなってる」
「歩いてる途中で落としてしまったのでござるか……」
「うぅ、いつ落としたんだろ」

 後ろを振り返るも、人の歩みが多すぎて地面まで見えない。それどころか、急に立ち止まった二人をす
り抜けるようにして更に人の流れは増していく。髪留めを探そうにも、これだと探せない。

「気に入っていたのでござるか?」
「……っ、べ、別にそうじゃないわよ。ただもったいなかったな、って」

 言って、セシルはエレメスから視線を外した。
 そのあからさまな強がりに、エレメスは苦笑する。

「そうでござるか」
「そうよ!」

 外れた蒼い髪留めなんて必要ないと誇示しているのか、セシルは自身の茶色い髪を揺らしながら歩き
始めた。あちらこちらの屋台につるされた提灯の薄いともし火に照らされて、その髪はまるで、櫓から
登る火の様に朱色に照らされている。
 セシルの手が、一瞬何かを探すかのように宙に浮いた。エレメスの指先に触れる。

 慌てたように、その指先は離れた。
 二人の指先は灯りに照らされ、朱色に染まる。

 エレメスは抵抗するわけでもなく、セシルの揺れる髪を追いかけて歩む。いきり立った彼女の歩みにあわせて。
 相変わらず、人々の流れとは逆方向だけれど。
 そんな歩みが、エレメスには少し心地よかった。

 そして、セシルはとある屋台の前で足を止めた。

「……射的、でござるか」

 歩んでいた路地の右手にある店を見て、エレメスは呟いた。カウンターには五丁のコルク銃が置かれ、その脇に
三つのコルク弾。カウンターの置くには適度な距離がおかれ、いくつかの商品が等間隔で棚の上に並べられている。
屋台の看板には、「1ゲーム100z!」という文字が大きく書かれていた。
 もう祭りの時間も終わりに近づいているのか、棚に並んでいる品はもう数が少ない。これでは、今からやったと
ころで微妙な結果に終わるだろう。

 というのに。

「エレメス、これやらない?」

 お連れのお嬢様は、存外に目を輝かせていた。

「今からでござるか?」
「そうよ。これ、そこにあるのでアレを撃てばいいんでしょ?」
「そうでござるが……扱ったことあるのでござるか?」

 二人の声を聞きつけたのか、ガタイのいい店主がカウンターの奥から出てきた。もう店仕舞いを始めるつもり
だったらしく、その両手には大きめの箱を抱えていた。

「あれ、何だい兄ちゃん、今からやんのかい?」
「あ、いや、拙者たちは―――」
「うん、やります。二人分ね」

 エレメスが答えるより早く、セシルは自分の財布から100z硬貨を二枚取り出してカウンターへと置いた。
 しかし、それを見て店主は苦笑して手を振った。

「こんな状況だしな、金はいらんよ。好きなだけ撃ちな」
「え、いいんですか?」
「もう回収するつもりだったしな。それに」

 何だかどこかで見たことあるような笑顔を浮かべて店主は笑った。
 暑苦しいような、爽やかなような。そんな矛盾した豪快な笑い。

「こんな終わりがけに嬢ちゃんみたいに可愛い子が来てくれてお金を取るなんざ、俺にはできねぇよ」
「店主殿、お世辞を言ったところで何もでないでごグッ」
「もう、誉めても何も出ませんよー」

 自分では言うくせに、人がいったら殴るのでござるか。
 肺を強打され続きをいえないエレメスをよそに、セシルは笑顔を浮かべて店主と会話していた。

「じゃあ、エレメス。せっかくだから勝負しましょ。負けたほうがアレを買ってくること!」

 ずびし、と対面の屋台を指さす。視線を追うと、雑貨露店と金魚すくいの間に林檎飴の露店があった。
 だが、そこの露店もそろそろ店仕舞いを始めるらしく、ショーケースに並べられている個数は少ない。

