薄暗い部屋の真ん中に、女が一人座り込んでいる。淡い金髪に白い肌の、どこか儚げな女性だった。
最低限の調度品が置かれ、分厚い鉄の扉がついたその部屋の主は、目を閉じてまるでそこで眠っているようだ。
しかし彼女は眠っている訳ではなかった。その唇は、静かに何かを呟いている。
その部屋の壁や床には、よく見ると複雑な紋様が描かれていた。
複雑怪奇にして、どこか洗練された美しさを持つその紋様は、しかし彫刻家の手によるものではない。
それはシュバイチェル魔法アカデミー最新の研究結果にして、一流の魔導技術者によって彫られた封魔結界だ。
その紋様は時折、ぼんやりとした淡い光を室内の薄闇の中に霧散させていた。
そして、この部屋の真ん中に座っている女性。
彼女こそ、このレゲンシュルム研究所が誇る"最高傑作"、そのうちの一つ。
コードネーム"カトリーヌ=ケイロン"。彼女を抑えるために、この封魔結界は作られていた。
やがて彼女は呟きを止め、目を開いた。そして指先を軽く傷つけ、床に血を垂らして紋様を描く。
その紋様はまるで、床に彫られた紋様に新たなデザインを加えるように描かれて。
彼女がその紋様に手を触れ、何か一言呟くと、彼女が描いた紋様から部屋に施された紋様へと光が広がり―
その部屋は、瞬時に爆砕した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
火災発生の報告を聞き、消火器を背負って現場に急行する。
このエリアはカトリーヌ=ケイロンが収監されているエリア。独房の魔力センサーに反応は無かったというが油断は出来ない。
前衛には、鎮圧用生体兵器ジェミニS-58を三体連れた完全武装の一個小隊。消火部隊も戦闘用の防護装備だ。
よく分からないが恐ろしく高いらしい機材類が、次々に引火して爆発している。
研究員の連中が頭抱える姿が目に浮かぶな、と部隊の誰かが言い、隊長がその不謹慎な隊員をたしなめている。
『こちらDチーム。聞こえるか?』
「どうぞ。」
逆側から回っていたDチームから連絡が入った。何でも炎と煙が激しくてマトモには進めないらしい。
連絡を受けた彼は思った。どうも火元や建物の構造からして風向きが偏りすぎてはいないか。いや、まさかな―
「・・・ん?」
突然、「何か」が目の前に降って来た。
それが隕石のような炎の塊だと、理解した時には目の前にいた一個小隊は消えていた。そして―
「あ・・あいつは・・・・!!」
頭上から落とされた朱色の閃光に撃たれ、彼らも塵と化した。
その跡を、炎が燃え盛る景色にはおよそ場違いな雰囲気の女性が一人、歩いてくる。
表情ひとつ変えず辺りを見回し、呟く。
「・・・こっちの通路を煙で塞いで・・・次は・・・確か燃料タンクは・・・・・」
そして手近な機材にまた火を放ち、再び歩き始める。
この研究所のどこかに居るほかの五人と、上の階にいる弟たちと一緒に、この忌まわしい研究所を抜け出すために。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
遠くから爆音が近づいてくるのを聞きながら、ハワードはベッドの下に隠してあったものを引っ張り出した。
見た目はただの短い鉄の棒と、大きな機械に使われるような幾つかのナット。
彼が密かに作っていたそれは、組み立てられて即席の鈍器になった。
(もの足りねぇが、まぁいいか。)
小ぶりな鉄の塊を軽く素振りし、具合を確かめる。あまり出来はよくないが、こっそり作るにはこれが限界だろう。
それでも握りの部分は納得の出来。武器を握り締め、徐々に近づいてくる爆発音にアドレナリンが体中を駆け巡る。
ベルトの中から隠し持っていた金貨を取り出す。渾身の一撃に商売の神様の加護を呼ぶ、言わば手間賃だ。
部屋の前で、一際大きな爆発。頑丈な鉄の扉が爆圧で歪み、軽く赤熱した。
「おらあぁぁぁぁああ!!」
凄まじい音を立てて、鉄塊が鋼鉄の扉にめり込んだ。
最初とは逆の方向に歪んだ扉から強引に鈍器を引き抜き、更にめった打ちにする。
やがて、扉そのものがずれ込みはじめる。にやりと笑い、ハワードは金貨をぶちまけた。
「うぉらあぁぁぁああ!!!」
耳障りな金属音とともに、今度こそ鋼鉄の扉は大穴を空けられて外れた。
それを蹴り倒し、窮屈そうにハワードは外に出る。
「・・・よっ、と・・・いけるな。助かったぜ・・・ありゃカトリーヌか?」
