生体工学研究所地下1階。主に研究者の宿泊施設と資料室からなるこのフロアからも、多くの研究員は退避していた。
2階へ続く階段の前には作りかけのバリケード。しかし封鎖作業中のはずの警備員たちはどこかのんびりしていた。
「やれやれ、まったく心臓に悪いよな。」
「ああ・・・正直助かったよ。」
実のところ、先ほどまで事態は最悪だった。
制限区域に収監されていた新型生体兵器の"オリジナル"6体が脱走し、主力部隊、管制中枢、制限区域全域が壊滅。これは隔離に成功したとの報告が入ったが、
その直後に、この混乱に乗じて一般区域の"オリジナル"までもが3体も脱走していることが発覚したのだ。その襲撃に備え、彼らは急遽バリケードを構築していた。
しかしその3体も、獄長率いる回収チームに挟み撃ちにされて投降したようだ。先ほど獄長補佐から通信があった。まもなく警戒態勢も解除されるだろう。
「あー、安心したら一服吸いたくなってきたわ。・・・っと、ここにいいものがあるじゃねぇか。」
「おいおい、一応仕事中だぞお前。」
バリケードに使おうと運んできたソファーに座り、煙草をふかすと非常灯の頼りない光が紫煙にくすんだ。
もう1人は少し困ったような顔をして同僚を見たが、見回せば他の連中も似たようなもので気を抜き放題だ。
やれやれとかぶりを振ってバリケードの向こう、階段の下に目をやると人の気配がした。
「おい、やばいぞ。回収チームが・・・・・」
言っている間に、薄暗い階段の向こうにマントを羽織った人影が現れた。
まったく言わんこっちゃない。サボってるのがバレたらあの獄長に一体何を言われるか。
そう思いながら改めて向き直り、敬礼しようとする彼の顔をかがり火が照らした。
(・・・・・かがり火?)
ここにそんな物があるはずはない。そう思ってよく見ると、それは杖の上に浮かぶ巨大な火球だった。
その火が照らし出すのは、あの獄長の神経質そうな顔ではない。そこに居たのは少年だった。
そして、その少年は牙を剥くように口の端をつり上げ、杖を振りかぶった。
「ラ・・・ッ!ラウレル=ヴィン・・・・・!!!」
瞬間、階段一帯が炎の色に染まった。爆風がバリケードを吹き飛ばし、炎と煙が舞い上がる。
突然の奇襲に部隊は混乱し、ばらばらと降りかかるバリケードの残骸から逃げ惑った。
「ぎゃああああ!!脚が・・・っ!俺の脚がぁぁあああ!!!」
「畜生!!何なんだ!!一体どうなってるっ!?」
「と、とにかく一旦退け!退避!たいばッ!?」
立ち込める炎と煙の向こうから、ひと筋の光が喉を貫いた。1人射抜けばまた1人、炎から逃れようとする者に突き立ってゆく。
突き立つのは鋼の矢。爆炎と陽炎のカーテンの向こうから、しかしその矢は寸分違うこともない。
「て・・・敵襲!?」
「バカな!どういう・・・・・」
「そんなこと、もう気にする必要ないですよ?」
「!!!」
声に気づいて目をやれば、そこには二人の少女がいた。1人は無言で剣を払い、1人はにっこり微笑み斧を振りかぶる。
ずだんと踏み込む音がして、銃を構えた警備員が斬り倒された。前衛を務める警備員がその剣を抜く前に。
慌てて剣を抜く彼も、次の瞬間には鈍い音とともにありえない形に曲がって吹っ飛ばされた。それを口火に2人の少女は戦列を蹂躙する。
見覚えのある2人だった。ありえない。認めたくない。だがそこに彼らはいた。
「イグニゼム=セニアとアルマイア=デュンゼ・・・・な、何でここにいるんだ!?」
「ち・・・近づかせるな!撃てっ!!」
銃を抜き、下がりながら乱射する。弾丸の雨が降り注ぎ、たちまち辺りに硝煙の匂いが立ち込める。
だが少女たちは無傷で刃を振るい続けた。見れば淡く輝く青い光が、弾雨を弾き飛ばしていた。
少女たちから少しの距離を取って現れたのは栗色の髪の少年。2人の少女との近接戦闘は死を意味し、遠距離攻撃は彼がいる限りは届かない。
その脇を2人の少年が固める。涼しげな瞳を持つ弓手の少年と、凶暴な魔力を漲らせた魔術士の少年と。
殺される。誰もがそう確信し、残存部隊は逃げに転じた。
「ま・・・っまずい!!退け!逃げろぉぉぉぉ!!」
「くそっ!畜生!化け物どもがッ!!」
「・・・勝手なこと言わないで。」
暗い怒りを含んだ声とともに、彼らを化け物と罵った男の首が飛ぶ。
べっとりと自分についた血を見て、もう1人が状況を悟った時には既に心臓を掻き回されていた。
高速の跳躍でいつの間にか回りこんでいたのか。待ち伏せしていた最後の1人が、短剣を振るって退路を遮る。
「クソがぁぁぁッ!!なんで・・・なんで六体全部がここにいるんだぁぁぁあ!!?」
6体の実験体が投降した、と報告があったのは間違いない。そしてそれは間違いなく獄長補佐の声だった。
