生体工学研究所・データ採取用競技室。灰色の鉄板で囲まれた広い室内に、凛とした声が響く。
「貴殿が、今日のお相手だね? 私はイグニゼム=セニア、剣を糧に生きる者だ」
「……」
 剣士イグニゼム=セニアは、黙っていれば人形のように愛らしい顔に、自信たっぷりの笑みを浮かべて対峙す
る相手に向けた。
 今日の彼女に課せられた課題は『剣士における特殊能力者との戦闘データサンプル』だ。特殊能力者というの
は、この目の前の男だろう。三角帽子を目深にかぶり、時折覗く鋭い目線を隠している。ゆったりとした衣装に
包まれたその体は、特に武芸に秀でた肉の付き方ではない。しかし、男の身にまとう雰囲気がイグニゼムの興味
を惹いている。
「貴殿の技……なんでも東方の国の錬気術を使うとか。とても興味深いね。一つ手柔らかにお願いしたいもの
だ」
 相手は先ほどから一切返事をしない。挑発には乗らないという事なのか、黙ってこちらの様子を伺っているの
みだ。
『被験者イグニゼム=セニア様。準備は宜しいでしょうか』
「うむ、私はいつでも結構だ。始めてくれたまえ」
 競技室の壁、強化ガラスの窓から研究者が数人、覗いている。その中の一人がこちらの準備を確認し、イグニ
ゼムは獲物を構える。兄の友人に鍛えてもらった一振りの両手剣、柄の長さも重心も、すべて彼女に合った拵え
だ。対する対戦者も、両手を広げて臨戦態勢に入った様だ。男の周りの空気に流れが生まれる。
『了解しました。――それでは、データ採取を開始します』
「イグニゼム=セニア、参る!」
 開始の合図が放たれた。彼我の間合いは二足より少し遠い。イグニゼムは剣を寝かせて半身に構え、刃の間合
いを敵の目から隠す。ここから先手は分が悪い。まずは相手の出方を伺おう。対する相手は広げた両手を胸の前
で印に結び、呪文を唱えだした。
「天地におはしまするやおよろづの精霊に請い願い奉ります。我が身に森羅万象の根源力満たし、討魔の魂を与
えられかし……」
 詠唱が完成し、男を中心に風が巻き上がる。渦巻く風は離れた場所に居るイグニゼムにまで届く。自慢の艶や
かな黒髪と、剣法着の長いスカートを猛る暴風に遊ばせながら、イグニゼムは未知の技と対峙する期待に目を細
めた。爪先だけの含み足で一歩、前に出た瞬間、
「――断ち給へ」
 男の目の鋭い目がこちらを射抜いた。イグニゼムの周囲の風が、まるで幾つもの魂が宿ったかの様に甲高い笑
い声を上げ始める。このまま突っ立っていれば、この危険な風斬り音は容赦なくイグニゼムに襲い掛かるだろう。
左右に逃げ場は無い。背後に逃げれば手が出せない。ならば……前。
「!」
 後足を強く蹴り出して、イグニゼムは前へ破裂する。背後では渦巻いた風が鎌鼬となって一点に、直前までイ
グニゼムが居た位置に殺到した。イグニゼムはその風の勢いすら利用して加速し、男との間合いを一気に詰める。
剣の距離まであと一歩。男の指が動き、新たな印を結んだ。
「護り給へ」
「破ッ!!」
 男が唱えた瞬間、イグニゼムは相手を自分の間合いに捕らえる。脇構えから横薙ぎに一閃。相手の胴を狙った
剣は、しかし強風に遮られた。男は木の葉の様に舞い飛び、こちらの右側に回り込む。振り抜いた剣は左。相手
は既に印を組み替えている。返す刃では相手の技に押し負けるだろう。ならばとイグゼニムは腰を落とし、踏み
出したままの右足を軸にして左に一回転。その勢いを剣に乗せ、叩きつける。
「断ちた……ッ!」
「てやぁぁぁぁ!」
 牽制の一撃は成功。相手の顔に始めて戸惑いの色が滲む。男は詠唱を止め、一歩二歩と後ろへ飛んだ。間合い
は剣の外、仕切りなおしだ。イグニゼムは素早く敵に剣を向けなおし、しかしその切先を下げ、語りかけた。
「貴殿の風……自分の思い通りに風を練る、攻防一体の風だね」
「……」
 男は印を結んだ手を解き、また両手を広げた姿勢でこちらを伺っている。
「面白い……素晴らしい技だ。兄様たちに土産話が一つできたよ。ありがとう」
 これは心からの賞賛だ。見た目こそあそこまで派手ではないものの、一撃一撃の威力を見れば、ラウレルの姉
であるあの大魔術師の一撃にも勝るとも劣らない風だ。僅かでも気を抜けば、こちらがやられる。
「だが、当たらなければどうという事は無い。――次で終わろう、風使い殿」
 言って、切っ先を上げる。構えは変わらず脇構え。相手も両手指で印を組み、短く呪文を唱えている。今度は
待ってやるつもりはない。今までの二合、攻撃はともに左右からのものだった。それは正面への攻撃手段が無い
のか、それとも……誘っているのか。イグニゼムは剣を握りなおした。
――その誘いに乗ろうではないか。勝負だ。
 体を倒して踏み出せば相手は目前。男が印を突き出した。
「弾き給へ」
 男の姿が歪む。違う、歪んだのは風だ。彼我の間合いは剣の内まであと一足。勢いの付いた彼女の体は左右ど
ちらにも避けられず、目前の超気圧は、半瞬後には彼女の体に牙を立てるだろう。男は追い討ちの呪文をかけて
いる。逃げ場はない。
「――!!」
「――」
 叫びは覇の音の一喝。逆袈裟の剣筋は過たず気弾を切り裂き……霧散させた。そのまま一つの突進力となった
剣士は、返す刃を振り下ろす。重く、幅広い刀身は、打撃力となって男の頭を強打し、異国の術師はそのまま地
面に倒れ臥した。
 風に舞い上げられた長い髪が、縺れる事も絡まる事もなく背中に流れ落ちるまでの間、イグゼニムは勝負の余
韻に浸っていた。男は完全に気を失った様だ。刃でなく剣の腹を使った強打なので、命の心配はしていない。
『――データ採取が完了しました。イグゼニム=セニア様の御協力に感謝します』
「……良い勝負であった。ありがとう……ん?」
 剣を収め、動かぬ男に敬意を払った後、少女は自分の異変に気が付いた。服が大きい。服の袖が長すぎて自分
の手が見えない。襟が肩からずり落ちそうだし、足運びを敵に悟らせないためのロングスカートも、今は自分の
足で踏んづけてしまいそうで動きづらい。
「研究員。私の服には敵との勝負に勝つとサイズが大きくなる生地を使ったのかね?」
『イグゼニム=セニア様。サイズが変わってしまったのは、イグゼニム=セニア様御本人であると分析します』
「ふむ……視界が低いのはそれが理由か。剣が重たくなってしまったのは無念だね。私のお気に入りなのに」
 袖を捲り上げて手を自由にし、こちらも緩くなってずり落ちそうな剣帯を、長すぎるスカートを巻き込んで絞
めなおす。
「コレも彼の能力だったのだろうか……む?」
 小さくなってしまったらしい自分の体を、手で触って確認していた所、大変な事に気がついた。
「研究員。すまないが私の胸がどこかへ行ってしまった。ちょっと探してきてはくれないだろうか」
『イグゼニム=セニア様、その件に関しましては元からであると判断します』
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