通路の向こうで、女のような人影が炎の中に浮かび上がっている。
・・・と、後ろから誰かが走ってくる気配を感じ、ハワードは振り返った。
「ハワード、出られたか!」
「あぁ、たった今な。」
そこにいたのはセイレン。ハワード、カトリーヌと同じレゲンシュルムの"最高傑作"。
拳から血を流しているところを見ると、こっちは素手で相当苦労したようだ。
「それより、あれはカトリーヌじゃないのか?」
「そうらしいな。我々も合流するぞ!」
「あぁ、ちょいと待ちな。暫くこいつを使ってくれ。」
この日に備えて、密かに数本作っておいたものをセイレンに手渡す。
「短剣・・・?こんなもの、何時の間に?」
「鍛冶屋をナメてもらっちゃ困るぜ。あり合わせのモンで悪いが、ねぇよりマシだろ。」
「ありがたい!さぁ、行くぞ!」
怒声と喧騒が遠くから響く中、陽炎に揺れるカトリーヌの影を追って二人は走り出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
部屋を常時満たしていた、サイトの効果を持つ赤い光が消えた。
破壊活動で電気系統が壊れたか、監視システムがダウンしたのだ。この時を、待っていた。
意思と感情をなくした模範囚の顔をして、既に独房の鍵の構造は把握してある。余裕を持って、ロックを外した。
するりと扉を抜けて外に出ると、遠くから断続的に振動が響いてくる。これだけ条件が揃えば十分だ。
「まずはセシルだな・・・」
実験体同士が手を組むことがないよう、お互いの収監場所は勿論知らされていない。
だが研究室の構造とお互いの位置関係は、既に少しずつ調べていた。そして、脱出計画も。
まず、俺はセシルを解放しに行った。研究員どもを血祭りに挙げるのは、その後でいくらでもやればいい。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
外は大騒ぎ。部屋は停電。どうも他のメンバーが脱走して暴れているらしい。
今が千載一遇のチャンスってやつ。幸い私はトラップ解除の技術があるし、勿論手先の器用さだって誰にも負けない。
だからこんなカギくらい、簡単に外せて当たり前。当たり前よね、どう考えても。なのに何で・・・
「あぁもうっ!何で開かないのよ!!」
頭に来て鉄の扉を蹴り飛ばす。あぁもう足が痛い、なんなのよこのカギは!
弓とか罠さえあれば、こんなのいくらでも吹っ飛ばしてやれるのに!
「蹴飛ばしたって開くか。今ロックを外すから待ってろ。」
「!!」
ぼそり、と扉の向こうから聞こえる声。恥ずかしさに顔が真っ赤になるのが分かる。
「その声はエレメス!?あ、開けてくれなくたって大丈夫よ!私だってちゃんと解除しようとして・・・」
「いいから。」
・・・と、エレメスは手早く、そしてあっさりとカギを外してしまった。
「・・・・・・・・・・・」
あまりの悔しさに、ちょっぴり目頭が熱くなる。あぁもう何なのコレ!
確かにエレメスはそっちの方専門かもしれないけどさ・・・
「・・・どうした?」
「・・・何でもないわよ・・・」
ちょっと後ろを向いて表情を取り繕い、向き直る。
エレメスは少し怪訝な顔をしながら、小声で次の計画を私に伝えた。
「まずは武器庫に向かうぞ。お互い武器がなければ始まらないだろう?」
「知ってるの?」
「あぁ。しかし、少し面倒なトラップが張ってあってな。解除を頼む。」
ここを出た後の一番の心配ごとが真っ先に片付きそうだ。
それに今度はトラップ解除。思う存分、面目躍如してやろうじゃない。
「オーケー、任せて。」
エレメスの拳に、私の拳をかち合わせる。エレメスはにやりと笑い、姿を消して先に立った。
私は合図に従い、壁や障害物に張り付いて慎重に進む。まだ油断はできないけれど、なんだかうまく行くような気がしてきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時に近づき時に遠ざかる阿鼻叫喚を聞きながら、静かに時を待つ。
ポータルが封じられた以上、脱出のための技術はおろか、特に優れた破壊能力もない私は、神の配剤をただ待つだけ。
お茶でも飲んでゆっくり待とうかしら。・・・そう思った時、部屋の外からうめき声が聞こえた。
「が・・・っ・・・あ・・・・・くそ、化け物どもめ・・・」
恐らく、命からがら逃げてきた警備員か何かだろう。