しかし警備員たちは知らなかった。エレメス=ガイルが密かに封鎖を突破していたことを。
そして封鎖部隊も獄長補佐の部隊も彼に倒され、それ以降の報告は彼の巧みな声帯模写によるものだったという事を。
「死ねっ!し・死ねぇぇえええ!!」
「畜生!畜生来やがれ化け物があぁぁああああ!!」
狂ったように火を噴く銃口は、それでも幻のように舞う盗賊の少女を捉えることは出来ない。
1人、また1人と倒されて、足の止まった後続は迫る5人の猛攻に飲み込まれて轢き潰される。
前門の虎、後門の狼。逃げ遅れた者は一方的に擂り潰され、生き残った者は絶望的な悲鳴をあげてただただ走った。
「行くぞっ!体勢さえ整えさせなければ道は奴らが教えてくれる!」
剣についた血を払い、先頭を走るのは青い髪の少女。
混乱して潰走する警備隊を追う彼らの行く手には、黄色と黒に縁取られた長い廊下が続いていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ありえない。聞いてない。一体何でこいつらがここにいるんだ。
2階のオリジナル3体が脱走し、別の3体を回収しに行っていたヨーゼフ獄長のチームが先に脱走した3体に襲撃されたという連絡は入っていた。
しかしカール獄長補佐のチームが到着し、包囲されたこいつらは投降したはずだ。間違いない、カール獄長補佐からそう連絡があったのだから。
それなのに、何でこいつら6体が全部揃ってここに・・・・・!!
「退却!退却して体勢を立て直せ!!」
「2階の人員に連絡を!一体どうなってる!?」
遅滞戦闘もクソもない。遠距離攻撃はニューマで弾かれ、近づけば挽肉どころか、その前の弾幕で串焼きになるのがオチだ。
牽制の麻酔銃を撃ったところで大して進行も止められない。頼みのS-58ジェミニは3階の化け物どもとの戦闘で殆ど使い切っちまったらしい。
俺らじゃ戦いになんてなるものか。・・・・こいつらは化け物をいじくり回して作った新しい兵器なんてもんじゃない。
化け物の体を持ち、人間の戦闘技術を操り、人間の技術で作った武装を携えた最強最悪の生物兵器なんだから。
「隔壁閉鎖するぞ!早くしろっ!!」
生き残った部下どもに向かって叫ぶ。俺の部隊で最後だ。もう時間がないので起動スイッチを押す。クソっ、早くしろ!
グズグズしてりゃ、俺らもあっちでブッ散らかされてる死体の山の仲間入りだぞ!
「がぁっ!?」
「リーベル!!」
「構うなっ!急げ!!」
背後から心臓を射抜かれた1人を除き、閉まりかける隔壁の隙間に残り全員が滑り込む。
戦闘実験室のものと同じ素材の透明隔壁の向こうから、イグゼニム=セニアを先頭に奴らが迫ってくる。
派手にノックするような音がしたと思うと、この特殊隔壁に矢が突き刺さっていた。・・・こりゃ長くは持ちそうにねぇな。
「急げ野郎供!次の隔壁も閉まっちまうぞ!!」
部下供を叱咤して、次の隔壁まで走る。もし遅れたらくたばるしかねぇ。
とにかく、開発中の対生体兵器用の生物兵器とやらが上から届けられるまで生き残らねぇと。
そいつが効くかどうかまでは知らん。知らんがそれに頼る他はない。
・・あぁ畜生、こんな会社辞めてやる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ありあわせの廃材から作った縄梯子をゆっくりと登る。慎重に、腕を引っ掛けながら。
梯子が揺れると、頭の中も少し揺れるようだった。体が浮くようで、手を離せば飛べるような気さえする。
でも決して、たとえ気を失っても手を離してはいけない。私だけでなく、後ろにはセシルを背負ったセイレンがいるんだから。
「大丈夫か?」
「・・・・ええ、大丈夫・・・・」
律儀に上は見ないまま、セイレンが私に声をかけた。振り返ると、こっちを心配そうに見ていたセシルが慌てて顔を伏せる。
素直じゃないところがまた可愛い。思わず笑いそうになり、そして少し心が軽くなった。
・・・ほんと、余計に心配をかける訳には行かなくなるわね。
上を見ると、ハワードとカトリもこっちを振り返って気遣うように私を見ている。
・・・・・大丈夫。私は大丈夫だから。
「ほらほら、後ろなんか見てないで早く行ってくださいな。上にいる弟たちも今頃心配してるだろうし。」
「・・・・ああ、そうだな。」
縄梯子を握る手から、少し力がなくなり始めている。・・・・ちょっとでも気を抜けば落ちてしまいそうだ。
私は今、ちゃんと笑えただろうか。・・・・笑えたに違いない。目が合ったカトリはかすかに微笑み返してくれたから。
そのカトリが服を引っ張ってハワードを呼ぶ。そして耳元で何かささやいて、また辛そうに目を閉じて顔を伏せた。
