完全に仲間から分断されたようだ。
 そう思いながら、プロフェッサーである彼は一人、研究所の廊下を進んでいた。
 大統領からの極秘の依頼、集まった6人の冒険者たち、そしてレッケンベル社の研究所への潜入。
 死んでもなお亡霊のように動き続ける駆除作業員達、悪霊となってもその怨念から人を襲い続ける被験体……。
 最初は細菌兵器によるバイオハザードによって封鎖されたものと聞いていたものの、実際に潜入してから分かる、明らかな生体実験の痕跡。
いや、生体実験の証拠を消すための細菌兵器か。内通者の話では、細菌兵器自体は駆除作業員の手によって無害化されたとは言うものの、
これでは作業員も完全に使い捨てだ。

 この研究所に閉ざされた出来事を思いながら進んでいると、殺風景な大きめの部屋に出た。
 部屋の中央まで移動したところで、彼は静かにつぶやく。
「……ここでいいだろう? さっきから見られているのは分かってるぞ」
 彼の後ろで、薄い人影が現れる。
「気付いてたのね……。それなら……遠慮しない。ファイアーボール!」
 放たれた火球が迫る。とっさの判断で横に飛び込むようにして避ける。大音響とともに、壁が大きくえぐれるように吹き飛んだ。
 その破壊力に驚愕するも、彼もすぐにフロストダイバーの魔法で反撃に出る。
「フロストダイバー!」
「フロストダイバー!」
 相手も同じ魔法を考えていたらしい。双方の氷の蔦が部屋を駆け巡り、今度は相殺して吹き飛ぶ。
 このことに相手が少し驚いたようだ。そのことによって、彼は相手の姿をしっかりと見ることが出来た。
 それは死んで悪霊となった今でも生前の姿を保ち続けている、ハイウィザードの女。いや、実体を持った怨念というべきか……。
「お前は、被験体の一人だな。ハイウィザード……。たしか、カトリーヌ・ケイロンか」
「忘れたの……? 私たちを散々もてあそんでおいて……! ライトニングボルト!」
「マジックロッド!」
 カトリーヌの放つ雷撃を、とっさに掲げたアークワンドで吸収する。ばちばちと放電する杖に魔力を送って抑えつけながら、彼は彼女を説得しようと試みた。
「カトリーヌ、私は研究員ではなく――」
「うるさい……! ファイアーボルト!」
 話を遮って繰り出された炎の矢を、再び魔力を込めた杖で叩き落す。
「まだよ……! コールドボルト!」
 続いて降り注ぐ氷の矢も、同様に彼は叩き落す。
「聞け! 私たちは研究所内で行われたという実験を調査しに――」
「グラヴィテーションフィールド!」
 全く聞く耳を持たず、カトリーヌは今度は重力の魔法を唱えてきた。
 その力に彼は地面に叩きつけられるように倒れながらも、腰のポーチからジェムストーンを取り出すと、石を触媒として魔力を開放する。
「ランドプロテクター!」
 すぐに彼を押さえ付けていた重力の力が打ち消され、彼は飛び起きて次の攻撃に備える。
「これなら……! ユピテルサンダー!」
 高速でまっすぐに飛んでくる雷球は、これもマジックロッドの力を込めた杖を向けることで消滅した。
「くっ……」
 連続して繰り出した魔法が、次々と破られたことにカトリーヌは動揺する。その様子を見て、彼は三度話しかける。
「話を聞く気になったか?」
 だが彼女はひるむことなく、大きな魔法のために魔力を集中させ始めた。
「説得は無駄、か?」
「まだまだ……! ストームガ――」
「スペルブレイカー!」
 彼の魔法とともに、彼女の集まっていた魔力が崩れていく。続けざまに、彼は次の魔法を放つ。
「ヘブンズドライブ!」
 地面を突き破って岩石の槍が、所狭しとカトリーヌを目掛けて衝きあがる。
「!! カァグマイア!」
 とっさにカトリーヌが唱えた魔法で、岩石の槍はすべて泥となって崩れ落ちる。しかし魔法が打ち破られようとも気にせず、彼は次の魔法を放っていた。
「ソウルストライク!」
 彼の振られた手から、思念の塊が高速でカトリーヌに襲い掛かる。今度は必死にカトリーヌが避ける。
 続けざまに、彼は魔力を解放する。
「サンダーストーム!」
 今度は狙い違わず、カトリーヌを捉える。その雷は彼女の華奢な姿を捉え、部屋の壁へと叩きつける。
 その隙に、彼は魔法の霧を生み出した。