咳き込んで血を吐くような声が聞こえた。私は、彼に声をかけてみた。
「そこに居るのは誰ですか・・・?」
「はァ・・・ハァ・・・・・・くそ、お前は・・・」
苦しみを絞り出すように、うめく。生臭い匂いが鼻をついた。
「血の匂いが・・・あなた、かなりひどいケガをしているのでは・・・?」
「くっ・・・・・・」
「・・・私を出してください。あなたの傷を治してあげます。」
「・・・・・・・・・」
沈黙。疑いと誘惑の入り混じった空気が、ここにいても伝わってくる。
優しく諭すように、私はもう一度彼に語りかけた。
「私も神に仕える者。どんな人であれ、見殺しになど出来ません。」
「・・・・・・・・・」
「・・・信用して、いただけませんか・・・?」
扉を挟んで、長い沈黙が流れる。そして・・・
「・・・・・・わか・・・った・・・」
そして彼は、最後の力を振り絞るように扉に手をかけた。
這うように立ち上がり、がちゃりとロックを外す。扉を開けると、警備員は私に倒れ掛かってきた。
それを抱き止め、ざっくりと裂けた脇腹に手を当てる。
「ありがとう、警備員さん。」
「・・・さぁ・・・た、頼む・・・・・・」
哀願する彼の耳元で、私は囁くように唱えた。
「ホーリーライト。」
「がッ・・・!?」
どぐ、とこもった音がして警備員の体が揺れる。
動かなくなった彼の体を、私はそのまま横に払い捨てた。
ぐしゃりと床に倒れたそれを一瞥する。
「社訓は神への挑戦、ですか。地獄で悔い改めてくださいな。」
服に着いた血をハンカチでふき取り、その場に捨てる。
・・・と、向こうの角から足音が聞こえてきた。
「マーガレッタ!」
セイレン。ハワードとカトリーヌも一緒のようだ。
セシルとエレメスはいない。まだ合流できていないのかしら。
「どうやら無事みたいだな。」
「もの凄く、ね・・・」
「ええ、なんとか。あなたたちも無事で何よりですわ。」
私はにっこりとそう返して、彼らに合流した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「斧が使えるってことが、こんな所で役に立つとはな。」
「贅沢言わない。・・・よし、最後のセンサー外したよ。ロック解除よろしく。」
「OK。」
保安要員から奪った対物破壊用の片手斧を立てかけ、エレメスは作業に取り掛かった。
最新鋭のセンサーはなかなか厄介だったけど、作業は順調に進んでいる。
時折、敵に見つかって戦闘になるとエレメスが一人で斧を振り回していたけど、やっと私にも武器が手に入りそうだ。
「開いたぞ。中のチェック頼む。」
「了解。」
内部にも幾つか警報装置がついていたけど、こっちも問題なく解除。
それにしても、この部屋の奥の方には予想以上にとんでもない武器が沢山置かれている。
トラップやジェムストーンもあった。私たちを実戦に送り込む時、装備させようとでも思っていたんだろうか?
上等じゃない。その性能、あんたたちで試してあげるわよ。
「これは凄いな・・・」
エレメスも並べられている武器を手に、感嘆の声を漏らしている。
でもすぐに我に返り、必要なものを選び始めた。私も必要な装備を積み、部屋を出た。
「よし、後は合流するだけね。」
「いや、まだだ。」
戦闘が続いている方向へ向かおうとする私を、エレメスが引き止めた。
「何よ、まだやる事あるの?」
「これから4Fに向かう。警備関係の管制中枢があるはずだ。潜入して、全部壊すぞ。」
なるほど、研究所全体のセキュリティを撹乱すれば上の階にいる弟たちも・・・
「オッケー。この様子だとあっちも派手にやってるみたいだし、こっちもやってやろうじゃない。」
そして私たちは戦闘の中心から遠ざかり、南東の小部屋を目指して進み始めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ここは研究機関。研究資料の保護が最優先。故に火災が起きれば、敵は後手に回る。
カトリーヌの読みは正しかった。人間の戦闘要員は既に戦闘を放棄し、研究資料の保護と脱出に走り回っていた。
それに伴い、鎮圧のために出ていたS-58ジェミニも姿を消しつつあった。しかし・・・
その代わりに自分たちの前に放たれたものがいた。その姿を認め、セイレンは激昂した。
「・・・奴らは・・・この期に及んでまだこいつらと我々を戦わせたいらしいな・・・!!」