頷いて、ハワードは登るスピードを早めた。・・・なるほど。ここまで来たら先にカトリを上に置いて私を・・・・・・
「うぉ危ねぇ!!」
「ニューマ!!」
登り始めたハワードの上に、急に瓦礫が降ってきた。
それらを斧で払いのけ、砕けた破片をニューマが受け流す。
「ふぅ・・・・」
汗を拭って再び登り始めるハワード。・・・まったく、心臓に悪い。
スピードを上げ始めた途端これだもの。とにかく、何とかハワードにニューマが届く位置にはいないと。
ハワードなら大丈夫だとは思うけど、もし破片がカトリに当たったら大変だ。
だからお願い・・・動いて。セシルはあんなにフラフラでも立って、歩こうとした。私も、前に・・・・・・・・・
ぴしり
霞のかかる意識を、不吉な音が引き戻した。ハワードが、セイレンが何か叫ぶ。
ヒビが入ったのは階段室の残骸の縁、ちょうどこの縄梯子がかかっている部分。度重なる爆風で、階段室跡はもうボロボロだった。
「やべェ!!!」
その声に、咄嗟にニューマを張った。身を乗り出してハワードがギロチンを振りかぶる。
ぴしり。再びそんなシンプルな音を立てたあと、その巨大な塊は崩落した。支点の崩壊に縄梯子は揺れ、そのまま振り子のように――
「おおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」
轟音。巨大な瓦礫と巨大な斧が私たちの頭上で激突した。支点を失い、内側に巻き込まれるように揺さぶられる縄梯子。
振り落とされないように必死でしがみつく。カトリとセシルも、念のため両手を結んでおいた縄のお陰で何とかハワードに、セイレンにしがみついていた。
まるで砕けたメテオストームのように、殺意を持ったようなスピードで次々と飛んでくる拳大の破片。その真っ只中を縄梯子はぐるぐると振れた。
「気をつけろッ!まだ崩れるぞ!!」
揺れに耐えながら上を見ると、崩壊は連鎖していた。最初の崩落の亀裂からさらに亀裂がびしびしと広がってゆく。
降り注ぐ瓦礫を、巨大な斧で次々と粉砕するハワード。ニューマを張らなければ・・・・でも、縄梯子そのものが揺れて狙いが定まらない。
ひと揺れごとに頭の芯が撓む。聖句を紡ぐごとに力が抜ける。遠心力に吹っ飛ばされそうになり、集中が途切れる。
吐き気がこみ上げて、手が力を失っていくのが分かった。
・・・世界が揺れる。意識が、離れる。
・・・・・ダメよ、戻るの・・・戻るのよマーガレッタ・・・
・・・・私は、ハイプリースト・・・・・それが、仲間を・・・守れ、なくて・・・・・・・・・・・
「マーガレッタ!!」
空を飛びそうになった私を、硬い鉄の感触が受け止めた。
ごつごつして少し痛い、でも力強く支えるように私を捕まえたそれは。
「セイレン・・・・?」
「ハワードを援護してくれ。意識が途切れても私が支えよう。すまんが全力で頼む!」
「ありがとう・・・そのつもりよ・・・!」
・・・・セシルにぶつかるような落ち方じゃなくて本当によかった。ともあれ、これで私はもう援護だけに集中していられそう。
例え縄梯子につかまる力を失うほど法術を使っても、この鋼のような腕が私をしっかりつかまえていてくれる。
その安心感だけで集中力は格段に上がった。頭の中身が左右に転がるような不快感の中、それでも照準は合い始めた。
ハワードが砕く瓦礫や鉄骨の破片が雨のように、でも私達を避けて降り注ぎ、落ちてゆく。
よし、行ける。あとは崩壊が止まってくれれば・・・・・!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ケガはねぇか!?」
降ってくる瓦礫に斧を振るいながら問うと、背中ごしに頷く感触が伝わってくる。
縄梯子の揺れる軌道の上にやっとニューマの光が浮かび始めた。これでひとまずカトリは安全か。
だがそれも俺が瓦礫を防ぎ切れればの話。ひと振りごとに梯子は揺れ、その度に狂う計算を弾き直す。
威力、振りの大きさ、梯子の揺れと迎撃速度。ひとつでも計算が狂えば防御が破れる剣が峰。
腕は痺れはじめ、目の奥は灼けつくように熱い。ヒールが届いて傷は消えたが、額から流れて片目にかかる血が鬱陶しい。
(クソったれが!まだ崩れるのか!?)
奥歯を噛み締めて気合いを入れなおす。さっきから息が上がるほど斧を振り回しているのに、体の中が妙に冷えるのだ。
俺にもそろそろ効いてきやがったか。早く登っちまわないと、今俺やセイレンの意識が飛んだらシャレにもならねぇってのに。
崩落自体は下火だが、最初の崩落で真下に巻き込まれちまったせいで、もう暫く続きそうだ。まったく、とことんツイてねぇ!
