トン、トンとリズミカルに二階部と三階部を繋ぐ階段を下りていく。久方ぶりに
降りるこの階段に、ふとセシルは上を見上げた。
 三階から伸びた螺旋階段は、途中で一度も空を遮ることなく二階へと幾重にも螺
旋を描いている。三階の到達位置と二階の開始位置は吹き抜けでつながっており、
もうかなり小さくなってはいるが上方に自分たちが入って来た入り口が見えた。

 華美でも地味でもないが、しっかりとした装飾のなされた手すりを手でさすりな
がら、セシルはゆっくりと階段を降りていく。

「っと、セシル殿、ちょっと待つでござるよ」
「な、何よ、急に」

 気づけば、階段の開始部はかなり上で、足元は最後の段を踏んでいた。上を見上
げながらひたすらにぐるぐると螺旋階段を折り終えていたらしく、後ろから呼び止
められたことにちょっとばつの悪さを感じた。ついでに、それでよく目を回さなか
ったなと自分のことなのに少しだけ呆れた。

 エレメスに言われた立ち止まった場所は、ちょうど二階部へ続くゲートの前。二
階部から三階部へ入るにはこのゲートを通る必要性があり、その後の螺旋階段を通
じて三階部へと入ることができる。
 セシルは目の前にあるゲートを見上げた。天井まで届こうかと言う白亜色で統一
されたその色調に、中央に入ったちょうどZの字を描くような黄色い亀裂が印象的な
ゲートだった。目算にして、全長十メートル、ゲートの横幅だけで三メートル。螺旋
階段の高さをほとんど使ってるのではないかとすら思わせるその常識外れた広さのゲ
ートは、セシルの遠近感を簡単に狂わせた。
 そのゲートの横にはタッチパネルのようなものがついており、中央のZ字型の亀裂か
ら、おそらくスライド形式で開くタイプと連想される。

 思ったとおり、セシルがゲートの前に立ったことによって彼女の存在を認識したの
か、ゲートは、その大きさに似合わず微かに軽い音を立てて左右へとスライドしてい
った。ゲートの向こうに、あまり見慣れない二階部の廊下が見える。

 ただ、注意が行くのはそれぐらいなことで、ほかに目立つ面もないことは確か。
 そのゲートはただの通行路として存在するだけであり、呼び止められなければいけ
ないことも、さほどないようにも思われた。

「このまま行くと、警報が鳴るでこざるよ」
「え、そうなの?」

 セシルの思惑はよそに、タッチパネルへと歩きながら言うエレメスに彼女はちょっ
とだけ目を丸くした。セシルの初々しい反応が面白いのか、エレメスは柔和な笑顔を
浮かべたままタッチパネルの目に立つ。

「下への影響面を考えて、拙者たちは三階に固定でござるからな。知らないのも無理
はないでござるが、しかしでござるよ、セシル殿。二階と三階を行き来するのは、と
りたてて難しいことではないでござる。禁則事項だからこそ実行できなかったものの、
やろうと思えば簡単でござろう?」
「そういえばそうね……」

 言われてみれば、確かにそうである。
 冒険者たちが入ってくるように、撤退するように、ただ三階部の梯子階段を下りて、
そのままこの螺旋階段を下りれば二階へ到達する。ただそれだけのことなのだ。このゲ
ートもセシルが前に立つことで簡単に開いていったし、あのタッチパネルの存在はただ
の冗長のようにすら感じる。

 しかし、でござるよ。
 エレメスは先ほどと同じ言葉を繰り返し、タッチパネルへと指を滑らせた。

「冒険者たちがここへ来るのは勝手でござるが、きたからには排除しなければいけない
のが道理。それが拙者たちに課せられた法則でござるからな。だから、この研究所全域
には冒険者用の警報が用意されていて、彼らの来訪を知らせる。ソレと同じように」

 エレメスのタッチパネルを操作する様を、セシルは少し唖然としながら見ていた。
 元来、暗殺者は暗器などを扱うことから指先が器用なものが多い。エレメスも手先な
どは器用で、何かと込み入ったものを扱うところを目撃してはいたが。

 喋りながら、淀むことなく縦横無尽にタッチパネルの上を動き続けるエレメスの指は、
機械関係にまったく疎いセシルにとって見ればもはや残像すら浮かべているように見えた。