セイレンの視線の先にいる、生気のない、あるいは歪んだ表情の人間の群れ。
それは戦闘実験のたびに彼らが戦い、そして殺してきたモルモット。すなわち―
モデル"セイレン=ウィンザー"からモデル"カトリーヌ=ケイロン"までの六種の生体兵器。
強化手術を施され、彼ら六人の戦闘データを脳に注入され、生体兵器に改造された普通の人間・・・言わば量産型だ。
基本的にこれらは、注入された膨大で複雑な戦闘データの負担のためか制御がきかず、
改良に向けたデータ採取のために彼らの戦闘実験に使われるか、
改造の過程で使い物にならなくなったり余ったりすれば、処分施設に送られて殺処分されていた。
それを牢や処分施設から解放し、武器を与えて資料保護と脱出までの時間稼ぎに使う気らしい。
剣を持った個体と、弓を持った個体がこちらに気づいてゆっくりと頭を巡らせる。
「ラクにしてやれと言うなら、いくらでもラクにしてやるさ。」
「よせ、セイレン。」
唾を吐き捨て、短剣を片手に進み出たセイレンをハワードが止める。
「ハワード!」
「気持ちは分かるけどな。今の俺たちの武器じゃあ、この数のこいつらを相手するのは時間の無駄だぞ。」
「・・・・・・・・ッ!」
彼らの武器は、あり合わせの材料で作られた道具で打たれた、あり合わせの武器だ。
最初に無茶な使い方をしたハワードの鈍器は既にかなり歪んでおり、セイレンは短剣一本では力を発揮しきれない。
「今は退こう。武器庫を見つけるか、はぐれた奴から剥ぎ取るかしてから、お前の剣で終わらせてやりゃいい。」
「・・・・・・・・・・・・・・・分かった。」
「さぁ、囲まれる前に。」
弓を持った個体が撃ち込んで来た矢を、マーガレッタがニューマで逸らす。
更に数箇所ニューマを置きながら追撃をかわし、大魔法で牽制して四人は通路へ逃げ込んだ。
完全に振り切ると、遠くに見えるその生体兵器たちはまた彷徨うように歩き回り始めた。
ふと足を止めて、カトリーヌがそちらを振り返る。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・行きましょう。」
彷徨う人形たちをじっと見つめているカトリーヌの肩を抱いて、促す。
カトリーヌはこくりと頷き、また歩き始めた。立ち止まってハワードが待っている。
「・・・ほら、置いてかれちまうぞ。」
ぼろぼろの短剣を握り締め、珍しく振り返りもせず一人で先に進んでいくセイレンの背中を、三人は走って追いかけた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ザルね。」
「あぁ、まさか実験体がここを知ってるなんて誰も思わないだろうしな。」
・・・それに、あの騒ぎだ。実際のところ、ここを脱出しようと暴れ回っている四人はいい陽動になってくれている。
あそこまで派手に暴れられれば、敵は全力で向こうをマークしなければならない。その分こっちは好き勝手に動けると言うわけだ。
「少し、そこにいてくれ。」
「OK。」
階段を降りると、入力コンソールがついている以外、何の変哲も無い鉄の扉があった。
クローキングしながらパスを入力すると、機械音とともに扉が開く。
「・・・ん?何だ?」
「誰もいげぐっ!?」
「がっ!?」
そのまま守衛二人の喉に短剣を突き込み、壁に突き刺す。
廊下の向こうに立っていた警備員が、いきなり不自然に壁にもたれた二人を見て異常に気づいた。
だが、俺が対応するまでもなく駆け寄ろうとした警備員の眉間と心臓に矢が突き刺さる。
「さすがだな。」
「・・・あんたこそ、何でここのパスなんか知ってるのよ。」
「潜入する時に見た。」
と、殺した警備員の懐からメモ帖とペンを拝借して扉の外に死体を放り出す。
そして現在地から管制室付近までの簡単な見取り図を書いて、セシルに見せた。
「・・・あんた、こんな所まで潜り込んでたわけ?」
「ああ。」
「実験で見かける時は、まるで模範囚みたいなもんだったのに・・・食えない奴ね。」
「殺し屋なんて皆そんなもんだ。そんな事より、さっさと済ませるぞ。」
「・・・呆れた。」
そのまま真っ直ぐ、管制室を目指す。こちらに退避してきた研究員や警備員も多いらしく、案外人が多いのが厄介だ。
多くはやり過ごしたが、持ち出した研究資料を整理している連中の部屋は皆殺しにしておいた。
忙しく走り回っていて邪魔だったし、どの道ここの研究データは全て消すつもりなのだ。