「ハ・・・ハワード・・・ッ!!」
下からセシルが搾り出すような声で俺を呼ぶ。一体何だ?上に何か見えたのか?いや、まさか・・・・・
「縄が・・・・!!」
「ッ!?」
目を凝らそうとすると、呟くような声がして火の玉が薄闇を照らす。瓦礫の落下が途切れた隙に、縄の行く手に目をやった。
・・・・・畜生、縄が擦り切れて片方が切れそうになってやがる!何てこった、あと少しなのに!こうなったら・・・!!
「一旦降りろッ!このままじゃいつ切れるか分からねぇ!!」
「何だと・・・!?」
「落石は俺に任せろ!先に飛べ!!」
2人を抱えるセイレンに向かって叫び、落ちてくる瓦礫と切れかけた縄を睨む。これじゃあまりハデには振り回せねぇ。縄が振れればそれだけ切れやすくなる。
下は3人だ。脱出には少し時間がかかる。あいつらが脱出するまでは、頼むから持ってくれよ!
「・・・悪ィな、カトリ。もうちょいだけ付き合ってくれ!」
苦しそうに息をつくカトリに声をかけ、斧を振りかぶる。
すると俺の顔の横に、白いものが伸びてきた。
「・・・ユピテル・・・・・・」
指先に生まれた雷球が瓦礫を弾き飛ばす。弱めだったがそれでも確実に、それを吹き飛ばすには十分な威力。
「バカ、無理すんな!」
「・・・だい・・じょぶ・・・・」
「・・・ッ」
どこが大丈夫だ、声が震えてんじゃねぇか。どいつもこいつも無茶しやがって。
そしてカトリはまた途切れ途切れに次の詠唱に入る。・・・クソ、聞く気ねぇなこれは。
「・・・・分かった、ありがとよ。でもな、やるんならデカいのに軽く撃ち込む程度にしとけ。」
「ん・・・・・」
「デカい奴のとどめと、細かいのは俺に任せろ。振りが小さくなりゃ問題ねぇだろ?」
言うと、カトリはこくりと頷いた。・・・それでいい。今のお前にそれ以上やってもらっちゃ男が廃るってもんだ。
さぁ、頼むぞセイレン。早めに脱出しちまってくれよ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時折霞む視界に、カトリのユピテルサンダーが光った。・・・・カトリもハワードを手伝ってるのか。
セイレンは左腕でマーガレッタを抱えながら、縄梯子が不安定に振り回される中でどうにか私も抱えようと難儀している。
(一体何やってんのよ、私は・・・・)
全員・・・それもカトリだって頑張ってるってのに、私だけダサいったらありゃしない。
セイレンの背中につかまって、足引っ張ってるだけじゃない。・・・・・悔しい。馬鹿馬鹿しい。ありえない。
・・・・・・そうだ。だったら、いっそのこと。
私は思いついたことをすぐに行動に移した。
腕に少し力を込めて、布で結んだ両手をもぞもぞと動かす。
何をする気なのか何となく分かったのか、セイレンとマーガレッタが驚いて声をあげた。
「セシル!一体何を・・・!?」
「・・・こんなことやってたら・・・・いつまで経ってもハワードが飛べないじゃない・・・・・」
「セシル!?」
ごめん、カヴァク。下手すりゃ最後の無茶になっちゃうかもだけど、やっぱ黙ってらんないわ。
はは・・・・昔っからこうやって無茶しては、迷惑かけてばっかだったよね。
でも大丈夫。私は自殺しに行く訳じゃあないから。
「ごちゃごちゃ言ってないで、私についてきなさい。」
そして私は、自分の両手とセイレンのベルトを結んでいた縄をするりと解いた。
そのまま手を離し、落下に身を委ねる。
「セシルッ!!!」
「くそっ!!」
私を追って、セイレンもマーガレッタを抱えて飛び降りた。
・・・オッケー、これでよし。ハワードたちもこれで降りられる。・・・さぁ、勝負はここから。
体の中を風が通り抜けて行くような不自然な浮遊感に、頭痛まで加わって気持ち悪い。
でも体に染み付いた距離感覚だけは絶対に狂わない。着地の瞬間だけが勝負。
今の私じゃまともに着地は出来ない。でもその瞬間に集中力をつぎ込めば受身は取れるはず。身のこなしなら、私はエレメスにだって負けないんだ。
風を切る感覚も、浮遊感も、頭の痛みも、体の冷えも何もかも、感じる必要はない。
視界が歪んだって構わない。距離さえ分かればそれでいい。このコースなら私は平らな場所に落ちるから。
マーガレッタが何か叫んだ気がした。何かが頬をかすめてゆく。それが何だったのかは知らない。知るつもりもその必要もない。
必要とする以外の知覚が全て消える一瞬。世界がコマ送りのように刻まれる。
床との距離。衝突の速度。右足。重心。衝撃を、受け流して、肩から斜め前へ・・・・!!
