夕暮れも間近なその頃、セイレン=ウィンザーは暴れ狂ったように遠吠えをする自分のお
腹をなだめつつ、のんびりとした足取りで食堂へと向かっていた。そろそろこの研究所も閉
鎖時間を迎え、夕食の時間と相成るであろう。

 さて、今日の支度係は誰だったかな、などと暢気なことを考えつつも、左手は帯刀してい
る愛剣の鞘を握り締めて離さない。この施設内にいる以上、いつ、何処で襲われても自分は
文句を言えない身分であるのだから。
 だからこそ、遠くから聞こえてくる、まるでサベージの群れのような突撃音が聞こえてき
たとき、咄嗟に腰溜めに低く構え、いつでも抜剣できるよう右手を剣柄に添えたところで、
彼が悪いと非難されることはない。

「どーくーでーごーざーるーよー!」
「ぶぉっ!?」

 だが、彼がそこで迎撃するかのように立ち止まったことによって、エレメス=ガイルに跳
ね飛ばされたとして、誰が悪いともいえる問題ではないのだが。
 剣を低く構えたその姿勢上、ちょっとした突撃で重心が揺らぐことはまずないのだが、相
手は自分と実力も体格も拮抗しているエレメス=ガイルだった。その彼が、果たして何処か
ら助走をつけていたかは知らないが、物凄い勢いで自分に突撃してきて無事でいられるかど
うかはまったくの別問題である。

 結果、見事に跳ね飛ばされることとなり、エレメスの肘がいい感じに鳩尾に入ってふらふ
らなセイレンは、

「まーちーなーさぁああああああああああああいっ!」
「ぐ、ぅ……? な、何だこりゃああああああ!?」

 目の前に降り注ぐ矢の降雨に、今日は厄日かと脳内で呟いた。




 こうして、負傷者と言う哀れな犠牲者一名を出すことになったセシルちゃんの愛の逃避行
(命名、マーガレッタ=ソリン)は、セシルが偶然通りかかったハワード=アルトアイゼン
に「お願い、そいつ捕まえて!」と叫んだことによりあっけなく終わりを告げた。
 ハワードはニカッと見ているものの胸がすくわれるようなほど気持ちいい笑顔を浮かべサ
ムアップし、怖気と言うか恐怖と言うか、その後待ち受ける苦行に顔をゆがめたエレメスを
抱きしめた。それは抱擁というべき、心温まる光景であったが、なにぶん、男と男である。
 エレメスは痩躯といえる外見であるが体つきはがっしりとしているし、ハワードに至って
は何処をどう見ても隆起した筋肉が目に付く。
 その光景に内心で引きながらも、セシルがエレメスを矢アサにすることで復讐は果たした。

 で。

「あのー……」
「何だ?」

 おそるおそる挙手したセシルに向かって、冷たく見下ろしたのはセイレンである。その横
の椅子に座っている、やけにつややかな顔をしたハワードと比べて、体のあちこちに包帯を
巻いているのが痛々しい。

 その包帯の下にある矢傷を負わせた張本人であるセシルは、首にかけたプラカードを指差
しつつ、多少冷や汗をかきながら言葉を口にした。

「そろそろあたしもご飯食べていいかなー……とか?」
「却下」
「何でよー!?」

 セイレンを含む四名が椅子に座って大きな鍋を囲んでいる中、何故自分はむなしく床に正
座しなきゃならんのかと抗議の声を上げるセシル。ちなみに、首からかけられたプラカード
には、カトリーヌ=ケイロンが書いたと思しきひらがなで、「わたしがわるかったです」と
丸っこく書かれていた。
 しかし、返ってくる返答は、静かに怒っているセイレンと同じく冷たい声音で。

「もうちょっとそこで反省してなさい」
「うぅ、悪いのはエレメスなのにぃ……」
「はっはっはっは。怒られたでござるな」
「あんたのせいでしょうが、元はといえばー!?」

 同じく自分の隣で正座して夕飯抜きの刑にあっているエレメスは、かんらかんらと笑い飛
ばしている。どうしてこの馬鹿のせいで自分までこんな目にあわなきゃいけないのかとセシ
ルは思わずにはいられない。
 とりあえず、手近にいたので殴っておいた。

「痛いでござるよ」
「あたしの手だって痛いわよ」

 その様を見るに見かねてか、苦笑しながらハワードは隣の席に向かって言った。

「セイレン、そろそろ許してやってもいいんじゃねぇの?」
「む……だが、しかしだな」
「ほら、セシル、いらっしゃいな。お鍋冷えちゃうわよー」
「わーい、マーガレッタ大好きー!」
「あ、こら、おい!」
「まぁまぁ、いいじゃないですか。それに、セシルも反省してるでしょうし、ね?」
「……まぁ、それはそうだろうが」
「うぅ……な、何であたしが謝らなきゃいけないのよ」

 セシルを擁護しつつ、ほら、謝りなさいよ、と言外にウインクを飛ばすマーガレッタ。
 未だにぶつくさと抗議の声を上げるセシルを見ながら、カトリーヌは静かに呟いた。

「……セシルが食べないなら、私がちゃんと食べるから、安心して」
「ごめんなさいセイレン。あたしが悪かったわ」

 その静かな物腰とは裏腹に広大な宇宙のごとき胃袋を誇るカトリーヌを前にして、セシル
は今までの態度から手のひらを返したように即座に謝罪した。口調が若干棒読み気味だった
のには目を瞑るべきだろう。
 その様に、セイレンは諦めたといわんばかりに盛大にため息をつき、自分の右隣の椅子を
引いた。