 彼女が体勢を立て直して振り返る頃には、そこに彼の姿はなかった。いや、隠れているというべきか。
「……何の魔法……?」
 油断なく警戒を示しながらも、カトリーヌが疑問の言葉を口に出す。
「ウォールオブフォグ。魔力の霧を生み出し、物理的にも魔力的にも目をくらませる魔法、とでも言うべきかな」
 彼は杖に新たな魔力を込めながら、静かに答える。
 狭い室内に響く声だけでは、自分のいる場所が厳密に特定できるとは思えない。それにカトリーヌには、拡散するわけでもなくただ漂う霧から発せられる魔力が、
彼の魔力の流れに覆いかぶさる形で遮るため、魔力的な眼でも特定できそうにない。対して、彼は霧の外にいる彼女の魔力から、ある程度のことは予測できる。
特にそれが魔力の流れを伴わざるを得ないハイウィザードであるならばなおさらだ。
「ウィザードは魔力をただ力として行使することしか考えていない。魔法をただ破壊に使うのでは駄目なのだよ。我々は魔力そのものを知ることで、
このような力だけでは計りきれない魔法を生み出して戦う。先ほどのマジックロッドの魔法も、スペルブレイカーの魔法も、そしてこのウォールオブフォグも、だ。
それがセージであり、プロフェッサーの力の源だ。破壊の力だけでは、私を倒すことは出来ないぞ」
「……ご高説はいらないわ……。それでも全部吹き飛ばすまで……! メテオストーム!」
 解き放たれた火球が霧に向かって進み、大爆発を起こして霧ごと吹き飛ばす。しかし彼はその攻撃をあっさりと避けきって、カトリーヌに向かって駆ける。
「セイフティウォール!」
 とっさにカトリーヌが防御壁を展開するが、彼はまったく気にせずに杖を叩きつけた。かん高い音とともに、障壁が杖をはじく。
「だが甘いっ」
 杖を翻すと、その先から一瞬のうちにライトニングボルトの電撃が走る。体中を走る電撃に、悶えるように身体を震わすカトリーヌ。
 とはいえ、先ほどのサンダーストームに比べれば力は弱い。彼女は苦悶の表情を浮かべつつも、とっさにマジッククラッシャーの魔法で彼を弾き返した。
すぐに体勢を立て直し、追い打ちをかけるべく大魔法を唱える。
「ロードオブヴァーミリ――」
「ソウルバーン!」
 同じく体勢を立て直した彼が放った魔法が、彼女の身体から一気に魔力を奪い取った。急激な喪失感に身体をふらつかせながらも、カトリーヌは無理やりに
魔力をかき集める。
「……まだよ! サンダースト――!」
 だが既に、彼は彼女のすぐ目の前まで迫っていた。反撃の魔法を唱え終わる前に、彼女は杖を叩きつけられ、倒されていた。

 倒れ伏した彼女を見下ろしながら、彼はアークワンドに新たな魔力を込めつつ、口を開く。
「私たちは大統領からの依頼でレゲンシュルムの調査に来た。カトリーヌ、君のような生体実験の証拠を掴むためにな」
 よろめきながらもなんとか立ち上がったカトリーヌが、彼を睨み付けながら言い返してくる。
「それを……私に信じろというの……?」
「少なくとも、人体実験の主導者とされるボルセブは既に断罪された。だがレッケンベルの上層は彼だけにすべての罪をなすり、事件を終わらせようとしている。
大統領はその幕引きを嫌い、私たちにさらなる真相究明を依頼してきている」
 ボルセブの名前を出したところで、カトリーヌの表情が変わった。
「……ボルセブは死んだ……の?」
「レッケンベルから追放されて以来、消息不明だ」
「…………」
「既に内通者や別の冒険者の手によって、この施設の実態が少しずつ解明されてきてはいる。だが、レッケンベルを糾弾するにはまだ足りない」
「……消息不明? それで私たちが納得すると……? 騙されてここに連れ込まれ、わけも分からず身体を改造される痛みを、その程度で納得しろというの!?」
 カトリーヌの顔に狂気が浮かぶ。
「落ち着け、カトリーヌ」
 そもそも悪霊となった彼女に通じるとも思えないが、彼はそれでも彼女に説得の言葉を投げかける。だが、彼の声に耳を傾けることはなく、
彼女の口からは苦痛の叫びが発せられ続ける。
「この痛みを誰に伝えればいいの! この苦しみを誰にぶつければいいの! 使うだけ使われて、最後には虫けらのように殺される! だから私は憎むの!
こんなことを許す人たちを、こんなことを許す世界を!」
 少女の悲痛な叫びに、彼の心がズキリと痛む。そして、今更に悟る。彼女を悪夢から解放するのは、言葉ではないのだということを。
 思いの丈を叫びきった後、彼女は静かにつぶやいた。絶望に打ちひしがれた、少女の悲しい笑顔とともに。
「もういいのよ……何もかも。……だから、殺して。もう、二度と悪霊としてでも……現れることが出来ないくらいに……」

 もう、言葉はいらなかった。
 彼はアークワンドに、プロフェッサーとして持てるすべての力を纏わせた。絶望を断ち切る、たった一つの武器として……。
 カトリーヌは再び無表情のハイウィザードに戻った。一瞬前とはうって変わって、静かに、静かに、魔力を集め始めた。
「行くぞ、カトリーヌ」
「……ええ。……メテオストーム――!」
 彼女の周囲に、いくつもの巨大な火球が現れ、今度は狙い違わずまっすぐに彼へと降り注ぐ。
 彼は逃げることはなく、その絶望する少女を目指して走り始めた。
 一つ目の火球をファイアーボールで吹き飛ばし、二つ目の火球を杖でそらし、三つ目の火球をくぐり抜け、四つ目の火球をコールドボルトで打ち砕き、
五つ目の火球を杖で受け止めて――
 それでも彼は止まることはなかった。
 死の絶望と解放の喜びの入り混じった少女の瞳に見つめられながら、彼は打ち砕いた炎を纏った杖を、彼女の小さな身体に突き立てた。


 悪夢を焼き払う炎に包まれながら、彼女は静かにつぶやいた。
「……これで、……解放されるんだ……ね……」
 表情は見えない。が、満ち足りた表情なのかもしれない、と彼は思った。
「……生まれ変わったら、……また冒険者になりたいな……」
「ヴァルハラで罪を悔い改めれば、あるいは、な」
「……うん」
 部屋を照らしていた炎が静まってくる。
「……研究所の二階の装置に、ユミルの心臓の集積体……があるわ……。研究記録と合わせれば……実験の証拠になるかも……」
「分かった。後で調べてみる」
「……お願い、私たちの無念を……晴らして……」
「……ああ。必ず」
「最後に……」
 部屋が暗くなる。彼女の声が、徐々にかすれて消えていく。
「……ごめんなさい。……ありがとう」
 その言葉とともに、カランと乾いた音を立てて、床に杖が転がった。

Written by S.K
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