「ぐうううううっ!!」
くず折れるようにへたった脚は、それでも前へと衝撃を逃がしてくれた。手、腕、肘、そして肩から床にぶつかり、そのまま体をきつく丸めて転がる。
前も後ろも右も左もない、まるで頭の中を泡立て器で掻き混ぜられているような感覚。
そのままかき回されて飛び散るように、私の意識は吹っ飛んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(間に合って!)
落下の空気抵抗に煽られながら、青い鉱石を思い切り下へと投げた。
それがセシルを追い越したかどうか確認するヒマなんてない。そして文字通り、神に祈りを。
「サンクチュアリ!!」
光が広がったのと、重い音がしたのはほぼ同時。がくりと力が抜けて視界がブレた。
一瞬飛んだ意識が戻ると、セシルは聖域の外で倒れていた。まさか――
「大丈夫、間に合った。・・・少し響くぞ。」
がぎ、と具足の重い音とともに着地する。それでも腕の中の私に響く衝撃は少なくて。
そのまま跳んで真下を離れたかと思うと、優しく床に寝かされていた。目の前にはセシルの横顔。・・・・・よかった、息はしてる。
「こっちは任せろ。セシルを頼む。」
「ええ・・・」
剣を抜くセイレンにガードを任せ、体を起こしてセシルを診る。
・・・サンクチュアリが間に合ったことと、受身を取ることが出来たおかげで思ったほど外傷はひどくない。
もう一度サンクチュアリを張りなおし、リカバリーをかける。・・・これで少しはマシになるかしら。
「ハワード、早く降りろ!こっちは大丈夫だ!!」
「おう!」
縄梯子は既に片方の縄が切れ、ハワードは無事な方の縄を腕に巻きつけてぶら下がっていた。
そこから器用にカトリを抱きかかえ、縄を外して飛び降りる。着地するとすぐにこちらに避難してきた。
「セシルは無事か!?」
「あぁ、何とかな・・・気は失ってるが大丈夫そうだ。」
「そうか・・・」
セイレンの言葉にほっとひと息ついて、カトリをサンクチュアリの中に横たえる。見たところカトリにはケガはなさそうだ。
落石もほぼ収まり、今いる場所には殆ど降ってきそうにない。あちこち切り傷だらけで血だらけのハワードも、サンクチュアリの中に腰を下ろした。
「あーあ、服が汚れちまったな。」
「いいの・・・・ハワードは・・・へいき・・・?」
「おう。・・・それよりセシルだ。目ェ覚ましそうか?」
ひょい、とこちらを覗いてくるハワードの顔にも、疲労の色が濃い。大丈夫だろうか?
そういう私も相当に危ない。休み休みリカバリーをかけては吹き出る汗を拭う。部屋を出る時に換えのハンカチを持ってきて本当に良かった。
「多分、じき目を覚ますと思うわ・・・・・それより、みんな休んで・・・セイレンも・・・」
「私はいい。誰か1人は上を見ておかないとな。ハワードも休んでいてくれ。・・・おかげで助かった。」
「悪ィな。じゃあ俺もちょいとお言葉に甘えさせてもらうぜ。」
上・・・か。イレンドはどうしているのかしら・・・エレメスは、うまくやってくれたんだろうか。
2階のメンバーには、カトリみたいに広範囲をカバーできる子はいないはず・・・あの虫を使われた時が心配だ。
それにもし、誰か刺されたらイレンドは・・・あの子は皆を支えていけるだろうか?
・・・早く行ってあげたい。脱出するまでは何が起こるか分からないのだから。現に今だって・・・・・・・・
「うう・・・ぐ・・・・・」
「セシル!?」
「気がついたか!?」
気を失っていたセシルが、痛みに耐えるようにうめき・・・そしてうっすらと目をあけた。
まだ意識がはっきりしないのか、焦点の合わない視線を宙にさ迷わせている。
「う・・・・・」
「よかった、気がついたか・・・いや一時はどうなるかと思ったぜ。」
「セシル・・・よかった・・・・」
「・・・・すまん、セシル。無茶をさせた・・・」
何度か目を瞬かせているうちに、次第に意識がはっきりしてきたようで、セシルはまず自分の隣に寝かされているカトリを、それから私たちを見回した。
やがて状況が飲み込めてくると、少し辛そうに、でも不敵に笑ってみせた。そして私と、心底すまなそうな顔をしているセイレンに向かって言う。
「ハハ・・・何言ってんのよ。私の集中力ナメないでよね・・・」
「もう、馬鹿・・・無茶ばかりして・・・・・・・」
どっと力が抜けていくのが分かる。・・・あぁ、本当によかった。
そう思った瞬間、私の意識はゆっくりと薄れていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「とにかく、これで貸し借りはナシだな。」
「なわけないでしょ・・・チャラになるのはココ出てからよ。」
「む・・・・・」
無茶をさせたからおあいこだろう、とセイレンがそう言うと、セシルはそうは行くかと言い切った。
セシルをおぶって登ったことにしても元々貸しなどというつもりのないセイレンが困ったような顔をすると、
セシルはそんなセイレンに、もうひと押しとばかりに鼻を鳴らした。
「文句あんの?」
「・・・了解した。ならばここを脱出してから、たっぷり返してもらう事にするよ。」
苦笑してセイレンがそう言うと、セシルはにっと笑って目を閉じ、長く息をつく。喋って疲れたのだろう。