「三階以外に移動を許可されていない拙者たちも、許可なしでは二階部へ入ると警報が鳴
ってしまうのでござるよ。その中で、拙者は隠密が得意でござるから、よく二階の巡回に
まわされていたのでパスワードを知らせているのでござるよ」

 タタン、と軽やかな音を立てたのを最後に、タッチパネルから一歩下がるエレメス。そ
れとほぼ同時にタッチパネルの部位が薄く点滅し、少しかすれた電子音がタッチパネルの
横に備え付けられていたスピーカーから響き渡った。

「これでよし、っと。これで警報は鳴らないでござるよ」
「ふーん……というか。あたしにはあんたが何してるかまったくわかんなかったわ」
「セシル殿はこういうのに疎いでござるからなぁ。今度カヴァク殿にでも教えてもらえば
いいのでは?」
「えー、あいつに?」

 茶色の髪を片手でいじりながら、セシルは嫌そうにそっぽを向いた。

「前、訊いたことあるんだけど……そ、そうよ、あいつが説明下手なのよ! あたしは悪
くなんてないんだから!」
「……いや、別に拙者は何が悪いも何も言ってないでござるが。何かやらかしたのでござ
るか?」

 何か思い出したのか、いきなり怒りだしたセシルにエレメスは少したじろいだ。
 流石にそこまで怒り出すには何かあったのだろうと思ったエレメスは、出来るだけやぶ
蛇をつつかないよう、あまり茶化さずにストレートに聞いてみる。
 が、ただそれだけのことで、セシルの頬がかーっと真っ赤に染め上がった。

「あ、あいつがちゃんと説明しないから! いきなり煙上げてプシュンとかいって画面が
真っ暗になって!」
「…………セシル殿、本当に何をしたのでござるか」
「あいつが毎日、タナトスさんと会話してるっていうから、あたしもちょっとどんなのか
見てみたいなー、って思ってあいつの部屋行ってやり方聞いてたんだけど……」

 怒りの次は恥ずかしさがこみ上げてきたのか、頬を高潮させたまま、セシルの片手はス
トレートに伸びた肩口の髪をくるくるとロールし始める。最初の怒鳴るような勢いは消え、
視線は斜め下を向いたまま。

「そ、その、あいつがご飯作ってる間に……急に、ボンッ、って」
「……カヴァク殿に同情するでござるよ。さて、それでは行くでござるか」

 どうやら、既にやぶへびはつついていたようだった。
 自分のをセシルに触らせるのを辞めよう、と心に堅く誓いつつ、その先を聞くのも怖く
てエレメスは強引にこの話題を打ち切った。あまり話題を続けて自分のまで巻き込まれて
は叶わない。

「あ、そうだ、もしよかったら今度あんたの――――」
「ほ、ほら、早く行くでござるよ!」

 気づくのが一瞬早くて助かったと、エレメスは胸中でため息をついた。
 「え、ちょ、何よ?」と首を傾げるセシルの背中を押して、ゲートをくぐる。

 と、その途端。


 ――――――ビーッ! ビーッ! ビーッ!


「ちょ、ちょっと、鳴ってるじゃないの!?」
「あれ、おかしいでござるな。申請したはずでござるが……?」

 自分の背中に隠れているようにも見えるエレメスに、首だけ振り向いて怒るセシル。そ
の視線に当てられて、エレメスは困惑しながら後ろを振り返った。
 ゲートが、再び軽い音を立てて閉じていくことを含め、いつもととりわけ何も変わらな
い。

「ふむ、おかしいでござるな。いつもと何もかわら――――って、うぉおお!?」

 セシルの背から離れ、ゲートへと再び向かっていたエレメスの目の前を白刃が銀色の弧
線を描いて空を切った。エレメスがその殺気と刃先に気づけなければ、おそらく即座に首
を撥ねられていただろう。後ろに仰け反りながらかろうじて避けたエレメスの前髪を、チ
ィン、っと甲高い音を鳴らして数本弾き飛ばした。
 セシルと話していたのもあるが、それでも周囲にはそれなりに警戒をしていただけにこ
の奇襲には完全に虚を突かれる。
 セシルに至っては、エレメスの上げた声でようやく後ろを振り返った。