 エレメスはそっと、セシルの横顔を覗き見する。
 髪留めが外れたセシルの表情は、僅かに虚像めいて見えた。

「……やれやれ、仕方ないでござるな。後で泣いても知らないでござるよ?」
「あら、あたしに勝てる気? アサシンとスナイパの違いを見せてやるわよ」

 エレメスの返答に不適に笑うセシル。エレメスは鼻の凹んだお面を横に被せ直し、店主へと向いた。

「それでは親父殿、銃を二丁貸していただけるでござるか?」
「あいよ。弾はいくつにするよ?」
「どうするでござる?」
「じゃあ、三つずつお願い」

 二人にそれぞれ一丁ずつの銃と、三つのコルクが渡された。
 何か面白そうな匂いをかぎつけたのか、行きかう人々が時折立ち止まって二人を見つめ始めた。

「勝敗条件は?」
「取った景品の中で一番大きなものを取ったほうが勝ち。個数じゃなくて大きさにしましょ」
「では、撃つ順番は交互でいいでござるな?」
「ん、先手は譲るわよ」

 スナイパーとしての余裕か、セシルはそう言ってカウンターから一歩下がる。
 台の中央を譲られ、さてどうしたものかとエレメスは棚を見渡した。残っている景品のほとんどがどれも同
じような大きさの小物しか残っていないため、先の勝敗条件では圧倒的大差をつけるのは難しい。


 ―――とすれば、アレでござるか。


 棚の左上奥。そこに、まるで射的屋の主のように鎮座する大きな灰色のぬいぐるみ。
 ゴーストリングの、等身大の人形だった。

 エレメスは銃を左肩に乗せ、狙いを定める。スナイパーであるセシルほどではないが、これでも動体視力、
地形把握などは自信があった。アサシンクロスゆえに三次元での戦いが得意というのもある。
 ゴーストリングの右目に当たる部分に狙いを定め、引き金を引いた。

「あ、やっぱりそれ狙ったわね……!」

 ポン、という空気が抜ける音がして、コルクは狙いたがわずぬいぐるみへと命中した。
 しかし、コルクの威力が足りなかったのか、ぬいぐるみは僅かに左へ傾いただけで落とすには至らない。

「うーむ、やっぱり難しいでござるな」
「じゃ、次はあたしの番ね」

 セシルはカウンターに寝そべるようにして身を投げ出し、コルク銃をライフルのように右肩に構えた。しん、
と、祭りの喧騒の中でその一角だけが打ち水を行った後のように静まり返る。
 左肩には流れた髪が数房しなだれるようにかかり、元々裾の短かった浴衣が身を乗り出しているせいで更に
きわどい位置まであがった。観客の一部がその妖艶に仕草に思わずため息を漏らした。

 エレメスはカウンターの上に座り、セシルの射撃を見守る。
 エレメスの視線に気づけないほど射的に集中しているのか。セシルは一度も標的であるゴーストリングの人
形から目を離さずに、弾を放った。
 先ほどエレメスが撃った場所とほぼ変わらない位置にコルク弾は命中したが、やはり小さくぶれるだけで、
落とすには至らない。

「……思ったより威力低いわね、これ」
「さて、では拙者か」

 エレメスは台座に乗ったまま銃を構えた。先ほどより若干目線が高くなるが、その分銃の俯角を調整して引
き金を引く。
 セシルとあわせて合計三発、それら全てはほぼ同じポイントへと直撃した。おそらくセンチ単位では変化が
ない。
 そして、視線が高いことが幸いしたのか、エレメスにはその人形の端が棚からほんの少しではあるが外れた
のが見えた。
 狙いどころさえわかれば、おそらく後一発で落ちるだろう。

 しかし、セシルはそれに気づいていない。
 先ほどと同じ体勢で銃を構え、僅かにその銃口をずらす。

「「おお!?」」
「あ……っ!」

 観客からの歓声が沸く中で、唯一、射撃者であるセシルのみが悔しそうな声を漏らした。
 僅かにずれた銃口から発射されたコルク弾はゴーストリング人形に命中し、大きく反動をつけてぐらぐらと
揺れ始めた。足場がずれていたため、ピンポイントで同じところばかり狙われていた人形はあわや落ちるかと
思わせる動きを繰り返す。

 だが、上から見えていたエレメスと、スナイパーであるセシルは、それぞれの反応を見せた。
 エレメスは静かに銃を構え、セシルは自分の負けを悟り唇をかみ締める。

 そんな二人を疑問符と共に見ていた観客の前で、だんだんとぬいぐるみのぶれは小さくなり、

「え!?」
「止まった!?」

 棚の上で、再びバランスを取り戻す。
 だが、その足場はもはや致命的なほどずれており、今までの命中精度を誇るエレメスならば確実に落とすだろう。
 エレメスは銃口をずらす。
 片方閉じられた金褐色の瞳は、ゴーストリングのぬいぐるみへと焦点をあわせた。