軽くため息をつくセイレンを、ハワードが苦笑して見ている。マーガレッタは・・・・・
「マーガレッタ?」
いつもの彼女なら、こんなやり取りがあれば何か茶々を入れそうなものなのに。
反応のないマーガレッタの方を見ると、頭をぐらりと揺らして倒れてゆくところだった。
「マーガレッタ!」
「お、おいしっかりしろ!」
「う・・・・・」
何とか意識はあるようだが、法術を使いすぎたのかもしれない。体が冷たかった。
セシルが無事と分かって緊張がほぐれ、その拍子に反動が一気に来たようだ。とりあえずセシルの隣に寝かせておく。
「マーガ・・・レッタ・・・・」
「・・・・・・・・」
「まじぃな・・・」
「4人とも、ゆっくり休んでいてくれ。・・・今、エレメスと連絡を取る。」
wisはなくても、彼らは"パーティ"で繋がっている。支援魔法を行き渡らせるこの連帯術式は、同じように言葉も届けてくれる。
向こうから連絡がないところを見ると、エレメスも取り込み中なのかもしれないが、今は上にいるエレメスに連絡してまた上から縄梯子をかけてもらうしかない。
しかし、そうするにしてもまだ一つ問題がある。本格的な崩落が止まっても、未だどこかでぴしぴしとヒビの入る音がするのだ。
衝撃でぼろぼろになった階段室の跡は、上と繋がった部分しか残っていない上にまだ崩れそうだ。
エレメスにも気をつけてもらわないと、今もヒビはダストシューターの底にあたる部分にも広がってきている。
実際、さっきからこの近くにも拳大程度の瓦礫が何個か落ちてきていた。ハワードが渋い顔をして上を見上げる。
「・・・ちょっと移動した方がよくねぇか?」
「そうだな。一応もう少し天井が無事なところに移動しよう。終わるまで私がここを見張るから、頼む。」
「あいよ。」
そう言って、すぐ近くに横たわっていたカトリーヌをひょいと抱き上げる。
それをちらりと一瞥して、セイレンはエレメスに用件を伝えようとし――あることに気づいた。
「・・・あれは・・・」
ぴしぴしという音にふと視線を巡らすと、ダストシューターの管の上部に亀裂が広がっていた。
それは今まさに、徐々に広がりつつあった。これはひと塊くらい瓦礫が落ちてきそうだ。
もしかしたらダストシューターの管に引っかかるかもしれないが。
だが、セシルの矢で塞がれたあの管の中には・・・・・・・・・・・
「マズい!!伏せろぉぉぉぉぉおおおおッ!!!!」
天井から剥がれ落ちた瓦礫が、ダストシューターの管を歪める。
ハワードがカトリーヌを咄嗟に庇い、セイレンが剣を抜き放って前に出る。
そして次の瞬間、管の中に詰まった爆弾が誘爆し、目の前の全てが真っ白に塗り潰された。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
跳躍して距離をとり、エレメスが地面すれすれに刃を振るうと、接点から"牙"が奔った。
歪な牙は先頭のジェミニをめった刺しに噛み砕き、早贄はざらりと砂と化す。
――それと変わらぬ刹那の間に。
「ヘブンズドライブ!!」
「ちィ!」
轟音とともにエレメスの足元が隆起する。それは完璧にかわされたように見え、しかしぎりぎり当たっていた。
退いて着地したエレメスの周りに赤い血がぱらりと滴る。普段のエレメスならかわしている、むしろそのまま前へ踏み込んでいるタイミングだったのに。
不自然な体の揺らぎを感じながら、胸中で舌打ちする。意識と実際の動きの乖離が徐々に進んでいた。
・・・だが、それでも獄長にwisを使う余裕は与えない。
間を空けず飛び込んで、獄長を守るジェミニの死角を取ると大きく息を吸い込みカタールを翻す。
映る光跡は一閃。されど凶刃は八条。芸術的に分解された体からこぼれた髑髏を、追撃を加えるように無造作に割り砕く。
そして制御の中心を失ったジェミニは、崩れて土くれへと姿を変えた。
「なッ・・・!!」
左右のたった二振りで、ジェミニが砂と化したように獄長の目には見えた。
その一撃目が音速の八閃だったなどとは信じられないほど、エレメスは何事もなかったように崩れる土くれを散らして間合いを詰めてくる。
そしてそのまま、防御の陣が崩されたことを認識する前に、その刃が流れるように獄長の臓腑を貫く――
――はずだった。
少なくとも獄長の脳裏には、自分の中を死が突き抜ける図がフラッシュバックした。
だが死神はふらりと横を通り過ぎ、よろけて踏み止まるように動きを止めた。腰を抜かしかけた獄長はすぐさま正気を取り戻す。
"症状"の進行。勝機を悟った獄長は再びジェミニを自らの意志に同調させ、魔法の詠唱と並行して手足のように指令を下す。
動きの止まったエレメスに、ジェミニの群れとロングボルトが襲い掛かった。
「がぁっ・・・!」
集中力を高めた反動で"発作"に襲われたエレメスは、だが全てをまともに食らった訳ではなかった。
詠唱が完成する直前に正気を取り戻して地中に飛び込み、"眼力"を持つジェミニの攻撃を回避して飛び出し、後ろに跳ぶ。
せり上がる岩塊も今度は当たらず、勝機をものに出来なかったことに獄長は絶望的な表情を浮かべた。
そんな獄長の反応には何の感慨も示さず、3階の方から聞こえてくる崩落音をちらりと気にして再び切り込む。
・・・と、その時不意に、セイレンの声がエレメスの頭の中に響いた。
(エレメス、聞こえるか?)