「奇襲で一撃目を外したら―――追撃は、ダメでござるよっ!」

 のけぞったエレメスが体勢を整えながら、薄く笑った。
 彼の体勢が崩れたのが好機と見たのか、相手は一撃目を振り抜いたまま構えなおさず振
り下ろされたそれは、何処にでも売られていそうな量産型の剣で、エレメスの目からすれ
ば構えから軌跡に至るまでの動作だけではなく、その剣についている僅かな刃こぼれさえ
も鮮烈に目に映った。
 ズタ袋から取り出したカタールを即座に腕にはめ、相手の剣先をカタールの刃先で受け
あわせた。

 セシルはその光景を見ながら、構えていた弓を下ろし、のんびり壁際に腰を下ろした。

 相手の刃に自分の刃を合わせ、相手の力のベクトルを完全にゼロとする。そのまま、相
手の刃先を舐めるようにカタールで沿わせ、相手の剣威を相殺するどころか、こちらの威
力を上乗せさせて下方向へと相手の剣先を研究所の床にたたきつけた。派手な音を立てて、
床のタイルが上方へと弾け飛ぶ。

 剣を握る相手が、はっと息を呑んだ。相手の刃先は、研究所のタイル張りの床に大きな
亀裂を作り、剣先五センチほどが床を貫いて埋もれていた。一息で引き抜いたとしても、
この距離ではそれが致命的な隙となる。

 相手は戦意を喪失したのか、剣を握る力が弱まる。エレメスもソレを見届け、しかし気
を緩めないままカタールを構えて後ろへ一歩引いて―――

「おや」
「あ」

 お互いに、間の抜けた声を発した。

「何だ、誰かと思えば……奇襲とはらしくないでござるな」
「も、申し訳ありません。エレメス様とは気づかず……!」

 相手が誰だとわかったのか、背中を越す長く綺麗な青髪をはたはたと揺らしながら、イ
グニゼム=セニアはぺこぺこと頭を下げた。

「先ほど、侵入者に逃げられた挙句にこのゲートを通られまして……ここにいれば、おそ
らく兄上達により追い返されるだろうと踏んでいて……」
「気づかなかった拙者も拙者でござ――――」


 ―――――サクッ


「―――るがアッー!?」
「え、エレメス様!?」

 何処からか飛んできた矢が、綺麗な弓山を描いて、にこやかな笑顔を浮かべていたエレ
メスの後頭部に小気味よい音を立てて突き刺さった。さすがにこれには予想外だったのか、
頭に矢が突き刺さると言う何処となく間抜けな光景のまま、エレメスは絶叫をあげる。
 慌ててセニアが近づき、矢を引き抜こうとして、

「セニアちゃんに―――」
「―――近づくなぁっ!」

 横から物凄いスピードと勢いを持って突っ込んできた少女が、チャリーンと音を鳴らし
ながら、その軽々しい音に似合わずえげつない量のコインをエレメスの側頭部に投げつけ
た。「げぉっ」というひしゃげた蛙のような呻き声を上げて横倒しになるエレメスの首根
っこをつかみ、その少女の後ろに追走していたもう一人の少女がエレメスを壁に押し付け
る。エレメスのカタールが、カラン、という音を立てて床に落ちた。

 矮躯とはいえ、それは単に贅肉をそぎ落としただけで力などではセイレンたちに引けを
取らないエレメスにまったく自由な動きをさせず、右手は首に巻かれたスカーフとエレメ
スの右腕を手綱のように強く背中に押し付け、左手は小ぶりな短剣を握り締めてエレメス
の首に沿わせている。

 少女は、長いお下げを揺らし、まるで壁に立っているかのごとくエレメスの背中に両足
をたたきつけていた。かがむような姿勢でエレメスの背に自身を密着させてエレメスの動
くをとめている。右腕と上半身を完全にキめている以上、エレメスは指一本動かすことが
できない。

「……あれれ、エレメスお兄ちゃん?」
「って、あれ……兄さん?」

 最初の矢から既に思考がついていってなかったエレメスは、ぐるんぐるん回る脳みその
酩酊感に負けて、もうめんどくさいとばかりにその思考を放棄した。




「あ、あははー……ご、ごめんね、兄さん。わたしってばてっきり」
「……」
「ま、まぁまぁ、ほら、エレメスお兄ちゃん。そんなに怒らないで。マーガお姉ちゃんの
丸秘写真あげるから、ね?」
「……」