「まったく、痴話喧嘩もいいが人様に迷惑はかけるんじゃないぞ」
「な、ち、痴話喧嘩って何よ!?」
「そうでござる、拙者は姫一筋でござるよ! 何でこんな胸も筋肉もわからないセシルと」
「……」
「あー、セシル。弓を構えるようなら、食堂から出て行け」
「くっ……!」

 セイレンに窘められ、しぶしぶ弓を下ろす。流石に次夕飯お預けになったときは、今日は
もう夕飯抜きにするしかないことになりそうだ。

「ところで……拙者の席は何処でござるか?」

 セシルがセイレンの横に座るのを、未だ正座しながら見ていたエレメスはふと疑問を零し
た。普段、セイレンの左隣をハワードが、そして、セイレンの右隣に自分が座っていたはずだ
が、今日はそこにセシルが座っている。
 開いている席は、男性陣と向かい合うようにして参列並んでいる女性人の席しか残ってい
ない。

「ま、まさか姫の隣に行っていいということでござるか!?」
「うふふ、そんなこと許すわけないじゃない。エレメス」

 現状にまさかと涙を流して感動するエレメスを一気にどんぞこへ叩き込んだマーガレッタは、
笑顔をにこにこ浮かべながら隣に座るカトリーヌへとお鍋の具を注ぎ始めた。
 それを切り目に、席に座っていた各々は鍋の具をつつきだす。ふたが外されたせいで、お鍋
のいい匂いが食堂に溢れ始めた。

 べー、と舌を突き出すセシルに、拳を握り締めるも、その匂いに触発されて、ぐー、と鳴る
エレメスのお腹。さもしいと言うことなかれ。

「エレメス、何だったら俺が食わしてやろうか?」

 セシルのときと同じく、助け舟を出したのはハワードだった。

「俺の口移しで」
「死んでもごめんでござる。むしろ貴様を殺す」
「釣れないこと言うなよ。ほら、口あけな、んー」
「今殺すぞ!?」

 半ば本泣きになりそうなエレメスを見ながら、口の中でもごもごとつみれを食べていたカト
リーヌは、ごくん、と口の中の具を全部飲み込んで、

「……エレメス、こっちくる?」

 小首を小さくかしげながら訊ねた。
 思いもよらぬ方向からの助け舟に、エレメスはプラカードをぶら下げたまま身を乗り出した。

「おぉ、まことでござるか、カトリーヌ殿!」
「ん……こっち、開いてるから」
「あらあら、カトリーヌ優しいわねぇ」
「ほんとでござる。まったく何処かの暴力娘と比べると……」

 ぴきっ、という音を、セイレンとハワードの両名は確かに耳にした。

「カトリーヌ殿は本当に寛大な心をお持ちでござるな。このエレメス、真に感心致しましたぞ」
「ん」

 エレメスの言葉を左耳で聴き右耳に流しながらひたすらお鍋の具をがっつくカトリーヌ。
 さて、それでは自分も、と、あてがわれた箸をお鍋に伸ばしたところで、

「……」
「……何でござろう、セシル殿」

 ガシッ、と、無言のままセシルに箸を押さえつけられた。
 エレメスはいったん箸を引き、お鍋の隅の方に浮かんでいた鶏肉のほうへ箸を寄せ、

 ―――ガシッ

 またつかまれる。

「……」
「……」

 とろうとする。つかまれる。とろうとする。つかまれる。とろうとする―――

「こらこらお前ら、箸と箸を触れあわしちゃいかんぞ」
「そうだぞ、エレメス。しかし、お前の箸なら喜んで俺は先を合わせあうぜ!」
「セシル、それはちょっとお行儀悪いわよ」

 鍋の上で空中戦を開始した二人に対し、もはや呆れさえ感じる三名はため息をつきながら制止
の声を上げた。しかし、鍋を挟んで睨み合う二人はまったく聞こえていないのかどうなのか、今
も互いの箸の動きをけん制しあっている。
 ちなみに、二人とも一欠けらも鍋の具を口にしていない。

「ダメだこれは。おとなしく我々で食べるとしよう」
「そうだな……って、おいおい、何かもう具がなくなりかけてるぞ」
「……もぐもぐ」
「か、カトリーヌ、まさかそれ……」

 自分の左隣に座るカトリーヌを見て、あんぐりとマーガレッタは口をあけた。
 熾烈な空中戦の下をかいくぐり、黙々と食べ続けていたカトリーヌの受け皿の上にはこんもり
と肉の山が形成されていた。しかしその山も、カトリーヌの食欲はまったく衰えることなく、秒
速で標高を削られていっている。

 具の追加持ってきておいたほうがいいか?と目配せするハワードに、セイレンは重々しくうな
ずいた。今日の当番はハワードだったらしい。
 席を立ち追加材料を取りに行ったハワードを見送りながら、マーガレッタとセイレンは、もう
二人のことは気にしないようにして、各々残った具材を取り分けて食べ始めた。




 余談ではあるが、エレメスとセシルがお互いの行為の無意味さに気づき、はっと我に返ったと
き、鍋の上には数枚の春菊が浮かぶだけであった。
 その夜、二人して食堂に忍び込み、喧嘩しながら簡易食を調理するところをカトリーヌに目撃
されていたというのは、また別のお話。
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