だが今は戦闘中だ。エレメスは問いに答えずそのまま聞くことにする。
それを悟ってか、セイレンもそのまま用件を続けた。
(取り込み中ならそのまま聞いてくれ。少しマズい事になった。さっき――)
セイレンの声がそこまで言いかけた時、そう遠くない爆発音が、牢獄を揺るがした。
「ッ!?」
「ひィッ!?」
そのまま続けて数回の爆発。3階の方向からだった。監獄全体がびりびりと震え、非常灯が頼りなく明滅する。
突然の音と衝撃に驚き、獄長はほんの一瞬ジェミニに対する統制と戦闘への集中力を失った。
そして暗殺者は3階の様子を気にするより先に、その隙を逃さず抉る。
「しま・・・ッ!!」
我に返った獄長がこちらに気づいた時には、既にエレメスの拳が獄長の腹に食い込んでいた。
あっさり失神する獄長の体を床に投げ捨ててwisを奪うと、エレメスはもはや烏合の衆と化したジェミニの群れを始末にかかった。
こうなれば余裕は十分にある。戦いながら、連絡の途絶えたセイレンに呼びかける。
(聞こえるか?さっきの爆発はどうした?一体何があった?)
・・・・だが、セイレンからの返事はない。
この声が聞こえているはずの他の4人からも、返事はない。
(ハワード!マーガレッタ!セシル!カトリ!誰か返事をしろ!!)
・・・・やはり誰の声も返ってこなかった。早く状況を確認しに行かなければ。
バラバラに切り刻んだジェミニから転がる髑髏を踏み砕き、エレメスは精神のリミッターをひとつ外した。
凍りつくほどに重い殺意。焼き切られるほどに鋭い凶気。その中心に奈落の底のような静けさを宿して。
狂ったように突っ込んでくる哀れな兵器の群れを見やり――そして、地を蹴った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「・・・さすがに、中々頑丈だな・・・」
「どいてろッ!!」
セニアを押しのけ、杖に火球を宿したラウレルが進み出て杖を振るうと、一直線に飛んだ火球が隔壁に激突して炸裂した。
もくもくと立ち込める煙の向こうで、でも隔壁は熱で歪みながらも健在だった。対魔術用の対抗呪紋が浮かんで消える。
遅れてイレンドのホーリーライトも突き刺さったけど、やっぱり同じだ。
・・・・あんまり気が進まないけど、仕方ない。
「クソっ!」
「これでっ!!」
金貨をばら撒いて斧を振りかぶると、不思議な手ごたえが手に宿った。
それをそのまま壁に叩きつける。普段の数倍の重い一撃が突き刺さり、隔壁はひしゃげるように破れた。
一発かまして腕に宿った"商売の神様"が消えると、金貨が弾け飛ぶ。・・・あとで請求しなきゃ。
でもその先を見て、あたしはちょっとやる気をなくした。
「うわ、この先みんな閉められてるよ・・・」
「ウザってぇ・・・」
透明な隔壁の向こう、遠くのほうに慌てて逃げていく敵の部隊が見えた。・・・このままだと体勢を整えられそう。
でも隔壁は全力で破壊しにかかればそこまで時間はかからないかもしれない。
・・・・よし!もういい。ここ出たら、とびっきりの笑顔で請求してやるんだから。
「畜生、奴ら逃げちまうぞ!とっととブッ壊しちまおうぜ!」
「そう言えば、気をつけてたけどまだエレメスさんが言ってた虫は使ってきてないね?」
「・・・うん。でもどこかに仕掛けてるかもしれないよ。先に進む時も気をつけなきゃ。」
そう言ってヒュッケが先に進んで、隔壁で遮られた次の空間をチェックする。
ラウレルが横でいらいらと杖を素振りしている。・・・・ほんとに血の気の多いヤツ。
「オッケー、異常なしだよ。」
ヒュッケに手招きされて皆で進むと、穴をくぐるが早いか火球を撃ち込むラウレル。・・・ったくもう。
・・・まぁ、早く進むって意味では間違ってないから敢えて何も言わないけどね。
あたしも金貨袋を取り出して向かう。こうなったらもう全力でやるしかない。他のメンバーもそれぞれ得意な方法で攻撃を加え続けた。
すると今度はさっきよりも早く隔壁に穴が開いた。
「なんか、何となくコツを掴めてきたような感じね・・・!」
「ん?そうかな・・・」
「こりゃ、案外時間かからずに行けるかもな!」
「ですね〜」
「むぅ・・・・・」
首を傾げながら剣を振るうセニア。・・・首傾げてる割に思いっきり剣が隔壁貫いてるんだけどね・・・
程なく次の隔壁にも穴が開く。向こうを見ると、既に撤退してゆく敵部隊の姿は見えなくなっていた。