 ……その丸秘写真というのには、少し興味があるでござるな。
 流石のエレメスも、いきなり弓で攻撃されたりメマーナイトを脳みそにたたきつけられ
たり、自分のそれこそ目に入れても痛くないほど可愛がってる妹に首筋にナイフを当てら
れて床に体を押し付けられて笑えるほど心穏やかではないらしく、ぶすーっとした表情の
まま腕組みをして椅子に座っていた。そのエレメスに対し、エレメスの妹であるヒュッケ
バイン=トリスと、ハワードの妹であるアルマイア=デュンゼは乾いた笑いをあげながら
必死に謝っている。

 そんな光景を見ながら、セシルは二階にある応接間の椅子に座り、のんびりと紅茶を飲
んでいた。スナイパーとしての彼女の目は、二撃目の剣戟が放たれた時点で襲撃者の正体
がセニアだと気づいており、暢気に観戦を決め込んでいたのだ。
 それがまさか、セニアだけでなく他の人たちまで勘違いして襲撃してくるとは思いも寄
らなかったけれど。

 ――――あ、違う。一人だけ勘違いじゃないヤツがいた。

「カヴァク」
「……ん? 何、ねーちゃん」
「最初の矢……あんた、わざとだったでしょ」
「……何のことだろ。オレはわかんないな」

 黒髪を揺らして、そしらぬ顔で紅茶をすするカヴァク。何となく裏があるような気もす
るが、セシルにはそれ以上を澄ました彼の表情から読むことが出来なかった。
 
「でも、軽い怪我でよかったですよね。ぼくのヒールでも回復がおいついたし……ただ、
頭を強打されてましたから、ちょっとまだあまり動かないほうがいいですよ」

 マーガレッタの弟であるイレンド=エベシが微笑みながらエレメスに声をかけた。頭に
ささった矢傷や打撃傷などを癒したのは彼で、うっかりすると女の子と間違えそうな可憐
な笑顔を浮かべている
 そんな笑顔を見せられてしまっては、ついついこちらの頬も緩むというもの。下手な女
の子より可愛いから始末に終えない。
 その横で、ラウレルはまったくこちらに関心なさそうな様子で椅子に座っていた。姉で
あるカトリーヌとそういうところはよく似ているのだが、彼の場合常にカリカリしてる印
象がある。わかりやすい例で言えば、彼の目の前を蝿が飛んだという理由だけで、逃げ惑
う蝿を追いかけて賞味一時間弱、ひたすらにソウル・ストライクを連打して蝿を追い回し
ていたときもあったそうだ。
 あの状態で魔法をくらっていたら、きっと自分もその蝿と同じような末路をたどってい
たに違いない。遭遇しなかっただけよかったというべきか。

「すみません、私が最初に勘違いしたせいで……」
「まぁ、もういいでござるよ。セニア殿に気づけなかった拙者にも非があるでござるし」

 まぁ、元よりそんなに怒ってはないでござるが。
 自分の正面に座ってひたすらに頭を下げ続けるセニアに、エレメスは諦め一つため息を
こぼして、にへら、と笑顔を作った。

「それで、でござるが」
「はい」

 応接間には、セニア、トリス、アルマ、ラウレル、カヴァク、イレンドと、二階部に住
まう六名全員が顔を出していた。というよりも、リーダー格であるセニアがラウレルとイ
レンドに招集をかけたのであるが。流石はセイレンの妹というべきか、責任感の強さなど
から抜擢されたのかそれとも貧乏くじを引かされたのかは判別がつかない。
 どちらにせよ、齢十一歳にして、この二階部の面々の誰よりも常識人という点でいささ
かアレなところはあるけれど。

「それでは、セニア殿たちは誰も二階へ逃げた侵入者の姿を目撃してないのでござるな?」
「はい、エレメス様もわかるとは思いますが……私がずっとゲートのところで見張ってい
ましたから」
「となると、話はまた厄介なほうへ転ぶでござるなぁ……」
「まだ三階に忍び込んでる、ってこと?」