それからゲートを守る守衛を始末し、その奥の立ち入り禁止区域へ。
貯水槽の並ぶ部屋の奥に渡り廊下が続いており、その奥のゲートが管制室のはずだ。
「待って。多分センサーが仕掛けられてる。」
「・・・守衛もいるな。」
センサーは恐らくクローキング中の侵入者も感知する新型のもの。
守衛はゲートの前に二人。煙草を吸いながら話をしているその二人に、セシルが柱の影から狙いを定めた。
「・・・しかし、俺はいつかこんな事になると思ってたよ。」
「まさか、こっちにも来ないだごぼぁっ!?なんだこ」
「え、おいどうしっ」
二人の警備員を殺し、セシルは手早くセンサーを解除しにかかる。
隙なく配置はされているが、個数そのものは大したことがなく、素早く抜けられた。
そして扉のロックを外しにかかる前に、守衛の死体の懐を探る。
こういう所のパスは基本的に複雑なので、覚えられなくてメモを持っている奴が実は結構いるのだ。
・・・・・・あった。十八桁か・・・あまり複雑に作りすぎるのも、逆に考え物だな。
そのパスを入力し、送信ボタンに指をかける。
「行くぞ。速攻だ。」
「分かってるわよ。」
「3・・・2・・・1・・・・・」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「3F、一部で予備電源復帰しました!」
「やったか!システムの状況を報告せよ!」
3Fに取り残されていた工兵部隊がうまいことやったらしい。焦燥に包まれていた管制室が一度に活気付いた。
矢継ぎ早に情報が入ってくる。迎撃システムは稼働率30%まで回復。苦しいが、だが確かな手ごたえ。
「北ブロック、ガーディアンきど」
「うごっ!」
「あがっ!?」
「!?」
ドアが開くか、開かないか。その刹那に入り口近くにいた二人が首から血を噴き出して倒れた。
続いて踊り込んできた人影が凄まじいスピードで矢を放ち、管制室スタッフの頭を、心臓を次々と撃ち抜く。
断末魔の悲鳴が上がるたびに、管制室に濃密な血の匂いが満ちていった。
「ま、まさかこいっ・・・こいつっ!!!」
逃げ遅れた者も血の海に沈み、隠れられた者も柱に、機材に、激しく突き刺さり破壊する鉄の雨に一歩も動くことができない。
その彼らを、後ろから"何か"が突き刺した。確かにそこには何もいない。しかし何かが確実に、柱の影の彼らを順々に屠殺してゆく。
それを見て悲鳴を上げ柱の影から逃げ出した者は、セシルの放つ矢に撃ち抜かれて吹き飛んだ。
「せ・・・セシル=ディモン・・・・・それに・・・それにエレメス=ガイルか・・・?」
震える声で虚空に問いかけた最後の一人を、エレメスのカタールが沈黙させた。
姿を現したエレメスは防衛システムと電気系統の中枢をダウンさせ、
セシルはガーディアン制御システムを確認すると、部屋中にクレイモアトラップを仕掛けた。
そしてエレメスと一緒に管制室を後にすると、十分な距離を置いてから、弓を引き絞った。
「じゃあね。」
放たれた矢がクレイモアトラップの一つを直撃し、管制室は渡り廊下の一部を巻き込んで大破した。
炎に包まれ崩れ落ちる管制室を見て、セシルは忌々しげに鼻を鳴らす。
電気系統がダウンし闇に包まれた地下空間を、天をも焦がすような炎が照らしていた。
「行くよ、エレメス。」
「ああ。」
これで自律的に稼動している重要なシステム以外、研究所全域の警備システムは停止した。
あとは脱出するだけ。しかし彼らが渡り廊下を戻り始めた時、広い空間にアラームが響き渡った。
・・・管制室の異常に対応する緊急用の警報が設置されていたらしい。
赤い非常灯の中に浮かび上がるのは、鎮圧兵器S-58ジェミニの群れ。
まるで4Fに配備されていたものが全てこっちに向かってきたような数だ。
「くそっ、面倒な・・・!」
「・・・エレメス、あれを壊せばいいんじゃない?」
そう言ってセシルが指差したのは、あの巨大な貯水槽。
「・・・やる気だな、いい考えだ。」
「でしょ?・・・全部ブッ壊して、水の底に沈めてやるわ。」
エレメスが前に立ち、セシルは時折援護射撃をしながら貯水槽にクレイモアトラップを仕掛けてゆく。
後ろでジェミニに指示を出している者がいるらしく、ジェミニは横に広がり一気に突進してくる。
広範囲をカバーするのは苦手だ。エレメスは舌打ちして床を掌で叩き、すとんと下に落ちるように姿を消す。そして―
「グリムトゥース!!」