そしてまたヒュッケが先に進んでチェックしていると・・・
「ラウレル!ここにファイアウォールを!!」
「!?」
炎の壁を跳び越えてヒュッケが戻ってくる。
すると遅れて何か小さな蚊の群れのようなものが飛んできて、炎に巻かれて落ちてゆく。
「こいつかっ!!」
もう1枚炎の壁を張って入り口を塞ぎ、徐々に群がってくる虫に向かって更にサンダーストームを浴びせかける。
降り注ぐ雷撃。でもそれは反発するように虫たちを避けていった。
「!? ナパームビート!!」
ひとかたまりになって火の中へと飛び込んでくる虫を、ラウレルが慌てて念動力で吹っ飛ばす。
どうやら風の属性持ちらしい。そう言えば空飛ぶ生き物は風のエレメントとの親和性が高いとかなんとか聞いたことがある。
こんなヤツでも例外じゃないんだね・・・・でもこれ、マズいんじゃない?マジシャンの範囲魔法って確か・・・・・
「畜生、ごっそり来たら俺だけじゃ防空できねぇぞ・・・」
「・・・僕に考えがある。」
そう言ってカヴァクが弓を引き絞る。その手には数本の矢。
それを一気に炎の壁に向かって撃つと、燃える矢が尾をひいて乱れ飛び、虫の群れを焼き落としていった。
「おぉ、やるぅ。」
「少し密度は薄いけど、悪くはないと思うよ。」
「・・・ヘッ、まぁまぁだな。」
「すごいすごい。・・・とりあえず、これで大体片付いたかな?ちょっと見て来るね。」
ヒュッケはまた一人で先に進んで微妙に残っていた虫を毒で落とし、他に何も仕掛けられてないことを確認するとこっちに手を振った。
あたし達も先に進む。例によってラウレルは真っ先に飛び込んで火球を投げつけようとしていた。
その時、どこか遠くから爆発音が響いて、この場所も少し揺れた。
・・・・何だろう。もの凄く胸騒ぎがする。お兄ちゃんの顔がふと、脳裏をよぎった。・・・・・無事なんだろうか。
何かを感じたのは、あたしだけじゃないらしい。
セニアが一瞬、ぶるっと震えた。ラウレルは火球を灯したまま突っ立っている。
カヴァクは奥歯を噛み締め、ヒュッケは両手を固くむすんで竦むように息を飲んだ。
・・・嫌だ。何でみんな揃ってそんな顔するのよ。これじゃ、まるで・・・・・・
「信じましょう。」
沈黙を破り、そう言ったのはイレンドだった。
あのイレンドなのかと思うほど、強い意志を秘めた目であたし達を見渡す。
「あの人たちを、信じましょう。」
静まりかえったあたし達の間に、イレンドの言葉が響く。
力強く、ひとかけらの疑いもなく。
「あんな強い人たちが、ここで終わるはずがない。こんな非道を神が見過ごすはずがない。」
そしてもう一度ひとりずつ全員の目を見て、言った。
「だから信じて、進みましょう。それが僕たちに出来る精一杯のことのはずです。」
最後に、あたし達を安心させるように柔らかく微笑んだ。そしてその手に杖を、強く握り締める。
どうしてだろう。思わずそう感じるほどに、ふっと気持ちが和らいだような気がした。
私だけではなく皆が、どこか呆けたように、微笑むイレンドを見ている。
「・・・・あぁ、そうだな。」
その呟きとともに、すぐ近くで爆発音が響いた。熱風がぶわりと顔を撫でる。
驚いてそっちを見ると、ラウレルが次の壁に向かって火球を、光弾を、雷撃を狂ったようにぶつけていた。
肩で息をしながら半ばやけくそに、でも発破をかけるように叫ぶ。
「行くぞてめぇら!!そうだよ、常識で考えろ!あんな爆発程度で目減りする面子じゃねぇだろ!?」
まるで消えない不安を粉々に吹き飛ばそうとするように、隔壁に魔法を叩きつけている。
さっきは不安を抑え切れなかったラウレルも、強気な言葉の裏で戦っているんだ。
あたしはさっき、ラウレルに後ろを気にして立ち止まっても意味がないと言った。今だってそう、前に進むしかないんだ。
だから、ここで不安に身を縮めている訳には行かない。
「そうそう、ラウレルの言うとおり!大丈夫、ちゃっちゃと行きましょ!」
斧を握り締めて気合いを入れる。他の皆も武器を携えて前に進み出た。
体勢を整えられる前に突破して前へ。それが今あたし達にできる全て。
ラウレルが爆撃する隔壁に向かい、あたし達は武器を振り下ろした。
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