 セシルの言葉に、エレメスが頷く。

「そうでござる。まぁ、確かに、二階より三階にいてくれたほうが拙者たちは安心するで
ござるが……」
「む、兄さん。まだわたしたちのこと甘く見てる?」
「さっきワタシたちに負けたくせに、ねー?」
「ねー?」

 アルマがトリスに向かって首をかしげ、トリスも同調したように語尾を重ねて首をかし
げた。

「あ、あれは不意打ちでござろう! 話してる最中にいきなりやられてもわからないでご
ざるよ!」
「兄さん、暗殺者が気抜いちゃだめでしょ。もっとしっかりしてよ。ねー?」
「ねー?」
「うぎぎぎぎ」
「……とりあえず、エレメス。罠どうする?」

 妹二人に言いようにからかわれてるエレメスに流石に呆れたのか、セシルは既になくな
った紅茶のカップをソーサーに置きつつエレメスへと声をかけた。エレメスも、両脇を固
めて自分をからかってくる両名から右斜め前に座るセシルのほうを向く。

「実際、何処に隠れてるかわからんでござるからな……一応、念のためにゲート付近を重
点に罠を仕掛けておいてもらえるでござるか?」
「ん、わかったわ。後でよさそうなポイント案内して」
「お手数かけます、セシル様」

 それじゃ、早速行くでござるか、とエレメスが立ち上がったところで、

「罠なんていりませんよ」

 エレメスの右隣から、そんな声があがった。

「え?」
「ト、トリス? どうしたでござるか」
「トリス?」

 トリスのいきなりの行動に、一番の友人であるアルマが首をかしげた。トリスはできる
だけ澄まそうとしているのか、妙に引きつった薄目のまま、セシルを見つめている。
 その表情と口調に何か察するところがあったのか、アルマはにやりと口元を緩ませて、
立ち上がったエレメスを見合げた。

「そーですよー、エレメスお兄ちゃん。いざとなっても、ワタシたちでちょいちょいっと
倒しちゃいますから」
「ねー?」
「ねー?」
「そ、そうは言ってもでござるな……相手は拙者たちから姿を完全に消すほどの手慣れで
ござるよ?」
「兄さんだって、さっき私たちに何も出来ずにぼろぼろになってたじゃない」
「ちょ、ちょっと二人とも、エレメス様に向かって何を言っているか!」

 いきなり突如として反発し始めたトリスとアルマに困惑を示すセニア。そんなセニアの
首根っこを掴んで、アルマはずるずると部屋の隅っこへとセニアを拉致した。
 さり気なく上背が十センチ近く違うため、セニアはほぼ抵抗という抵抗もできずに連れ
て行かれた。

「……何してるんでしょうね、あれ」
「ふん、知らん……興味ねぇ」

 その光景を微苦笑しながら見るイレンドに、言葉どおりまったく興味なさそうにお茶を
飲むラウレル。カヴァクは「早く部屋に帰りたいなー……」などとこぼしながら天井を見
上げていた。
 やる気の欠片もない男衆三人組である。

 アルマの耳打ちにはっとした表情を見せて、こくこくと頷いていたセニアは、合計十秒
も関わらずアルマと一緒にテーブルへと戻ってきた。皆の奇異の視線が集まる中、セニア
は小さく「こ、こほん」と咳払いし、

「エレメス様、もう少しの間……自分たちに二階の警備を任せてくれはしませんか?」
「ちょ、ちょっとセニアまで!? それ、どういうことかわかってるの!?」

 セニアの言葉、それはつまり、二階部の総意として受け取られる。まさか反対するとは
露とも思っていなかったセニアにまで必要ないと言われて、流石にセシルも慌てたように
声を上げた。

「はい、ですが……普段から来てくださっているエレメス様ならいざ知らず、セシル様に
までご迷惑をかけたとなれば、私が兄上に合わせる顔がありません」
「……ぅ」

 それを言われては、流石のセシルも言葉に詰まった。
 セニアの兄に対する憧憬は、もはや恋心と言っても過言ではないことを彼ら十一名は知
っている。だからこそ、二階の不手際は自分の不手際と考えるセニアは、そのことをセイ
レンに知られてほしくはないのだ。たとえ既に知られているとしても、自分の手で挽回し
たいと強く願う。それが、愚直なまでに一途なセニアの本心。