槍のように成型された「床」が、ジェミニの群れに襲い掛かった。
暗殺者の武器にして暗殺の象徴である、カタールを媒介にして行使する"魔術"。
それは這うように床を奔り、エレメスを無視してセシルを止めようと突進するジェミニの群れを噛み砕くように貫いた。
ある個体は倒れ、ある個体は千切れた体を引きずって更に進む。
「ナメんじゃないわよ!」
ブラストマインを弾き飛ばし、数の減ったひと塊のジェミニを吹き飛ばした。
追加でもう一つ貯水槽にトラップを仕掛け、矢を番えつつひらりと飛び降りる。
着地したセシルが円を描くように走りながら乱射する。
飛び出すエレメス。一気にトップスピードに乗り、隘路の入り口まで駆け抜ける。
「お前が頭か。」
「・・・・・・ッ!!」
統率者が倒れると、ジェミニたちの動きは急に雑になった。数も減ったそれらを牽制しつつセシルは再び設置に取り掛かる。
隘路の向こうからは後続の気配。エレメスは死体をその場に転がし、隘路の出口に再び潜った。
「突入ッ!!」
「グリムトゥース!!」
指示とともに一気に突入してくる後続のジェミニの群れの侵攻を"牙"が縫い付ける。
天井まで届きそうな串が生まれてはジェミニの体を貫き、貫いては崩れ、崩れては生まれる。
決して量産型ではない、現時点で最高の制御と高い戦闘力を誇る鎮圧兵器がぼろくずにされてゆく。
ありえないはずの悪夢。そして、この凶暴な棘を放つ化け物の次の標的は・・・・・
「ひっ・・・ひるむな、行けッ!!・・・き、聞こえるか!?早く・・・早く増援をっ!」
統率者は更に救援を要請しつつ、忠実な生体兵器に強行突破の指令を下す。
バラバラに噛み砕かれる個体、半身を失いながらも切り抜ける個体、牽制の矢に倒れる個体。
一体として、目標へと届くものはいない。気がつけば自分の率いた生体兵器の群れは、殆どが肉塊となって這いずり回っていた。
「な・・・っ、何なんだ・・・何なんだお前らはぁぁぁああああああっ!!?」
悲鳴を上げて統率者が逃げようとした時、弾き込まれたブラストマインが串ごと廊下を爆砕した。
作業を終えたらしいセシルがこちらに走ってくる。
「全部終わった!」
「よし、脱出するぞ!」
セシルが立て続けに矢を撃ち込むと、立ち並ぶ巨大な貯水槽は爆砕した。エレメスもハイドを解き、走り出す。
奔流が溢れ出る。二人は一気にスピードを上げ、敵の密度が減った隘路を突風のように駆け抜けた。
「敵襲!来るぞっ!!」
「ま、待て、何だこの音は!?」
「なっ・・・水だ!奴ら貯水槽を・・・!!」
押し寄せる水の奔流を背に、混乱する敵を弓矢と刃で薙ぎ倒しながら出口を目指す。
反射するように角を曲がり、廊下を駆け抜け、時折露出している配水管を叩き壊し、飛ぶように階段を駆け上がる。
やがて、3Fの赤い非常灯が見えた。後ろから追ってくる水の勢いも弱まり、遠くから生き残りが出口を求めて泳ぐ水音が聞こえる。
4Fの廊下は、既に3分の2ほど水没していた。だが、まだ3分の2。詰めが足りない。
エレメスは、数個の赤い鉱石を水の中に投げ込んだ。手をかざすと、それは弾けるように霧散して水の中に広がってゆく。
水が変色すると程なくして水音は緩慢になり、やがて静かになっていった。
セシルはその向こうで、近くにあった中型の貯水槽にクレイモアを仕掛けている。
それが終わると今度は、階段の途中の水際に同じようにクレイモアを設置し、
貯水槽に仕掛けた方に矢を撃ちこんで爆破すると、エレメスに続いて部屋を出た。
勢いよく噴き出した水は階段へと流れてゆき、やがて階段を埋めて部屋を浸す。
「行こうか。」
そして、篭った爆発音とともに4Fの入り口だった階段からごぼりと大量の水が吐き出され、小部屋そのものも半分ほど水没した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「む・・・」
また、揺れた。そしてまた、さっき復活したばかりの照明が消えて非常灯に切り替わる。
遠い爆発音が聞こえてきた気がしたが、その辺のあちこちで誘爆しているものとはまた違う、足元から来るような音。
地震だろうか。だいぶ派手に壊しているし、あまり大した地震でなければいいんだが。
・・・と、カトリーヌが急に立ち止まった。
「ん?どうした?」
「あれ・・・・・・」
カトリーヌが指差した先には、血のついた片手斧。消火担当の保安要員が持っていた、障害物や瓦礫を壊すための斧だ。