 その閉じられた視界の中に、セシルの茶色の髪が飛び込んできた。もうこの勝負を諦め、セシルが立ち上がった
のだろう。視界の端で、まとめられていない彼女の髪が踊る。

 ゴーストリングぬいぐるみの横に、エレメスは視線をずらした。
 ドロップの缶詰、小さなポケットサイズのぬいぐるみ、何かのキャラクターを模した貯金箱。その間に彫刻のよ
うに土台に固定された、長細いものが目に入る。

 エレメスの浴衣と同じ、若草色の光沢を持つ髪留めだった。

 銃口が僅かにぶれる。セシルは、それに気づかない。

「……ま、こんなところでござろう」

 エレメスは口元に笑みを浮かべて、コルク弾を発射した。




 結果は、セシルの勝利に終わった。
 セシルの獲得した景品は、その店の看板とも言えたゴーストリングのぬいぐるみ。射的屋を始めて以来初めてと
られたよと、人のいい店主は勝者のセシルに向かって笑いかけていた。
 対して、敗者のエレメスの獲得景品はゼロ。本来ならば勝てるはずだった勝負は、しかし、狙い所がきわどすぎ
たのかゴーストリング人形の頭上を通り越して、まさかの黒星となった。

 そして今、セシルの視線の先でエレメスは林檎飴を購入している。後ろで結われた彼の長髪と、片目だけ見える
狐のお面が視線の先で揺れていた。

 祭囃子が、段々と遠く聞こえる。人の流れは、もはや完全に自分たちとは逆を向いていた。
 様々な色の浴衣が、自分とエレメスの間を通り過ぎていく。道の両面にいる自分たちを掻き分けて、人々は帰途
へついていく。
 皆、それぞれが普段の日常を持ち、けれど今は皆が同じ格好をして一様に笑顔で、通り過ぎていく。

 セシルは、自分の後ろ髪に触れた。
 蒼い髪留めをなくした髪は、いつものように肩を通り過ぎて背中へ流れ、しかし服は、いつもとは似ても似つか
ない民族衣装のまま。蒼い花びらが散る薄桃色の浴衣。ただ、髪留めだけが足りない。


 櫓からあがる火の粉が、ぱちぱち、と淡い音を立てて祭囃子へと混ざっていく。


「……っ!?」

 はっとしてセシルは顔をあげた。多くの人が帰途へとつく流れの向こう、林檎飴の屋台。
 そこに、エレメスの姿は、なかった。

「え……う、そ……」

 慌てて周りを見渡すも、あの特徴的な錆色の長髪が見当たらない。頭の側頭部に乗っかっていた、彼にそっくり
だった狐面が見えたらない。
 人の流れの中で、セシルは彼の姿を探した。両の手でもたれていたゴーストリングの人形が、彼女の胸元に抱き
しめられた。

 朱色の提灯が少しずつ灯りを消していく。
 祭囃子が段々と遠くなっていく。

 いくつかの屋台は店仕舞いをはじめ、組まれていた骨組みが解体され始めていた。天井を覆っていた布は数人係
の手によって地面に下ろされ、骨組みとなっていた木の柱はその大きさごとに識別されてつまれていく。様々な店
主たちが協力して、一つの屋台を終わらせていく。

 終わりを告げる花火から始まった、二人の祭りを終わらせるように。

「セシル殿」
「ひゃぅっ!?」

 にゅ、っと、目の前に突き出された赤くて丸いそれに、セシルはびっくりしてゴーストリングのぬいぐるみを取
り落としそうになった。
 その林檎飴の手をたどり、若草色の袖にたどり着く。本来なら自分の目の先の露店にいるはずだった彼をセシル
は睨みつけた。