 と、言ってしまえば綺麗な話なのだが、

「……うわぁ、やっるー。セニアちゃん。意外と役者?」
「……アルマ、手伝ってくれたのはありがたいんだけど……何も、セニアまで巻き込まな
くたって」

 ヒソヒソと、誰にも聞こえないように喋ってるこの二人の存在でもはやぶち壊しである。
 だが、そんな裏の背景を知らないセシルは、うーんと悩みながら、片手に持っていた罠
をじゃらんじゃらんともてあそんだ。

「とは言っても……ホントに大丈夫なの?」
「はい、私たちで何とかして見せます」
「それに」

 セニアの言葉に続いて、トリスが、キッ、と、セシルのほうを見据えた。

「あなたに助けてもらうほど、わたしたちは弱くないです」
「……っ!?」

 自分よりいくつか下のはずのトリスの視線に、セシルは何故か少し動揺した。言葉が言
葉だったからかもしれない。けれど、その言葉には、拒否以外に何か別の感情が篭ってい
る気がしてならない。
 何か、絶対に自分には負けたくないという、強い意志。

 しかし、悲しいかな。それが何かを読み取れるほど、セシルは精神的に大人ではなかった。

「な、何ですって!?」
「兄さんがちゃんと定期的にここに来てくれるから、あなたの手を借りるまでもないといっ
たんです。セ、シ、ル、せ、ん、ぱ、い」
「ちょっとトリス、あんた、いつの間にそんな口利くようになったのよ」
「別に、いつもの口調です。セシル先輩こそ、いつもそんなに眉間に皺寄せてましたっけ?
口元にまで皺が増えてしまいますよ」

 ばちばちばちっ、と、もはや物理的な火花さえ散らしていそうなその二人の間に挟まれ、
さっきから口を挟む隙間さえなくなってしまったエレメスは、あわあわと視線をめぐらせ
た。
 しかし、アルマとセニアからは綺麗にスルーされてしまい、男衆三人は火花が跳んでこ
ない限り無関心を決め込むらしく、イレンドはマーガレッタによく似た笑顔を浮かべては
ぐらかし、ラウレルは視線が合うなり物凄くえげつない形相でにらみつけてきて、カヴァ
クに至っては「知るか馬鹿」と言わんばかりにスルーされる。以前からなんか妙にカヴァ
クが自分に対して冷たいとは思っていたものの、こういうときぐらい助けてほしいもので
あった。

 そんなエレメスをほうっておき、二人の舌戦はヒートアップしていく。

「何よその言い方!? 自分で先輩とかあたしに向かってつけるなら、ちゃんと敬意払い
なさいよ!」
「払っていますよ? いつもと同じ口調じゃないですか。それに……」

 トリスはセシルを見つめ、否、セシルの一点を見つめて言葉を切った。急に言葉を終わ
らせたトリスに違和感を覚えたセシルは、トリスの視線を追っていき――――トリスの視
線が、自分の胸部に言ってることに考えが至った。
 セシルが気づくまで待っていたのか、トリスは満を持して言葉を続けた。

「どっちが年上か、ぱっと見はわからないですもんね?」
「む、胸のことをいうなー!?」
「逃げよ、トリスちゃん!」
「ん!」

 明らかに勝敗を決した想定を見せた舌戦は、横からトリスの手を掴んで一目散に応接間
を飛び出したアルマによって終わりを告げた。トリスもアルマの手を握り締めて応接間か
ら出て行く。「ばいばい、また明日ね、兄さん!」と言うのは、彼女なりの勝鬨だったの
だろうか。セニアはそんなトリスのことを、少しだけ羨ましそうな表情で見つめていた。
 勝者のはずのトリスの手が僅かに震えていたのを気づけたのは、おそらく、アルマだけ
であったろう。

「あ、あ、あいつはー……っ!」
「トリス、いったいどうしたでござろうか……いつもはあんなとげとげしくないでござる
のに」

 まったくトリスの気持ちを汲めない朴念仁のエレメスは、怒りに震えるセシルを見なが
ら不思議そうに首をかしげた。男衆三人が揃って「わかってないのはお前だけだ」という
感想を三者三様の言葉で浮かべてはいるが、誰も口にしないあたり油と火の原理について
よくわかっているらしい。
 今余計な言葉を言うと、まず間違いなく、セシルの怒りの矛先が飛んでくる。