しかしこの斧は明らかに戦闘に使われている。・・・と、考えるとこの斧を使っていた可能性があるのは・・・
「エレメス・・・やっぱり生きていたか。」
「だが、あいつも武器がなくて苦労してたらしいな。」
あのエレメスがのろのろと斧を振り回すところを想像すると、思わず苦笑が漏れる。
それにしても・・・心配なのはセシルだな。一度弓を持てば凄まじいが、それが無ければ誰よりも防戦一方なのがセシルだ。
そして、ここで弓を持ってるのは俺たちのコピーだけ。素手で弓を奪い取るのはまず無理だ。しかし・・・・・
「この扉、開いてますね。」
「ん?」
見ると、マーガレッタが手をかけている頑丈な鋼鉄の扉は、確かにカギが外れている。
・・・いや待てよ。そうだよ、ここに斧が置かれてたってことは・・・
「多分、ここが武器庫だ!」
開けて入ると予想通り。中には多くの武器が置かれていた。
武器だけではなく、ジェムやら薬やらまぁ色々と。俺たちが戦闘実験で使っていた規格のものもある。
「罠と矢筒の数が少ない・・・・気がする・・・・」
「!本当・・・じゃあセシルは・・・・・」
カトリーヌの一言にそれらを見比べてみると、確かに他のものより減っている。
セシルは、生きている。もしかしたらエレメスと一緒かもしれない。
あぁよかったよかった、とカトリーヌに抱きつくマーガレッタに、目を白黒させるカトリーヌ。そしてセイレンは・・・
「・・・セイレン?」
セイレンの姿がない。ふと武器庫の奥の方に目を凝らすと、セイレンはそこで何かを見上げているようだった。
セシルのことを伝えようと奥に向かい、俺も思わず絶句する。・・・・・・何なんだ、この武器庫は。
鍛冶屋の魂が揺さぶられるような逸品揃いじゃねぇか。・・・だが、今はそんな場合じゃなさそうだ。何しろ・・・
「セイレン、その剣を使う気か?」
「・・・ああ。」
セイレンが手に取ったのは魔剣エクスキューショナー。罪人の血と呪いを吸いに吸って、魔剣と成り果てた呪われた処刑刀だ。
握れば犠牲者の怨嗟の声が使用者を苛み、敵だけでなく使用者自身も殺すという。
「そいつを使うには、覚悟がいるぞ?」
「分かってる。・・・・呪いでも何でも、引き受けてやるさ。この剣の呪いも、あいつらの怨みもな。」
「・・・・・そうか。」
セイレンは自分たちから採取された戦闘データを元に生体兵器にされた奴らに、自分の手で決着をつけるつもりだ。
そして全員でこの研究所を脱出し、この忌まわしい実験を始めた連中を一人残らず断罪するつもりだ。
自分の呪われた力を、贖いのために振るい道を切り開く。そのためには更なる呪いを受ける事も厭わないのか。
「分かったよ。でもな、あんまり背負い込むんじゃねぇぞ?」
「・・・・・・・・・」
「俺にはな、武器の声が聞こえるんだよ。・・・そいつは曲者だぜ。お前が思いつめるほど、そいつは入り込んでくる。」
「負けはしないさ。」
強い瞳で、そう言い切る。身を砕いても斬り込む覚悟は本物か。
・・・まったく、本当に剣みたいな奴だ。嫌いじゃないが、危なっかしいな。
「・・・とりあえず、お前はもう少し自分を大事にしろ。その剣が妙な動きを見せたら俺が叩き壊す。文句は言わせねぇ。」
「覚悟は出来てる。」
「バカ。お前にも妹がいるだろうが。」
「・・・・・・・・・・・」
強い光をたたえた瞳が、迷いに揺らいだ。
・・・話でしか知らないが、俺はこいつらが仲のいい兄妹でよき師弟だということを知っている。
俺の妹は・・・アルマは俺が居なくても元気でやっていけそうだが、こうして離れると心配なもんだ。
近くにいたらいたで厄介ではあるんだが。
セイレンもそれは同じはずだが、騎士って奴は面倒なもんだ。・・・・・こいつのいい所でもあるんだけどな。
「・・・捨て身で剣になり盾になるだけが"護る"ってことじゃねぇよ、セイレン。」
「・・・・・・・・・・」
考え込むように剣を握り締める。何かを堪えるように俯き・・・
・・・そして顔を上げ、俺の目を真っ直ぐ見て口を開いた。
「・・・・・そうだな、すまん。もしもの時は、よろしく頼む。」
「あぁ、任せとけ。俺のハンマーにクホれない武器はねぇよ。」
「はは・・・貴殿には敵わんな。」
「さ、とっとと武器選んじまおうぜ。」
自嘲気味に言うセイレンの背中をバシッと一発叩き、俺も武器を選び始めた。
・・・と、いかんいかん。最初の用事を忘れてた。