「〜っ、このバカッ! 何処いってたのよ!?」
「と、っととと? どうしたでござるか」

 ご注文どおりの林檎飴を握りながら、エレメスはその剣幕に気おされて一歩下がった。

「あんたが急にいなくなるからじゃない!」
「ああ、それは」
「うるさいっ! 言い訳なんて聞きたくないっ!」

 何か言おうとしたエレメスにセシルは数倍大きい声を被せた。
 その声に人々の歩みは止まり、いくつもの視線が彼らに集まった。

「あんたが、あんたが……っ!」

 セシルの両目から、ぽろぽろと涙が溢れ始める。ことの重大さをようやく感じ取ったエレメスは、セシルの手を
取った。

「っ、な、何するのよっ!」
「こっちでござるよ」

 エレメスはセシルの手を取ったまま、走りなれない下駄で神社のほうへ小走りで向かった。
 人々が帰る方向とは、逆の方向。セシルは、その手を振り解けなかった。

 指先から彼の体温が伝わってくる。
 手を繋ごうと伸ばした手が触れ合って、思わず払ってしまったときに失った温もり。
 日常へと帰る人々の流れの中で彼を見失ったときに感じた、その寂しさ。心細さ。
 それが、エレメスが握る手の先から満たされていく。
 祭囃子は段々遠くかすれていき、人々の喧騒は遠ざかっていくのに、その想いだけは満たされていく。

 セシルは何も言わずに、何も言えずに、エレメスの結われた髪を見て走る。
 彼の行き着く先が、何処かもわからないのに。
 それでも何も言わずに、彼の後ろを着いていった。

 そして二人は、アマツ神社の境内へとたどり着いた。神社の境内の証明は、既に落とされていて、明かりの消えた
提灯だけがいくつもぶら下がっている。
 灰になった火櫓は明日にでも掃除されるのだろう。火櫓を囲っていただろう柏の葉も、既に櫓の中の灰に混じっていた。

 そこでようやくエレメスは、セシルの手を離した。
 しっとりと汗ばんでいた指先が離れ、夏の夜風が二人の間を抜ける。セシルは少しだけ感じた寂寥の思いを、ゴース
トリングの人形を胸に抱いて蓋をした。

「ふぅー……セシル殿、あんな往来でいきなり叫んではダメでござるよ」
「だってそれはあんたが……っ!」

 置いて行ったのかと、思った。
 自身の胸に突き刺さる言葉を、セシルはすんでのところで閉じ込めた。

「何も言わなかったのは悪かったでござるよ。とりあえず、これでも食べて落ち着くでござる」
「むぐっ」

 口の中に、小さいサイズの林檎飴を突っ込まれた。表面の飴の部分がセシルの歯とこすれて、ガリッという音を立てる。
 エレメスの手から棒の部分を受け取り、セシルは林檎飴に歯を立てた。

「ちょっとこれを買っていたでござる……いや、余計なお世話だったら申し訳なかったでござるが」
「……?」

 がりがりと怒りの矛先を林檎飴にぶつけていたセシルは、エレメスが袖の中から取り出したものを見つめる。
 それは、薄明かりの中ですらはっきりわかるほどの澄んだ蒼石がついている髪留めだった。

 予想外のものに驚いたセシルは、エレメスの顔を見つめる。
 エレメスは、いつもと変わらずへらへらとした笑顔で。

「あんた、これ……」
「流石にアレを見つけるのは無理でござるからな……代わり、といえるほど高いものでもござらんが」

 確かに、それは雑貨屋で一ついくらで売られている安物だった。
 この暗闇の中でさえ目立つということは、単純に塗料でコーティングされているだけだというのはわかる。この蒼い石だ
って、きっと一山いくらの安物だろう。
 けれど、それでも。

「……ありがと」

 自分にも許された、日常という非日常な今日。
 それを繋ぎとめてくれる存在を彼から渡してもらえることが、嬉しかった。

「おぉ、セシル殿が素直に謝礼を言うとは……珍しいでござるな」
「う、うるさいっ! それより」

 右手には林檎飴。ゴーストリングのぬいぐるみは左手一つでぎりぎりささえられてる。
 髪留めを、受け取れない。だからセシルは、この際だから甘えてみよう、と、少しだけ自分の枷を外した。

「エレメス、それつけて」
「しょうがないでござるなぁ……」

 エレメスが自分の後ろに回る。髪の毛が結い上げられる。
 セシルにはその感覚がくすぐったくて、林檎飴をがじがじと齧った。

 祭囃子はすっかり鳴り止み、朱色の赤提灯は消えて。
 若草色の着流しと薄桃色の浴衣を着た二人を、ただ夏の余韻が夜風となって吹き抜けていった。
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