「まぁ、セシル殿……そういうわけでござるから、帰るでござるか」
「今度あったらぜったいただじゃおかないんだからっ!」
「わかった、わかったでござるから。弓を収めるでござるよ!」

 約一名油と火の原理についてまったくわかってないござる言葉を多用するアサシンクロ
スは、見事に油を注いでしまいセシルの怒りを着火した。セニアとイレンドが慌てて火消
しに走り、カヴァクはいい気味だとぼんやりとその光景を見つめ、ふと視線を横にずらす
とラウレルは既にいなくなっていた。どうやら、こんなくだらない茶番を見せ付けられて
いらいらし始めたらしい。
 自分も部屋に戻るか、と思って席を立ったカヴァクは、目の前で弓を振り回す自分の姉
を見て、そういえば、と声をかけた。

「あー、姉ちゃん、ちょっといい?」
「大体、ほんとあんたはいっつも……ん、何、カヴァク?」

 怒りの矛先は完全にエレメスへとベクトルを変えており、何故か言われもない説教を正
座しながらエレメスは、普段は自分に冷たいカヴァクが助け舟を出してくれたことに少し
だけ胸を安堵した。
 だが、エレメスに対してそんな気遣いをしたつもりはなく、むしろもっとやられてろと
思ったカヴァクであったが、応接間の隅に立てかけてあった自分の弓をセシルの元と持っ
ていく。

「オレの弓なんだけど、ちょっと弦のところが緩いんだ。調整してくれない?」
「え、弦が? ……あ、ほんとだ。ちょっと緩んでる。あんたいつもどんな使い方してる
のよ?」
「別に普通だよ。少なくとも、ねーちゃんみたいに振り回したりなんかしない」
「あんたね、治してもらおうっていうなら、言葉ぐらい選びなさいよ」

 弓を手に取り、ぎゅっ、と弦を引き絞っていたセシルは自分の弟の言葉に苦笑する。
 そして、弓の上の部分で止められていた弦止めを外し、調整し始めた。

「ハワード殿のところに持っていかないのでござるか?」
「んー……ハワードは鋼専門だからね。こういうのは弓師のあたしのほうが専門なのよ」

 その動作を後ろから覗き込んだエレメスに、セシルは手を止めることなく返事をする。

「それに、自分の一人だけの弟のだもん。直してやりたいっていうのはあるかな」
「それはいいことでござるなぁ。拙者もトリスの武器をよく手入れしてやってるから、気持
ちはわかるでござるよ」
「そうそう、それに――――」


 ジジジジジ。
 ――――まぁ、そんなにアレな話でもないから。ただ、一人っ子だったから甘やかされて
     ね。何不自由なく暮らしてたんだけど……気づいたら、ね。いっぱい色んなもの
     があったのに、もうこれだけしか遺ってなかったの


 言葉を続けようとしたセシルの頭に、何か、ノイズのようなものが走った。思わず、もって
いた弓を落とし、調整の途中だった弦が張りを失って床へと垂れる。
 何か、言いようのない矛盾ともいえるような、齟齬とも言えるような、何かわからないモノ
が心の中を一陣の風と共に駆け抜けた。それが何か、わからない。
 ただ、何かが上塗りさえる感覚が頭に残る。コールタールの中に埋められたような、妙な息
苦しさ。

「……ねーちゃん?」
「セシル様?」

 セニアとカヴァクの声で、はっ、と、意識が元に戻る。別に熱いわけでもないのに、何故か
背中は汗でぐっしょりと塗れていた。
 汗でぬれた肌着が、少しだけ冷たく、それが自然と冷静にしてくれる。

「な、何でもないわよ。少し、めまいがしただけ」
「いつも怒ってるからでござるよ、少しは落ち着いたほうがいいでござ――――」
「うるさいっ!」
「ぐぅっ!?」

 セシルの右ストレートがいい具合にみぞおちに決まって、情けない声を上げてその場に沈没
するエレメスに、カヴァクは少しだけ唇の端で笑みを作った。
 何はともあれ、ブラコン、シスコンというのは大変なんだなぁ、と、一人さり気なく全ての
情景を理解していたイレンドは、エレメスに向かって同情のため息を、吐いた。
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