「そう言えば、聞いてたか?セシルの話。」
「ん?」
「実はな・・・」
「そうそう。罠と矢筒が減ってるのよ。」
俺が口を開こうとすると、角からひょいとマーガレッタが顔を出した。
後ろにカトリーヌもいる。・・・・聞いてたな、こいつら。
「だから、多分セシルも無事ですね。」
「本当か!」
「ちょっと・・・待ってて・・・・・」
カトリーヌはそのまま、松明がわりにサイトを焚いて部屋の奥の方へ歩いてゆく。
「弓と短剣も・・・・減ってる・・・」
「決まりだな。」
セシルとエレメスは無事だ。あとは出口に向かうだけ。
恐らく敵に固められているその場所で戦っていれば、あっちも気づいて駆けつけてくるだろう。
必要な装備を揃え、部屋を出る。外に出て少し進むと、通路の一部の壁がなくなっている事に気づいた。
その向こうには高台があり、かなりの数の敵が陣取っている。
巨大な武器を持ったガーディアンもいるが、これは何故か停止していた。
「この先が出口か・・・」
セイレンが剣を構える。高台と、その前をさ迷うように歩く"セイレン=ウィンザー"や"マーガレッタ=ソリン"を見据えて。
カトリーヌが牽制するようにストームガストを置き、"セシル=ディモン"の狙撃に備えてマーガレッタがニューマを置いた。
そして俺とセイレンが武器をかざして一歩を踏み出そうとした時、どこか奥の方で篭った爆発音と水の流れる音がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
3Fは既に研究員どもの死体の山。まさに壊滅状態だった。あとは四人と合流するだけだ。
出口は中央。そこで派手に戦っていれば、きっと奴らも気づくはずだ。そう思って中央に向かうと、その四人は既にそこにいた。
「あれは・・・セシルとエレメス・・・・・」
カトリーヌの声に、ほかの三人もこちらを振り向いた。
その手にはそれぞれ、武器庫で見かけた武器が握られている。
「悪い、遅くなった。・・・その様子だと武器庫には気づいてくれたみたいだな。」
「ああ。武器庫が開いていたから貴殿も無事だと思っていたが・・・さっきの爆発は?」
「貯水槽爆破して、4Fの連中を沈めてやったのよ。」
少し得意げに言うセシルの言葉に、四人は首をかしげる。
「4F?」
「・・・ああ。実はこの下にもう一層あってな。そこに警備システムの管制室があったんだ。」
「はっはっは!やるじゃねぇか!」
「ふふ・・・まぁ怖いこと。」
「痛い痛い!離せっ!」
ぐしぐしとセシルの髪をもみくちゃにして笑うハワードと、薄く微笑むマーガレッタ。
話が分かると、セイレンとカトリーヌは高台を見上げた。ジェミニS-58とレッケンベルの上級戦闘員が待ち構えている。
「それより・・・早くあいつらを片付けて脱出を・・・」
「そうだな。上にはまだ妹が・・・・・さぁ、行くぞ!!」
ばらばらに襲い掛かってくる"量産型"と木偶と化したガーディアンを叩き潰し、一気に狭い階段に迫る。
セシルがロングレンジを掃射し、カトリーヌが面を制圧し、前衛三人が戦列を蹂躙する。
敵に傷を負わされても、マーガレッタが一瞬でそれを消す。
六人揃えば、生体研究所自慢の鎮圧兵器と上級戦闘員の混成部隊も敵ではなかった。片っ端からなぎ倒し、階段を駆け上がる。
上の階には、俺たちの弟や妹がいる。それは俺たちと同じ生体兵器のオリジナルで、そして俺たちの人質でもある。
だが人質として使わせる隙などやるものか。そんな暇も与えず殺してやる。
「総員退避!総員退避ッ!!」
足止めに残ったジェミニを除き、総崩れになった守備隊は高台の奥の狭い通路へと逃げ込んだ。
閉じない隔壁の代わりに、ジェミニの群れがバリケードのように立ちはだかっている。
「食らえっ!!」
通路の中に弾き飛ばされたクレイモアトラップが大爆発を起こし、生きたバリケードをばらばらに吹き飛ばす。
爆発、怒号、咆哮、そして血の匂い。両側から迫る敵を焼き払い、セイレンを先頭に通路へと突入する。
この先に階段室があるはずだ。そこを駆け上がれば、あとは妹を・・・ヒュッケを助けて脱出し、レッケンベルを灰にしてやるだけだ。
だが・・・・・
そこにあるはずの階段は、撤退した部隊によって爆破されて瓦礫と化していた。
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